月は夜ごと海に還り

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(3)


 前線の爆音から少し遠ざかってみると、そこは凪の様にしんと静まり返っていた。

 後ろの方にはまだサイボーグマン達が続々と続いていた筈だったのに、なぜか彼らの気配はぱたりと止んでいた。
先程まで自分がいた場所からはまだ銃声や爆音が微かに聞こえて来るのに、今廻りは不気味な静けさ、そしてロボット兵達が残した土煙と彼
らの残骸だけで、荒涼とした大地に壮絶な戦闘の痕を残すのみになっている。

 009は全身で荒い息をさせながら辺りを見回した。顔を手で拭うと黒い煤がべったりとついた。
ドドドッッと遠くで巨大な火柱と爆風が上がる。その付近は確か先程004と別れた辺りの筈だった。
まだひとりで応戦しているのか?

『004、004!!』

懸命に脳内通信で呼び掛けてみる。


『・・・004、無事か!?』


返事が無い。009は胸が締め付けられそうに痛んだ。爆風で回路が乱れているのだろうか。

 その爆風が段々とこちらに向かって来る。まるで壁が迫って来る様だ。
なぜか地面がグラグラと揺れ始める。そしてビリビリと耳をつんざく轟音。


──── 地震・・・?

 そう思った瞬間、空を覆っていた灰色の煙幕が散り散りに割れ、一斉に青空が広がった。
途端に射込む陽光が目を眩ませ、視界が奪われる。
辺りは一気に灰色から白の世界へと変わる。

そして突風が渦巻いた。


  突然の鋭い陽光と強風に襲い掛かられて009は頭がくらくらと痛む中、空を見上げて目を凝らした。


──── あれは・・・飛行機・・・?


真っ黒い大きな物体が間近の空を埋め尽くしている。いや黒く見えるのは逆光のせいで、表面の機体は太陽に照らされて銀色に反射している。
自分の方に向かっている、と気付いた時、それは一気に急降下して009の頭上に黒い影が覆い被さって来た。白い世界に重なる黒い物体、まるで皆既日食の様 だった。
 強風と轟音が鼓膜を震わせ、脳の中を掻き回す嫌な感覚に009は耳を塞いだ。

ガタリと重い音が響いてどうにか上に目を凝らす。

黒い機体の端に蹲る、同じく黒い影。

それが白い光の中に踊り出し、しなやかな体躯がシルエットで浮かび上がった。宙に伸びた脚、腕、翻る服の裾。すべてが光の輪を背負って舞う姿の黒豹の様に 恐ろしくも優雅な姿。

 反射的に大きく飛びのいた009の前に、すとん、とそれは鮮やかに着地した。同時に頭上の機体は急上昇し、大きく方向転換して彼方へ飛び去ってしまっ た。煙に吸い込まれる様に轟音が消えて行く。


 硝煙の混じった風が、ふたりの間を通り抜けた。相手の黒い髪が、黒いマントが、揺れてなびいた。その髪の間から射抜く様に 自分を見つめる黒い瞳。身の竦む程の鋭さが、黒ずくめの全身から漂って来る。
 敵だ、と認識した009はさっとレイガンを構えた。


「何者だ!?」

相手は何も答えない。

「・・・B.Gだな?」

「・・・009・・・」


そう静かに呟くと、相手は腰に差してしたサーベルをすらりと引き抜いた。煙の色を映して、長い刃が鈍く光った。

「お前がこの殺戮を指揮していたのか?!」

無言。


「答えろ!!」


相手はサーベルをすっと009の前にかざした。

「 ・・・そんなことは関係ない。ただ戦う為に来たのだ。・・・今はな、009!!」


 サーベルが宙を舞い始めるのを目で捉えて、009はレイガンの引金を引いた。だが一瞬で相手が消えたかと思うと、もう自分の 背後に居た。

──── 加速装置付きか・・・

 もう一度相手が消える。と同時に009も加速した。
 長いサーベルが自分に向かって舞う、舞う。防護服を引き裂く、引き裂く。009は右、左に避けるのに必死で、レイガンを撃つ 暇が無い。

──── ・・・早い!

ふたりは目に見えないつむじ風になって、荒れた大地を疾走する。

 しかし既に疲弊していた自分にとって、相手のスピードは致命的過ぎた。
隙を突く一瞬さえ許されない。そのうちに刃が左の肩を引き裂いた。咄嗟に押さえた指の間から人工血液が滲み出す。

「・・・っくっっ・・・」
009は口の中で呻いた。そして容赦無く腹に、胸にパンチが入る。右手を蹴り上げられて、レイガンを手から取り落としてし まった。 ほとんど袋叩きにされた体は、勢い良く乾いた土の上を転がり顔が土にめり込んで呼吸を奪った。全身に痙攣が走り、ちぎれ れそうな痛みに縛られた。

限界値はすぐそこに来ている。

 先程のロボット兵達との戦いが無ければ、こうあっさりとやられはしなかったしなかっただろう。
 009は劣勢に陥りながらも、相手の力は同条件ならこの自分とほとんど五分五分である事を感じていた。
だからB.Gも先に数で疲弊させた所で刺客を差し向けた。これが作戦だったのだ。


「もうお仕舞いか?」

サーベルが鼻先に突きつけられる。
風にはためくマントの影から、自分達のと良く似たレイガンが見え隠れしている。
なぜ彼はこの効果的な武器を使わないのだろう。サーベルなどという間合いを詰めなければ役に立たない物を振回さなくても、彼ならレイガンですぐに始末をつ けられるだろうに。
 ゼイゼイと荒い呼吸をしながら、口の中の砂粒をぺっと地面に吐捨てた。
腕からぽたぽた血が溢れる。後ずさると、 手に固い物が触れた。それが何か分からないままにそっと握った。


サーベルが振り降ろされる。同時に手に握った物でその刃を受け止めた。

鋭く乾いた音、飛び散る火花。

相手の武器を受け止めたそれは、真っ黒に焼け焦げた大きな鉄の十字架だった。
全身にかかる物凄い衝撃に腕がぶるぶる震える。ギリギリと巨大な力が、ふたりの体に掛かる。

互いの顔が間近に迫った。


正面からぶつかり合う黒い瞳と赤い瞳。

一方は無表情な冷たい光を湛えたままの、落ち着いた深い闇の色。

一方は熱と煙に潤み,既に無理矢理極限まで高めさせられたエネルギーの放出をかろうじてくい止めている、逆流寸前の溢れる血の色。

プラス極とマイナス極の様に相反するふたりの瞳は互いを飲み込もうとし、彼らが手に持つ武器と同じに激しくぶつかって重 なり、響き、摩擦し合った熱と熱が迸って脳の中にまで流れ込む。

ばっと離れる。勢い良く重なる。


何度も角度を変えてぶつかり合う。押し合いの攻防が続く。
相手は風の様に軽やかに体を操るのに、加速装置の負荷がかかった009はついていくだけで精一杯だった。額から、頬から流れる血 が鬱陶しい。 敵のサーベルは黒豹の爪の形をして、繰り返し皮膚を切り刻もうとする。

──── ・・・ダメ、かも知れない・・・


なぜ相手がレイガンを使わないのか、朦朧とした頭で009は自分なりに理解した気がした。

相手は戦いたいのだ。戦ってなぶり殺したいのだ。

戦う為に来たと確かに言った。


『・・・今はな・・・!』


─────  今は?


 考えている内に相手の力を受け止めかねて、地面に押し倒される格好になる。地面に背中を受け止められ支えられて、一気に体が弛緩した。
全身の機能が停止し、眠りに吸い込まれる様な感覚。


ああ、『死』がそこにある。


遂に黒豹の鋭い爪が、喉を掻き切る・・・


相手の姿が消えた。


・・・ガガガガ・・・ガガガガ!!! 辺りにつんざくマシンガンの発射音。
足元に勢い良く飛び散る乾いた土。嗅ぎ慣れた硝煙独特の匂い。


 「009!!!」



 鉄塊の山の向こうから、004が現れた。



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