ヤナセボディーのダイハツライトバス (ダイハツ編_1)

このコーナーではマイナーなマイクロバスを重点的に取り上げているが、
ダイハツのマイクロバスは既に血統が絶えていることもあり、
マイナー度が高いように思う。

同社のマイクロバスは妙にバリエーションが多く、比較的有名な
モデルの他に、リヤエンジンのマイクロバスなど実験的なモデルが
いくつか存在している。

今回はその中から、ヤナセボディのマイクロバスについて取り上げたい。

詳しいことは調査中ながら、とりあえずここに掲載する次第。

1964 ダイハツ 
DV201N型 ライトバス


前モデルのDV200Nは丸みを帯びた
車体だったが、1962年にシンプルな
DV201Nライトバスが登場。

形式名から、2tトラックDV201の
派生車ということがわかる。

標準車ともロングボディとも
異なるホイールベースは
専用シャシーなのだろうか?

架装メーカーは不詳だが、後年のモデル
との関係からヤナセ製かと思う。

主要諸元
全長 5,440mm 全高 2,370mm
全幅 1,990mm 軸距 3,000mm
機関 FB型1,861cc 出力 80PS/4,600rpm
東京店頭渡価格\1,300,000

出典:調査中
1964 ダイハツ 
DV201N型 ライトバス


第10回東京モーターショーでの展示。

昭和40年代を先取りしたデザインだ。

ストライプがいささか過剰ぎみだが、
ステンレスの装飾モールを廃した所は
他社よりも先んじている。

「なおデラックス仕様はラジオ 車内
放送装置 モケット張りシートが付く」
とあるので、2グレード体制のようだ。

出典:モーターファン1963-12別冊付録 10thモーターショー 
1967 ダイハツ 胃レントゲンバス

一見同じ顔の検診車だが、
よく見ると別物である。

ヘッドライトや屋根の深さはもとより、
車幅も一回りワイドになっている。

検診車の架装で知られるヤナセ製で、
ドアの後ろに(Y)のバッジが見える。

当時の資料にあたったところ、
「シャシは昭和36年レントゲン車専用と
して開発以来改良をかさねてきたもの」
と紹介されていた。

先代のDV200Nから、専用の低床
シャシを採用した小型レントゲン車の
開発に熱心だったようだ。
主要諸元
全長 6,100mm 全高 2,900mm
全幅 2,270mm 車重 4,805kg

出典:自動車技術21-12 
尾張車体工業 X線車

同様の検診車が尾張車体からも
リリースされていた。

一見同じように見えるボディだが、タイヤハウス
とドアの位置関係などが異なり、ボディサイズも
若干違うように見える。


ドア後ろの銘判の形ももちろん違う。

なかなか奥の深い世界だ。

出典:尾張車体工業株式会社 BODY CATALOGUE
1968 武ボディー ホリデーキャンパー

市販キャンピングカーの国産第一号
として生まれたもの。

“走る別荘”のキャッチコピーが
奮っているが、はたして
何台作られたのだろうか。

あえてダイハツが選ばれた理由は、
広い車幅の割に全長が短いのが
重宝した為かもしれない。

上の検診車と見比べると、
ヘッドライトの位置がやや高めで、
ウインカーレンズも異なる。

中型バスを改装して
キッチン、テーブル、冷蔵庫、
洋ダンス、シャワー、水洗トイレに
冷・暖房も完備した車内。

ずいぶん立派なキッチンだ。

実に十人分のベッドを組むことが
可能で、グループ旅行を狙ったという。


何となくレントゲン車っぽい気もする。

出典:毎日グラフ別冊'68春の乗用車」
1969 ダイハツ
DV30N型 ライトバス


しかし、特装専用のボディという訳でも
なく、市販もされていたようだ。
登場は1965年7月。

定員は25人乗と29人乗の2種。
ボディサイズと型式は同一。

全幅2,270mmは中型バスに
迫るサイズで、マイクロバスとしての
使い勝手は厳しそうだ。

こちらもヤナセのバッジが見える。

定員「19人乗」は「29人乗」の誤植だろう。

出典:1969世界オートレビュウ 
1969 ダイハツ  ライトバス

同じ写真がカタログには
カラーで掲載されている。

フロントにはDAIHATSUの
レターマークが入るが、
この年は通風孔とグリルの
間に移ったようだ。

なお、ダイハツは1967年に
トヨタと業務提携する。

70年代に入るとトヨタとの競合車種
が大幅に整理されるので、バスも
運命を共にした可能性が高い。

りあっちさん提供
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