憧 憬



警察を嫌う人間は多い。
命を狙われていると主張する老人に相談を拒まれても、笹塚は特に不快は感じなかった。
だが、その場を立ち去る前に一つの提案を口にした。

「その代わり、彼女を使ってやっちゃくれませんかね…。
 知ってるでしょ?桂木弥子」
「……至る所で名前は聞きますな」

老人の不信の目が和らぐのがわかる。
それでもまだ、半信半疑といったところだろう。
“HAL事件”で彼女の名声は世界的なものとなったが、報道が過熱するほど
ウソ臭く思われるのも確かだ。
もう一押し、笹塚は口を添えた。


「彼女は俺やあんたが考えてるより、ずっと有能だ。
 多分…、心強い味方になると思いますよ」


その翌朝、老人は冷たくなって発見された。
更に数日後、いつもどおり助手の“代弁”で実の息子が犯人として確保された。

あの時、彼女に事件を任せたことは正しかったのか、間違っていたのか。
笹塚にわかるのは、それを決めるのが自分ではないことだけだった。



   * * *


「昨日、睦月ちゃんと会いました」

延び延びになっていた“家具事件”の調書と、数日前に解決した“狸屋事件”の
報告書のため探偵事務所を訪れた笹塚に、弥子は開口一番報告した。
前もって約束を入れておくと、何故か決まって胡散臭い助手の姿はない。

「大分、落ち着いた様子でした…。
 奈良鹿さんと登呂さんが、わたしより先に話をしに来たそうです。
 2人と話して、おじいちゃんの周りの大人が敵ばっかりじゃなかったことがわかって、
 睦月ちゃんも安心できたんだと思います」
「………そっか」

警視庁の自販機が抽出するコ−ヒ−と同じ飲み物とは思えない香り高いブレンドを前に、
笹塚は小さく溜息を吐いた。



  最愛の祖父を殺した叔父に復讐を企てた、10歳にもならない少女。
  唇を引き結んだ横顔に、笹塚は声をかけた。

  『復讐なんて…、子供のうちからやるもんじゃないぜ。
   とりあえずは大人に任せな』

  最初は、ただ諭すだけのつもりだった。
  けれど幼い眸は大人の理屈では納得しない。
  怒りと悲しみが小さな身体に渦巻いて、宥めようとする言葉は押し戻される。
  それがわかったから、少女の耳に届く言い方をした。

  『大人になった君が、それでもなお復讐する事でしか幸せになれない哀れな人間なら。
   その時は、迷わず殺ればいい。刑期を終えたその男をな』

  言葉は難しくても、伝わった筈だ。
  笹塚を見上げる眸には、怯えが滲んでいるように思えた。



「……ちゃんと笑って、お礼言ってましたよ?
 『ふたりのお兄ちゃんが助けてくれたからだよ!!』って。
 本当に、いい子だなぁって思いました」

弥子の声に、笹塚は意識を現在に戻す。
目の前にはソファ−に座る制服姿の女子高生。
今の言葉を反芻し、微かに苦笑した。

「“お兄ちゃん”ね…。おじさん、じゃね−んだ?」

親子で通用するほど年の離れた女の子に“お兄ちゃん”と呼ばれるのは、流石に面映い。
微妙に複雑な顔をしている女子高生の前では、尚更だ。

「や−まぁ、それはそれでよかったじゃないですか〜。
 ……えっと、それで。実は昨日、睦月ちゃんから別件の調査依頼をされちゃいまして」

そこで言葉を切った弥子に、コ−ヒ−を口に運びながら目線で先を促した。
だが、いつも察しの良い彼女は黙ってこちらを伺うばかりだ。

「……?」

怪訝に思いながらカップをテ−ブルに戻すと、弥子はずいっと身を乗り出してくる。
正面から笹塚を見つめる眸は真剣そのものだ。
事件に関係することかと緊張を覚えつつ、次の言葉を待った。

「実は、睦月ちゃんからの調査依頼なんですけど…。
 『あのけいじさん、こいびといるのかなぁ?年下すぎるのってイヤかなぁ?』
 ……って。
 あと、『すきな女の子のタイプは?』とか、いろいろと」

どうやら弥子は、笹塚がコ−ヒ−を飲み終えるまで質問を待っていたらしい。
確かにタイミングによっては思い切り吹いていただろう。
よく気がつくと言うべきか、余計にタチが悪いと言うべきか…。
どっちにしても笹塚が感じている虚脱感が緩和されるわけではない。
無言のままの調査対象に、女子高生探偵は取り繕うように言った。

「まだ小さくても、しっかり女の子なんですよね−。
 うつむいて真っ赤になっちゃって。すっごい可愛かったんですよ〜!!(////)
 ……だから、断れなくて…。巨大ポッキ−も美味しかったし。
 つい、調べてあげるって言っちゃって」

そこらで見かけた子猫について熱く語るかのような弥子に、笹塚は溜息を吐いた。
可愛いものに弱いなんて、どこぞの眼鏡警視のようだ。
それよりも刑事のプライバシ−の調査料が巨大ポッキ−であることをツッコむべきなのか。
沈黙を続ける笹塚に、弥子は焦った声を出す。

「で、でも!!アレは、しょ−がないって思うんですよねッ!?
 笹塚さん、睦月ちゃんが落ちてくるのを姫キャッチなんかしちゃうんですもん。
 あんなのされたら女の子なら、誰でもズギュンと来ますってば!!(////)」

身振り手振りで訴える弥子を眺めつつ、そんなこともあったかと他人事のように思う。
人質に取られた睦月を“助けた”という条件なら、吾代という男も同じ筈だ。
なのに何で自分だけがと思ったら、そういう理由とは。笹塚は数ミリほど肩を落とした。

子供の言うことなのだから、適当に返事をすればいいのかもしれない。
しかし年を追うごとに不精が酷くなる笹塚なので、“適当な返事”を考えるのも面倒臭い。
いっそ全部本音で答えたとして、教育上、何か問題があるだろうか?
……それを考えるのも面倒臭い。

そんな、駄目な大人の見本のような笹塚の思考だが、名探偵の目には不機嫌になったと
映るらしい。ますます必死で両手と口を動かしている。

「そ、それに笹塚さんって一見くたびれてるけど、よく見ると割とイケメンだし。
 猫背で首の座り悪いけど、背高くて足長いし。
 いつもダルそうでやる気無さそうだけど、いざって時は素早くてカッコイイし。
 やっぱし老若男女問わず、モテちゃうんですね〜ッ!!」

おそらくフォロ−のつもりだろうが、けなされているのか褒められているのか、正直微妙だ。
ツッコむ代わりに笹塚は首の後ろを撫でた。

「……弥子ちゃん、今日は良く喋るよな」

皮肉まじりにボソリと言うと、弥子は視線を泳がせる。
右を見て、左を見て。それから膝の上で握り締めた自分の両手を見て。
次に顔を上げた彼女は、真っ直ぐに笹塚の視線を捕らえた。

「……睦月ちゃん、ちゃんとわかってるんですよ。
 笹塚さんが本当に優しい人で、素敵な人だってこと。
 あの時、笹塚さんがああ言ったのは、睦月ちゃんを何もわからない子供じゃなく、
 大切な家族を殺された1人の遺族として扱ったからだってこと。
 笹塚さんが本当に言いたかったこと、ちゃんと伝わっているんです。
 復讐なんか…、そんな哀しくて辛くて苦しいこと、しちゃいけないって」



  “家具事件”で絵石家由香が姿を見せた時、弥子が事件後も被害者遺族と
  交流を持っていることを知った。
  だから笹塚は、あの後、弥子に頼んだのだ。

  『弥子ちゃん。少し落ち着いたら、あの子と話してやってくれる?』
  『あ、はい。それは、わたしもそのつもりでしたから』

  何か言いた気な眸で見上げてくる弥子から、笹塚は目を逸らした。
  睦月を心配して駆け寄っていた彼女にも、屋上での会話は聞こえていた筈だ。

  『悪ィな…。俺の尻拭いを頼んじまって。
   先の話とはいえ、犯罪をそそのかすようなこと言っちまったから』
  『………でも。大切な人を殺されたら、誰だっておな』
  『間違ってるから』

  言い掛けた弥子の言葉を、笹塚は遮った。
  視界の端に吾代の鋭い目と、助手の能面のような顔が映る。

  『間違ってるから、俺は。刑事としても、大人としても、人間としても。
   ……だから、もう一度あの子と話すべきなのは、俺じゃない』

  彼女の父親を殺した犯人に“刑期”はない。
  裁判になれば間違いなく“法で殺せる”筈なのに、今も白い壁の中で
  壊れた精神(こころ)の治療を受けている。
  何年経っても、大人になっても。復讐の機会は巡って来ないのだ。
  それは、彼女にとっては…。

  『……笹塚さん』

  呟いた弥子が、どんな顔をしていたのか笹塚は見なかった。
  一刻も早く彼女から離れて、煙草を吸いたいと思った。
  今夜は余計な夢を見ないために、浴びるほどの酒が必要だろう。

  どこかで昔の話でも聞き齧ったか、不信感剥き出しの視線を向ける吾代と
  事件が解決した後は一切への興味を無くした目をする助手に声を掛ける。

  『…じゃ、これでおひらきという事で』




「……言葉の意味とか、理屈とかじゃなくって…。
 子供でも、真剣に向き合えば気持ちって、ちゃんと伝わるんですよね。
 だから笹塚さんは、ゼンゼン間違ってなかった。
 わたし、睦月ちゃんが笹塚さんのこと好きって言ってくれたのが、すごく嬉しくて…。
 笹塚さん、あんなに落ち込む必要なんか無かったんですよ」

そう言った弥子は、本当に嬉しそうな顔をしていた。


復讐なんて考えもせず、毎日精一杯、幸せそうに食べて、笑って、走り回って。
危険に首を突っ込んでは、他人のことばかり気にしている。
そうやって生きることもできるのだと。

言葉よりずっと正確に、伝えることができただろう。



「すッ、すみません…!!(////)
 なんか調子に乗って、生意気ばっかり言っちゃって」

深々と頭を下げる弥子に、再び意識を現実に戻した。
黙ったまま動かずにいた笹塚の様子を勘違いしているらしい。
ゆっくりと首を動かすと、関節が音を立てる。

「……や、別に怒ってるワケじゃね−から」

ただ、どうしてこんなにも違うのかと思っただけだ。
そんな、らしくもないことを考えた自分に少し驚いただけなのだ。

「そうですか…?
 あ、えっとじゃあ!コ−ヒ−のお代り淹れてきますね!!」

ソファ−から立ち上がった弥子は、テ−ブルのコ−ヒ−カップを回収する。
小さくて白い手と、何も塗っていない桜色の爪を眺めながら口にした。

「ん、悪ィな。……それと、弥子ちゃん」
「はッ、はい!!」

親にしかられる子供のように身を竦める弥子に、笹塚は僅かに口角を上げ、目を細める。

「ありがとな」

何への礼であるかは、言わなくても伝わっているのだろう。
微かな笑みに、弥子は満面の笑顔で応えた。

「……はい!」



  『彼女を使ってやっちゃくれませんかね…。
   知ってるでしょ?桂木弥子』

  笹塚がそう言った時、弥子は戸惑いながらも嬉しそうだった。
  以前の彼女には感じていた、居心地の悪そうな落ち着きの無さや
  肩身が狭そうな様子は、今は微塵も無い。


  『彼女は俺が考えてるより、ずっと有能だ』


  遺骨を抱え、項垂れていた被害者の娘。
  危険な現場から追い出そうとするたび、文句を言う女子高生。
  病室で、落ち込んだ顔をして検死大福を頬張っていた少女は、もういない。

  助手の傍らで“名探偵”と呼ばれることを嫌がらなくなった瞬間から、彼女は名実共に
  “名探偵”なのだ。
  だから笹塚は、己の権限(ちから)が及ぶ限り“彼女等”への協力を惜しまないだろう。

  それが正しいのか、間違っているのか。考えても意味は無い。
  笹塚にわかるのは、他に選択肢が無いことだけだった。




笹塚の前にはコ−ヒ−を、自分の前には大量の菓子を並べ、弥子はおもむろに
身を乗り出した。

「え−と。ところで、最初の質問に戻りますが」

そう言った彼女の頬が少し上気して見えるのは、多分、気のせいだろう。
それとも慣れない質問に緊張しているのかもしれない。以前、なんとかインタビュ−を
された時は、この手の質問は無かった筈だ。


「笹塚さん、恋人さんいましたっけ?
 あと、年下すぎるのって、やっぱりイヤですかね…?
 それから好きな女の子のタイプと、好きな色と、食べ物と。
 ……あと、好きなお酒とおつまみもお願いします」


前半はともかく後半の幾つかは、小学生のする質問ではなさそうだ。
それはまあ、置いとくとして。

……探偵なら、自分で調べれば?

そういう返事も有りかと思ったが、どうやら質問に答えない限りコッチの仕事を始めることは
出来ないらしい。
放ったらかしの調書と未提出の報告書と、直属でもないのに小言の多い同い年の上司の
顔を思い浮かべる。

好奇心でいっぱいの目をした年下すぎる少女を眺めて、笹塚は小さく溜息を吐いた。



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

複数のコネタやシリアスネタを合体させたため、シリアスなんだかコメディーなんだか
よくわからない話になってしまいました。(汗)

“狸屋事件”で、弥子ちゃんを一人前の“探偵”として扱い始めた笹塚さん。
“HAL事件”が大きいのでしょうし、入院中に色々考えたのかもしれません。
見ようによっては弥子ちゃんの存在を割り切った(突き放した)ようにも思えるので、
出来ればいつか視点を変えて書いてみたいエピソ−ドです。

「睦月→笹塚→←弥子」っぽくはありますが、「→←」ベクトルは相変わらず恋愛感情未満。
何かあれば一気に進展するかもしれないけれど、何も無ければこのまんま。
実は結構意識しているのかもしれないし、それに気づいているのかもしれないけれど、
気づかないフリをしているのかもしれない。
そんな中途半端な関係が一番ありそうな気がします。
ちなみに管理人の脳内笹塚さんの回答は、多分真っ正直に。
「恋人は、今は居ない。(特に募集もしていない。面倒臭いから。)
 年は、差がど−のこ−の以前に、まず18歳以上でね−と犯罪だから。17歳以下はパス」
…ぐらいではないかと。そして約2年後。
「18歳になりましたが、どうでしょうか!?」
と、弥子ちゃんに迫られる笹塚さん(まだ独身)というオチはどうかと。
更に約7年後。(原作からは約9年後)
「18歳に(以下略)」
と、睦月ちゃんに迫られる笹塚さん(既婚・2児の父)という二段オチがあると更に楽しいです。
私が!!