月は夜ごと海に還り

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  第五章  



(1)



 敵の戦艦。独房の中でただ一人。


 再び闇に包まれた室内で、009はしばらくぼうっと座り込んでいた。
物事が急展開しすぎて、頭がついていかない。 夢なのか現実なのか、それすら自信が無くなって来る。
黒ずくめの姿が消えて、ぷつん、と緊張の糸が解けた反面、置き去りにされた様な妙な孤独感が胸に迫って来た。

断続的に続く揺れ。そして床が斜めに大きく傾斜した。

「うわあ!」

体がゴロゴロ転がって、反対の壁にどしんとぶつかった。不気味に軋む空間、いつ天井が崩れてもおかしくなさそうだった。
天井が崩れて下敷になるのが先か、敵に殺されるのが先か。
不安と孤独に体が震えた。
 009は傾いだ床に手を突き今だ体を苛む痛みに耐えながら、先程リアが覗いていた壁際の小窓に向かって這っていった。壁にもたれる様にして重い扉を開い てみるが、それはびくともしなかった。レイガンはなくしたままなので、壊すことは出来ない。
取り敢えず009は、傾斜した床を滑って来た防護服の上着を出来るだけ急いで身に付けた。
脳内通信が使えないことは分かっていた。加速装置も体が回復していない今使えば、今度こそ命取りになることも本能的に感じている。
足元の千切れた鎖が鈍い音をたてて鳴る。

『お仲間だ』

彼は確かにそう言った。

耳を澄ましてみると重い爆発音やエンジン音と思われる低く唸る様な空気の震えをはっきり感じた。

ドルフィン号。

すぐ傍にみんなが居る。


束の間の命拾いでも無駄にはしない。

廊下の扉までの僅かな距離がはやる心と痛む体のせいで、ものすごく遠く感じた。
厚い鉄の扉にそっと手を触れて、ぐうっと引いた。

意外にもあっけなく開いた。

途端に耳に流れ込んでくるサイレン音と轟音。そして灰色の煙と白い蒸気が体を包み込んで、視界を一瞬奪う。
なるべく低い姿勢のまま、手をかざして廊下の壁づたいにそろそろ歩き始めた。早く脱出可能な出口を見つけ出さなければならない。
右、左に傾ぐ空間をよろめき、転びそうになりながら進んだ。

───── それにしても・・・何か変だ


さっき独房の中で、自分は確かに大勢の乗組員達が廊下の外を慌ただしく行き来する音や叫ぶ声などが聞こえていた。でもなぜか今はどこまで行っても人っ子一 人出くわさない。
機体がミシミシ軋む音、天井から吹き出す白い蒸気がシューシュー言う音、サイレン音だけが認識出来るすべての音声で、人が居る気配は全く無かった。
人々はもう既に脱出した後なのだろうか。
鍵の掛っていなかった自分の独房。
外された鎖。
無人の廊下。
敵は00ナンバーとの戦いを早々に放棄したとしか思えない。だったらあんなに手間を掛けて自分を拉致監禁しなくても良かった筈だ。

───── 一体どういうことだ・・・?

  グラグラ揺れる床によろけて壁にもたれ掛かると、その壁が向こう側に突然開いて、009はつんのめった。
途端に充満する煙で激しく咳き込み、眼が滲みた。
  ひりひりする瞼を必死で開けたそこは,どうやらコクピットであった様だ。
『様だ』と云うのは、部屋一面が真っ黒く焦げてあちこち歪み、床の機器類は引き剥がされて倒れ、足元には半分溶けた機材が散乱していて殆んど元の面影らし きものが見当たらなかったからだ。

そして部屋の隅に折り重なった、幾つもの焦げた死体。

 009は思いがけない惨状に息を飲んだ。
これはドルフィン号の、外からの攻撃のせいではない。内部のこの部屋でなにかが爆発したのだ。
 ドアが開いたせいで空気が流れ、充満して燻っていた煙がさあっと引いて急に部屋が明るくなった。
正面の壁一面のひび割れた窓。009は窓に駆け寄った。
まるで巨大な水槽の様なその中を、赤と白の機体が胴体を窓に擦り付ける様に斜め一杯に横切って、大きな影を作って行った。

  間違い無い。嬉しさに涙が溢れた。
  拳で力一杯窓を叩いた。無駄なことは分かっていたが、そうせずには居られなかった。恐らく外からはこちらは見えない。
  仲間が来てくれたのは良いが、ここからどうやって脱出するか、それが問題だった。せめてどうにかして自分の存在 を仲間に知らせなければいけない。もたもたしていれば自分はこの戦艦と心中する羽目になる。機体は自動操縦が作動しているらしいが、これまでの断続的な爆 発から墜落は時間の問題だと思われた。

───── せめて加速装置が使えれば

喜びが不安に逆戻りする。こんな近くにみんなが居るのに、懐かしいドルフィン号を目の前にして果てて行かねばならないのは余りにも残酷だった。


───── くそっ


009は体を庇いながら、這う様にして再び廊下に出る。





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