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 小狼がさくら達の泊まっているゲストルームの前に辿りついた時、そこには既に四人の姉達
 がそろっていた。
 小狼と同様、李家に入り込んだ≪魔≫の気配を感じ取ったのだ。
 寝巻きのままの小狼と違い、全員が式服を着ているのが、道士としての経験の違いだろう。

 「アイツは!?」

 返事も待たずドアノブに手を伸ばす小狼を、一番上の姉・芙蝶(フーティエ)が押し止めた。

 「お待ちなさい、小狼」

 首筋のあたりで切りそろえられた髪が、サラリと揺れる。
 落ち着き払った表情と声は、姉妹の中で一番母に似ていた。

 「でも!」

 「お母様が部屋に入られているわ」

 続いて二番目の姉・雪花(シェファ)が言った。
 ショートボブの後ろを一房だけ長く伸ばした髪型が個性的だ。
 普段は、あまり小狼を構わない姉でもある。

 「母上が…?」

 「そうよ。だからこの場は、お母様にお任せしましょう。第一…」

 三番目の姉・黄蓮(ファンレン)が、自慢のロングヘアーを指で梳く。
 いつも強引で、気分屋でもある彼女の意味ありげな言葉に、小狼は怪訝な顔をした。

 「女の子の寝室にいきなり踏み込むなんて、紳士のすることじゃなくってよ?」

 一番下の姉・緋梅(フェイメイ)が、その後を受けた。
 何かと小狼をからかう一方で、時にはムキになって絡んでもくるのだが、今は楽しげに
 肩にかかる髪の毛先を踊らせている。

 「…なっ…!?(////)」

 小狼は、飛び退くようにドアから離れた。
 そのとたん、姉達が陽気にケラケラと笑いはじめる。小狼はガックリと肩を落とすしかなかった。


    * * *


 高級ホテルの一室のような李家のゲストルームで、夜蘭はさくらと知世の前に立っていた。
 だが、彼女はお揃いの寝巻きを着た少女達にではなく、ベッドの陰へその視線を向けて、
 言った。

 「隠れる必要はありません。
  一族で、ある程度の魔力を持つ者は皆、あなたの存在に気づいています」

 「…ま、そらそうやろうけどな〜〜」

 観念したように、ケロはふよふよと姿を現した。
 でなければ、使用人達が誰もいない部屋に料理を運び、何時の間にかカラになった皿を
 下げて、平然とした顔でいられるわけがない。
 この屋敷の住人は、魔力の差こそあれ全員が≪道士≫なのだ。

 「貴方が、封印の獣・ケルベロスですね。初めてお目にかかります。李家当主・夜蘭です」

 どこから見ても≪ぬいぐるみ≫な仮の姿に驚きも見せず、丁重に頭を下げられたケロは、
 慌てたように言った。

 「い、いや〜〜まあ、よろしゅうな。
 (なんで、こないに立派なお母はんをもっとって、小僧は礼儀知らずなんやろな〜?)」

 というケロの小さな呟きまでが、夜蘭に届いていたかどうかは定かではないが。
 一応の挨拶を終えると夜蘭は早速、本題に入った。

 「≪魔≫の力が、この家に入り込みました」

 ビクリと、さくらの表情が硬くなった。
 思わずにぎりしめた右の手首に浮かぶ赤い痣に目を止めたまま、夜蘭は続けた。

 「お気づきかとは思いますが、李家には魔力のみを通さない特殊な結界が張られています。
  しかし、さくらさんの夢に何者かの魔力が干渉していたのもまた、事実です。
  考えられるのは、誰かが…何かが内側から、その魔力を導いた…ということですが」

 むろん、さくらにもケロにも心当たりはなく、互いに顔を見合わせるばかりである。
 知世が不安そうに、さくらと夜蘭を見比べている。
 ベッド脇の椅子の背にかけられたクロウカードの入ったリュックを暫く見つめた後、
 夜蘭はさくらに言った。

 「庭へ、出ませんか?」


    * * *


 剣の切っ先のように鋭い三日月が、夜空に浮かんでいる。
 眠れぬまま、小狼は自室のテラスからさくら達の泊まる客室に灯った明かりを眺めていた。
 と、二つの人影が庭の石畳を横切るのが目に入る。
 どちらもが、全く違った意味で良く知っている人物のものだった。

 ……あれは……母上と…アイツ?

 蓮の浮かぶ四角い池の間を抜けて、展望台へと向かっている。
 庭を区切る柵の向こうには、まさに≪宝石箱を覆(くつがえ)したような≫香港の夜景が
 広がっていた。
 やがて、夜の澄んだ空気に、強い魔力が漲(みなぎ)るのを感じる。
 八角形の展望台に、遠目にもハッキリと李家の≪陰陽の魔方陣≫が浮かび上がった。
 母が占いを行っているのだ。

 多分、もう大丈夫だろう。
 小狼は思った。
 母の魔力は、現在の魔法界でも屈指のものだ。特に占いは外れたことがない。
 きっと、アイツに的確なアドバイスを与えることが出来る筈だ。

 小狼は小さく欠伸をすると、ベッドに戻った。


 魔方陣の上に半球を描く魔力の空間に、星々が浮かぶ。
 水平にかざした扇の前に立つ少女の、過去と現在を示す幾多の煌(きらめ)き。
 星達の動きを感じ取った夜蘭は、目を閉じたまま静かに言った。

 「貴女は呼ばれて、この香港に来たようですね」

 「だれにですか?」

 そう問いかける少女の目の前に、紅く輝く星が現れる。
 他の全ての星を打ち消す、禍禍しい光…。明らかに、凶星だった。
 夜蘭は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 「夢の中の≪女≫に。…気をつけなさい。
  今までとは、比べものにならないほどの危機が迫っています」

 「…わたし、どうしたら…?」

 少女の声は、震えていた。無理もない。彼女は、息子とは違う。
 物心つく以前から道士としての修行を受け、それ以外の世界を知らずに育った息子とは。
 だが、望もうと望むまいと。運命は、ひとを待っていてはくれないのだ。

 「貴女の進むべき道を知っているのは、貴女だけです。
  魔力(ちから)の強い者は、≪魔≫を呼び込みやすい…。
  特に貴女は、クロウ・リードが創ったクロウカードを持つ者。呼ぶ≪魔≫も、それだけ大きく
  なります。…けれど、それゆえの導きもある…」

 凶星の紅い光が消え、再び星々が浮かぶ。
 少女をとりまく、様々な力。様々な想い。様々な人々。
 その光の一つ一つが、彼女を守ろうという意志を持つ。

 ……それこそが、どんな高位カードにも勝る少女の魔力(ちから)となるだろう…。

 だが夜蘭は多くを語らず、ただ、こう言った。

 「貴女を誘(いざな)う≪魔≫も夢の中。そして助けるのもまた、夢の中……」

 占いは終った。
 魔力が解け、星も、魔方陣も消えていく。
 扇を下ろし、瞼を開いた夜蘭の前には、うなだれた少女の姿があった。
 それは、自らの負う運命にようやく気づき、その重みに耐えかねているかのようだった。

 李家に生まれた者でさえ、必ず突き当たる壁だ。娘達がそうであったように、いずれ息子が
 そうなるように。少女もまた、己と己をとりまくものに向き合わねばならない。
 夜蘭は腰を落とし、少女と同じ目線になって、その頬に白い手を添えた。

 「だいじょうぶ。貴女なら、きっと答えが見つかります」

 見開かれた翠の眸が、安心したように細められた。


    * * *


 占いの後、さくらを部屋まで送った夜蘭は、ほのかな灯りに照らされた廊下の向こうに
 声をかけた。

 「御心配ですか?」

 壁の陰から、桃矢が姿を見せた。
 隠れていたのを見つけられ、さすがにバツが悪そうな顔で頭を下げる。
 闇を映した色の眸を細めて、夜蘭は言った。

 「貴方も強い魔力をお持ちですね。さくらさんとは、また違った…」

 夜蘭の言葉に、桃矢は小さく頷いた。

 「俺は、人間でないもののことや先のことが≪わかる≫だけですから。
  今までは、さくらが…妹が危険なものに近づかないように気を配ってやることが出来た。
  でも、もう俺には妹を守ることは出来ない。
  それに、俺は…俺の魔力(ちから)が何のためにあるのか、わかっています」

 桃矢の眸は、自分が親友と共に泊まっている部屋のドアに向けられていた。
 その眸もまた、闇を映した色をしている。
 夜蘭は静かに言った。

 「強い魔力(ちから)は困難を引き寄せますが、生まれついて持っている魔力(ちから)を失う
  ということもまた、大きな犠牲を伴いますよ?」

 桃矢は無言のまま、頷いた。
 彼の決意を感じとった夜蘭には、それ以上何も言うことはなかった。
 ただ、兄として妹を案じるその想いにのみ、さらに言葉を付け加えた。

 「さくらさんは様々な力に守られています。この世のものにも、この世のものではないものにも。
  及ばないながらもう一人、彼女を守る力をおつけしましょう」



                                        − つづく −


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 (初出01.5〜8 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)