子守唄



真王領の東にあるサリムの町は、リョザ神王国の交易の要所として栄えていた。
様々な物資と人が、大公領と真王領とを行き交うのだ。

その流れを見渡せる広場の片隅に、彼は座っていた。
軒先の作る日陰の中、外衣に身を包み、深笠を被って。

時折、手にした竪琴で曲を爪弾くと、小銭を投げていく者がいる。
そうやって吟遊楽士を装いながら、彼は人々の動きに目を配っていた。

人目を避け、顔を隠すように先を急ぐ者。
周囲を警戒し、衣の下に武器を隠し持っている者。
そうした人間の気配を感じ取れるよう、“堅き盾(セ・ザン)”は訓練される。

真王を刺客から守る盾は、同時に刺客を狩る矢でもあるのだ。
網に掛る獲物を待つには、自身をこの場に溶け込ませねばならない。
けっして目立たず、しかしそこに居ることが不自然ではないように。

広場の中央では、吟遊楽士の一団が陽気な曲を演奏している。
その賑やかさに掻き消されるのを承知の上で、彼は静かな曲を奏で始めた。

弾くのは、幼い頃から耳に馴染み、指が覚えている旋律だ。
軽い足音が近づくのに意識を向けても、曲が途絶えることはない。
顔を見られないよう、顎を引いて俯く。

弦を爪弾きながら気配を探るが、殺気も警戒心も感じなかった。
深笠の下から覗くのは、子どもの小さな足だ。
曲が気に入ったのか、正面で立ち止まったまま動かない。

彼は静かに顔を上げた。

視界に現れたのは、十かそこらの少女だ。
目を閉じて、じっと聞き入っている。
笑みを浮かべた唇が、微かに動くのを目で追った。


  『 おかあ、さん 』


読み取った瞬間に、指が止まる。
夢から醒めたように、ぱちりと少女の瞼が開いた。
大きな眸が、正面から彼を映す。

「あの、なんで止めちゃうんですか…?」

残念そうな声は、耳を素通りした。


……何故、“霧の民(ア−リョ)”の子どもが町中に…?


春に芽吹いた若葉のような、緑の目。
“霧の民”の特徴を持つ少女を見つめ、考える。

彼等は真王に忠誠を誓わぬ、流浪の民。
もう一度周囲を伺うが、仲間がいる気配はない。
用心深いという“霧の民”が、子どもを放っておくとは思えなかった。

「今の曲、なんて名前ですか?」

無言のままの彼にめげることなく、少女はあどけない問いを重ねる。
真っ直ぐな目に溢れるのは、好奇心だけだ。
小さく吐いた息と共に、告げる。

「……“夜明けの鳥”…。」
「夜明けの鳥?きれいでやさしい曲ですね」

曲の響きを思い出すように、少女は再び目を閉じた。
竪琴を手に、彼は立ち上がる。
座っていた木箱に僅かの軋みも立てず、衣擦れの音さえ殺して。
一瞬で身を翻し、細い路地へと滑り込む。
その直後、少女は誰かに呼ばれたようだった。

「あ、おじさん!!今ね、………あれ?」

迎えに来た男の目は緑ではなく、ごく普通の真王領の人間のようだった。
ならば、あの少女は一族からはぐれて拾われたのか、あるいは…。


……“魔がさした子(アクン・メ・チャイ)”…か。


あってはならぬ交わりから生まれた子を意味する、侮蔑をあらわにした響き。
真王領民が大公領民を“ワジャク”と呼び、大公領民が真王領民を“ホロン”と呼ぶ。
それに、よく似た…。

だが、あの目は臆することなく、他人を見つめていた。
親や周囲の大人達に、大切に護られて育ったのだろう。

「………………。」

笠を深く被リなおす。
己の任務は、“霧の民”の血を引く少女の詮索ではない。
邪魔になる竪琴を、路地裏に積まれた荷物の影に注意深く隠す。
指先に触れた弦が、澄んだ響きを生んだ。


  『きれいでやさしい曲ですね』


素直な、賞賛の声。

“堅き盾(セ・ザン)”を名乗ることを許されて、半年。
この手は、既に幾人もの血で汚れている。

それでも、曲の美しさが変わらないことが、酷く皮肉に思えた。


   * * *


命を盾とし刃とする世界で、“神速のイアル”の名で知られ始めた青年は、その日の内に
あの少女と更に二度、会うことになった。

会ったといっても、互いに名乗ることも、言葉らしい言葉を交わすこともない。
ただ、一瞬のすれ違いを重ねただけのようなものだ。

それでも、母子に別れをさせてやって欲しいと役人の前に立ち塞がった時の。
友達を傷つけるなと刃の前に飛び出してきた時の。

真っ直ぐな緑の目が、強く印象に残った。

イアルは己の手を見つめる。
ついに、刃を振り下ろすことの出来なかった手を。
そのことに安堵している己自身を。

己の持つ刃は、真王を守るためにある筈だ。
命じられれば、あんな子どもでさえ傷つけ、殺さなければならないのか?
そこまでして守らねばならないものとは、何だ?
それが本当に、真王を、国を守ることになるのか…?

「……俺は……」

ぞっとする感覚に、イアルは身震いした。
考えてはならない。考えるべきではない。
それは、“盾”の任務ではないのだから。

手を、強く握り締める。

父が遺し、母に託された竪琴。
両親の、そしてかつての己自身の形見でもある弦の響きは、いつも心を静めてくれた。
初めて人を殺した日の、長く、眠れない夜でさえ。

だが、今は…。
路地裏の隠し場所の前に立っても、竪琴を手に取ることが出来なかった。


   * * *


「広場の手前にいる、あの2人連れかい?
 緑の目の女の子に渡せばいいんだね」

手渡した包みを、町の青年は快く引き受けた。
彼がまっすぐに少女の方に歩いて行くのを見届けて、イアルは人ごみに紛れる。

中の竪琴を見て、あの子はどう思うだろう。
木の手触りの代わりに、剣の柄を握りしめながら、考える。

昨夜、刃物を突きつけ脅したことへの詫びだと考えるかもしれない。
それはそれで構わないと、イアルは思った。

彼が竪琴を手放したのは、“情”を切り捨てるためだ。

母を呼ぶ子の叫びにも、子を呼ぶ母の涙にも、二度と心を揺らさぬために。
真っ直ぐな目をした少女にも、容赦なく刃を振り下ろすために。

“堅き盾(セ・ザン)”として生きるために…。
己に、それ以外の道はない。


  『この歌をきくと、わたしのお母さんを思い出すんです。
   あなたが弾いていたときも、とってもやさしい響きがしました…』


父が遺し、母に託された竪琴は、もうこの手には相応しくない。
だから、せめて。

陰謀とも殺戮とも関わることのない、優しい心を持つ者の手にあってくれれば…。





路地裏に屈んでいたイアルは、静かに立ち上がった。
切れた唇の端が、殴られた頬が、鈍く痛む。

これが、己の“甘さ”だとわかっていても。

母猫の乳に吸い付く子猫の満足そうな声を背に、彼はサリムの町を後にした。



父が残し、母に託された竪琴。
その音色が、イアルと少女を再び引き寄せるには、4年の歳月を必要とした。



                                   − 終 −


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  2009. 7.26  本文を一部修正しました。
(以下、反転にてつぶやいております。)

『彼が何故、竪琴をくれたのか、エリンにはわかりませんでした』
…と、最後にナレ−ションが入る第10話。
こういうことではないかと想像してみました。

切り捨てたつもりの“情”が、4年経って、でっかく育って戻って来るというオチ。
更なる成長にも期待大。結果として、大当たりな先物買いでしたね。
ちなみにアニメ版は、エリンちゃん10歳時点、イアル17歳ぐらいではないかと。
原作でも、6〜7歳差ぐらいのようですし。

真面目な話、イアルという青年は人一倍情に篤く、他に感情移入しやすい
いわゆる“優しい”人です。
原作でもそういう人ですが、まだ未熟な年齢から登場しているので、それが
“甘さ”や“迷い”とごっちゃになって、悩める青年になっている。
彼は短い間にエリンという子の優しさや強さを、そしてその心が護られる環境に
育っていることを見て取ったからこそ、竪琴を託す気になったのではなないかと
思っています。