さくらと7つ目のチョコレ−ト



− 4 −

さくらは友枝商店街で調理用のストロベリーチョコレートを買った。
昨日の残りはケロがすっかり平らげてしまっていたのだ。

それから、チョコレ−トを入れる箱と包装紙とリボン。
雪兎へのチョコレートも他の星型のチョコレートも、同じピンクの包装紙と赤いリボンで
ラッピングしたのだが、綺麗なペパーミントグリーンの包装紙と、それに似合った色の
リボンを選んだ。

急いでさくらが家に戻ると、今日は午後からの講義のない藤隆が早くに帰っていて
夕食の支度を始めている。

「お父さん、ちょっとだけお台所使ってもいいかな?」

帰ってくるなりそう尋ねる娘に、藤隆は微笑んだ。

「もう、だいたい終っているから大丈夫ですよ。さくらさん、何か作るんですか?」

「うん。チョコレート、1コ足りなくなっちゃったから。
 急いで作って渡しに行かなくちゃいけないの」

ボールや天板を取り出すさくらを手伝いながら、藤隆は言った。

「とても大事なひとなんですね。さくらさんを見ていればわかりますよ。
 …型は、ハートでなくていいんですか?」

星の型を準備するさくらに、藤隆は尋ねた。

「えっ…?ううん、ちがうよ。そういうんじゃなくって…」

ほんのちょっとだけ、頬を染めた娘を藤隆は優しく見つめる。

「そうですか…。あ、さくらさん。そんなにぐるぐるかき回さなくても大丈夫ですよ」

「ほ、ほえ…」

型に入れたチョコレートが冷えるのを待ちながら、さくらは気になっていたことを尋ねた。

「お兄ちゃん、まだ帰ってないの?」

雪兎が来るなら、桃矢と一緒の筈だ。

「ええ。もうクラブもないし、アルバイトも休んでいる筈なんですけれど…」

今朝の様子が気になるだけに、藤隆も心配そうだ。その時、玄関のチャイムが鳴った。
藤隆の後を追って、さくらも玄関に行ってみる。

「桃矢君!?」

「お兄ちゃん、どうしたの!?」

雪兎に肩を担がれるようにして、桃矢は玄関に座り込んだ。



− 5 −

マンションに帰った小狼は、ポストの中の小さな小包を受け取った。
香港の苺鈴からだ。

『 2月14日はバレンタインだから、チョコレートよ!
 日本には、友達に贈る≪義理チョコ≫っていうのもあるそうだから、今年は≪友達として≫
 贈ってあげる。
 心配しなくても、今年は美味しく出来てるわよ!ちゃ〜んと味見だってしたんだから!!
 もう来年はあげないから、それまでには本当にもらいたい人から≪本命チョコ≫をもらえる
 ようになりなさいよ!
 とろ〜い小狼へ。                          苺 鈴 』

一口齧ってみたそれは、ちゃんとチョコレートの味がした。
あたりまえのようだが、去年はとにかくどう作ったらああなるのか、苦いやら辛いやらで
酷かったのだ。それを思えば、大した進歩である。

多分、従姉妹はこのチョコレートを複雑な想いで自分に贈ってくれたのだろう。
贈ること自体、何度も迷ったのかもしれない。
それでも、なかなかさくらに告白出来ないでいる小狼に励ましの気持ちを贈ってくれたのだ。

「…ありがとう、苺鈴…」

そう呟くと、小狼はコートにもう一度袖を通して通学鞄を背負い、夕暮れが近づく街中へと
出ていった。


   * * *


桃矢は午前中の授業まではなんとか起きていたものの、5時限の授業の途中で倒れ
そのまま放課後までずっと保健室で眠っていた。
ついさっき目を覚まし、雪兎の自転車の後ろに乗せられ木之本家まで送られて来たのだ。
何とか帰り着いたものの玄関でまた眠り始めてしまい、雪兎と藤隆が二人がかりで二階の
ベッドまで運ぶことになった。
医者を呼ぼうとする藤隆を、桃矢は『眠いだけだから、大丈夫だ』と繰り返して押し止めた。

「すみません、月城君。いろいろ御迷惑かけて」

「いえ、そんなことは…」

桃矢の部屋の前の廊下で、藤隆に丁重にお礼を言われた雪兎の表情が曇る。
桃矢の不調は自分のせいなのだ。非難されこそすれ、感謝などされるいわれはない。
だが、それを藤隆に言うわけにもいかなかった。

「よかったら、夕食を食べていきませんか?」

「ありがとうございます。…でも、今日はちょっと用があるので…」

ウソだった。本当は、ずっと桃矢の傍についていたい。
でも、雪兎に出来ることは何もない。
かつての自分のように、眠くて眠くて、生活さえままならない桃矢を、ただ見ているだけ。
それが、居たたまれないのだ。

「そうですか、残念ですね。でも、お茶くらいは飲んで行って下さいね。
 今、用意しますから」

そう言って藤隆は一階に下りていった。

「…あの、雪兎さん…」

さくらが、小さく声をかけた。

「え?あ、さくらちゃん…」

今までも、桃矢を運ぶ雪兎や藤隆を手伝って、ベッドの準備をしたりドアを開けたりと
ずっと彼の近くにいたのだが、雪兎はやっと今、さくらの存在に気づいたのだ。
だが、自分が忘れられていたとは気づかないさくらは、ぺこりと頭を下げた。

「お兄ちゃん、送って下さってありがとうございました。
 …それから、その…今朝の約束も…」

……約束…?

次の瞬間、雪兎は思い出した。さくらとの約束。

『今日の帰りも、家に寄ってもらえませんか?』

…いや、たった今まで忘れていたのだ。桃矢のことだけが心配で…。
さくらは頬を染めて、赤いリボンで飾られた包みを雪兎に差し出した。

「あの、これ…チョコレートです!これを雪兎さんに渡したくて、それで…」

「…うん…。ありがとう、さくらちゃん」

胸が、痛んだ。
氷のカケラが食い込むような、鋭く、鈍い痛みを押し隠した雪兎の笑顔は
ほんの少し硬いものになった。

「…あの、雪兎さん、わたし、わたし…」

意を決したさくらが、顔を上げた瞬間。
だが、雪兎はさくらを見てはいなかった。
ほんの一瞬、さくらを素通りして閉じられた桃矢の部屋のドアを見つめ
それからさくらに視線を戻した。

「なに?」

ふわりとした優しい笑顔で、さくらの言葉を促(うなが)してくれる。
けれど…。

「いえ、いいんです。今、お茶を入れますね」

トントンと軽い足音をたてて、さくらは藤隆を手伝うために階段を降りていった。
その時、さくらの部屋のドアが小さく開き、その隙間から声がもれた。

「…ユエ…」

ケルベロスの声に、雪兎の意識がふっと途切れた。
つま先が床から離れて浮き上がる。
制服の背中から白く輝く翼が現れ、その身体を包んだ。
羽根で作られた繭の中がぽうっと光り、やがてほどける。
そして…蒼い宝石で飾られた白い衣装の青年が、肩にかかる長い銀の髪を払いのけながら
床に足を着けた。

「…どうした、ケルベロス…」

雪兎の真の姿…月をシンボルとするカードの守護者・ユエは、相変わらずの素っ気ない
口調で自分を呼び出した意図を尋ねる。
ドアの隙間からふわふわと出てきた黄色いぬいぐるみ…太陽をシンボルとするカードの
守護獣・ケルベロスは、仮の姿のままで言った。

「…あんなぁ、ユエ。さくらはな、ゆきうさぎに…」

「知っている。だが、雪兎の心は…」

ユエは、ふいに出現した強い魔力の気配にも、もはや何の反応も示さずに眠り続ける
桃矢の部屋を見つめた。

「…せやな。けど、さくらはもう決めとる。今日はアカンかっても、近いうちに…」

「そうだな」

ケルベロスは、ぽつりと言った。

「…さくら、泣くやろな…」

「大丈夫だ。主には…」

「あん?」

「いや、主はひとりではないからな」

「そ〜やな!わいも知世もおるしな!!」

「…ケルベロス…」

ど〜んとまかしとけ!と言いたげに胸を張るぬいぐるみに、ユエは思わず呟いた。

「なんや?」

「いや…」

……相変わらず、こういうことには鈍いな…。

ユエの心の声は、対の守護獣に届くことはなかった。



− 6 −

学校帰りの格好のままで、小狼がやって来たのはさくらの家の前だった。
間の悪いこと、これ以上はないといったタイミングで、自転車を押しながら木之本家から
出てきた雪兎とばったり出会ってしまう。

「やあ、こんにちは。さくらちゃんに用事?
 さっき出かけちゃったみたいだけれど、きっとすぐもどってくると思うよ」

「あ、そう…ですか」

多分、小狼にとって今、一番会いたくない人物が彼であっただろう。
だが雪兎は一見、いつもと変らぬ穏やかな笑顔を浮かべたまま話しかけてきた。

「そうだ。次の日曜日、うちの高校の文化祭なんだ。よかったら、またおいでよ。
 この前撮った、さくらちゃんにも出演してもらった映画も上映するしね」

このひとは、どういうつもりでこんなことを言うのだろう?
そう、小狼は思った。

……おれがアイツを好きだって、わかっている筈なのに…。

このひとに惹かれたのは月の魔力の為だと知ってからは、小狼は雪兎を前にしても
動揺することはなくなった。
それでも、雪兎はいつも穏やかで優しくて、さくらを本当に幸せそうな笑顔にすることが
出来るから。

……だから……嫌いになりたくは、なかった。

「じゃあ、はい。これ」

雪兎は鞄から取り出した文化祭への入場チケットを差し出した。
小狼は手袋を外した両手でそれを受け取ると、軽く頭を下げてお礼を言った。

「ありがとうございます」

そして小狼が顔を上げた時、雪兎は静かに言った。

「君も、知っていたんだよね。ぼくのことを」

それは質問ではなく、確認だった。

「ぼくが本当は人間じゃないってこと。もう一人の≪本当のぼく≫がいるってこと」

一瞬、ためらった後、小狼はうなずいた。
その途端に彼の表情(かお)が、年齢よりもはるかに大人びたものに変る。

「はい…。でも、あなたはあなたです。
 たとえ人間でなくても、≪あなた≫を必要としている者がいるんです…!」

小狼が言ったのは、さくらのことだった。
だが、雪兎のこころに浮かんだのは…。
眼鏡の奥の眸を細めて、雪兎は尋ねた。

「本当のぼくは、さくらちゃんを守るために存在しているんだよね。
 それでも、君はそう言ってくれるの?」

「はい…!」

まっすぐな眸で、はっきりと答えた少年に、雪兎は柔らかく微笑んだ。
胸の中の氷のカケラが、ゆっくりと溶けていくのを感じながら。

「…ありがとう…」


自転車に乗って木之本家を後にした雪兎は、冷たい2月の風を頬に受けながら呟いた。

「あのこの≪好き≫が届くといいな」

心の中で、誰かがうなずいてくれたような気がした。


遠ざかる雪兎の背中を見送った小狼は、やがて意を決したように木之本家に向き直ると、
通学鞄の中からリボンのかかった箱を取り出した。
宛名もなく、カードもない。そのチョコレートの箱をコトリとポストに入れる。


……これじゃ、きっとわからない。
   アイツへだって。 おれからだって。
   けど、いいんだ。
   おれの気持ちは…届かなくても。
   アイツが、笑顔でいてくれさえしたら…。



− 7 −

「はううぅ〜〜。どうしよう、小狼くんも偉さんも居ないみたい…」

さくらは小狼のマンションの前で困っていた。
小狼が今どこにいるかはともかくとして、李家の執事であり日本での小狼の保護者である偉が
一週間の予定で香港に戻っていたことなど、さくらが知る筈もない。
なにしろ尋ねられたことに必要最小限に答える以外には、全くといっていいほど自分のことを
話さないのが李 小狼という少年なのだから。

しばらくマンションの前で待ってみたものの、一向に帰ってくる気配もない。
さくらは考えた。
もうじき夕食だし、日も暮れる。早く帰らなければ、みんな心配するだろう。
なにか手紙でも添えられればよいのだが、あいにく紙も書くものもない。
カードやペンを買おうにもサイフも持って来ていないし、一旦家に戻ってからまた来るのでは
遅くなりすぎる。

……でもでも、どうしても今日、渡さなきゃ。
   だって、2月14日なんだもん…。

それが、日頃の感謝を込めたお礼であるのなら、何も今日という日にこだわる必要はない。
そのことに、さくらは気づきもしなかった。

さんざん悩んだ末に、さくらは決めた。
宛名もなく、カードもない。そのチョコレートの箱をコトリとポストに入れる。


……これじゃあ誰からか、わからないよね。
   気味が悪いって思われちゃうかな?
   あとで、小狼くんにお電話しよう…。



− 8 −

「…あ」
「あっ…」

ペンギン公園の前で、二人はばったりと出会った。

「小狼くん、今帰り?遅かったんだね」

友枝小指定のコートに通学鞄をしょった小狼に、さくらは何の疑問もなくにこにこと笑いながら
尋ねた。

「あ、ああ…図書室で調べたいことがあって…」

顔を赤くしながら、思わずウソをついてしまう。

「へ〜っ、えらいんだね〜」

ウソに素直に感心されて、小狼はますます慌てた。

「べっ、べつに…!そ、それより、おまえは…」

「ほえ?」

「おまえは…どうしたんだ?」

「わたしは…ええっと…お、お買い物…」

何故だか、さくらはウソをついた。
たった今まで、小狼のマンションのポストにチョコレートを入れたことを話すつもりだったのに。
ふいに、怖くなったのだ。
さくらからのチョコレートなんて、小狼はいらないかもしれないと思って。

「?何も持っていないのにか…?」

手ぶらのさくらを見て、小狼は不信そうな顔をする。

「それは…え、えっと…その、おサイフ忘れちゃって…」

言ってしまってから、さくらは真っ赤になってうつむいた。

……はううぅ〜〜。わたしのバカバカ〜!!
   小狼くんにあきれられちゃうよお〜〜。

「…いくらだ?」

「ほえ?」

「その買い物って、いくらぐらいあったら足りるんだ?少しなら貸してやれるけれど」

小狼は通学鞄を下ろして、自分のサイフを取り出そうとしているところだった。
さくらは慌てて両手を振った。

「あ、いいの!今日、どうしてもいるものじゃないから!!」

「そうなのか?」

遠慮しているんじゃないかという目で見ている小狼に、さくらは何度も首を縦に振った。
ようやく通学鞄を背中に戻した小狼に、さくらはにっこりと微笑んだ。

「ありがとう。小狼くんって、本当に優しいね」

「なっ…。(////かああああ////)おっ、おれは別にっ、優しくなんかっつ…!
 じゃ、じゃあなっ!!」

耳まで真っ赤になった小狼は、くるりとさくらに背を向けると、だ―――っ と走り去った。

「あ、小狼く−ん、また明日ね――!!」

さくらの声が、金色と薔薇色とに染められた友枝公園の空に吸い込まれていった。



− 9 −

床の上に描かれた太陽と月の魔方陣の中には、互いの家路に向かう少年と少女が
映し出されていた。

「何もしないんですか?」

黒い子猫が、背中の透明な羽根を動かして宙に浮かんだまま言った。
緋(あか)いビロード張りの椅子に腰掛けた柊沢エリオルは、いつもの微笑みを浮かべて
答える。

「今日はバレンタインデーですから」

「さくらちゃんからチョコレートもらっちゃって、言いつけちゃうぞ〜♪」

星條高校の制服のまま、ソファーに寝転がった奈久留が、からかうように言う。

「この方が、あの子達にとって効果的な演出でしょう?
 1つだけ、特別でなければ伝わりませんからね。
 ルビーには私からバレンタインのプレゼントがありますよ。それから、これはスピネルに」

「…私にチョコレートを食べろと…?」

「そのチョコレートなら大丈夫でしょう。甘くはありませんから」

スピネルに差し出された箱の中のいびつな形のチョコレートは、今日、イギリスから届いた
ものだ。

「かほちゃんに、言ってやろ〜っと♪」

楽しそうな奈久留に、エリオルの一言。

「おや、残念ですね。ルビーはチョコレートケーキは嫌いでしたか」

「あ〜ん、ウソウソ。エリオル〜〜」

「…まったく」

子猫の姿をした守護獣は、対の守護者と主とのやりとりにため息をついた。

たとえ、どれほど大事なひとからの心のこもった贈り物だとしても、思い切り焦げつかせた上に
砂糖と塩を間違えるという古典的な失敗をやらかしたチョコレートを食べろというのは酷だろう。
それでも、エリオルが箱の中の半分を口に出来たのは、やはり愛情の成せる業かもしれない。

だが、残りの半分をスピネルに勧めるは、冗談なのか本気なのか?

どうもよくわからないところが、少年の姿をした不世出の魔術師の
前世から変らない困った性格だった。



− 10 −

空がスミレ色から藍色へと、その濃さを深めていく中、ようやく家に帰り着いた。
別に妙な事件がおこったわけでもないのに、なんだか疲れた一日だったな、と思う。
小さくため息をつくと、ごく習慣的にポストを開けた。

「…あれ?」

中にあったのは、小さな箱。綺麗な包装紙に、つややかなリボン。

「これ…」

手に取った瞬間に感じる、何か。
それを抱えていた誰かの、優しさのかけら。


「……あ……!」



  ……2月14日は、トクベツな日
     今、あなたの抱いている恋にとって
     これからあなたの中に生まれる恋にとって
     この日が、優しい一日でありますように……



                                   − 終 −


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このお話はアニメ版各話と「オリジナルドラマアルバム2・スィートバレンタインストーリーズ」
及びコミックス8・9巻をかなり参考にして作っております。
尚且つ、『こうだったらいいのに〜♪』という私の希望がふんだんに入っているお話です。
その点、御容赦いただきたく思います。
この時期の、一見小狼君の片思いだけど、実はさくらちゃんは気づいてないだけなのさvv
みたいな関係が、実は一番好きなような気がする自分は、やっぱりSS(小狼vさくら)と
しても異端なのかもしれません。(汗)

(初出01.1 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)