矜 持



− 1 −

「明日にでも、家の中での事件の顛末をキッチリ吐いてもらうからな!!」

そう言って、笛吹は女子高生探偵に一旦帰るよう命じた。
本心は今すぐにでも事件の詳細を聞き出したいに違いない。
血塗れの笹塚を運ぶ担架を見送りながら、筑紫は思った。

“怪物強盗”の登場は、予告済であってさえ相当ショッキングなものだったようだ。
生き残った絵石家邸の住人はもちろん、現場に詰めていた警察官ですら動転が激しく
話を聞ける状態ではない。
肋骨を砕かれる重傷を負った笹塚には、当分、事情聴取の許可さえ下りないだろう。
ここで何が起こったのか、まともな話が出来そうなのは自称・探偵の少女だけなのだ。

だが、責任者である笛吹にはマスコミ対応に上層部への報告と、仕事が山積されている。
上司を補佐する立場である筑紫も同様だ。
それ以上に、血と脳漿が飛び散る凄惨な事件現場に彼女を留め置くことは出来ない。
幾ら世間がもてはやそうと、桂木弥子は16歳の一般市民に過ぎないのだ。

彼女を送り届けるよう私服警官に指示を出しながら、筑紫は窓の外を眺める華奢な背中を
見つめた。

担架で運ばれていく笹塚は、壁際に立つ少女に何か言おうとしていた。
苦痛に顔を歪め、血で濡れた唇が動くのを、気づいた彼女が遮る。


 『大丈夫ですから…!!
  わたし、ちっとも怪我してませんし。ネウロもちゃんと生きてますから!!』


ネウロとは、確か彼女の助手の名だ。
筑紫はそれを記憶していたが、この場に助手の姿が無いことを疑問には思わなかった。
ただ、蒼白だった笹塚の顔が微かに緩んだのが印象に残っていた。
…まるで、微笑もうとしたかのように。

「いつまで居る気だ、桂木弥子!!
 さっさとコイツを家に帰せ、筑紫!!ガキは歯を磨いて寝る時間だ!!」

遠ざかる救急車のサイレンを掻き消して、上司の甲高い声が響く。
女子高生に向かって、その言い方は無いだろう。
案の定、むくれた顔をしている彼女を筑紫は玄関に促した。

「どうぞ、桂木探偵。警視庁の者が車でお送りします」

その後の報告では、桂木弥子は自宅ではなく事務所に戻ったとのことだった。


   * * *


翌朝早く、女子高生探偵は警視庁に電話を入れてきた。
但し、笛吹宛にではない。

〔あのッ、筑紫さんですか…?おはようございます、桂木です。
 えっと、それで…。笹塚さんの容態は?〕

まず一番に笹塚の身を案じた少女の声に、筑紫は徹夜明けの目を細めた。
昨夜の内に手術が行われ、無事に終わったこと。
当分は入院だが、後遺症も無く職場復帰が可能であるという医師のコメントを伝えると、
電話口の向こうで大きく息を吐く音がした。

〔よかったぁ…!!
 あの、落ち着いたらお見舞いに行きたいので、病院の住所を教えていただけますか?〕

笹塚に対して、彼女が想像以上に親身になってくれていることを嬉しく感じながらも、
筑紫は警察(こちら)側の要件を切り出す。

「わかりました。担当医から面会の許可が出ましたら、お知らせします。
 ところで笛吹は今日、午後4時半からが空いていますが、桂木探偵のご予定は
 いかがでしょうか?」

とたん、激しく固まる気配が電波を通して伝わってくる。

〔ううぅッ、笛吹さん直々に取調べ…、ですか?〕

どうやら上司は余程敬遠されているらしい。
昨夜といい、“ヒステリア事件”の時といい。普段の態度が態度なだけに無理もないと
思いつつ、筑紫は穏やかな声でフォロ−に努めた。

「事件の詳しい経緯を伺いたいだけですから…。
 事情聴取には、自分も立ち合わせていただきます」

ホッと小さく息が吐かれ、声の調子が明るくなる。
表情の豊かさに劣らず、話し方までくるくると目まぐるしい。

〔じゃあ、今日の4時半に警視庁に伺います。どうか、よろしくお願いします〕
「こちらこそ、お待ちしております」

今時の高校生にしては、ずいぶん礼儀のしっかり子だ。
そう思いながら筑紫は外線の受話器を置いた。



− 2 −

約束の時刻に警視庁を訪れた桂木弥子は、捜査一課の取調室に通された。
壁の一方が鏡張りの殺風景な部屋は威圧的な印象を与えるのだが、パイプ椅子に
座った女子高生は満面の笑顔を浮かべている。

「“取調べ”には、やっぱりカツ丼が欠かせませんよねッ!!」

剥き出しの机にずらりと丼を並べ、右手に箸を持った少女はご満悦である。
反比例して笛吹の機嫌は悪い。
1つには、事件の後始末に追われて昨夜は一睡もしていないからだろう。
だが、一流ブランドのス−ツをビシッと着こなす笛吹の顔には、疲れなど微塵もない。

「貴様はここにカツ丼を喰いに来たのか、事件の話をしに来たのか。
 一体どっちだッ!?」

バンッ!!と、両手で机を叩いた勢いで、空の丼を積み重ねた塔が大きく揺れる。
慌てて筑紫が押さえる横で、少女は新たな丼タワ−を築き始めた。
ちなみに上司の機嫌が悪いもう1つの理由は、彼女が食べている出前の請求書が
“警視庁 笛吹警視様”宛で届けられるからだろう。
いずれにしても、さすがは“怪物強盗”と対峙した女子高生探偵である。
上司の怒鳴り声など、そよ風程度にしか感じないらしい。

「じふぇんのはらしをしにぶがにきまっでるらないれふか−。
 (事件の話をしに来たに決まってるじゃないですか−。)」
「喰うか喋るか、どちらかにしろッ!!」

再び笛吹が怒鳴ると、女子高生探偵は沈黙した。
箸の回転が早まり、言葉の代わりに咀嚼音が響く。

「(もぐもぐ、ばくばく、むしゃむしゃ、ごっくん)」
「喰ってばかりか−ッ!?」

そのやり取りを、筑紫は一見、無表情に聞いている。
彼が何を考えているのか読み取ることは、十数年来の付き合いである先輩兼上司にも
難しいだろう。
少なくとも、この上司の下についてから溜息を噛み殺すのが上手くなったのは確かだ。
間を置かず、キレる寸前の笛吹の前に最後の丼が積み重ねられた。

「ご馳走様でした!!それで、何から話したらいいんでしたっけ?」
「「………………。」」

あっという間に15杯のカツ丼を平らげた喰いっぷりに、2人は言葉を失った。
ネット上に横行する“大喰い女子高生探偵伝説”はガセではないらしい。
だが、笛吹もだてに日本警察の昇進記録を塗り替えている男ではない。
一瞬で立ち直るや、メガネ越しに鋭く少女を睨みつける。

「……喰った分だけの情報は提供してもらうぞ、桂木弥子!!
 ではまず、一昨日のことから話してもらおうか。
 証言によると、お前は事件の前夜にも絵石家邸を訪れたらしいな。
 その目的は何だッ!?」
「ええぇっと。それは、ですね…」

初手からの厳しい追求に、女子高生探偵は脂汗を流しながら説明を始めた。
一回り以上年下の少女が相手でも、笛吹はまったく容赦が無い。
ある意味、上司は公平な人間で、年齢・性別・経歴に寄らず、誰にでも厳しいのだ。

いや、むしろ…。
個人的な関わりが深い相手ほど、厳しい傾向がある。

証言の記録を取りながら、筑紫は早速溜息を噛み殺した。



− 3 −

1時間後。
紆余曲折の末、話は犬に化けた“X”がその正体を現した場面にまで行き着いた。
ここまでの証言は、笹塚の部下等から聞き取った内容と一致している。
問題は、この後だ。

「その時、『グエッ』って何か吐き出すみたいな音がして、ふっと下を見たんです。
 そしたら…、犬の口からショットガンが落ちて。犬は見る見る人間の姿に変わって。
 それで、犯人は撃たれて…。
 …あ、助手はその時、壊れた彫刻の破片をくらいまして。ちょっとだけ傷を…。
 それはもう、ゼンゼン大したことなくて、今はピンピンしてますけどもッ!!
 ……とにかく警察の人も、家の人も、ネ…、もちろんわたしも。
 まさか“X”が犬に化けてるなんて思わなくて、呆然とするだけだったんです。
 でも、笹塚さんは少しも慌てず騒がず冷静に“X”を撃って…」
「どこを何発撃ったか、覚えているか?」

笛吹の問いに、女子高生探偵は記憶を辿るように暫し視線を宙に彷徨わせた。
異常な緊張状態に置かれると、普通は記憶が混乱するものだ。
だが、緊張状態である時の方が記憶力が増す人間もいる。
どうやら彼女は後者らしい。

「最初に、右手を撃ち抜いてました。
 それで“X”はショットガンを取り落として、おかげでウチの助手は命拾いしたんです。
 それから両肩と、両膝と。5発全部命中して、“X”は床に膝をつきました。
 以前の“ヒステリア”の時も凄かったけど、笹塚さん、昨日も凄かったんですよ〜!!」

彼女は顔を輝かせ、声に感嘆を響かせた。
それを笛吹は一言で切り捨てる。

「自慢の銃の腕前も、“X”には通用しなかったがな!!」

忌々しげな口調に、女子高生探偵は眉を寄せ、唇を引き結んだ。
予想どおりの展開に、筑紫は内心で頭を抱える。
しかしフォロ−を入れる隙も無く、上司は矢継早に質問繰り出していた。

「それで?笹塚は現場に居た部下に何らかの指示を出したか!?
 お前や絵石家邸の人間に、その場を離れるように促さなかったのか!?」
「笹塚さん、わたしに“X”から離れてこっちへ来るようにって言いましたよ!!
 あと、石垣さんに家の人を避難させるように、他の警察の人には銃で“X”を狙うようにって。
 でも、わたしもですけど、誰も一歩も動けなくて…」
「フン、部下の指揮統率もロクに取れないとはな。
 …真栗利参はどうした?“X”に不用意に近づいて頭を潰されたと聞いているが。
 笹塚はその時、利参氏を止めようとしなかったのか?」
「それは…!あの人が勝手に“X”に近づいたから」
「笹塚は制止する言葉を掛けなかったんだな?」

次々と投げつけられる速球を、少女は懸命に打ち返す。
だが、そのスピ−ドは増す一方だ。
互いの語気が唾を飛ばさんばかりに強まる。

「けど!!ほんの数秒のことだったんですよ!?近づいたと思ったら、すぐ飛び退いて。
 でも、“X”はそれより速くて…、止める暇なんか」
「貴様は人の話を聞いていないのか、桂木弥子!!
 笹塚は制止する言葉を掛けたのか、掛けなかったのか、どっちだ!?」
「だから!!人の話を聞いてないのはそっちじゃないですかッ!!
 あの人が“X”に殺されたのは、笹塚さんの責任じゃありません!!」
「私がお前に訊いているのは、笹塚に責任があるか無いかではないッ!!
 警察官として、恥ずべき行動があったか無かったかだ!!」

ついに我慢の限界が来たらしい女子高生探偵は、勢い良く立ち上がった。
机に両手をついて身を乗り出すと、怒りに染まった顔で笛吹を睨みつける。

「そんなの、まったく、全然、これっぽっちも、ありませんからッ!!
 笹塚さん、すっごい格好良かったんだから!!
 笹塚さんが居なかったら、わたしも、他の人達も、全員殺されてたかもしれないのに!!
 上司なら、自慢して褒めたっていいくらいじゃないんですかッ!?」
「格好良いか悪いかが問題になるか!?それで死にかければ世話は無いッ!!」

負けじと、笛吹もパイプ椅子を蹴って身を乗り出す。
間に机が無ければ互いに額をぶつけそうだ。
大声に共振して、積み重なった丼がチリチリと音を立てる。

「……お二人とも」

筑紫は静かに立ち上がり、口を挟んだ。
目の前の少女は顔を真っ赤にして目を潤ませている。
一方の笛吹も額に汗を滲ませ肩で息をしていた。

病院のベッドで眠るあの人が、この場に居ればどんな顔をするだろう。
思いながら続きを言った。

「一旦、休憩にしましょう。何か持ってこさせます」

大きく上下している肩に左右の手を置いて、軽く押す。
ガタンとパイプ椅子を軋らせて、二人はそれぞれ腰を下ろした。
それを確認して、筑紫は取調室の内線電話を取る。

「笛吹さんは、いつものでよろしいですね。桂木探偵のご希望は…?」

顔を上げた少女は筑紫を見て、ほっと息を吐いた。
まだ赤い目元をセ−タ−の袖で擦って、笑顔を見せる。

「あ、えと…。じゃあ、カツ丼を」
「………は?」

今、何と?
机の上に積みあがった丼タワ−を目の端に、思わず筑紫は聞き返した。
大喰い探偵はあっけらかんと答える。

「いろいろ思い出しながら話してたら、なんかお腹空いちゃって」

受話器を持ったまま上司を伺うと、苦虫を噛み潰した顔をしている。
しかし、さっきは大人気なかったと自分でも思っているのだろう。
溜息と共に許可を出す。

「……構わん。好きなだけ頼め」

とたん、元気な声が注文を告げた。

「じゃあ、今度は20杯で!!」

ガタガタッと、パイプ椅子の軋む音がした。



− 4 −

食堂から追加で運ばれた20杯のカツ丼が、新たな塔を築き。
筑紫のコ−ヒ−も、笛吹のミルクセ−キも飲み干された頃。
ようやく事情聴取は終わった。

「……ご苦労だったな桂木弥子。
 喰った分だけの情報提供があったとは言いがたいが、おかげで事件の全容はわかった。
 最後に、つけ加えることはないか?」

笛吹が確認すると、林立する丼の間から顔を覗かせた女子高生探偵は口篭った。

「あの、今回の事件とは直接関係無いんですけど…。」
「構わん。言いたいことがあるなら聞いてやろう」

ペンを持ったまま、筑紫は腕時計で時間を確認する。
もう間もなく、笛吹は次の会議が始まる時間だ。
すぐに済む話なら良いが、長引くようなら自分が後を引き継がねばならない。
そう思いながら少女の声に耳を傾ける。

「……笹塚さんは、怪我が治ってお仕事に戻ったら…。
 また“X”の捜査をすることになるんですか?」

ハッと、筑紫は顔を上げた。
笛吹は腕を組み、眼鏡の奥で眉を寄せている。

「何が言いたい?」
「笛吹さんなら、笹塚さんがこれ以上“X”に関わらないように出来るんじゃないですか?」

少女の声は真剣だった。
だが、笛吹は眼鏡を外すと、内ポケットから取り出したクロスでレンズを拭き始める。
そのついでのように、冷淡に答えた。

「桂木弥子。貴様は見た目どおり頭が足りんようだな。
 笹塚は“X”と対決し、生き残った世界で唯一の警察官だ。
 現場に復帰すれば、今後の対“X”捜査の最前線に立つことになるだろう。
 指揮を取るのが私であろうとなかろうと、必ずそうなる。
 結局は、“X”の捜査に関わりたいという奴の望みどおりというワケだ」
「でも、今度は笹塚さん、本当に殺されちゃうかもしれないのに…!!」

筑紫は証言の記録に目を落とした。


 『笹塚さんが倒れた後、“X”は言ったんです…。
  「今日は壊さないでおいたげる」って』


その時も、今と同じように机に置かれた彼女の両手は小さく震えていた。
『今日は壊さない』とは、裏を返せば『次は壊(ころ)す』という意味なのだ。
筑紫もまた同じように、ペンを持つ手が汗ばむのを感じた。
眼鏡を掛けなおした笛吹は、フッと息を吐く。

「“X”がお前の言うとおりの犯罪者ならば、次の機会に笹塚の顔を覚えているか
 あやしいものだがな…。
 ところで、桂木弥子。お前は10年前、何をしていた?」
「……え?」

唐突に質問され、少女は目を丸くした。
その顔に向かって、笛吹は隅の机に座る部下に顎をしゃくる。

「どうせ、そこに居る筑紫から笹塚の家族の話は聞いているだろう。
 ……10年だ。貴様など、まだ鼻水垂らしてお遊戯していた頃からだ。
 止められるなら、この10年でとうに止まっている。
 私が何をしようと、コイツが余計な気を配ろうと、お前が浅知恵を絞ろうと。
 何も、変わらん。本人に変える気がなければな」

笛吹が語るのは正論だ。筑紫はそれを理解している。
結局は笹塚自身の問題なのだ。誰にも、どうすることも出来ない。
それが、わかっていても。
3人で飲んで騒いで、俺達で日本警察を変えてやるんだと、息巻いていたあの頃が
懐かしい。

「……でも、笹塚さんは」

消えそうな声で、少女は呟いた。
俯いた顔は、明るい色の前髪に隠れている。

「本当に優しい、いい人なのに。なんで…、笹塚さんばっかり」

それは、筑紫が自分の中で何度も繰り返した言葉だった。


 『何故、笹塚さんが、あんな目に合うのだ?
  何故、笹塚さんの家族が、あんなにも惨く殺されなければならないのだ?
  誰が、何の為に、どうして…!?
  隣の家ではなく、別の誰かでもなく。…自分でも、もう一人の先輩でもなく…。
  何故、笹塚さんの両親と妹でなければならなかったのだ?』


恐らくはそれを知る為に、あの人は“X”を追っているのだろう。
あれ以来、感情が麻痺したような笹塚の目を思い出し、筑紫は奥歯を噛みしめた。

「……桂木弥子。今から私は酷なことを言う。心して聞け」

笛吹は眼鏡のフレ−ムを押し上げ、ゆっくりと口を開く。
レンズ越しの眸は目の前の少女を射るようだ。
俯いていた彼女の顔が、自然と上がる。筑紫もまた、上司の言葉を待った。

「まず、警察官の一員として、身内が起こした取り返しのつかない犯罪については
 遺族の方々に心から申し訳なく思う。
 その上で、敢えて言う。
 桂木誠一氏は、“優しい、いい人”ではなかったのか?
 少なくとも、あんな死に方をしなければならない人物では無かった筈だ」

父親の名に、細い肩が弾かれたように震えた。
一瞬でその顔は青ざめ、強張っていく。
凍りついたようなその表情は、彼が良く知るものだった。

「笛吹さんッ…!!」

筑紫は非難の声を上げた。幾らなんでも酷すぎる。
彼女はまだ16歳の少女で、父親を亡くして1年も経っていない。
ましてや、その犯人は事件の担当刑事で、笹塚の当時の上司だったのだ。

だからこそ、それをネタに笹塚を脅し、事件に首を突っ込んでいるに違いないと
笛吹は最初から女子高生探偵を目の敵にしていた。
だが、続いた言葉は筑紫のどんな想像とも違うものだった。

「何の罪も無い“優しい、いい人”が命を奪われる。
 理不尽な死に、残された家族が苦しむ。
 彼等の苦しみを、どうしてやることもできない周りの人間が、また苦しむ。
 ……不毛な連鎖だ。
 だからこそ、それを断ち切る為に我々が居る。少なくとも私は、そう思っている。
 “探偵”を名乗って事件に首を突っ込む貴様はどうだ?
 何の為に、誰の為に、犯人を暴く?」

大きな眸が零れ落ちそうな程に見開かれた。
上司の顔が、その中に鏡のように映っている。
例え子どもでも、遺族でも。犯罪に関わるならば一切の甘えを許さない。
覚悟が無ければ去れと言い切るのだ。
この少女にも、かつてのライバルにも、同じように。

机の上の細い両手を握りしめ、少女は大きく息を吸った。
吐き出す空気と共に声(こたえ)を発しようと。
だが、笛吹はそれを待たずに立ち上がった。

「……返事は要らん。早く自分の仕事に戻れ。
 私はお前を大して評価しないが、お前を頼ってくる馬鹿共も世間には多いらしいからな」

背を向けると、厳しい表情を崩さずに言う。

「私はこれから会議がある。筑紫、コイツを玄関まで送ってやれ」
「はい、笛吹さん」

上層部はより詳しい報告と、笛吹への責任追及を求めている。
若手の出世頭である彼を、この機に叩けるだけ叩こうと手ぐすね引いて。
今夜もまた、笛吹には僅かな仮眠さえ許されないし、それを己に許しもしないだろう。
他者に厳しい上司は、それ以上に己に厳しい。

「……それから。
 笹塚の容態が落ち着いたら、一度はそのアホ面を見せに行ってやれ。
 入院先は、筑紫が教えるだろうからな」

ドアから出て行く上司に、その部下は長身を深々と折った。



− 5 −

「……申し訳ありません、桂木探偵。あのとおり、言い方のきつい人で」

上司の靴音が遠ざかると、筑紫は目の前の少女に向き直って再び頭を下げた。
先程の言葉に感動を覚えた彼ではあったが、遺族である彼女に対して笛吹が暴言を
吐いたのもまた事実である。
だが、心が広いのか神経が太いのか。少女の様子はいつもと変わらないように見えた。

「や、気にしないでください。
 こっちもつい、カ−ッとなっちゃいましたし、お互い様ですから。
 以前みたいに、わたしが気に入らないとか信用できないとか、そういうコトじゃないのも
 わかりますし。
 なんていうか、……笛吹さんって、いい人ですね」

どうフォロ−したものかと頭を悩ませていた筑紫は、驚きに目を見張る。
足元の鞄を手に取りながら、女子高生探偵は言った。

「今朝の新聞、読みました。あと、ニュ−スも…。
 二人も殺されて、“X”を逮捕できなくて。責任者だった笛吹さんは大変なんですよね。
 なのに、他の人に任せず時間を作ってわたしの話を聞いたのは、笹塚さんが“X”に対して
 無茶をしたんじゃないかって、心配してるからですよね?」


桂木弥子は、16歳の一般市民に過ぎない。
だが、この少女は確かに“名探偵”なのだと筑紫は思った。
一緒に仕事をしている人間でさえ、容易には見抜けないことを。
たった数度、数時間話しただけで理解している。

「笹塚さんとは違う方向で、なに考えてるかわかりにくい人ですけど…。
 あと、ちょっと堅苦しくって、怒りっぽくて。どっちかというと苦手ですけど。
 でも、ああいう人を“理想の上司”って言うんでしょうね。
 筑紫さんが笛吹さんについていける理由も、少しわかった気がします」

フォロ−と解説を入れる前に、こんな風に言われたのは初めてだ。
胸の内で感動を噛みしめながら、筑紫は誇らしさを込めて口にした。

「そう思われますか?」

筑紫より頭一つ背の低い女子高生探偵は、彼を見上げてニッコリと笑った。

「はい!だって、すっごく気前が良いんですもん。
 カツ丼、ご馳走様でした〜!!」


   * * *


数週間後。
担当医から事情聴取の許可が出た笹塚の元に赴いた笛吹は、開口一番こう言った。

「1時間半でカツ丼35杯だぞ!!あの探偵の胃袋は一体、ど−なっとるんだッ!?」
「……俺に言われてもな」

ベッドの上で淡々と切り返す療養中の現場刑事に、刑事部警視は甲高い声で宣言した。

「とにかく、薄汚い上に意地汚いガキのお守りなど金輪際、御免被る!!
 あの胡散臭い探偵共の面倒を見るのは貴様の仕事だ!!
 わかったら、さっさと身体を治して復職しろッ!!」
「………了解」

どこか懐かしいやり取りに、筑紫は先輩達に気づかれないよう、そっと笑いを噛み殺した。



……だが、それから更に数週間後。
笛吹がカツ丼の10倍を超える脅威と出費に襲われることは、まだ誰も知らなかった。



                                   − 終 −


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***************************************

(以下、反転にてつぶやいております。)

『警察とはかくあるべし』を体現しているかのような笛吹警視。
現実との落差を見据えた上で、現実を理想に近づけるために出世する。
目的と手段を間違えない、バランスの取れた人であると思っています。
要するに、男前です。ぜひ将来は警視総監に。

大学時代の彼等は、『自分達がトップに立って日本警察を変えてやるんだ!!』
みたいなことを熱く語り合ってたんじゃないかな〜と。
…いや、笛吹青年が一方的に熱く理想を語り、笹塚青年は淡々と改革案とかを話してて。
筑紫青年は先輩達を尊敬の眼差しで見ていると。(in居酒屋)

笛吹さんというと、10年前に国家T種試験を受けなかった笹塚さんに
『家族が皆殺しにされたぐらいでなんだ!!』
と、怒鳴っていたのが印象的です。
ライバルを発奮させたかったのかもしれないし、言葉を選ぶ余裕が無かったのかもしれない。
相手に同情したり気を遣ったりするのは失礼だという感覚を持っているのかもしれない。
そこら辺を自分なりに考えてみて、弥子ちゃんとの会話にしてみました。
勝手解釈なので、わかりにくくてすみません。表現するのが難しい〜。(汗)

ところであの時のことは、多分、笹塚さんはあんまり気にしてない気がします。
でも、言った本人は今でも眠れない夜とかにフッと思い出しては
『違うんだあ〜ッ!!あれは、そんなつもりじゃなかったんだあぁ〜!!』
とか、呻きながらベッドの上でのた打ち回ってたりとか。(ぬいぐるみ抱きしめて)
それでも今更謝ることも出来ず、一層、己にも他人にも厳しくなるという悪循環。
筑紫さんの苦労が増えるだけです。

筑紫さんは見事な先輩sスキ−になってしまいました。
弥子ちゃんが笹塚さんを心配するのに喜び、笛吹さんが正しく理解されるのに喜び。
筑紫さん自身の存在はどこに…?一番不思議で謎な人物かもしれません。

大学時代の回想や定時連絡中の笛吹さんと笹塚さんの携帯での会話等。
いろいろ書いてはボツにした場面が大量に出来ましたので、また追々リサイクルして
いきたいです。
それにしてもこの話、笹塚さんモテモテになってますね…。(笑)