花降りしきる午後




− 11 −

きらびやかに装飾された窓の外には、しとしとと雨が降っていた。
もう、季節は梅雨に入ろうとしている。
きらめくシャンデリアの下では、着飾った数人の紳士淑女が噂話に華を咲かせていた。

「まあまあ。わたくし、本当に驚きましたわ!
 先日のレセプションで、子爵様がお連れになっていた美しい御令嬢が、
 雨宮伯爵のお孫様でいらしたなんて」

「言われてみれば、撫子様にそっくりでいらっしゃいましたもの」

「だが、これで雨宮伯爵も安心なさっただろう。
 他に血筋もおらず、このままでは雨宮家も途絶えてしまうところだったからな」

「今、伯爵の元には令嬢の求婚者が群がっているそうだ。
 何と言っても、あの資産と爵位は、名家旧家の次男坊達には魅力だからな」

「だが、一番有力なのは李子爵だろう」

「あら、それなんですが。子爵様はあれ以来、雨宮家に寄りつきもしないそうですわ」

「ほう…?」

「ほら、噂をすれば…」

雨宮伯爵と共に、さくらが現れた。
淡い青と紫のドレスが、花のように清楚な愛らしさを引きたてている。
あっという間に群がる、求婚者達。
伯爵に紹介され、笑顔で挨拶しながら、その眸はしきりに誰かを探していた。
しかし、求める人の姿がないことを悟ると、その笑顔は今宵の空のように曇ってしまうのだった。


雨は子爵家の書斎の窓辺にも降り注ぎ、紫陽花の花を濡らしていた。

「小狼様、また雨宮伯爵様からのお誘いが。今度はオペラの観劇にと」

「…断っておいてくれ」

山崎に背を向けたまま、小狼は答えた。

「しかし、こう再三では、あちらもお気を悪くされるのでは?」

「………。」

襟元を緩めたシャツを絵の具で汚し、小狼はカンバスに向かって筆を動かしている。

「それに、木之本…いえ、伯爵令嬢も、きっと淋しがっておいでかと…」

「山崎」

その声に、彼はピタリと口をつぐみ、ため息をついた。

「わかりました。私の方でお断りの返事をいたします。
 ですが、小狼様。お食事くらいはなさって下さい。他の者も心配しております」

「ああ…。迷惑をかけて、すまない」


「山崎さん、御主人様の様子は?」

ドアの外では、千春と利佳が山崎を待ちかまえていた。

「相変わらずですよ。ほら」

彼の手にあるのは、ほとんど手をつけていない食事の盆。

「さくらちゃんが伯爵家へ行ってしまってから、ろくにお食事をなさっていないわ」

心配そうに顔を曇らせる利佳に、千春が言った。

「でも、伯爵家からのお誘いは、全部お断りになっていらっしゃるんでしょう?
 何をお考えなのか、わからないわ。
 私、御主人様はすぐに伯爵家に結婚の申し込みに行くって、思ってたのに」

「さくらちゃんが伯爵家のお嬢様なら、もう何も問題はない筈なのに」

「そういうことじゃ、ないんですよ」

山崎の言葉に、千春と利佳が不思議そうな顔をする。

「御主人様は、中で一体何をしているの?」

千春の問いに、山崎は細めた眸で閉ざされた扉を見つめた。

「形にしようとしているんですよ」

「なにを?」

「想いを…ですよ。なにぶん、不器用な方ですから」



− 12 −

さくらは、雨宮家の居間にかけられた撫子の肖像画の前に立っていた。
絵の中の母は大きな肱掛椅子に座り、今のさくらと同じ白いレースのドレスを着ている。
優しげな微笑みに向かって、さくらは囁くような声で話しかけた。

「…みんな、優しくしてくれるの。
 おじい様も、この家の人達も、夜会やお茶会で紹介される人達も。
 でも…どうしてかな?
 わたし、お父さんとお母さんと暮らしてた頃や、お屋敷で千春ちゃんや、利佳ちゃんや、
 山崎さん達と一緒に働いていた時の方が、ずっと楽しかった気がするの…。
 こんなの、変だよね?
 わたしのために色々して下さった小狼さまにも、申し訳ないよね…?」

最後の名前に声が震え、さくらは握り締めた両手を胸に当てて、俯いた。

 カチャリ

ドアが開き、雨宮伯爵が入って来た。
うちしおれた様子の孫娘に、穏やかに声をかける。

「さくら。午後のお茶に、お客様をお招きしているから、おまえもおいで」

「おじい様、わたし…」

表情を曇らせたまま、絨毯に視線を落とすさくらに、伯爵は言葉を続けた。

「毎日毎日、物見高い客ばかりで退屈だろうね。
 だが、今日の来客は、おまえにとっても私にとっても、大事な恩人なのだから」

「あ、じゃあ…!」

さくらの表情に生気が蘇り、ぱっと輝く。

「そう、今日のお客は李子爵だ。
 ずっとお忙しかったようだが、やっと来ていただけるそうだ」


「伯爵。ごぶさたをして、申し訳ありません」

モーニングコート姿の小狼は、雨宮家の執事にステッキと帽子を手渡すと、
老伯爵に非礼を詫びた。
だが、伯爵は上機嫌で彼を迎え入れ、これまでになく歓迎する。

「いやいや。私のほうこそ、あらためてお礼を申し上げねばと、お待ちしておりました。
 さあ、どうぞこちらへ」

案内された客間には、さくらが待っていた。
ドアが開くと同時に飛びあがり、そして慌ててお辞儀をする。
その頬は、胸元に飾られた薔薇のブローチよりも紅い。

「小狼さま…!」

「お久しぶりです。本日は、お招きをありがとうございます」

小狼のさくらへの挨拶は、紳士が淑女に行うものとして、完璧だった。
…完璧な礼儀以外のものは、何も無かった。
後の言葉を続けられず、さくらは促されるままに、席についた。


気をきかせるつもりなのだろう。伯爵は理由をつけて、早々に席を外した。
運ばれてきた紅茶のカップを手に、小狼は静かに話し始めた。

「お元気そうですね。
 こちらに移られてから、お会いしていませんでしたので安心しました」

「はい…。皆さん、よくして下さいます」

「お幸せなのですね。…よかった」

カップを手にしたまま、一口も飲まずに冷めるにまかせているさくらは、
やっとのことで彼に向かって言葉を発した。

「小狼さまは…何だか、少しお痩せになったみたいです。
 あの、ずっとお忙しかったんでしょうか?」

「ええ…でも、それも終りました。
 ようやく家の相続手続きも、財産の運営についても片がつきましたので、
 後は山崎に任せて、また仏蘭西に渡ることにしたのです。
 今日は、お別れの御挨拶にと」

さくらの手の中で、ティーカップがカタカタと音を立てる。

「……いつ、出発を…?」

搾り出されたような問いに、帰ってきた返事は短かった。

「明日の、船で」

滑り落ちたカップが、音をたてて砕けた。

「ご、ごめんなさい。わたし…!」

思わず、割れた破片を拾おうとして伸ばした手が、鋭い切り口に触れる。

「痛っ…!」

白い指先が切れて、血が流れ出していた。
ふいに、小狼はさくらの手首をとり、ぐいと引っ張った。

「ここに座って。傷口を、心臓より上に上げて」

窓際のソファーにさくらを座らせると、小狼は胸元のハンケチで血をふき取り、
傷の具合を調べようとした。
だが、思ったより傷が深いのか出血は止まらず、みるみるハンケチが赤く染まっていく。

「あの、お洋服が汚れますから、………!?」

さくらの言葉が、途切れた。
小狼の唇が、傷口に押し当てられている。
紗のカーテンが風にふわりと舞い、花瓶に生けられた白百合を揺らす。
暫くの間、二人はそのまま動かずにいた。

「…大丈夫。傷に、破片は入っていない。
 じっとして。すぐ、人を呼びますから」

「は、はい…。ありがとうございます」

心臓が、ドキドキと早鐘を打っている。
立ちあがろうとする彼を、さくらは潤んだ眸で見つめた。

「小狼さま、わたし…!」

「お礼を言うのは、おれのほうだ」

動きを止めた小狼の口調が、かつてのものに戻った。
伸ばされた手が、白いレースで覆われた肩に、そっと置かれる。

「今なら、自分だけの絵を見つけ出せる気がする。君の、おかげだ」

まるで、さくらの言葉を遮るかのように…。感謝の言葉だけを、口にする。

「君に会えて、良かった。
 海の向こうにいても…。心から君の幸せを、願っている」

さくらの眸が見開かれ、その頬が青ざめた。
小狼は彼女の傍を離れるとドアを開け、人を呼んだ。


小さな怪我だったのに、伯爵家は大騒ぎになった。
伯爵はもちろん、執事やメイド達がごぞってさくらを取り囲み、気遣っている。
短い間にも、彼女はその明るさと優しさで、伯爵家の皆に愛されているのだろう。
やがて、小狼は席を立った。

「それでは、私はそろそろ失礼いたします。
 出発の準備もありますので」

指に白い包帯を巻かれたさくらは、立ちあがり…そして、たどたどしく別れの言葉を述べた。

「…小狼さまも…どうか、お元気で…」

「ありがとうございます。貴女も、伯爵を…おじい様を、大事になさって下さい。
 どうか、お幸せに」

さくらは笑顔で、小狼の後ろ姿を見送った。
だが、ドアが閉じられると同時に居間へと走り、母の肖像画の前に置かれた椅子に顔を埋めた。
手には、血で汚れた小狼のハンケチが握りしめられている。


(わたしが可哀想な親無し子だと思ったから、だから、優しくして下さっただけ。
 ただ、それだけ。
 わたしだけが浮かれて、お伽噺を夢見ていただけ。
 それだけだったんだ……。)


額縁の中では物言わぬ母が、泣きじゃくる娘を見つめていた。



− 13 −

翌日、朝食に下りてきたさくらの眸には、赤く泣きはらした跡が残っていた。
伯爵が痛ましげに眉を顰め、たまりかねたように口を開く。

「さくら…。おまえに何か望みがあるのなら、私がどんなことをしてでも叶えてあげよう。
 もし、おまえが子爵を…」

言いかけた老伯爵の言葉を遮るように、さくらは首を横に振った。

「わたし、ずっとおじい様のお傍にいます。
 …お傍にいさせて下さい…!」

その言葉の意味を理解し、伯爵は大きく頷いた。

「おまえの好きなようにすればいい。
 何処にも行かなくていい。家も爵位も、絶えたところで構いはしない。
 おまえさえ、幸せになってくれれば…」

そこへ、雨宮家の執事が来客を告げた。

「伯爵様。お嬢様にと、子爵家から使いの方がお見えになられました。
 山崎様とおっしゃっておられますが」

「山崎さん…?」

思わぬ来客に、さくらは怪訝な顔をした。


「伯爵様、さくら様。朝早くからお騒がせして、申し訳ありません」

客間に通された山崎は、突然の来訪への非礼を詫びた。
それに応じる伯爵とさくらの表情には、やや複雑なものがある。

「実は、さくら様にお渡しするよう、ことづかったものがありまして…。
 どうか、ご覧下さい。見ていただければ、おわかりになります」

山崎は、壁に立てかけてあるものに被せてあった布を、取り払った。
三尺三寸(約1m)四方ほどの大きさの、剥き出しになったカンバス。
そこに描かれていたのは…降りしきる桜の花の下で微笑む、少女の姿だった。
質素な黒い服。芝生の上にじかに座り、脚を投げ出したポーズ。
それは、けっして伯爵令嬢の肖像画ではなく…。
ごく普通の娘の、輝くように幸福な一瞬。
溢れる生気と、喜びと、…愛情が、切り取られてそこに在った。
さくらは、小さく呟いた。

「見る人がみんな、幸せな気持ちになれるような……素敵な、絵が……」

立ち尽くすさくらの肩に、そっと手が置かれた。

「お行き」

振り向いたさくらの眸には、涙が浮かんでいる。

「でも、私、おじい様を残しては…!」

たった一人の孫娘の言葉に、伯爵は小さく首を振った。

「おまえが私の傍で悲しい顔をしているのを見るよりも、遠くで幸せにすごしてくれていると
 思う方が嬉しい。
 …それが、ようやくわかったのだ…。
 手紙をおくれ。私も、返事を書こう。
 それから、この絵を預かっていてもいいだろうか…?
 いつか、おまえ達が帰って来る日まで」

「おじい様…!」

「では、どうぞこれを」

山崎が懐から白い封筒を差し出した。

「客船のチケットと、旅券です。
 …勝手なことをしたと、後でお叱りを受けるでしょうが…。
 どうか、小狼様のことをよろしく」

さくらは封筒を固く握りしめた。

「ありがとう、山崎さん!」

「さあ、急いで支度を。出航は3時です。
 外に馬車を待たせてありますから」



− 14 −

横浜港。
出航を間近にした客船の前には、遠い異国へと旅立つ者と、見送る者とが互いに名残を
惜しんでいる。
その中には小狼と、千春と利佳の姿もあった。

「山崎さんは?」

キョロキョロと、いつも小狼の傍にいる青年の姿を探す千春。

「おれが使いを頼んだから、良いんだ」

小狼の声に、納得したように笑顔で言う。

「どうか、お元気で」

「面倒をかけるが、山崎と一緒に家のことを、よろしく頼む。佐々木も、幸せにな」

「ありがとうございます。御主人様もどうか、お身体に気をつけて」

小狼は微笑みを浮かべ、二人に背を向けた。


高らかに、出航の銅鑼が鳴る。
抜けるような夏の青空に映える、色とりどりのテープと紙吹雪。

「…まるで、桜みたいだな…」

甲板で、小さく呟く小狼。
…と。

「お紅茶を、お持ちしましょうか?」

振りかえる小狼。
そこに立っているのは、小さな日傘を差した旅装のさくら。
足元には、古びた旅行鞄。

別れを告げる人々の声をかき消す、汽笛の音。


……紙吹雪が、桜吹雪へとオーバーラップする……



     〜   終 劇   〜


(BGM・「勇気のワルツ」:From『封印されたカード』)


   ***  出 演  ***


   木之本 桜  … 木之本 桜

   李   小狼  … 李   小狼

   山崎 貴史  … 山崎 貴史

   三原 千春  … 三原 千春

   佐々木利佳 … 佐々木利佳


        以下 省略



  脚 本・演 出・監 督  … 柳沢奈緒子


  撮 影・編 集・音 響
  特殊効果・ナレーション … 大道寺知世
  衣  装・ロケ地提供


    製      作    … 星條高校3年D組



  **  この物語はフィクションであり、登場人物と  **
  **  出演者には、何の関係もありません。     **



『これをもちまして、第一回上映を終了いたします。
 足元に気をつけて、お帰り下さい。
 第二回上映は、午後1時。第三回上映は午後3時より行います。
 またの御来場を心よりお待ち申し上げます…』


大道寺知世の声による録音アナウンスが流れる中、映写室では…。


「……な、なんか、すごいね……。(///はう〜///)」

「……………………………。(←何も言いたくない)」


その後、テロップの注意書きにも関わらず、李 小狼が女生徒の間で密かに
『小狼さま♪』と呼ばれるようになったのは、言うまでもない。



                                   − 完 −


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星條高校の文化祭って、何時なんでしょう?
桃矢兄ちゃん達が高二の時は7月で、高三の時は2月。
謎です。…いや、問題はソコじゃなくって。(汗)
パラレルといえばパラレルですが、どちらかというと劇中劇。
劇場版2の「悲しい恋」や、TVアニメ第65〜66話の「名探偵最後の事件」が
元ネタでした。一応は。
ちなみに冒頭の『皆様、本日はようこそ…(以下略)』は、地元の某歌劇団の
開演挨拶のパクリです。

(初出01.7 掲載サイト様は、既に閉鎖しておられます。)