第十章
(2)
メンテナンス室のドアを蹴破るようにして中に飛込んだ。
先程薬を投与して眠っている筈なのに、なぜかリアは起きていた。
きちんと半身を起し、片目に落ち着いた光を湛えながら、まるで009が来る事を予測していたかの様に。
009はベッドの側に立ち尽くし、はあはあと息を切らせた。
「君は・・・君は・・・いや・・・」
首を振り、上下する胸を押さえ、ぐっと唾を飲み込んだ。
「・・・僕は・・・僕は却って君を傷付ける様な事をしてしまったのか・・・?」
「・・・傷つける・・・?」
009はばっとシーツに手を突いた。
「…何で…何で…言ってくれなかったの…」
茶色の髪が顔に触れそうになって、リアは009の肩を静かに押し返した。
されるがままに体を引いて、すとんと背後の椅子に落ちた。
涙とも叫びともつかない何か熱く苦い物が、喉の奥で暴れ回っている。それらが一気に飛び出してしまわないように、009は何
度も飲み込み胸をひくつかせた。
リアはそんな009を静かに見つめた。
「009・・・、お前の名は・・・・?」
なぜ今こんな事を尋ねるのだろう。
「・・・ジョー・・・」
『ジョー』と彼は口の中で復唱する様に呟く。それきりまた黙り込んでしまった。
「君はそうしていつも・・・!」
我慢出来ずに009は叫んだ。
「・・・そうやって何も言わず平然として僕を弄ぶんだ・・・何一つ教えてくれず何が本当かも知らされないままで君は僕を放っぽっていくんだ!いつもいつ
も・・・」
「・・・・・・」
「僕の中にはまだ今だって」
009はリアの手を引っ掴み、自分の心臓の上に叩き付けた。
「君の放った欠片のひとつひとつが…ここに埋まったままで疼いているんだよ!!!」
009の心臓の鼓動は、リアの手の平に熱い血と呼吸のリズムを生々しく伝えた。息を吐き吸うごとに揺れる胸。体内を迸る様に流れる血のうねり。
あの戦場でこの体を一突きに貫いていたら、逆巻き暴れる返り血を全身に浴びて命の最後の一滴まで飲み尽くしたに違いない。
どちらかが死ぬまで戦い続けるという、敵として出会った者達の運命を達成させる為に。
だがここは戦場のど真ん中などでは無い。薄暗い牢でも無い。
ここは敵同士が顔を合わせる場所では無いのだ。
戦う事を運命づけられた者達の、微妙な精神のバランスが崩れようとしている。
リアは防護服の上から009の心臓をきゅうっと握った。強くはないが、ほんの僅かな力を加えれば簡単に握りつぶされてしまいそうだ。
「・・・俺をここに連れて来るべきではなかった。空の真ん中に放っておくのだったな…そこで共に大空の塵になってしまえば誰も今になって悩み苦しむ事は無
かったのだ」
「やめて!!」
「B.Gと00ナンバー…その立場は闇と光明の様に決して混じり合う事はないんだよ。混じり合おうとしたが
最後、光は闇に飲まれるのが運命なのだ」
リアは相手の手首を引き寄せ、耳近くに顔を寄せた。
「・・・生はおろか死さえ自由にならないこの呪われた運命・・・最強と認めた敵の手で逝く事すら許されないのなら・・・当の相手が居るその目の前で自ら
散って行くのも
悪くはない…
言った筈だ…わざわざ面倒事に首を突っ込むと後悔すると。生死の瀬戸際にいて尚、敵を助け出すなど無駄な事を…放っておいてさっさと逃げれば良かったもの
を、
余計な仏心が後悔を産むのだ。お前の様な子どもっぽい正義感に凝り固まった奴がな・・・希望通りに死なせなかったことが俺を傷つけたと…?だったらその代
償としてお前は何をしてくれるんだ?」
耳元で低く囁かれる言葉は呪詛の様に脳内を犯し、血管を伝ってゆっくりと足の指先へと這っていった。
・・・地下を這う水がひたひたと押し寄せるこのぞっとする感覚…ああ、牢の中でも同じ感覚を味わったのだった。最近の、熱を押し殺した深い色になっていた
リアの目は、今、あの戦場と牢の中で見せたのと同じ鋭く冷たい殺戮者の色に変わっていた。
「俺達は最後まで違う世界にいるべきだった。分かるか!? お前にはその代償を払う覚悟があるのか!?」
あの時リアは彼は言った。
『…自分の死期は自分で決める…』
「違う・・・違う・・・」
009は虚ろに呟いた。耳と首筋にかかる息。なぜか押し退けることが出来ない。牙と爪に捕えられた哀れな子兎の様に震えながら、009は心臓に埋め込ま
れたままの欠片がまたじくじくと蠢きだすのを感じていた。
「なぜだ…!」
突如リアは押し殺した声で叫んだ。
「振り払っても振り払っても付いてくる…決してその手を離そうとせず…死の淵からでさえ無理矢理引っ張りあげ…俺は苦しむんだ…!B.Gに改造されて以来
失った感情というものを、お前は強引に蘇らせ、挙げ句俺自身を引き裂いて…お前は…!!」
彼は握り締めていた009の手首を勢い良く離し、顔を背けた。
骨が軋む様な痛みは体の奥に染み込み行き渡り、009はそれが自分の血と交じり合って行くように思われた。
「そうだ。苦しめばいい」
リアの耳に低い静かな声が流れ込んで来た。
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