星占者



その少年が門の前に立つと、堅く閉ざされていた鉄の扉は内側から静かに開かれた。
黒い中国服を着た壮年の男が、恭しく頭を下げる。

「お待ちしておりました」

少年の口元に、苦笑が浮かぶ。
ふいの訪問のつもりが、噂どおり今の当主は、なかなかに優れた占い師でもあるようだ。

「すぐに、主に取次ぎいたします。
 …失礼ですが、お名前を」

流暢なキングス・イングリッシュでの問いかけに、ほんの瞬き一つの間を置いて
少年は答えた。
 
「…柊沢エリオル。
 御子息の李 小狼君とは、日本の友枝小学校でクラスメイトだった者です」


   * * *


     日本を離れる前の、最後のお茶会。

     『ぜんぶ、わかってたんだね。
      わたしが新しい主になることも、カ−ドを変えるのに魔力が足りないってことも』

     やっと安心したように、いつもの明るい笑顔を向ける少女。

     『全部、じゃありませんよ。
      僕にも、クロウ・リ−ドにも、予想出来ないことが起りましたから』

     その言葉に、少年は僅かに首を傾げつつ、真っ直ぐな視線を彼に向けた。

     『クロウ・リ−ドにも予想出来なかったことって、なんだ?
      …な、なん、ですか?』

     言い直された語尾に、苦笑と一抹の寂しさを浮かべて、彼は言った。

     『「なんだ?」で、いいですよ。
      ……それは、内緒にしておきましょう』



   * * *


中国特別行政区、香港。
現在のチェクラップコク(香港国際)空港への移転以前から、建築物の高さ制限の
無かった香港島・九龍半島側には、まるで積み木細工のように高層ビルがひしめ
いている。

より、高く。より、豊かに。
競い合う欲望を象徴するかのようなコンクリ−トの森を足元に見下ろす
ビクトリア・ピ−クの中腹に、広大な庭園を従えて、その屋敷はあった。

李家。

東洋で最も古い、道士の一族。
魔術や呪術、陰陽道。ありとあらゆる不思議な≪ちから≫に関わる人間ならば
知らぬ者のない世界屈指の名家である。

柊沢エリオルが通されたのは、中国風と英国風が奇妙にしっくりと馴染んだ内装の
客間だった。
マホガニ−のテ−ブルに、黒檀の装飾棚。
油絵の風景画と、溢れんばかりに花を活けた唐草模様の大きな壷。
テラスへと続く扉は開け放されたまま、熱帯特有の湿りを帯びた風が
レ−スのカ−テンを揺らしている。
微かな潮の香りが、緑茶に柑橘類を混ぜたような独特の薫りと交じり合う。

一歩、屋敷に足を踏み入れた瞬間に気づいていた。
古くから李家に伝わる、魔除けの香だ。
それは、彼の遠い記憶を刺激する。
再生しすぎたフィルムのように色褪せた映像の中、いくつかの顔が浮かんでは、消える。


     『どれだけの時代(とき)が経とうとも
      おまえの前に、李家の門は開かれるだろう』



柊沢エリオルの前世、クロウ・リ−ドの実母は、李家の生まれだった。
クロウは幼少時に、母に伴われて度々李家を訪れていたし、李家で魔術の修行を
受けたこともある。
その後、根無し草のように世界を流浪する身になってからも、李家の門をくぐる機会は
幾度かあった。

時には招かれて。
また時には、今日のように彼がふいの訪問をして。

その度に、李家は主を、時には住まう土地すら変えていた。
変らないのは、この香の薫りだけ……

「おまたせいたしました」

凛として良く響く声に、エリオルは意識をこの場に戻す。

「ようこそ、おいで下さいました。
 李家当主、夜蘭です」

結い上げられた髪と腰の飾りが、会釈に揺れて高く澄んだ音を立てる。

「初めてお目にかかります。柊沢エリオルです」

ソファから立ち上がったエリオルは、古風な衣装を身に纏った美しい女性の前で
両手を前で組むようにして一礼した。
仙女のような彼女には、英国式の手の甲へのキスよりも、こちらの挨拶の方が
相応しく思われたので。
その挨拶の言葉もまた、英語から広東語へと改められていた。


   * * *


     『エリオル、一人で行くの?なんで!?』

     赤味を帯びた茶の眸が、不安そうに揺れていた。

     『連れていっては、いただけないのですか?』

     深い翡翠色の眸が、寂しげに伏せられた。

     『危険な場所へ行くわけではないのだからね。
      僕一人の方が、よいだろう』

     ヒ−スロ−空港のロビ−で、小さなトランクを傍らに彼は言った。
     たった今、日本からイギリスへと帰りついたばかりだというのに。
     その足で、また東へと向かおうとする彼に、守護者達は驚かなかった。
     ただ、哀しそうに主を見つめていた。

     『いってらっしゃい』

     金色に透ける淡い色の眸が、微笑んだ。
     長い髪を揺らして、やわらかく彼を見つめる。

     『先に帰って、お掃除をして、お茶の支度をしておくわ』



   * * *


鈍色(にびいろ)の光沢を持つ茶壷(チャ−フ−=急須)で、夜蘭は客人に茶をついだ。
最初の一杯目を茶盤(チャ−バン)に捨て、ゆっくりとした動作で二杯目を
小さな茶杯(チャ−ペイ=湯呑み)に注ぐ。
このように、当主自らがもてなすのは客人への最高の敬意であり、同時にそれは
柊沢エリオルが何者であるかを相手が承知していることを示している。
月峰神社で彼が己の正体を明かしてから、既に数日が経過しているのだから
当然だろう。

「友枝町では、愚息が御迷惑をおかけいたしました」

すっと彼の前に茶杯を勧めると同時に、夜蘭はその唇を開いた。

「いいえ、とんでもない」

即座に、エリオルが応える。
優美な曲線を描くアンティ−クのテ−ブル越しに、向かい合った眸と眸が、くっきりと
互いを映す。

「私については、既に御子息からお聞き及びのことと思いますが、李家の皆様には
 あらためてお詫びと、そしてお礼を申し上げます。
 さくらさんが全てのカ−ドを封印することが出来たのも、また、全てのカ−ドを新たに
 生れ変わらせることが出来たのも、御子息の力添えです。
 正直、こんなに早くに終わるとは思っていませんでした」

飲み干した小さな茶杯をテ−ブルに戻すと、夜蘭がなめらかな所作で二杯目を注ぐ。
飲み慣れた紅茶とは異なる、だが何処か懐かしい香気。

「…それで、良かったのでしょうか?」

エリオルの眸から視線を逸らさぬまま、夜蘭が静かに問いかけた。

「当家は、この度のクロウカ−ドにまつわる件については、何も失ってはおりません。
 むしろ、得たものの大きさに、感謝しております。
 日本に渡り二年にも満たない間に、あれがどれだけ成長したか。
 李家(ここ)にいては、けっして叶わぬことでした。
 それも全て、クロウカ−ドに関わったおかげと、思っております。
 ただ……」

夜蘭は、一度言葉を切った。
エリオルは沈黙したまま、次の言葉を待つ。

「それが、さくらさんにとって良かったことかどうか…と、案じています」

夜蘭の漆黒の眸が、彼の姿を映している。
まるで鏡のように。
その一挙手一投足、瞬きさえも逃さずに。
エリオルは、ゆっくりと唇を開いた。

「……確かに。
 正直に言って、僕は当初、御子息を邪魔だと思っていました。
 いえ、カードを集めている間なら、良かったのです。
 むしろ、クロウ・リ−ドは期待していました。
 選定者であるケルベロスは、主候補にカ−ドに関する知識を必要最小限しか与え
 られません。
 それは、新たな主を拒もうとするカ−ド達と審判者・月(ユエ)の≪こころ≫が定めた
 ル−ルです。
 だからこそ、クロウ・リ−ドは羅針盤とカ−ドについて書き残した魔術書を李家に託し
 ました。
 カ−ドの封印が解ければ、李家から誰かが必ずやって来る。
 その誰かが、カ−ドの後継者となる少女を助けてくれるだろうと。
 ですが、それはあくまでも後継者候補が≪新たな主≫として認められるまでのこと。
 現実には、カ−ドを≪さくらカ−ド≫に生れ変わらせる段階に入ってからも、彼は
 日本に留まり、さくらさんを助けていましたから」

それが、クロウ・リ−ドの予想し得なかった波紋の、一つ。
何故、李家は彼を日本に留まらせたのか?

目の前の茶杯から立ち上る香りが、薄らいでいく。
ぬるくなりかけたそれを、もう一口含む。

「さくらさんには、一人でも困難に立ち向かえるようになって欲しかったのです。
 いや、少なくとも、さくらさんを助けるのはケルベロスとユエ…守護者達の役目だと
 思っていました。
 彼等が力を合わせ、私の起こす事件を解決し、カ−ドを新たに生れ変わらせる。
 そうすることが、さくらさんの成長を促し、また、彼女と守護者とカ−ド達との絆を
 深めてくれるだろうと。
 そこに割り込むように李君がアドバイスを与えたり、励ましたり、手を貸したりする
 ようでは彼女の成長が妨げられ、守護者達の信頼も得られないと思っていたのです」

夜蘭が、自分の前の茶を飲んだ。
空になったそれに、茶壷に手を伸ばしたエリオルが琥珀色の液体を注ぐ。
白い指先が、コツコツとテ−ブルを叩いた。(※)

「それでも貴方は、あれをさくらさんの傍から強制的に排除しようとはなさらなかった」

再び夜蘭の手からエリオルの杯につがれた茶は、更に甘味と苦味を帯びている。
より濃さを増した琥珀色は、今頃は機上の人であろう少年の鳶色の眸を連想させた。
 
「…気づいたのです。
 さくらさんは、カ−ドや守護者達だけではなく、友人や家族や、多くの人々に支え
 られているのだということを。
 それは、彼女の弱さではなく、強さだと。
 そんな彼女だからこそ、カ−ド達が主と認め、一番に想うのだと…。
 さくらさんは、クロウ・リ−ドとは違う。
 カ−ド達にとっても、さくらさん自身にとっても。まったく新たな、唯一の主です。
 私は危うく、さくらさんの魔力のみならず、人生までをもカ−ドの中に封じてしまう
 ところでした」

エリオルを映す漆黒の眸が、僅かに揺らいだ。
瞼を閉じて、また開く。
長い瞬きにも似た動作に、長い黒髪を束ねる髪飾りが、チリリ…と音を立てる。

「やはり、クロウ・リ−ドは木之本桜の魔力を封じるために、カ−ドを残したのですね」

ふわりと、カ−テンの裾がふくらみ、花瓶に活けられた色鮮やかな花を揺らす。
風が運ぶ、花の香り。
潮の匂い。茶の香気。
そして、香の薫り……

「何故、クロウ・リ−ドは己の分身たるカ−ドと守護者等をこの世に残したのか?
 後の世に争いの火種を残すことになると判っていながら、何故、己の死と共に
 消滅させなかったのか?
 そして何故、李家に羅針盤を託しながら、≪封印の書≫の消息を隠したのか…?
 それは李家にとって、長い間の疑問でした。
 全ては、さくらさんを…不世出の魔術師、クロウ・リ−ドに匹敵する魔力を持って
 生まれてくる一人の少女を、救うためだったのですね?」

夜蘭の眸には、闇を映した鏡のような平静さが取り戻されている。
肯定の意志表示に頷いて見せたエリオルは、シャツの襟元を絞めるネクタイが
少しきつすぎるような気がした。

「カ−ドに主が必要であったように、さくらさんもまた、カ−ドを必要としていました。
 彼女の持つ余りに大きすぎる魔力を封じ、制御してくれる何か、を。
 でなければ、やがて遠からず目覚めた魔力は、彼女を苦しめ、傷つけたでしょう。
 実のところ、単に≪カ−ドの主になる≫だけであれば、御子息であっても不足は
 無かったのです。
 その場合は、もう4〜5年後の話になっていたでしょうが。
 ですが、さくらさんにとっては、≪今≫でなくてはならなかった。
 まだ魔力に目覚めず、かつ、子供として情緒が安定しているギリギリの、今この時が
 彼女にとって唯一のチャンスだったのです」

黙って彼の言葉を聞いている夜蘭に、エリオルはにっこりと、唇だけで微笑んだ。
その上っ面な笑顔を、夜蘭は無表情ではね返す。
彼女のまなざしは、まるで黒曜石を磨いた刃のようだ。
その切っ先で真実だけを射抜こうとしている。

わかってはいるのだ。
彼女が…李家が、欲しているものは。

クロウ・リ−ドの遺志。
彼は李家に、何を望んでいたのか?
そして、李家は彼から、何を得ることが出来るのか…?

「今現在、さくらさんの魔力はカ−ドを維持する形でバランスを保っています。
 今のさくらさんは、≪夢(ドリ−ム)≫を使わない限り予知夢を見てしまうことはないし
 ≪戻(リタ−ン)≫を使わずに過去へ意識を飛ばしてしまうこともないでしょう。
 内に向かう魔力も、外へ向かう魔力も、52枚のカ−ドと守護者達が、それぞれの
 存在を保つためのエネルギ−として昇華していますから」

エリオルの言葉を、夜蘭が反問する。

「ですが、そのバランスが永遠に保たれるとは思えません」

強い魔力(ちから)は困難を引き寄せ、≪魔≫を呼び込む。
不安と怖れは、≪魔≫を育てる。
そして、不安と怖れを生むのは……孤独。

「ええ…。
 だから、クロウはさくらさんに用意しました。
 ≪月城 雪兎≫という存在を、守護者であるユエの仮の姿として。
 強大な魔力を持つ魔術師であることと、ごく普通の少女であること。
 さくらさんが抱えるだろう、その矛盾を受け入れ、共に生きることの出来る相手が
 現れることは、難しいと考えていましたから。
 確実にその生涯を共にすることの出来るであろう相手を、あらかじめ準備していた
 のです。
 …しかし、さくらさんの前には御子息があらわれた。
 そして、さくらさんが気づいたように、私も気づくことが出来たのです」

慎重に手札を並べ替えながら、続けられる会話。
相手に己が意図するジョ−カ−を引かせようと仕掛ける、ゲームのように。
これは、≪駆け引き≫なのだ。
互いが手にするカ−ドは、≪真実≫。
こちらが得たい≪真実≫を相手が見せるまで、切り札は出せない。

「貴女には、もう一つお詫びをしなければなりませんね」

表情を改めたエリオルに、夜蘭は無表情のまま、問いかけた。

「何をでしょうか?」

「御子息は、次代の李家を支えるべき人材であった筈です。
 ですが、彼はさくらさんと出会ってしまった。
 いずれ、日本に…さくらさんの元へ戻るでしょう」

示した手札への反応を見守る視線の先で、夜蘭の表情が僅かに緩んだような気がした。

「家は土地でも、建物でもありません。
 人、です。
 元より李家は、発祥より大陸を流転し続けました。
 この香港へ移ったのも、革命を逃れてのことです。
 返還後、今暫くの猶予はあるでしょうが、いずれはまた、行き場を定めねばならない
 でしょう」

彼女は、ふいに言葉を改めた。

「李家の者は、特に若い世代は広東語、北京語、英語と共に日本語をこなします」

癖の無い、見事な日本語に。

「あれにそれだけの器があれば、主の在るところを、李家とすることが出来るでしょう」

エリオルは、夜蘭を見つめた。
彼の表情からは普段の穏やかさも、あらゆる種類の笑みも抜け落ちていたが、
構わなかった。
どうしても、確かめねばならぬことがある。
そのために、李家(ここ)を訪れたのだから。

「貴女は、わかっていらっしゃったのですね?」

彼もまた、知りたかったのだ。
李家の意思。
彼等は、木之本桜に何を望んでいるのか…?

「何を、でしょうか?」

また、同じ言葉を夜蘭は口にした。
こちらを促す問いかけに、確信を深めつつ、エリオルは言った。

「李家当主である貴女には、こうなることが全てが見えてた。
 だからこそ、彼を日本に寄越し、カ−ドの封印後も日本に留まらせていた。
 …違いますか?」

それが、予想し得なかった最初の波紋。
何故、僅か十歳の少年を、李家は日本に寄越したのか?

「違います」

即答、だった。
驚きもせず、不快な素振りも見せず、ただ、きっぱりと。

「御存知の通り、魔力のある者は、己よりも強い魔力を持つ者の未来を占うことは
 出来ません。
 私には、見えなかった。さくらさんの未来も、そして小狼の未来も。
 ですが…」

言葉を選んでいるのか。それとも、記憶を手繰り寄せているのか。
目の前のエリオルを素通りし、テラスの向こうの庭を眺めた視線は、やがて真っ直ぐに
彼を捉えた。

「あれは『見た』のだそうです。
 私を含め、李家の道士の誰も捉えることの出来なかったカ−ドの捕獲者の姿を
 あの子だけが占ったのです。
 自分と同じ年頃の少女だった、と。
 …だから、行かせました」

「ですが、それだけで、たった十歳の子供を…?」

嘘ではない。
もとより、互いに瞞(まやか)しが通じない相手であることは、暗黙の了解だ。
そう感じつつも思わず、口に出してしまった問い。
李家は、知っていた筈だ。クロウ・カ−ドの魔力が、どれほどのものか。
そして、知らなかった筈だ。≪この世の災い≫が、何なのか。

「確かに、あれの魔力がクロウカ−ドに通用するかは危ぶまれましたが…」

一瞬、夜蘭は躊躇ったように見えた。
だが、それは本当に一瞬のことだった。

「あの子が生まれた時に、占われたのです」


それは、古くから伝わる李家の習わし。
かつて≪彼≫に告げたのは、しわがれた声と、節くれた指。


     『どれだけの時代(とき)が経とうとも
      おまえの前に、李家の門は開かれるだろう。
      たとえ、どれほど変わろうと…』


「『この子は、李家に≪星≫をもたらすだろう』と」


だが、その眸は今も昔も同じように、深く豊かな闇の色をしていた。


何かが、割れる音がした。
『クロウ・リード』という名を覆う黄金のメッキが剥がれ、砕け散る。
『不世出の魔術師』
『世界最高の魔法使い』
そう謳(うた)われた男の、虚像が崩れ去る。
安堵の溜息と、共に。


     『先に帰って、お掃除をして、お茶の支度をしておくわ。
      そして、待っているわね。…エリオル、貴方を』



「さくらさんのことを、お願いします」

エリオルは、静かに頭を下げた。

「李家に関わることで、却ってさくらさんが災いに巻き込まれる場合も有り得ますが?」

貴方は≪それ≫を危ぶんで、ここに来たのではなかったのか?
言葉の内に秘められた夜蘭の問いかけに、エリオルは答えた。

「そうかもしれません。
 ですが、今はそれが最善だと思います。
 …さくらさんが、魔術師としてどう生きるかを定めるまでは」

その時に、もしもさくらの意志を踏みにじることがあれば…と、警告を含めての言葉に
艶やかな紅い唇の両端が、僅かに上げられた。

「お約束しましょう。
 さくらさんが、さくらさんの意志で魔術師としての己の在り様を定めるまでは、李家が
 さくらさんを御守りすることを。
 …これまでと、同じように」

クロウカ−ドの発動がわかった時から。
李家は、ずっと木之本桜を守っていた。
李家以外の魔法集団や、≪人ならぬモノ≫達が友枝町に近づかぬように。

「ありがとうございます」

もう一度、深く頭を下げたエリオルに夜蘭は言った。

「一つの世代は、次の世代を護り、導くのが務めです。
 それは魔法の世界であろうとなかろうと、変わりはしません。
 私達も、あの子達も、繋がり続ける鎖の中の、一つの輪にすぎないのですから」

良く似た言葉を何時か何処かで聞いたような気がしたが、エリオルには
思い出せなかった。


   * * *


     クロウ・リ−ドの口癖だった。

     『この世に偶然はない。あるのは必然だけ』

     だが、こうも言っていた。

     『一つの丘の上に立って、自分の歩いてきた道を振り返れば
      誰もがそれに気づく筈なのに。
      どういうわけか人間は、それをしたがらないのですよ』



   * * *


「もうじき、あれも戻ってくる頃ですが、お会いになりませんか?」

席を立ったエリオルを、夜蘭が引きとめた。
だが、彼は口元に苦笑を浮かべて、それを辞退した。
もともと、小狼と李家(ここ)で鉢合わせないようにと、急いでやってきたのだから。

「いいえ、やめておきましょう。
 僕は、彼には余り好かれてはいないようですから」

「…あれは、父親を覚えてはおりませんから。
 クロウ・リ−ドに超えるべき≪父≫の影を追っていたのでしょう」

ふっと細められた眸に、母であり、妻でもあった彼女の柔らかな情感が滲み出たように
感じられた。

「それは、失望させてしまいましたね」

友枝町での、お詫びとお別れのお茶会の席で。
緊張の余り顔を赤らめたかと思えば、怒ったように濃い眉を寄せてみたり。
どうにも落ちつかな気だった、彼の顔を思い出した。
確かに、尊敬していた御先祖が気に食わないクラスメイトだったなどとは、生真面目な
少年にとっては笑い話にもなりはしないだろう。
…けれど。


……君がクロウ・リ−ドに憧れたように。
   いや、恐らくはそれ以上の想いで、僕の中のクロウは、君を羨んでいた。
   君に、なりたがっていた。
   真っ直ぐで、一生懸命な男の子に。
   一番大事なひとを守る、ただそれだけのために強くあろうとする少年に。
   前世の≪私≫には、どうしても得ることが出来なかったものを
   そんなにも早くに見出せた君は、きっともっと強くなれる筈だから。
   期待していますよ、李君……


午後の日差しの下(もと)に出ると、芝生の緑がまばゆく目を刺した。
白い階段から続く道の向こうでは、膝を地に着けた二人の男が門の前で控えている。
玄関先で、改めて一礼したエリオルに、見送りに出た夜蘭は別れの言葉を掛けた。

「また、いつでもおいで下さい」

顔を上げようとしたエリオルは、その必要のないことに気がついた。
目の前に、漆黒の眸。
絹の衣装の袖から薫る、香の匂い。
腰を低く落とした夜蘭は、晴れた夜空のような藍色の眸を見つめ、静かに言った。


「貴方は、息子の友人なのですから」


その頬に、キスが贈られた。



     『どれだけの時代(とき)が経とうとも
      おまえの前に、李家の門は開かれるだろう。
      たとえ、どれほど変わろうと
      おまえが、我等を必要とするならば』



                                   − 終 −


※ お茶を注いでもらったり、ポットにお湯を足してもらった時、感謝の気持ちを表わす
   意志表示として人差指と中指の指先で、コツコツとテ−ブルを叩く。
   もとは叩頭という礼儀作法に由来し、食事や会話を中断しないで「ありがとう」を
   表現できるため、広まった。(参照:「地球の歩き方・香港」)


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このお話は、時間的にはTVアニメ最終回で小狼君が香港へ帰国する飛行機に乗っている
前後くらいに当ります。

何故、カ−ドの主はさくらちゃんなのか?
“必然”とは“はじめから決められていて変えられない”という意味なのか?

「カ−ドキャプタ−さくら」への疑問の数々を『夜蘭さんとエリオル君との対談』という形で
説明していただこうと書きはじめたのですが…。
相変わらず、書きたいことがありすぎて未消化に終わったような気がします。(汗)
「李家」について考えると暗く重いイメ−ジになりがちですが、「さくら」の世界の一つとして
こうであって欲しいなと。
実は一番書きたかったのは、過去においてのクロウさんと李家の、そして、これからの
エリオル君と李家の関係であったように思います。
これからも、さくらちゃん達の“なかよし”として頑張ってね〜。
…小狼君は嫌がるだろうけれど…。(笑)

なお、このテキストは投稿時は「占星者」でしたが、当時から「星占者」の方が字面の
印象が良いのではと思ってまして、再録にあたりタイトルを変更しました。
読みは『せいせんしゃ』…?なんだか妙な感じですが、まあ雰囲気で。(汗)

(初出02.1 「友枝小学校へようこそ!」様は、既に閉鎖しておられます。)