夢現　〜　ゆめかうつつか　〜 小狼くんは、とても静かに眠る。 　　　『じゃあ、頼む』 そう言って、ソファ−の上で目を閉じた時のまま、１ｍｍだって動いてない。 夢を見ては、怪獣みたいに暴れるらしい（お兄ちゃんとケロちゃん談） わたしと違って、とっても寝相がいい。 …っていうか、静かすぎて不安になっちゃうんだけどな？ 音を立てないように立ち上がって テ−ブルを挟んだ反対側に近づいた。 そ−っと　そ−っと　足音を忍ばせて 頭が置かれた肘掛けの傍に腰を落とす。 裸足の膝に絨毯が擦れてチクチクするけど、それは我慢。 うっかり声を出さないように、自分の口元を両手で押さえて覗き込む。 　　　すぅ　　　すぅ 微かだけれど、規則正しい寝息。 よかった、息してる。 当たり前のことに、馬鹿みたいにホッとした。 ……ちゃんと、ココに居るんだなぁ…。 少し上から見下ろした顔は、なんだか新鮮。 だって小狼くん、今はわたしよりずっと背が高いから いつもは見上げてばっかりだし。 でも、こうしてじっくり見ると、やっぱり ……かわいいなぁ…。 って、本人が聞いたら思いっきり眉を顰められそうなことを考える。 でも、睫毛長いし 輪郭はキレイな卵型だし 濃い栗色の髪は、細くてフワフワだし それから、やっぱり ………疲れてるんだなぁ…。 って、思った。 青白い頬や 瞼の下に浮かんだクマや ほんとうに、ふつりと糸が切れたように眠ってしまったことや…。 　　　＊　＊　＊ 数学の宿題を教えてくれていた小狼くんの手から ことん　と、シャ−ペンがテ−ブルに落ちる。 それが三度を数えたので、わたしはたまりかねて言った。 「小狼くん、少し寝たほうがいいんじゃない？」 「……ん」 半分瞼の落ちた目で、それでも広げた参考書の数式を追っているのに 少し声を大きくする。 「ねぇ、寝なきゃダメだよ！！ 　小狼くん、夜から大事なご用があるんでしょ？」 その時間まで、という約束で、わたしの家で勉強を教えてもらっていたのだ。 ちなみにケロちゃんは、新作ゲームの試作品と手作りケ−キに釣られて知世ちゃんの お家に遊びに行ってて、邪魔される心配はない。 （知世ちゃん、いつもありがとう〜！！） 「まだ終わってない…」 １／３残った宿題を気にする彼に、自信たっぷりに言ってみせた。 「あとは教えてもらったところの応用だから、わたし一人でも大丈夫だよ！！ 　時間になったら起こしてあげるから、小狼くんはちょっとでも横になって」 一人で終わらせる自信なんて、ホントはない。 でも、そうでも言わないと、責任感が服を着てるような小狼くんは休んでくれないもの。 自分から頼んでおいて勝手だなぁって思うけど。これ以上無理は、して欲しくない。 「……じゃあ、１時間たったら、起こして…くれ」 言いながら、身体をずらしてソファ−の肘掛けに頭を乗せた小狼くんは わたしが思っていたより、よっぽど眠たかったらしくて そのまま、ピクリとも動かなくなった。 　　　＊　＊　＊ ……それから、約４５分後。 残り１／３を１／６に減らすことの出来たわたしは、数式とのにらめっこにも飽きて 小狼くんの寝顔ウォッチング。 わたしとの約束を守って、香港に居る家族から離れて 一人ぼっちで不自由な日本に、戻って来てくれた。 それが、わかっててて 申し訳なくて でも、うれしいから 無理しないでいいのにって、言えなくて。 自分に大きな溜息を吐きそうになって、慌てて両手で口を塞いだ。 　　　すぅ　　　すぅ 規則正しい微かな寝息に、ホッと手の平に息がかかる。 時計を見れば、あと１０分しかない。 小狼くんが起きたら、すぐに美味しい紅茶を淹れてあげられるように お湯を沸かしておこう。 エリオルくんと観月先生が送ってくれたダ−ジリンがあるし。 そのぐらいしか、わたしに出来ることなんてないし…。 そ−っと　そ−っと　音を立てずにソファ−の傍から立ち上がった ……のに。 歩き出そうとしたとたん、ぐいっと引っ張られる。 びっくりして振り返ると、手首を掴んだ大きな手。 そこから辿れば行き着く先は、三人掛けのソファ−。 肘掛けに頭を乗せたまま、鳶色の眸がわたしを見上げていた。 「どこに行くんだ？」 尋ねられて、わたしは一瞬ぽかんとした。 …って、ほえええっ！！！（/////） もしかして小狼くん、今まで寝たフリしてた−！？ 「さくら」 こういう場合、恥ずかしがるべきなのか、怒るべきなのか。 思いつかないうちに、返事を促すように名前を呼ばれる。 「どど、どこにって…。お湯、わかそうかなって…」 後ろめたいことなんか何もないのに、どもってしまうわたしの声。 だって小狼くん、なんか……怖い顔、してるし。 わたし、怒らせるようなことしたっけ？ あ、宿題はまだ終わってないけど、そういうのじゃないよね…？ 「それ、今やらなくちゃいけないことか？」 「え、んっと……そうでも」 あらためて訊かれると、否定するしかない。 小狼くんが紅茶を飲みたいかどうか、わからないし。 むしろ、わたしが淹れてあげたいだけっていうか…。 余計なことしないで早く宿題終わらせろって意味、なのかな？ 「だったら」 伸ばした片腕と目と口以外は、ピクリとも動かさないまま。 ぎゅっと、手首を掴む力が強くなった。 「ここに、いて」 「………！！」 腰が抜けて、ぺたんとソファ−の足元に座り込んだ。 小狼くんの視線が、ちょうどわたしと水平になる。 まばたきをしていない鳶色の眸を、ぼ−っと見つめながら わたしは、取ってつけたような返事をした。 「はい」 ゆっくりと眸が細くなって、瞼の向こうに隠れる。 手首を掴んだ指が解けて、ぱたりと落ちる。 　　　すぅ　　　すぅ　　　すぅ 微かだけれど、規則正しい寝息だけが後に残った。 ………………………………。 ……え、え−っと、もしかして …寝惚けて、た？ 　　　すぅ　　　　すぅ ……ほっ、ほええぇえぁうぅ〜。（/////） 思わず絶叫しそうになって、慌てて両手で口を塞ぐ。 小狼くんが起きる気配がないのを確かめて、ホッとしながらも 心の中では、そこら中を転げ回ってジタバタしてる。 耳のあたりから、きっとケトルみたいに熱い蒸気が噴き出してるに違いない。 どうしよう　やっぱり ものすご−く　かわいい、よ。 やわらかそうな髪を、たまらなく撫でたくなって そ−っと　そ−っと　手を伸ばしたけれど ぐっと我慢して、１０ｃｍほど上の空気を撫でるフリ。 もうあと、５分しかないのに。 絶対に、わたし。ユデダコみたいに真っ赤だよ〜。（////） ソファ−の端に頬を押し付けると、ひんやりとして気持ちいい。 こうしてれば、少しはマシになるかなぁ…。 ドキドキを抱えたまま、わたしは声を立てないように笑う。 　　　『よく眠れた？』 って聞いたら、何て返事するのかな。 何も覚えてなくて、いつもみたいに素っ気無く 　　　『ああ』 とか、言うのかな？ でも鋭い小狼くんのことだから、 　　　『どうかしたのか？』 って、尋ねるかも。 そしたら何て返事しよう？ ううん、それよりずっと大問題なのは。 ……さあ、どうやって起こしてあげようか？ 　　　＊　＊　＊ 「………？」 目を開けたとたん、見慣れない天井に一瞬、意識が混乱した。 次の瞬間、ポケットの中で鳴り響く……筈だった電子音を反射的に止める。 目覚まし用にアラームをセットしておけば、不思議とその直前に目が覚めた。 さくらの家を出るリミットとして、ドアを叩く前にセットしていたものだ。 ソファ−の上で横たわったまま、携帯の冷たい感触にぼんやりと記憶を辿る。 そういえば、そのことを自分はさくらに言っていたかどうか…。 最近は忙しすぎて却って眠りが浅かったが、今はずいぶんと目覚めが良い。 たった１時間の仮眠とは思えないほど、頭がスッキリしている。 身体を起こした小狼は、ふわりと甘い香りに視線を下に向けた。 その先に、自分が枕にしていた肘掛けの端を、やはり枕にしている少女を発見する。 ぺたんと床に座り込んで、ソファ−にもたれて眠りこけているのだ。 　　　『時間になったら、起こしてあげる！！』 …とか、自信たっぷりに言っておいて、これなワケだ。 彼女らしいと言えばそれまでだが、この場合の問題はどこの誰の目にも“添い寝”に 映るこの状況なワケで…。 口喧しいさくらの兄貴や、五月蠅いぬいぐるみに見られなくて、心底良かった。 小狼は片手で口を覆い、深々と溜息を吐く。 そういえば…。 と、テ−ブルの上に拡げられたままのノートと参考書に視線を送る。 これもまた彼女らしいことに、最後の２問が手付かずのまま放置されていた。 まあ、あと２問にまで減らせたのだから、褒めてやっても良いだろう。 残りも頑張れば自力でなんとかなる……かも、しれない。 制服のブレザ−に袖を通しながら、小狼はソファ−から立ち上がった。 体術や剣術に長けた彼は、音を立てないことにも気配を消すことにも慣れている ……のに。 「……しゃお……、くん」 ぴたりと、動作が止まった。 何となく顔を合わせづらいので、出来ればこのままそっと出て行きたいのだが。 振り返ると、ソファ−に寄りかかった少女はまだ夢の世界に居るようだ。 よほど楽しい夢らしく、ふんわりと満開の笑顔を浮かべている。 「……ずうっと、いるから…」 「…………………………。」 暫しその場に立ち尽くした小狼は、再び片手の平で深い溜息を受け止めた。 そして、足音を立てずにテ−ブルの反対側に回りこむと、転がったままのシャ−ペンを 手に取った。 　　　＊　＊　＊ どこかで大きな音がして、飛び起きた。 ……ほえっ！！もしかして、寝ちゃってた〜〜ッ！！？ 慌てても、ソファ−の上に小狼くんはもう居なくて。 窓を覗くと、角を曲がる栗色の髪がちらりと見える。 さっきのは、わたしを起こすためにわざと大きな音で閉じられた玄関のドアだったんだ。 テ−ブルの上には、拡げられたままの宿題のノート。 いつの間にか最後の２問の答えも、詳しい解説つきで書き込まれている。 　　　『ぐっすり眠れたお礼』 ソファ−に戻って、余白に書かれた角ばった文字をなぞりながら呟く。 「あれって、夢……だったのかなぁ？」 でも、手首には強く掴まれた感覚がまだ、残ってて。 それだって、ただの錯覚かもしれなくて。 夢か現実か、確かめる術はどこにもなくて。 ……ちょっと、残念。 もう押さえる必要のない溜息が、ひとりの空間にこぼれる。 でも、夢だとしても。 少し窪んだ痕の残るソファ−に頬を埋めて、くすぐったさを抱きしめる。 「うれしかったなぁ…」 そう思った気持ちだけは、絶対に夢でも幻でもないから。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　−　終　− ≪TextTop≫　　　　　　　≪Top≫ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 他愛のない可愛い、日常的なＳＳ（小狼さくら）話が書きたくなる昨今。 「ＳＳＳＳ」ぐらいの小品を目指していたのですが、長さが微妙〜なので「その後」へ。 年齢設定は特に記載していませんが、中学２年生以降高校生ぐらいまで。 李少年贔屓の私の場合、小狼←さくらに傾きがちなのは否めませんが、結局、 さくらちゃんには甘い小狼くんなのでした。 ちなみに私、「好きな人の寝顔を見る」というシチュエ−ションが好きなようです。 「さくら」でも、他ジャンルでもよく書いてます。今後もよく書くことでしょう。（汗） （2007.5.20　微修整）