さくらと桃矢と小狼と



− 5 −

李 小狼の暮らすマンションは、以前とは違う場所にあった。
彼が友枝町に戻る少し前に新築された四階建てのビルで、一階にはアジア風の雑貨店や
喫茶等の店舗が入っている。
友枝公園に面した閑静な場所にも関わらず、開店したばかりの店は友枝中学校の生徒にも
人気があった。

二階から四階までが居住区だが、エレベ−タ−に乗るにも非常階段を使うにも管理人室の前を
通らなければならない。
管理人は三交代で二十四時間体制。監視カメラも完備。
これでもか!とばかりに厳重なセキュリティのマンションである。
分厚いガラスの自動ドアをくぐり、大理石張りの正面玄関に入った少年は
後ろに立つ二人に聞こえる程度の小声で呟いた。

「ガキの癖に、こんな高そうなマンションで一人暮らしかよ」

呟いた身体が中学生だということは、小狼(桃矢)にとって問題ではない。
大学生の身体の桃矢(小狼)がムッとした顔をするが、何も言わなかった。

「おや李さん、お帰りなさい。……そちらは?」

さて、第一関門。
スポ−ツ新聞から顔を上げた初老の管理人が、小狼(桃矢)に向かって微笑んだ。
そして、彼の後ろに立つ桃矢(小狼)と雪兎を眼鏡ごしに見つめる。
大学生の二人は、中学生の李 小狼の友達というには無理があるので当然の反応だろう。

「こんばんわ。月城雪兎といいます」
「……木之本桃矢です」

にっこりと自分の名を名乗る雪兎と、無表情に他人の名を名乗る桃矢(小狼)。

「木之本…。ああ、よくここへ遊びに来るかわいいガ−ルフレンドの?」

派手な見出しの新聞を畳んで脇に置くと、眼鏡を外した管理人は愛想を取り戻した。
ムッと眉間に皺を寄せる小狼(桃矢)と、慌てたように片手で口元を押さえる桃矢(小狼)。
雪兎がニコニコと後の会話を続ける。

「ええ、さくらちゃんのお兄さんなんです。ぼくは同じ大学の友人です」

「そうですか。李さんと一緒の時も、そうでないときも、いつも元気に挨拶してくださって。
 本当に可愛らしい妹さんですねぇ」

「「…どうも…」」

揃って管理人に頭を下げた二人だが、心持ち赤くなっているのは桃矢(小狼)の方である。

「ぼくら、大学のレポ−トを書くのに李君から英語や中国語の原書の本を借りに来たんです。
 ちょっとお邪魔しますけど、直ぐ帰りますから」

ニコニコ微笑みながら、スラスラ嘘を吐く雪兎。
入れ替わった身体にも声にも慣れず、ただ歩くだけでもぎこちのない二人は
前もって雪兎に会話を任せることを打ち合わせていた。
それでも、普段はおっとりふんわりしている雪兎の思わぬ演技力に二人は内心驚いている。

「そうですか。しかし、李さんも偉いですよねぇ。
 まだ中学生なのに、遠い外国から留学して、おまけに一人で暮らしているなんて。
 こんなに日本語が上手なら、不自由はないでしょうけれど。
 あたしなんて日本語以外はからっきしで」

おしゃべり好きそうな管理人を残して、三人はエレベ−タ−に乗り込んだ。


   * * *


「お前、本当にこんな所に一人で住んでんのかよ?」

小狼(桃矢)は言った。
その口調には厭味を通り越してむしろ呆れが込められている。

「月の内、一週間ぐらいは香港から偉(ウェイ)が様子を見に来る。
 それ以外は一人だ」

桃矢(小狼)は答えた。
その事も無げな口調が気に障り、小狼(桃矢)はまたもムッとする。
黒い御影石造りの広々とした玄関に、乱暴に靴を脱いでフロ−リングの床に上がった。
雪兎が困ったように笑いながら、脱ぎ散らかされた靴を端に寄せる。

中国風の刺繍が施されたスリッパを履いて、桃矢(小狼)の後に続いた二人は突き当りまで
まっすぐに続く廊下を歩いた。
李 小狼の暮らすマンションは、とにかく広かった。
対面式のダイニングキッチンとリビング。バスル−ム。そして、部屋が四つ。
その一つ一つが日本の平均的な住宅事情を遥かに無視している。

「お掃除するの大変そうだね。全部、自分でやってるの?」
「普段使ってるのは、おれの部屋だけですから。そんなに大変じゃないです」

マンションの主と暢気な会話を交わす雪兎の後ろで、小狼(桃矢)の眉間の皺が深くなる。
そういえば、四年程前。
香港へ海外旅行した時に、李 小狼の実家に立ち寄ったことがあった。
土地と家が何より貴重だという香港で、驚くほどの大邸宅だったのを思い出す。
それに比べれば、こんなマンションの一つや二つどうということもないのだろう。
そう思うと、ますます腹が立つ。
貧乏人の僻みだと、言いたければ言えばいい。
金の苦労を知らない奴は、将来ロクな男にならないのだ。

「今夜は、この部屋を使ってもらえば」

桃矢(小狼)が廊下に面したドアの一つを開けた。
12畳はある部屋の中央に置かれたセミダブルのベッドとサイドテ−ブル。
壁の一方は作りつけのクロ−ゼットになってはいるが、他には何も無い。
壁紙や絨毯、カ−テン等は落ち着いた色調で揃えられているが、客用寝室というより
カタログのモデルル−ムのようだ。
小狼(桃矢)は桃矢(小狼)を振り返り、そして自分の顔から微妙に視線を逸らせながら尋ねた。

「お前の部屋は?」


   * * *


李 小狼の自室は6畳程の広さだ。
他の部屋と同じく、作りつけのクロ−ゼットにベッド、サイドテ−ブル。
その他には勉強机と本棚と中国風のチェストが置かれている。
整頓されて無駄なものがほとんど無い部屋だが、それなりの生活感があった。

「こっちの方が、まだマシだ。今夜はここで寝る。
 別に戸棚や引き出しを開けて回る気はねぇから、安心しろ」

小狼(桃矢)が宣言すると、桃矢(小狼)はじっと彼を見た。
それから微妙に視線を外し、僅かに戸惑いが滲む声で言った。

「見られて困る物なんかない。
 …けど、そっちには近づかない方がいい」

桃矢(小狼)が示した先には、黒檀造りの中国風のチェストがあった。
組み合わされた大小の引き出しや扉には、精巧に細工された銀色の取っ手が付いている。

「ああ、そうする。まぁ、近づいたところで普通じゃ開かねぇんだろ?」

小狼(桃矢)の言葉に、桃矢(小狼)は僅かに眉を寄せた。
引き出しにも扉にも、鍵穴らしいものは付いていないのだ。
自分の顔を横目で見ながら、小狼(桃矢)は続けた。

「この身体に入ってる所為かもしれねぇな。
 少しだが…、以前のように色々と感じる」

木之本 桃矢は、かつて強い魔力の持ち主だった。
普通では見えないもの、聞こえないもの、感じないもののことが、彼にはわかった。
生まれながらの魔力は数年前に月(ユエ)に与えられ、失われている。
そうしなければ、雪兎もろとも月(ユエ)の存在はこの世から消えていただろうから。
その頃のさくらには、カ−ドの主として守護者達の存在を支える魔力が不足していた。

「じゃあ、ベッドのシ−ツだけ替えておく。
 パジャマと下着も、新しいのを出しておくから」

表情を消した桃矢(小狼)はクロ−ゼットを開け、淡々と説明をした。
小狼(桃矢)も黙ったまま、それを聞いている。
二人を見つめる雪兎も、何も言わなかった。

部屋を出ると、三人はリビングに戻った。

「電話は留守電にしてあるから、一切出なくていい。
 キッチンにある物に害は無いから、なんでも自由に使ってもらって構わない。
 他に、何か質問は」

「ねぇよ」

両腕を組んでムスッと返事をする小狼(桃矢)を残して、雪兎は桃矢(小狼)と玄関に向かった。

「おやすみ、と−や。また明日の夕方にね」
「ああ」
「…それじゃあ」


   * * *


二人を見送ると、小狼(桃矢)は李 小狼の部屋に戻った。
チェストの傍に近づこうとすると、強い圧力のようなものを感じる。
空気の壁のようなそれを押し切って、さらに手を伸ばす。

 バチッツ!!

感電したような衝撃に、手を引いた。
痛みとも熱ともつかない感覚に、手のひらを見る。
傷や火傷の痕は無いが、微かに赤く熱を持っているようだ。

「……なるほどな」

小さく呟くと、それ以上チェストに近づこうとはせず、ベッドの上に置かれた新しいパジャマと
下着に着替えた。
マンションの中には、このチェスト以外に強い魔力を感じさせるものはない。
ただ、このチェストを護るためか住人を護るためか。一つ一つの部屋を、マンションのフロアを
建物全体を。
何重にも覆う防護壁があるのを今の小狼(桃矢)は感じる。
それは彼にとって必ずしも不快な感覚ではなかった。

似たような力なら、かつてはいつも感じていた。
木之本家を覆う淡い光の壁は、亡くなった母・撫子の力だった。
母が空から木之本家を訪れなくなった後は、見よう見まねで彼が保っていた。
今は、あの黄色いぬいぐるみがもっと強い力で家を守っている。
この身体になって、初めてハッキリと感じた。

着替えを終えてリビングに戻ると、とりあえず何か飲もうとヤカンを火に掛ける。
キッチンの戸棚を開け、ずらりと並んだ中国茶の中に紅茶の葉を捜していると、ふいに電話が
鳴り始めた。

言われたとおり、放って置くことにする。
“ただ今留守にしております…”という音声が流れ、ピ−ッ という電子音が鳴った。
そのとたん、甲高い若い娘らしい声が早口で喋り出す。

「……何言ってるか、ゼンゼンわかんねぇな」

湧いた湯をティ−ポットに注ぎながら、小狼(桃矢)は呟いた。
身体が入れ替わっても、中国語を理解出来るようになるワケではない。
電話が切れ、“メッセ−ジを録音しました”と音声が流れる。表示を見ると、やはり国際電話だ。
四人も居る姉の一人か、やたらに元気の良かった従妹か。
記憶を遡れば、香港の李家は小姑がてんこ盛りの顔ぶれだ。
思い出した小狼(桃矢)の眉間の皺が、また深くなる。

紅茶をカップに注いでいると、また電話が鳴った。
同じく放って置くと、電子音の後には間延びした少年の声。
今度は小狼(桃矢)にもわかる言葉だった。

〔李君、こんばんわ。山崎です。
 ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれる?お電話待ってま〜〜す〕

 ガチャン ピ−ッ

 “メッセ−ジを録音しました”の音声を聞きながら、小狼(桃矢)は軽く溜息を吐いた。
電話が止むと、広すぎる部屋はしんと静まり返っている。
防音も完備されているのか、外の物音も届かない。
くつろぐ為のリビングは、まったくその役割を果たしてはいなかった。
小狼(桃矢)は二杯目の紅茶をカップに注ぎ、部屋に戻った。
もっと広い部屋が他に三つもあるにも関わらず、一番狭い部屋にベッドまで持ち込んでいる
理由が嫌というほどわかる。

ティ−カップを持ったままベランダに続く窓の前に立った小狼(桃矢)は、ちょうどここから
木之本家の屋根が見えるのに気づいた。
その表情が複雑に歪み切らない内に、またもや電話が鳴り出した。
今度はサイドテ−ブルの上に置かれた子機でメッセ−ジを聞く。

〔李〜く〜〜ん、まだ帰ってない?困ったなぁ。
 木之本さん家に電話したら、1時間以上前に帰ったって言うし。
 ところで李君、明日の日曜って忙しいの?そんな話聞いてなかったけどなぁ。
 木之本さんが明日は無理だと思うって言ってたんだけど。
 もしかして香港に帰っちゃったりしてる?
 …で、僕が何でこんなに困ってるのかっていうとね、それは…〕

  ブツッ ピ−ッ

留守電の制限時間オ−バ−で声が途切れた。
あの特徴的な喋り方には、覚えがある。
確か、さくらが小学校の頃にクラスの学級委員をしていた男子生徒だ。
友枝中学ではクラスは違っている筈だが、今でも良くグル−プで集まっているようだ。
そのグル−プには、日本に戻った後の李 小狼も含まれている。
…と、回想を終えるが早いか四度目の電話が鳴った。

〔…それで、僕が困っているのはね〜。
 レギュラ−の坂本君、今日の練習で捻挫しちゃってね。
 控えの安藤君と津田君も風邪で熱出しちゃってて。
 明日の練習試合、メンバ−が一人足りなくなっちゃったんだ。
 李君、出てもらえないかなぁ〜〜ってことなんだけど。
 どうかなぁ〜?
 あ、そうそう。チアリ−ディング部も応援に駆けつけてくれるんだ。
 もちろん、木之本さんも〕

子機を取り上げた小狼(桃矢)は、通話のボタンを押した。

「……で、練習試合って何時に何処でだ?」



− 6 −

何冊かの本を手に、雪兎と桃矢(小狼)は連れ立ってマンションを出た。

「失礼しました」
「……どうも」

「はい、おやすみなさい。お気をつけて」

愛想良く微笑む管理人に挨拶をして、二人は雪兎の家へ向かう。
木之本桃矢はもちろん、さくらも何度も遊びに来たことのある平屋造りの家だが
李 小狼が訪れるのは初めてだった。

月城 雪兎という人間は、クロウ・リ−ドによって創られた存在だ。
書類の上では戸籍も住民票も確かに存在する。
ただ、その姿が現れたのは五年前。さくらが“封印の書”を見つける数ヶ月前。
自分が実際には存在しない人間だということを知った後も、雪兎はそれまで通りの生活を
続けていた。
木之本桃矢と共に大学に通い、バイトをする生活を。
そして木之本桃矢と共に、木之本桜を見守る生活を。


   * * *


「じゃあ、寝るのはこの部屋でね。
 布団は押入れにあるから」

案内された和室を、桃矢(小狼)は物珍しそうに見回していた。
畳に床の間、掛け軸、襖や障子。
日本での生活はそれなりに長い彼だが、ここまで本格的な和室に通されたのは初めてなのだ。
その様子に、雪兎は笑いながら言った。

「そっか、李君は香港の人だもんね。さくらちゃんの家にも和室は無いし。
 こういう部屋って、今じゃ珍しいかな」

「あ、いいえ…。すみません、お世話になります」

借りて来た猫のように、畳の上に正座をしてかしこまる。
親友の姿をした少年に、雪兎は目を細めた。
最初に会ったときから、雪兎は李 小狼という少年が自分に近しい者に思えていた。
それは、さくらに対して感じていたものと、とても似ている感情だった。

「……あのね」

桃矢(小狼)の前に膝をつき、雪兎は少し躊躇ってから話し始めた。

「“もう一人のぼく”はね、李君にとって悪いことは絶対にしないと思うんだ。
 そんなことをしたら、さくらちゃんが悲しむもの。
 と−やとの約束は破らないよ」

魔力が渡される時に、月(ユエ)と木之本桃矢との間で交わされた≪契約≫。
さくらを守り、そして自分の身も守ること。
月(ユエ)が消えて、雪兎も消えれば、さくらが悲しむだろうから…。

「月(ユエ)さんにそんな約束させるくらいなら、と−やも李君と仲良くしたらいいのに。
 大人気なくってごめんね。
 さくらちゃんを取られちゃったのが、よっぽど悔しいんだろうね」

「……いえ」

貴方があやまることじゃないのに。
そう言おうとした桃矢(小狼)は雪兎の眸を見て、口をつぐんだ。

「と−やにとっても、さくらちゃんは一番大事だから…。
 もしかしたら≪親近憎悪≫っていうのかもしれないね」

くすくすと笑う眼鏡越しの眸は優しくて、でもどこか悲しげだった。
桃矢(小狼)は、ただ黙っていた。

立ち上がった雪兎は、桃矢(小狼)の肩に手を置いて明るく言った。

「じゃあ、そろそろ夜食にしようか!!
 李君はおソバとラ−メンとおうどんと、どれが一番好き?」

確か雪兎は木之本家の夕食で、茶碗大盛の御飯を五度はおかわりした筈なのだが。
にっこり笑う雪兎に、桃矢(小狼)は乾いた笑みを浮かべた。


   * * *


「……この世に≪偶然≫はない。あるのは≪必然≫だけ」

天井の木目を見つめながら、桃矢(小狼)は呟いた。
クロウ・リ−ドの口癖だったというこの言葉を、≪最後の審判≫の直前に会った
木之本桃矢と観月 歌帆も口にした。

だとしたら、今起こっていることにも何らかの意味があるのだろうか?
一度ならず二度までも、≪替(チェンジ)≫で他人と入れ替わってしまうことが…?
とはいえ、以前に入れ替わった相手は≪人≫ではなかったし、余り思い出したくない記憶だ。
恥ずかしいことばかりで、良い思い出など一つもないのだから。

…ただ。
あの頃の自分は、月城 雪兎のことが好きなのだと思ってた。
さくらが側に居るだけで無性にイライラして、それでいて目が離せなかった。
それをライバル意識だとばかり思い込んで疑わなかったのだから、不思議なものだ。
今の気持ちは、こんなにも確かで揺るぎが無いのに。
その全てを≪必然≫だというのなら、確かにそうなのかもしれない。

しかし少なくとも、自分とケルベロスとの関係が≪替(チェンジ)≫の一件で変わったかというと
全くもってそんなことはない。
だから、月(ユエ)の思惑はどうあれ、このことで自分とさくらの兄の関係も変わらないように
思えてならないのだ。

……早く、元の身体に戻らないと…。

布団の中で寝返りを打ちながら、考える。
この身体に居ることによって、彼の魔力は半減していた。
ケルベロスには、さくらの側を離れないように言ってはあるが…。
あれこれと思いながら、桃矢(小狼)は次第に眠りに落ちようとしていた。

……鳥…?

白く輝く翼のイメ−ジが、ふっと脳裏を過ぎった。
次の瞬間、桃矢(小狼)は睡魔から自分を引き剥がした。

……月(ユエ)…?

澄んだ力が、舞い降りてくる。
この壁の向こうに。

布団の上に起き上がった桃矢(小狼)は襖を開いた。
冷たい廊下を音を立てずに歩き、玄関を出る。
冴え冴えと輝く月の光の中、裏庭の竹林が光を切り取る影を描く。

背中に白い翼を持つ存在(もの)は、そこで彼を待っていた。



− 7 −

「何で、小狼く……じゃない、お兄ちゃ……でもなくて!!
 やっぱり小狼くんが居るのよ〜〜!?」

チアリ−ディング部のユニホ−ム姿のさくらが、ジト目で小狼(桃矢)を睨んだ。
日曜午前10時の友枝中学校グラウンドでは、間もなく始まるサッカ−部の練習試合のために
次第に人が集まり始めている。

「どうせ、夕方まで暇だからな」
「だからって!!……バレたらどうするのよ〜〜」

大声を出したかと思うと、コソコソと声をひそめる。
グラウンドの隅っこでの光景は、端から見れば可愛いカップルの内緒話である。

「別に俺は困らない」
「お兄ちゃんは良くても、小狼くんが困るのッ!!」

そっぽを向く小狼(桃矢)と、両手を振り回すさくら。
普段の仲良さげな雰囲気からは程遠い二人を、遠巻きに伺う視線もちらほらと。

「知るか」
「ムキ〜〜ッ!!」

だが、その実態は単なる兄妹喧嘩だったりして。
深刻さも何も、あったものではなかった。

「李君にムキ〜ッとなるさくらちゃん…。
 ああ、貴重すぎますわあぁ〜〜♪」

うっとりとした声に、深刻さは益々遠のいた。

「…知世ちゃ〜〜ん…。(汗)」

ガックリと肩を落とすさくらの周りを、様々なアングルで撮影しようと飛び回る大道寺知世。
さくらの大親友でありカ−ド集めの協力者でもあった彼女は、昨夜のうちに全ての顛末を
聞き及んでいる。

「外見が李君であったとしても、中身がお兄様だとまったく違うさくらちゃんの表情。
 お兄様な李君も、また然り。なんて新鮮な2ショットなのでしょう〜〜♪♪」

木之本兄妹にとって≪またいとこ≫にあたる知世の関心は、さくらのお宝映像を収集すること
だけにあるようだ。

「いつも、こんな調子なのか?」
「…まぁ、知世はだいたいこんなもんやな〜」

小狼(桃矢)の呟きに、知世のバッグからこっそり顔を覗かせたケロが答える。
桃矢になった小狼に言われるまでもなく、ケロはさくらの側を離れる気などなかった。

「李〜く〜〜ん!そろそろ集合だよ〜〜」
「さくらちゃ〜ん、こっちも集合だって〜」

山崎の声が小狼(桃矢)を呼び、同じチアリ−ディング部の千春の声がさくらを呼ぶ。

「お兄ちゃん、バレないように気をつけてよっ!!」
「……わかったよ」

小狼(桃矢)はグラウンドへ向かい、さくらもチアリ−ディング部の皆のところへ走って行った。

「な〜〜んか、おもろいことが起こるとええな〜〜♪」
「おほほほほ。素敵な撮影日和ですわ〜〜♪♪」

楽しいことが大好きな守護獣は、バッグの隙間から高みの見物を決め込んでいた。


   * * *


「「「李く〜〜ん!!頑張って〜〜vv」」」

小狼(桃矢)がグラウンド内に入るや、一斉に女の子の声援が掛けられた。
ぎょっとして辺りを見回すと、また黄色い声が上がる。
私服だったり、友枝中学の制服だったり、他校の制服の子まで居た。

「なんだ、ありゃ?」

試合開始の整列に並びながら尋ねると、隣の山崎が言った。

「李君のFanでしょ?どこから聞きつけたのか、今日もけっこう集まってるね〜」

山崎の奥に並んでいたサッカ−部の男子も、口々に言った。

「凄ぇよな〜。相手中学の女子まで李の応援してるんだもんな」
「モテて羨ましいよ〜〜」
「李には木之本さんが居るんだからさぁ、後はこっちに分けて欲しいぜ」

「…………。(ピキッ)」

とたん、小狼(桃矢)の額には≪怒≫マ−クが大量に浮かぶ。
木之本桃矢にだってサッカ−の試合の度に集まる女の子達は大勢いたが、それとこれとは
話が別だ。

「……李、機嫌悪くないか?」
「木之本さんと喧嘩でもしたのかなぁ〜?」
「さっきも何だかそんな雰囲気だったしな」

ひそひそと額を寄せ合うチ−ムメイトを他所に、試合開始のホイッスルが鳴った。



− 8 −

ちょうど同じ頃。

「そういえば、李君ってバイトしたことあるのかな?」

雪兎と連れ立って友枝商店街を歩いていた桃矢(小狼)は、しばし沈黙する。
どんな質問であっても、答える前に考える時間を置くのが李 小狼の癖だった。

道士としての彼が除霊を行い気の乱れを正し魔力や霊力を悪用する者を諌(いさ)めるのは
李一族としての生業(なりわい)であり義務でもある。
少なくとも、それは一時的な収入を得るための労働ではなかった。

「いいえ、ありません」

桃矢(小狼)は、雪兎の目を見て答えた。

「そうだよね、まだ中学生だもんね。じゃあ、今日がバイト初体験だね」

「はい」

この日から、月城 雪兎と木之本桃矢の二人は新しいバイトを始めることになっていた。
駅前近くにあるレストランのウエイタ−で、時給はかなり高い。
初日から休むわけにはいかず、かといって中学生の身体ではバイトにも行けない。
というわけで、桃矢の身体を借りた小狼が一日だけの代役ということになったのだ。

「と−や、このバイト代で大学の授業料を払うつもりだったから。
 無理を言ってごめんね」

「……いいえ」

木之本藤隆は今でこそ大学の助教授だが、桃矢が幼い頃はまだ講師だった。
撫子が雑誌のモデルを続けての共働きで、今暮らす家を買うためのお金を貯めようとしており
家計に余裕があるという状態では無かった。

彼が様々なバイトをこなしているのは、そんな両親の姿を見て育ったからでもある。
バイクもパソコンも、欲しいものは自分の力で買う。
大学の学費も、奨学金を受けながら大部分を自分で払っているのだ。
アルバイト先に向かう道すがら、雪兎はそんな話をしてくれた。


   * * *


「喫茶店やファミレスの経験も豊富だし、他に説明は要らないかな?
 もうじきランチタイムだから、よろしく頼むね」

簡単にメニュ−の説明をしただけで、レストランのオ−ナ−は奥に引っ込んでしまう。
確かにバイトに採用された時の木之本桃矢の履歴書には、軽く1ダ−スを越えるバイト歴が
連なっていたのだから当然だろう。
しかし、今の桃矢(小狼)はまったくのバイト初心者である。

「李君、大丈夫?」

ウエイタ−用の服に着替えながら心配そうに尋ねる雪兎に、桃矢(小狼)は
落ち着いた様子で答える。

「大丈夫です。メニュ−も覚えましたから」

間もなく、店の開店時間となった。
最初に入ってきた客を雪兎が席へ案内し、注文を取る。
すぐに次の客が店のドアを開けた。
若い女性二人連れの前に立った桃矢(小狼)は、一礼と共に柔らかな微笑を浮かべる。

「いらっしゃいませ、当店にようこそ。どうぞ、こちらのお席へ」
「「は、はい…。(////)」」

客をテ−ブルまで案内すると、静かに椅子を引いた。
まるで一流店のような応対ぶりに吃驚している二人が席に着いたのを確認すると
桃矢(小狼)は笑顔と共にメニュ−を差し出した。

「こちらがメニュ−でございます。後程、ご注文を伺いにまいります。
 どうぞごゆっくり」

再び一礼をして席を離れる。とたん、女性客は顔を寄せ合った。

「今のウエイタ−、素敵じゃない?」
「うん、イケてる〜。それに、この店って何かすっごく上品っぽい〜」

そんな会話が漏れ聞こえてくる。

「李君、バイトしたことなかったんじゃ…?」

いかにも慣れた振る舞いに、雪兎が目を丸くしている。
盆の上に水の入ったグラスとおしぼりを乗せながら桃矢(小狼)は答えた。

「偉(ウェイ)が給仕をする時は、あんな感じだったかと思って」

いつも柔らかな物腰の紳士であった李 小狼の保護者を思い出し、雪兎は大いに納得する。

「そっか…。
 でもね、こういうお店ではお客さんの椅子を引いたりとかまではしないから」

「……そうなんですか?」

給仕とは、そういうものだと思い込んでいた桃矢(小狼)は、不思議そうに首を傾げた。



− 9 −

練習試合は小狼(桃矢)がハットトリックを決める大活躍で、友枝中学校の勝利に終わった。
高校卒業でサッカ−を辞めていた彼だったが、まだまだ勘は鈍っていないようだ。
ボンボンを手に応援をしていたさくらも大喜びである。
さくらを撮影している大道寺知世も、李 小狼のFanだという女生徒の集団も大喜びだが
そっちの方は彼にはどうでもいいことだ。

もっとも、プレ−の癖は本来の李 小狼とは大分違っているようで、山崎を始めチ−ムの面々は
時々首を傾げていたが、まぁ勝ったから良いのだろう。

「おめでとう〜!!おに……、じゃない小狼くん!!!」

駆け寄るさくらに、タオルで汗を拭きながら小狼(桃矢)は言った。

「ま、大会じゃ俺が出るわけにいかねぇが、練習試合だしな」

「本当に素敵でしたわ。
 お兄……、いえ李君の大活躍を一生懸命に応援するさくらちゃん…♪(///うっとり///)」

ビデオに頬擦りする知世を見て、小狼(桃矢)が妹の交友関係に不安を覚えなかったといえば
嘘になるだろう。

「な−な−、もう昼やで〜。はよ弁当にしよ〜〜」

カバンの中からケロが訴えるのに、さくらは「あっ」と声を上げた。

「…どうしよう。今日のお弁当、わたしと知世ちゃんとケロちゃんの分しか作ってないよ〜」

本物の小狼が来るのであれば、それこそ昨日の夜の内から大騒ぎして弁当作りの準備に
追われていたことだろう。
そういうことは、今までにも何度もあったのだ。

「あら、それなら私の分を…」

言いかけた知世を遮って、小狼(桃矢)は言った。

「弁当なら作って来た」

「作ったって…、おに…じゃない小狼くんが?」

目を丸くするさくらに、小狼(桃矢)は素っ気無く続ける。

「ああ。今は俺の家だからな。
 どうせ朝飯を作るついでだったし、あいつも好きに使っていいって言っていたし」

「いや〜、兄ちゃんの弁当はさくらが作るより美味いからな〜〜。
 わいも兄ちゃんの弁当がええな〜〜。はよ、人のおらんところへ行こ〜!!」

「ケロちゃんってば、静かにして」

知世も交えた三人と一匹は、グラウンドの端の校舎の影に移動した。


   * * *


さくらが作った弁当と小狼(桃矢)が作った弁当とを並べて、皆で食べる。
小狼(桃矢)が作った弁当は冷蔵庫にあった食材の関係で、春巻きやシュウマイなど
中華風のおかずになっていた。
食べながら、さくらはしきりに気にしていた。

「お兄ちゃんが使っちゃった材料、後で小狼くんに返さなきゃ…。」

「どうせ、食ってるのは≪この身体≫なんだし気にすることねぇだろ?
 あのガキも、しょっちゅうウチでタダ飯食ってるしよ」

「ガキじゃなくって、小狼くんだってば!!」

当の小狼の姿をした兄を睨みつけると、さくらは弁当箱に視線を落とした。

「だって、小狼くんいっつも一人なんだもん。
 ほんとだったらコックさんが作ってくれたお料理を、お母さんやお姉さん達とみんなで
 食べられるのに。日本に来てるから…、一人で御飯作って、一人で食べてて。
 わたしだって、今はケロちゃんが居るけれど。
 お父さんがお仕事で、お兄ちゃんがクラブやバイトで。
 そういう時、一人で御飯食べるのって、さみしかったもん」

「お食事は、一人で食べるより大勢の方が楽しいですわね」

知世が微笑みながら言った。
彼女もまた母親が仕事で忙しく、大きなお屋敷で一人で食事をすることが多いのだろう。
小狼(桃矢)も今朝、無駄に広いダイニングキッチンで一人朝食を食べて来たのだ。

「わかったよ。帰りにス−パ−に寄って、使った材料は買っておく。
 後で財布貸せ」

無造作に言い捨てる小狼(桃矢)に、さくらはむうっと頬を膨らませた。

「貸すだけだからね。ちゃんと返してよ、お兄ちゃ……」

「さくらちゃん達、こんなところに居たんだ〜!!」

  ぎっくう!!

突然、背後から掛けられた声にさくらは固まった。
千春と並んだ山崎がにこにこと笑いながら駆け寄ってくる。

「おにい…!!おに、おに……小狼くん、おにぎり食べる〜?」

「……ああ」

苦しい言い換えをしながら、笑って誤魔化すさくら。
さくらが差し出した弁当箱からおにぎりを一つとって頬張る小狼(桃矢)。

「相変わらず、仲いいね〜」

「おほほほほ〜、ほんとですわ。山崎君と千春ちゃんのお二人と、同じですわね〜」

笑って誤魔化しながら、知世もさり気無くケロをカバンに押し込んだ。

「今日は急にお願いしちゃったけど、本当にありがとう。
 おかげで試合にも勝てたし、李君のおかげで助かったよ」

あらためて礼を言いに来たらしい山崎を、小狼(桃矢)は軽く受け流す。

「別に、たいしたことはしてない」

「よかった。李君、試合前にはさくらちゃんと言い争ってたみたいだし。
 試合中もいつもと少し違ってたし。
 何かあったのかなって思ってたけど、大丈夫みたいだね〜」

細い目をますます細くする山崎の脇を、千春が笑いながら小突いた。

「ほらね、貴志君って心配性なんだから。李君、いつもと変わりないじゃない」

「まあ。それでは李君を心配して、わざわざ捜しにいらしたのですか?」

知世の声に、山崎は照れ臭そうに頭を掻いた。

「う〜ん、それもあるんだけど…。
 ところで二人とも、サッカ−ボ−ルって何で白と黒の模様なのか知ってる?」

唐突に語り始めた山崎に、二人は目を丸くした。

「ほえ?」
「……?」

千春がやれやれと溜息を吐き、知世はおほほほとビデオを構える。

「昔、中国大陸を探検にやって来たヨ−ロッパの人々は、生まれて初めてパンダを見たんだ。
 ほら、パンダって白黒でしょう〜?」

「うん、白黒だよね」
「パンダだからな」

「そして、パンダもヨ−ロッパの人を見たのは初めてだったんだ。
 パンダは、カボチャみたいに膨らんだズボンを履いて、くるくるに撒いた髪の毛で
 羽根飾りの付いた帽子を被った人たちを見て、それはそれは驚いたんだ」

「ほええぇ〜〜」
「それ、何時の時代の話だ?」

「驚きの余り、その場でパンダは丸く縮こまってしまった。ところが、そこはちょうど坂の途中。
 丸くなったパンダは、坂道をころころころっと転がり落ちてしまった。
 それはそれは凄いスピ−ドだったから、せっかくの珍しい生き物なのに逃げられてしまって
 ヨ−ロッパの人々はとっても悔しい思いをしたんだ」

「ほ〜え〜〜」
「…………。」

感心したように声を挙げるさくらと、腕を組んでいる小狼(桃矢)。
身振り手振りを加えて、益々話に熱の入る山崎君。

「パンダに出会うたび、そうやって逃げられてしまうからヨ−ロッパの人々は考えた。
 そこで竹と竹との間に網を張って、転がり落ちてくるパンダを捕まえることを思いついたんだ。
 そうやって捕まったパンダが遠く海を渡ると共に、白黒模様の丸いボ−ルを網を張った
 ゴ−ルに入れるスポ−ツが考え出された。
 それが、現在のサッカ−の始まりだと言われているんだよ〜」

「嘘だろ」

きっぱりと言い切った小狼(桃矢)に、さくらが驚いて彼と山崎の顔を見比べる。

「ほえっ、嘘なの!?」

山崎君は顎に手をあて、首を捻った。

「う〜〜ん、我ながら傑作だと思ったんだけどなぁ〜。李君に中国系は駄目だったかな?」
「いや、中国系がどうとかじゃなくて」
「まったくもう…。変な嘘ばっかり吐いて、いい加減に飽きられるわよ?」
「ほええぇ〜、嘘だったんだ〜〜」

そんな光景を微笑ましげにビデオに収めながら、知世は小声で囁いた。

「おほほほ…。やっぱり、本物の李君とは一味違いますわね」

「そういう問題とは、ちょ〜っとちゃう気がすんのやけどな〜〜」

知世のカバンの中で返事をすると、ケロはおにぎりにかぶりついた。



                                   − つづく −


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≪替(チェンジ)≫使用後の表記の仕方は
小狼(桃矢)=外見(中身) となります。
この場合、見た目が小狼君、中身が桃矢兄ちゃんです。
ややこしくてすみません。自分で書いてても混乱します。(汗)

後編、ちゃんと収拾がつくように頑張ります〜〜。