幾 望



− 1 −

その家は、住宅街の中でも目立たない、ありふれた一戸建てだった。
築30年を過ぎているのだろう。壁はくすみ、細かいヒビが入っている。
ガムテ−プで塞がれた郵便受の上の表札も、埃を被っていた。

 『笹塚』

と、書かれた木の板を見つめ、弥子は大きく深呼吸する。
回れ右して帰りたくなる衝動をこらえ、ドアの横にある呼び鈴のボタンを押した。

何度押しても、中からの反応は無い。
電気を切られているのだと思いつくまでに、少しかかった。
今度はドアを叩いてみる。最初はトントンと。次はドンドンと。

「ごめんくださ−い!!笹塚さん、笹塚さん!?」

大声で呼んでも、やはり返事は無い。
さっきから、家の前を通りかかる近所の住人の視線が痛い。
平日の午後、住宅街の真ん中で若い娘が声を張り上げて、何事かと思われているのだろう。

「そこはもう、長いこと空き家ですよ。何でも昔、酷い事件があったらしくて」

ご親切に、年配の女性が教えてくれた。

「あ−、そうなんですか…。ありがとうございます」

愛想笑いを浮かべて頭を下げると、弥子は玄関から離れた。
ドアを叩きすぎてヒリヒリする手を擦りながら、裏手に回る。
こうなったら、最後の手段だ。

周囲に人が居ないことを確かめて、まずは持っていたハンドバックと
コットン製のエコバック2つをブロック塀の向こうに落とす。
それから塀をよじ登った。
1.5m程度の高さだが、スカ−トでなくて良かったと心から思う。
もっともハ−フパンツだったので、思い切り膝を擦りむいた。

無事に着地を果たした弥子は、用心深く辺りを見回す。
庭は、かなり荒れていた。
芝生は枯れ、植込みの枝も伸び放題だ。
幅をきかせる雑草の中から、かつては庭を彩っていた草花の名残りが覗いている。

白いマ−ガレット、黄色いフリ−ジア、青紫の都忘れ。

その向こうで、リビングから庭に下りるガラス戸が開け放されていた。
フロ−リングの上に寝そべる、色褪せたジ−ンズ。爪の伸びた素足。
傍には中身が1/3に減った焼酎の瓶。
寝ているのだと思って近づくと、ふいに目が開く。

「……なに、不法侵入してんの?」

色の薄い、澱んだ眸。
熱の無い口調は、いつもよりぶっきらぼうだ。

「お休みの日まで、随分と仕事熱心ですね」

迷惑がられることは覚悟していたが、やっぱり傷つく。
思いながらも、弥子は勝手にリビングに腰を下ろした。
荷物を置くと、ゴトンと重い音がする。

「何にもお腹に入れないで飲んでばかりいると、身体に悪いっていつも言ってるのに。
 いろいろ作ってきたから、一緒に食べましょう!!」

元気良く言って、エコバックから次々と密閉容器を取り出した。
揚げ物に煮物、炒め物、和え物。
笹塚が好む、強い酒に合いそうなものばかりを選んで作ったら、10種類にもなってしまった。
まるでピクニックだ。

呆れたような諦めたような、酒臭い溜息が吐かれる。
爬虫類さながらのスロ−な動作で、笹塚は面倒臭そうに起き上がった。

「……筑紫から聞いた?」

やっと、弥子と向き合っての第一声がこれだ。
紙皿と箸を並べながら、弥子は答える。

「残念、ハズレです。
 今日と明日、笹塚さんが休みを取ってることは筑紫さんに確認してもらいましたけど。
 後は自分で調べました」

少しだけ、嘘をつく。

「………さすがは、元名探偵」

時折、彼女をからかうために口にする言葉だが、今のは明らかに皮肉だ。
いつもならムキになって嫌がる過去(むかし)の呼称を、弥子はやんわりと否定した。

「そうじゃないでしょう?」

不透明で底の見えない眸が、微かに動く。

「さすがは彼女、ですよ」

はいっ!と、差し出した料理を盛った紙皿を、笹塚は無言で受け取った。



− 2 −

笹塚の様子がおかしいことには、少し前から気がついていた。
煙草の量が増えたのは、ス−ツに染み付いた匂いでわかる。
部屋を訪れた時、台所の隅に転がる空き瓶を数えれば、酒量が増えたのも一目瞭然だ。
眠れていないし、食べてもいないのだろう。普段より顔色が悪い。

心配事があるのではないか?
身体の具合が悪いのではないか?

何度尋ねても、疲れているだけとしか言ってくれなかった。

理由は、とうに思い当たっていた。
念のため筑紫に連絡を取り、前日と当日、休みを取っていることも確認した。
むろん、笹塚からは何も聞いていない。
小さく溜息を吐く弥子に、筑紫は躊躇う口調で言った。

 『実は、貴女にお話しすべきではないかと思っていたのですが…。
  笹塚さんに先に釘を刺されまして』

昔、まだ“女子高生探偵”を名乗っていた弥子は、筑紫の口から笹塚の家族の事件を聞かされた。
そのことを笹塚は覚えているのだろう。
まったく、嫌なところで記憶力も勘も良い。
もう一度溜息を吐きたくなるのを堪えて、弥子は尋ねた。

 『何て言ってたんですか?』
 『それは…』

口籠る筑紫に食い下がる。

 『教えてください』

強く訴えると、筑紫は諦めたように笹塚の言葉を伝えた。

 『……昔のことは自分だけの問題だから、貴女には関係が無いと』

関係なくなんか、ない。
怒りとも悲しみともつかない、ゴチャゴチャに渦巻く感情を抱えてカレンダーを睨んだ。
それが2日前だ。
あれから今日まで、弥子は笹塚にメ−ルも電話もしなかった。
元々、用が無いのに笹塚の方から弥子に連絡を取ってくることは無い。

このまま放っておいたら、どうなるだろう?
あと数日は、このままだろう。
音信不通が一週間ぐらいになれば、向こうから何か言ってくるかもしれない。
でも、その頃には全部が終わっていて、笹塚もいつもどおりに戻っていて。
二度と、この事に触れる機会はない。

どうしたらいいのか考えて。彼女なりに悩んで。
ついに押しかけることを決めた。
1人で居たいのだろうけど、1人で居ない方がいい。

いや、弥子が笹塚を独(ひと)りで居させたくないのだ。


明日は、笹塚の両親と妹の15年目の命日にあたる。
刑事訴訟法第250条第1号(但し改正前)。
日付が変わると同時に殺人事件の時効が成立するのだ。


   * * *


笹塚の両親と妹を殺したのは、X(サイ)だったのだろう。
少なくとも、Xが関係していたことは間違いない。

だが、そこまでだった。
物証を得ることも、まして逮捕することもできず、“怪物強盗”はこの世界から姿を消した。
多分、死んだのだろうが、その確証も無い。
もしかしたら“なりたい自分”を見つけて、失われる記憶に抗いながら
世界の片隅でひっそりと生き延びているのかもしれない。
そうであればいいと、弥子は思っていた。

……もう、何年も前。
弥子が“女子高生探偵”として活躍していた頃のことだ。
ずっと昔のような気がするのに、まだ片手の指で足りる程の年月しか経っていない。

弥子を散々振り回し、同時に成長もさせた魔人が地上を去って。
探偵を廃業して高校を卒業し、大学生になって。
前後して、笹塚と付き合い始めた。

この数年で弥子は随分変わったが、笹塚はあの頃と少しも変わらないように見える。
相変わらずテンションも血圧も低い、けれど有能な現場刑事のままだ。

ほんの少しだけ、わかりやすい表情を見せてくれるようになって。
ほんのごく稀に、わかりやすく笑ってくれるようになった。
やっと、そう思えていたのに。

数年前、彼の中で区切りをつけた筈の傷痕が、時効という境界線に触れることで
再び血を流し始めたのだろう。

あの日、家族に何が起こったのか。
何故、殺されなければならなかったのか。
何故、自分一人が生き残ったのか。
何もわからないまま、終わらせなければならない。

今の彼を占めるのは、裁かれなかった犯人への憎しみか。
捕らえることの出来なかった己への憤りか。
15年の歳月が無意味に過ぎ去った虚しさか。
ただ、家族を悼む気持ちだけなのか…。

想像を巡らせても、答えは出ない。
探偵を名乗っていた頃も、そして今も。
自分には誰かを理解する能力(ちから)なんかない。

誰かを理解したいと思うこと。そう思っていると伝えること。
そして、怖れないこと。
できるのは、その3つだけなのだ。



− 3 −

ガラス戸を開け放ったリビングの端に、弥子は笹塚と並んで座っていた。
庭に咲く花が、細い首を夕風に揺らす。
空は、淡い紫と薄紅を帯び始めていた。

笹塚は黙々と酒を飲みながら、思い出したように紙皿に盛られた料理をつつき
弥子は黙々と持ってきた料理を平らげながら、合間に酒を飲んでいる。

笹塚が持って来たらしい焼酎2本の内、1本は既に空になっていた。
そして酒なら、弥子も持って来ている。
常温で飲むのが一番美味しい日本酒を一升瓶で。それも半分に減っていた。
どちらもが手酌で紙コップに注ぎながら、まるで飲み比べのようなハイペ−スだ。
次第に深くなる夕闇の中、回り始めた酒の力を借りて、弥子はようやく口を開いた。

「……わたし、あやまりませんから」

不法侵入も、プライバシ−の侵害も、突撃お宅訪問も。

「………ん」

暗がりに紛れて、笹塚が呟く。無気力な、疲れた声だった。
肯定なのか適当な相槌なのか、わからない。
弥子は小さく溜息を吐いた。

「笹塚さんは、わたしに何にも話してくれないですよね?
 15年前のことも、明日のことも。時々、この家に来てたことも」

今度はハッキリと、声に責める色を滲ませる。
大きな影が僅かに身じろいだ。

「……人の住まない家は、たまに風を通さないと傷みが早くなるから…」

庭に顔を向けたまま、笹塚はボソリと口にする。
弥子の問いかけの答えには、なっていない。わかっていて、こんな言い方をするのだ。

笹塚は、過去に関わる話をしない。
尋ねても、曖昧に濁して答えようとしない。
今、暮らしている部屋の合鍵はくれたのに、実家がまだあることさえ教えてもらえなかった。
瓶ごとラッパ飲みしたくなるのを堪えて、弥子はコップに日本酒を注ぐ。

「お休みなのに、笹塚さん部屋にいなくて。携帯も切られてて。服とか埃だらけで。
 そんなことが何度もあって…。
 笹塚さんが、どこで何をしているのか知りたかったけど、ずっと我慢してたんです。
 いつか話してくれるって、思いたかった」

僅かに動く視線と沈黙だけが、返事だ。
うっとおしいと思われているのかもしれない。
彼女だからって、何にでも首を突っ込む権利はないと。
弥子も、そう思っていたから。何も言えないまま、今日まで来た。

「……でも、笹塚さん。わたしに話してくれる気、無かったでしょう?
 明日が過ぎても。1年経っても10年経っても。一生、話すつもり無かったですよね…?」

「その必要が無いから」

予想どおりの言葉に、弥子は唇を噛んだ。
事件の起こった日と大体の住所は、古い新聞を調べた。
けれど、見知らぬ土地で笹塚の家を見つける自信の無かった弥子は、吾代に頼んで
近辺の住宅地図を手に入れてもらっていた。
調査会社の次期社長である探偵事務所の元雑用は、頼んでいないことも調べてくれた。
この家が、近々売却される予定だと。

紙コップの中身を一気に干して、勢い良く置く。
軽い音がして、指の跡が小さく凹んだ。

「………だから、わたし。もう、待つのは止めるって決めたんです。
 いつかはって期待してても、笹塚さんには無理だから。絶対に、無理だから」

笹塚は黙ったまま、弥子に顔を向けていた。
とうに陽は沈み、辺りは深い藍色に溶けている。灯り始めた街灯の光も、ここまでは届かない。
互いの表情さえ見えない中で、弥子は告げた。


「わたしは、わたしのしたいようにするって決めたんです。
 勝手に想像して、余計な心配して、要らないお節介を焼いて。
 笹塚さんは、それで不愉快になったり、不機嫌になったり、たまに怒ったりすればいい。
 ごく稀に、笑ったりもすればいいんです…!!」


笹塚は、何も言わなかった。でも、戸惑っているのがわかる。
その証拠に、弥子の前では吸わない筈の煙草を探っている。
口に咥えたところで、横から奪った。

「だから、ちゃんと話を聞けっつ−の!!
 小娘が偉そうなこと、言っちゃいますからねッ!?」

「…………はい」

別れ話を切り出すとでも、思っていたのだろうか?
煙草を取られた笹塚は、気の抜けた声で返事をした。
残念でした。別れてなんか、やるもんか!!
心で舌を出しながら、弥子は深く息を吸う。


「笹塚さんは、もう、ご両親に会うことはできないけれど。
 笹塚さんとわたしとが、“両親”になることはできるんです。
 笹塚さんの妹さんに、わたしが会うことはできなかったけれど。
 笹塚さんとわたしとで、“お兄ちゃん”に“妹”を会わせてあげることは、できるから…」


そこまでを一気に言った後、ふと付け加えた。

「あ、“お姉ちゃん”に“弟”になっちゃうかもしれないけど!!
 こればっかりは、授かりモノなんで…ッ」

我ながら間抜けな補足説明に、首から耳にかけての温度が急上昇するのを感じる。
酒の所為もあるのだろう。
でも、こんなこと。酔っ払いでもしなければ言えるものか。
15も年上の男の人を口説くなんてことは。

「…………………それって、プロポ−ズ…?」

たっぷりと間を置いてから、笹塚が言う。
アルコ−ル度数からすれば弥子より飲んでいる筈なのに、声には酔いの欠片も無い。

「もちろん、そうですよッ!!(/////)」

怒ったように答えると、笹塚は僅かに首を傾げた。
関節が乾いた音をたてる。

「代わりとかじゃ、ないんですよ…?
 大事な人を喪った悲しさや苦しさやは、絶対に消せないから。
 それでも、生きなくちゃならなくて……」

どう言えば、上手く伝えることができるのだろう?
肝心なことは、言葉にすると薄っぺらになってしまう。
言えば言うほど、本当に伝えたいことから遠ざかる気がする。
弥子は必死に言葉を捜した。

「ご飯やお酒が美味しかったり、好きな人と2人で居られたり。
 そんな小さな楽しさや嬉しさを、たくさん積み重ねて。
 全部をひっくるめて“しあわせ”になりたいって……思う、から」

「でも、俺は多分、弥子ちゃんより先に死ぬよ?」

笹塚が、言った。その声は、いつも以上に抑揚に欠け、熱を失っている。
いつの間にか、満月に僅かに足りない月が空で淡く光っていた。

「万が一、俺の方が長生きしたとしても…。
 弥子ちゃんが死んだら、俺は弥子ちゃんが作った料理や、一緒に飲んだ酒の味や
 今、ここでこうして話してたことさえ、思い出せなくなる」

青白い顔は、石で出来たように表情が無い。
やっぱり自分は、“名探偵”なんかじゃないと弥子は思った。

笹塚は、事件を忘れないために“犯行現場”に来るのだと思っていた。
だから、弥子を近づけたくなかったのだと。
違うのだ。
笹塚は、家族と暮らしていた“家”に来ていただけだ。
なのに、思い出すことが出来ないのだ。
母の手料理の味も、父と酌み交わした酒の味も。一緒に育った妹と話していたことも。


「でも、無くなりませんよ?」


弥子は笹塚の手に触れた。
少しカサついて、ひんやりと冷たくて。銃に当たるところだけが、固くなった手。
弥子の父の手も、そうだった。
製図用のペンや定規が当たるところだけ、あちこち固くなっていた。

「悲しさや苦しさが無くならないのとおんなじに、楽しさや嬉しさや愛しさだって
 絶対に消えて無くなったりしませんよ?
 ただ、少し思い出しにくくなるだけなんです…。」

殺人、暴力、事故、災害、戦争…。
世界には怖ろしいことが溢れていて、しあわせな日常は一瞬で崩れる。
そのことを、笹塚も弥子も知っていた。
痛いほど、知っているから…。

ふいに、弥子の膝が重くなった。
笹塚の頭が乗っている。サラサラの髪が、擦りむいた膝を撫でた。

「……笹塚、さん?」

驚いて、呼んでみる。
そういえば、酔ってもまるで顔に出ない代わりに、いきなりその場で眠ってしまう人だった。
20歳の誕生日に、初めて飲み比べをした時のことを思い出す。

「……うん……」

呟きながら弥子の膝に顔を埋め、腰に両腕を回してくる。
やっぱり、相当酔っている。
寝癖だらけの髪に、そっと触れた。

「わたし、時々、もう駄目かなって思ったんですよ…?
 笹塚さん、全然こっちを見てくれないから。
 今日のことだけじゃなくて、わたしたち付き合って結構経つのに、将来(さき)のこととか…。
 一度も話したこと、ないし」

煙草と焼酎の匂いがする。
眠そうな声が、ボソボソと答えた。

「ごめん。そういうイメ−ジが……、浮かばないから」

普通なら、怒っても良さそうなセリフに、弥子は深々と溜息を吐く。
彼と付き合うようになって、すっかり伝染(うつ)ってしまった癖だ。

「笹塚さんが、その手の想像力が激しく欠如した人だってことは、よ−くわかりました。
 だから、わたしが“しあわせな未来図”をイメ−ジするので、実現に向けて協力してくださいね?」

膝の上の頭が動いた。
仰向けになり、月明かりの下で弥子を見上げるのは、いつもどおりの無表情だ。

何故、この人を選んだのか。答えはとても単純で、利己的だ。
世界には、怖ろしいことが溢れている。

「……独りだと、悲しさや苦しさに負けそうになっちゃうから…。
 笹塚さんが一緒じゃないと、“しあわせ”になれないんです」

少しの間を置いて、弥子の膝に頭を乗せたまま、笹塚はプロポ−ズの返事をした。

「授かりモノだから、“お兄ちゃん”に“弟”になるかもしれないし
 “お姉ちゃん”に“妹”になるかもしれね−けど。それでもいい?」


重ねた互いの唇からは、芋から出来た酒と米から出来た酒の味がした。



− 4 −

深夜の住宅街は静まり返っていた。
犬が吠える声、車の通り過ぎる音。時折、それだけが響く。

フロ−リングの隅には、空になった焼酎のボトルが2本と、酒の一升瓶が1本。
それと密閉容器の山。
今はどちらの息からも、両方の酒が混ざった匂いがした。

笹塚は何も言わないし、弥子も何も言わずにいる。
夜明かしの為、笹塚が持ち込んでいた1枚の毛布に2人で包まり、待っていた。
月の光の届かない室内では、携帯の液晶だけが青白い光を放っている。


〔午後11時59分40秒をお知らせします〕


無機質な声が、時を告げる。
砂が落ちるように、水が滴るように。
止まることはない。


〔午後11時59分50秒をお知らせします〕


寄り添った身体を通して伝わる心臓の鼓動。
そのどちらかが止まった後も。
どちらもが、止まった後も。


〔午前0時、丁度をお知らせします〕


ピ−ン と、電子音が日付の変更を告げる。
次のアナウンスの声が入る前に、笹塚は携帯を閉じた。
その表情は、いつもと変わらないように見える。
それでも、携帯を握る手に触れると、いつもより冷たかった。


「明るくなったら、庭に咲いてるお花を少しだけもらって、ご挨拶に行きましょうね?」


墓参り、とは言わない弥子を笹塚は強く抱きしめた。



                                   − 終 −


※ 幾望(きぼう):幾(ほとん)ど望(もち)(満月)に近い意
            陰暦一四日の夜。また、その夜の月。


TextTop≫       ≪Top

***************************************

(以下、下の方で反転にてつぶやいております。)








「ネウロ」という作品の大きな伏線の一つである笹塚さんの家族の事件。
もし、犯人を捕らえることの出来ないまま、時効の日を迎えたとしたら…。
笹ヤコ仕様で脳内シュミレ−ションするとこうなりました。…と、いう話です。(汗)
自動的に笹塚さんは36歳、弥子ちゃんは21歳。
また、国家公務員採用T種の1次試験は、平成19年度は4月29日だったので、
その1週間前とすると、季節はだいたい4月中〜下旬です。
著しく季節外れですが、来年の4月まで待っていたら原作がどうなっているか…。

自分の中では常に“今後の展開で書けなくなりそうランク”上位にあったネタですが
力量不足で未消化なテキストとなってしまいました。申し訳ありません。(涙)
どうも私の中の笹ヤコは、弥子ちゃんから体当たりしていかないと進展しないようです。
そして笹塚さんは、どこまでも扱いにくいです。
喋らせすぎると自分の中の笹塚さんじゃなくなるので、この人の視点やセリフは
書いても書いてもボツになります。

望月(満月・十五夜)を一日過ぎた十六夜も、一日足りない十四夜も、共に「きぼう」と
読む日本語が好きです。
「既望(※年齢制限その他注意書があります)」というタイトルの話も書いていますが、
この話との関連は、例によってあるような無いような。(汗)
不安定になる側と、それを支えようとする側が入れ替わっている点では対称の話と
言えないこともありません。

尚、調べたところ「刑事訴訟法」は平成16年に改正(平成17年1月1日施行)され、
現在「死刑に当たる罪」の時効は15年から25年となっています。
但し、施行日以前の犯罪は改正前の期間に寄るという規定(附則)があるそうです。