(12)




・・・・・苦しい位で丁度良い。無慈悲にも彼はそう言うのだ。
こんな気違いじみたが事が出来るなんて、それは俺達二人ともが狂った異常者なのに違いないのだから、贅沢を言わず、 本来の立場を忘れない為にも、俺達は、云々・・・・・
 くどくどと語って見せる彼の言葉を、土方は最初はそこそこ神妙に聞いていたものの、彼のしたり顔を見ている内に込み上げて 来たおかしさが、知らぬ間に顔に滲み出ていた様で、おい、貴様聞いているのかと彼は言い、そんな甘い事だから 俺達はこうして・・・・・と更に生真面目な調子で説きかけた所で、土方はもうニヤニヤ笑いが隠せなくなっていた。
 すると彼は何かに気付いた顔でふっと黙った。そして困った様なきまり悪い表情を一瞬見せてから、直ぐに同じ様に笑い出した。
そうして二人はけらけらと声を合わせて、随分と長い事笑い続けたのだった。






・・・・・病室のベッドの上に起き上り、土方はたった今届けられた報告書の一枚を眺めている。
 普段の激務に対して今回を丁度良い休息の機会とする様、迷惑にも長めに決められた入院生活だった。眺める物は天井と窓から 見える広い空だけの余りの退屈さに、屯所から簡単な書類仕事を幾つかこっそり持って来させていた。
 その報告書を手にした最初の一瞬こそ険しい目付きになった土方だったが、文中のあちこちに踊る『不明』とか『捜索中』 の文字を捉えるにつれて、その瞳は徐々にぼんやりと影った。

 無機質な書類をじっと眺める内に、土方の肩が小さく震えだした。
 くぐもった含み笑いが漏れ出し、やがて引き攣った笑いになって、爆発した。
 堪えても堪えても、後から後から腹の底から湧いて出た。喉を震わせ、肩を揺すり、胸を上下させて、傷の痛みに耐えながら、 土方は声を殺して笑い続けた。笑いながらその報告書を細かく破り始める。両手一杯に積もった紙屑を書類封筒に包んで くしゃくしゃに丸め、ぽいと傍らの屑籠にぽいと放り込む。
 寝巻の懐を探りかけて空っぽの手を投げ出す間も笑いは止まらず、 ひいひいと息を喘がせながら 横になろうとし、痛ェッッッ!!!と土方は派手な叫び声を上げた。








 嵐の後、山崎は無風の平穏の中に居る。
 副長不在の他は特に何も変わらない日々。山崎は平凡に毎日仕事をこなし、監察としての任務を全うしていた。
 あの鞘は片時も離さない。軽いばかりのちっぽけな黒い鞘。半分だけになってしまった彼の映し身。余りにも細く、中途半端で、 山崎の手の中で途方に暮れている。

 可哀想な鞘と共に山崎は、空っぽな無風地帯に取り残されてしまった。







無風を突き破ろうとしたのか、万事屋の床の上で土下座をする山崎。

その背中を椅子にふんぞり返って眺める銀時。


「もうあれきりだって言った筈なんだけど」

「あの時は手紙、今回は会いたいと言ってるんです。依頼の内容が違います」

 固く動かない山崎は、あの時と同じやはり石の様で、部屋に自分達二人だけの静けさの中、それは土下座と云うよりどこか 静かな威嚇。
 銀時は木刀を手に取って、代わる代わる両手の中に転がした。


「ザキ君、ザキ君、お前あいつに何してくれちゃったの」

「何かしたと言えばしたし、してないと言えばしていません」

「どっちよ」

「どっちでも」

暫しの沈黙。 


「旦那の考えている事は分かりますよ。でもそう考えているって事は、あなたはこの俺を脅威として見ているって事です。 俺はそれが嬉しい」

「ザキ君〜〜〜」

 銀時は情けない声を出し、木刀をころんと手の中で転がした。


「まあとにかく、そんな不倫の手助けみたいな事、ウチとしてはちょおっと〜〜〜」

山崎は勢いよく顔を上げ、かっと目を見開いた。


「不倫、不倫ですか!!!」


 白目がぎらぎらと輝いている。不倫!不倫!目の前の銀時に訴える訳でも無く、耳に入ったその儘を壊れた再生機の様に 繰り返している様だった。

「あの、ザキく、」

「不倫・・・・・!」


その時、カンカンと階段を駆け上がる音と、それに合わせて賑やかな歌声が聞こえて来た。

「私のぉ〜〜心〜〜ぉはぁ〜海のぉ中ぁぁぁ〜〜〜夕陽に染まったぁぁ〜海のぉぉ中ぁぁぁぁ〜〜〜」

山崎はぎょっと玄関の方を振り返った。

「神楽ちゃん、卵割らない様に気をつけて〜〜〜!」

わなわなと震え始めたかと思うと、急に山崎は立ち上がる。思わず椅子ごと後ろに仰け反った銀時を睨む様に一瞥し、 無言で玄関へと駆け出した。

「ただいまぁぁ、あれ、山崎さ・・・・、うわぁ!!」

 新八と神楽の体を突き飛ばさんばかりにして、台風の如く山崎は走り去って行った。



「・・・・・何かあったんですか。山崎さん、顔真っ青でしたけど」

 居間の敷居を跨ぎながら、新八は心配そうに玄関の方を見やった。

「どっか身投げでもするんじゃないアルか。ちゃんとパソコンのデータ消したかって聞いてあげられたら良かったアルな」


 銀時は気だるくぐるりと椅子を回し、二人の方を向いて、無表情に尋ねた。

「・・・・・いちご牛乳買って来てくれた?」








 身投げなど、もう疾うの昔に済ませた事だった。彼の唇を知ったあの瞬間に、山崎は身を投げたのだ。
 冷たい水に揉まれ溺れ続けながら、山崎は死にきれない。流されもがき苦しみ、儚くちっぽけな一本の鞘に命を預けて、 いつかの日の為に、生き続けなければならなかった。




 或る夜。

 真円には少し足りない月に、紗の様な薄い雲がかかっていた。
 病院に土方の着替えを届ける役目を言い使った山崎は、面会時間が過ぎていたのを良い事に、看護師の詰め所に荷物の風呂敷包み を預けて、すぐに病院を出た。
このまま先日まで見張りの為に潜伏していたアパートに立ち寄って、置きっぱなしの着替えや私物を引き取って来る つもりだった。

 人っ子一人いない道を山崎は少し急ぎ足になって歩いていた。
 風呂の湯を抜く音、雨戸を閉める音が済んだ闇を伝って聞こえて来る。どこか遠くで犬がけたたましく鳴いていた。

 そんな微かな生活音が耳に届く中で、ふいに山崎は感じた。どこか闇の向こうで虫が這っている気配。
 歩きながらそっと刀の柄に手を掛けたその時、目の前の角からゴミ箱が勢いよく跳ね上がりながら転がり出て来た。

「どわっ!」

 かろうじて飛び越えたものの、バランスが取れずに、山崎は勢い余って地面をごろごろと転がった。
 転がりながら黒い影が突進して来るのを目の端で捉え、起き上りつつ何とか抜いた刀で、相手の刃をガチンッ と受け止めた。
 歯を食いしばってぐいと押し返し、体勢を立て直して構える。再び鋼同士がぶつかり合う。大きく飛び退いた所でザザッ と云う音がして、山崎の足元に幾人もの黒い影が放射状に落ちた。

いかつい顔した男達の顔、顔、顔。夜空に低く乱立する刀、刀、刀。

全身から一気に汗が噴き出た。


まずい。これは大変まずい。


そんなに明るくもない月が、暗闇を凝らす目にやけに眩しく感じた。

 波の様に一斉に刀が押し寄せる。
 間一髪で山崎は背後の鉄柵に飛び上がった。縺れた刀の山に冷や汗を滲ませ、そのまま細い柵の上を走り出す。ぐいぐいと伸びて 来る刀を懸命に薙ぎ払い、柵が途切れた所で身を屈めて、自分でも驚く程軽やかに目の前のブロック塀の上に 飛び移った。

 小癪な!

 下っ端の小鼠が!

 その他汚ない罵り声が次々と響いた。

風を切って走る山崎の耳奥に静かな声が囁きかける。

『・・・・良い反射神経をしている。まるで忍の様だな・・・・』

一人が投げつけて来た刀を、頭上の木の枝につかまってこれも上手い具合に避ける。
このまま屯所近くか、せめて人の多い道へ何とか誘導出来たら。
 後方で一人が塀をよじ登って来た。山崎は塀の上をひたすら走り抜ける。茂って伸びた植え込みの木の葉が汗で濡れた顔に ばさばさと当たる。
 塀が途切れている。再び山崎は飛び上がった。

『・・・・だが・・・・』

 一人が投げつけた石が山崎の背中に当たった。
 途端に山崎の体はぐにゃりとバランスを崩し、直ぐ下の道へ落ちて無様に転がった。

『・・・・姿を晒すのは今宵限りにしておけ・・・・』


 打ち付けた目が霞む。押し寄せる黒い影の塊に月が隠れる。手探りで刀の柄を握る。剣の切っ先が次々と迫る。

 その時に、風の流れが変わったのを山崎は感じた。道に落ちる影の色が濃くなった気もした。

 群集の背後で、一本の剣が夜空をよぎるのが目に入った。

 同時に鋭い叫び声と、ドサリという重い音。

 薄青く染まった風が流れる様に宙を裂く。それに合わせて、まるでドミノ倒しの様に、屈強な男達の体が次々と地面に沈み込んで行く。

 ぽっかり開いた空間から見えた、いつの間にか雲が去って息を吹き返した様に輝く、端の欠けた月。
 それに重なって、長い髪と裾を乗せた薄青い風が、山崎の目の前に降り立つ。
 先程まで月が纏っていた紗の衣が、この地上まで遥々舞い降りて来たかの様に。

 身動き止められた山崎は、ただ眼を一杯に開いて見つめる。


 桂小太郎、その人を ──── 。





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