吉 祥



年末年始の特別警戒に駆り出されていた笹塚が、ようやく正月休みを取れたのは
三が日を過ぎてからだった。

携帯と目覚まし時計のアラ−ムの二重奏に瞼をこじ開けたのが、午前10時。
低血圧で寝起きの悪い彼にしては、あまり間を置かずに身体を起こす。
多分、夢見が良かったせいだろう。

寝起きの1本を咥えながら、数週間分の新聞と焼酎の空瓶、ビ−ルの空缶等々が
散乱する部屋を一瞥する。
手元の灰皿も、吸殻の山が雪崩を起こす寸前だ。
年末の大掃除どころか、彼女が部屋を訪れなかった期間分のゴミが溜っている。

溜息を吐き、ベッドを降りるついでに皺だらけのシ−ツを剥ぎ取った。
コレも前回、彼女が部屋を訪れた日に洗濯したきりだ。

……といっても、取替えたのは彼女が来る前で、帰った後ではない。
相手はまだ高校生。それも、今を時めく女子高生探偵だ。
そして彼の職業は現役の警察官。おいそれと手を出せる筈もない。

けれど、まあ。何事も念のため。
風呂場の掃除もしておこうと、洗濯機を回しながら笹塚は思った。


   * * *


弥子との約束は、正午ちょうど。
今はその5分前。
新年早々、恋人を迎える体裁を整えた笹塚は、空の灰皿に最初の吸殻を押し付けた。
とたんにテ−ブルに置いた携帯が震える。液晶の表示は“桂木弥子”。
取り出しかけた2本目を戻して、片手で携帯を開く。

「弥子ちゃん?」
〔笹塚さん、こんにちわ!!今、近くなんですけど…。出てこれます?〕

明るい声に、笹塚はそっと息を吐いた。
約束を反古にしたり、待ち合わせに遅れたりするのは十中八、九が笹塚だが
弥子の都合で駄目になる場合もある。
何しろ彼女は“世界的名探偵”なのだから。

「……ん。今、どこ?」
〔神社の前です。
 ス−パ−の前の道を反対に曲がって、2つ目の角を右に入ってすぐの〕

弥子の言う道順を頭に描きながら、反芻(はんすう)する。

「神社…?」
〔はい!わたし、今年は初詣まだなんです。
 笹塚さんも、まだだったら一緒にどうかなって思って〕

今年どころか、ここ10年。初詣などした覚えが無い。
思いつつ、笹塚は携帯を持つのと反対の手で、既にコ−トを取っていた。

「……じゃ、後でね」


   * * *


警視庁への配属以来、同じマンションに住んでいるが、神社があることなど知らなかった。
だが、言われたとおりの道順を辿ると、目の前に樹の生い茂る一角が現れる。
住宅街との境を区切る古びた石段と鳥居。
手前に佇む着物姿の女性が、笹塚に気づいて会釈する。
マンションの住人だろうか…?

「明けまして、おめでとうございます!今年もよろしくお願いします!!」

年明けと同時に、メ−ルで。その日が変わらない内に、携帯の通話で。
交わしたのと同じ元気いっぱいの挨拶に、笹塚は目を瞬(しばたた)かせる。
それが弥子だと、わからなかったのだ。

「…………………おめでとう」

普段より長めの間で、彼の驚きが伝わったのだろう。
顔を上げた弥子は、恥じらいと得意さがまぜこぜになった表情だ。
薄化粧の向こうに見慣れた少女らしさが浮かぶのに、笹塚は何故かホッとした。

「弥子ちゃんの着物姿、初めて見た」

改めて声を掛けると、くすぐったそうに振袖を持ち上げる。
淡い紅色の地に色とりどりの花扇。帯は金銀の宝づくしだ。

「えへへへ−。ウチでは元旦は、必ず着物なんですよ。
 三が日は過ぎちゃったけど、笹塚さんにも見て欲しくて。
 おうちデ−トに着てきちゃいました〜」

照れると、はしゃいで誤魔化そうとするのが彼女の癖だ。
ひらひら袖を振り回す仕草で、雰囲気が成人式から七五三まで繰り下がる。
笹塚は目を細め、月並みな台詞を口にした。

「……ん。良く似合ってるし、可愛い」
「ホントは食べるのに帯が邪魔だし、着物ってあんまり好きじゃないんですけどもッ。
 でも、まだ松の内だし。笹塚さんと会うの今年初めてだし。何事も最初が肝心だし!
 今日はお母さん仕事だけど、美和子さんが来てくれる日だったから」

ストレ−トな褒め言葉に、弥子はますます照れ捲くる。
着物の地より紅い頬で口走るのも、半分が支離滅裂だ。
だが、笹塚はふと気がついた。

「………あ−、そっか。弥子ちゃん、1人じゃ着れね−んだ」

ぼそっと言うと、赤い髪留めをつけた頭が傾く。

「そりゃあ、日本の民族衣装ですけど。さすがに1人じゃ無理ですよ−。
 今じゃ、お正月ぐらいしか着ないし。帯とか、後ろ見えないですもん。
 あ、でも浴衣は1人で着れますよ?」

見事なふくら雀を眺めながら、笹塚の内心は複雑だ。
弥子の振袖は、言葉どおり晴着姿を見せたいからで、他意はないとわかっているが。

「えっと…、笹塚さん?」

不思議そうに問われて、笹塚は彼女の足元に視線を落とした。
万が一の時は、ネットで帯の結び方ぐらい調べられるだろう…とか。
考えていたことは顔に出さない。

「………や、別に。ところで、コレ全部お節?」

足袋と草履の両側には、荷造り用の紐でぐるぐる巻きのお重と、大きなエコバック。
笹塚は八段のお重を生まれて始めて見た。
得意分野に話を振られた弥子が、ぱあっと顔を輝かせる。

「はい!!お重がお節で、こっちはお雑煮用のお出汁と具です。
 大晦日に美和子さんとウチ用のを作りながら習って、昨日、1人で作ったんですよ」
「…スゲ−な…」

笹塚の率直な感嘆は、第一にその半端ない量に対してであり、第二に昨日作った
料理を途中で食べ尽くすことなく、ここまで持ってきた自制心に対してだ。
だが、弥子はお節を1人で作ったことに感心したと思ったらしい。
荷物を両手に石段を登る笹塚に、尻尾を振った子犬よろしく纏わりつく。

「お煮しめは、自分で言うのも何ですけど、結構上手にできました。
 笹塚さん、甘いの苦手だって言ってたから、伊達巻きのお砂糖は控え目で。
 栗きんとんと黒豆は、我慢して一口だけ食べてくださいね。縁起物だし。
 数の子とかは、お酒に合うように濃い目の味付けにしときました。
 そうだ、お雑煮!関東風で良かったですよね?
 お餅は途中のス−パ−で買おうと思って、持って来てないんですけど。
 4パックぐらいで足りるかな?お雑煮はもちろん、磯辺巻きと安倍川は外せませんし。
 あ、ヤバイ。焼き海苔ときな粉も買わなくっちゃ!!」

食べ物の話となると、花がほころぶような顔になる弥子に、笹塚は淡々と答えた。
どうせ、帰るまでに彼女が全部片付けてくれるだろうから、自分の胃の心配は要らない。

「………弥子ちゃんが必要と思うだけ、買ってもらっていいよ?」

弥子の笑顔が満開になる。
これは絶対、6パックは買う気だなと笹塚は思った。


   * * *


三が日はそれなりに参拝者もあっただろうが、昼時の境内は人影もまばらだった。
拝殿前の賽銭箱に、2人分の小銭が投げ込まれる。
弥子に付き合い柏手(かしわで)を打つものの、笹塚には特に祈ることも願うこともない。

悩み事と言えば、低血圧。
心配事と言えば、隣でブツブツ言っている女子高生が無茶ばかりすることだが
祈っても願っても、どうなるものでもないだろう。

溜息を吐いて横を見れば、弥子は眉間に深い皺を寄せたり、だらんと口元を緩めたり。
かと思えば、ふいに耳を赤く染めたり。
目も口も閉じたまま、器用に百面相を演じている。

学業のことや、家族のこと。友人のこと、探偵業のこと。
それから美味しい食べ物のこと。
祈ったり願ったりすることが、彼女には山ほどあるのだろう。
その中に、確実に自分のことが含まれていると思うのは、自惚れではないと思う。

ふと思いつき、再び目を閉じて拝殿に頭(こうべ)を垂れた。
ほんの数秒の筈なのに、瞼を開けると弥子が不思議そうに覗き込んでいる。

「……なに?」
「や、えっとぉ…。(////)その……、笹塚さん、なんか凄い真剣な顔してたから。
 何のお願いかな−って、思ったりとか…。
 いやいやいや!!別に、言わなくてもい−んですけどもッ!!」

目を合わせたとたん、顔を赤くして言い訳を始める。
別に隠すことでもないが、折角の申し出なので甘えることにした。
足元の荷物を持ち上げながら口角を緩める。

「…………じゃ、言わない方向で」
「何ですか、それ−!!わたし、笹塚さんのこともイッパイお願いしたのに!!
 笹塚さんの低血圧が治って、お仕事で怪我しないで、肺ガンとかの病気にならないで。
 去年よりいっぱいデ−トして、いっしょに美味しいもの沢山食べられますようにって!!」

そら、やっぱり。
今年から初詣で思うことは一つで済む。
彼女の願いが叶うように、だ。


   * * *


神社を出て、マンションの途中にあるス−パ−に立ち寄った。
辛うじて松の内なので、店内にはまだ『迎春』『謹賀新年』のポスタ−が張られ、
頭上のスピ−カ−からは琴の音が流れてくる。
世間はまだまだ正月気分だ。

予想を超えた餅7パック。それから焼き海苔に醤油、きな粉、黒砂糖。
大根に餡子(あんこ)の缶詰まで買い込んで、弥子はすっかり機嫌を直したようだ。
家路に向かう途中でも、途切れることなく話しかけてくる。

「そうそう、笹塚さん!!わたし、今年の初夢ってナスだったんです。
 “一富士、二鷹、三茄子”のナスですよ。すっごい良い夢でした−!!」
「それって、ナス食ってる夢?」
「うっ、何でわかるんですか…?」

いわずもがなな気もするが、たじろぐ弥子に注意する。

「……涎、落ちるよ?」
「うえ゛ッ!?(////)」

巾着袋からハンカチを引っ張り出し、弥子は慌てて口元を拭う。
けれども、それが終わるとウットリ初夢の…というか、ナスの…話を続けた。

「あ−、でも麻婆茄子も、ムサカも、ナスのミ−トソ−スパスタも、オリ−ブオイル焼きも。
 夢とは思えないほど美味しかったんです!!
 ナスって、油と相性がいいんですよね−。
 和食なら、天ぷらとかはさみ揚げとか。あと、白味噌でグラタンっていうのも合うし。
 でも、夏は水茄子のお漬物とか、蒸ナスとかが最高ですよねッ!
 あと、味噌田楽でしょ、煮びたしでしょ、胡麻和えでしょ…(以下略)」

この世には、そんなにも沢山のナス料理があったのかと、笹塚は素直に感心した。
食に関する彼女の知識と情熱は、他の追随を許さない。

「これはもう、ナスが美味しい季節になったらナスづくしに挑戦して、絶対正夢にしなくちゃ!!
 …って思いました〜。
 あ、笹塚さんは初夢って見ました?」

初夢というと、1日から2日。あるいは2日から3日にかけて見る夢のことだ。
確かどちらも公用車で夜を明かし、警視庁の仮眠室で数時間横になっていた。
いいや、と。返事をしかけて思い出す。
今年最初に見た夢なら、今朝の夢がそうだろう。

「………煙草の夢、だったな」
「じゃあ、結構いい夢ですね−。
 確か“三茄子”の次は、“四扇、五煙草、六座頭”…でしたっけ。
 五番目って、なんか笹塚さんらしい!!」

探偵をしている所為か、弥子はなかなかの雑学の持ち主だ。
もっとも、その知識は食べ物繋がりである場合が多い。きっと今のもナス繋がりだろう。

「……ん。でも、俺の中では一番いい夢だった」
「笹塚さん、煙草好きですもんね−。
 いつも言ってますけど、わたしが居るからって、吸うの我慢しなくていいんですよ?」

マンションはもう、目の前だ。
手のひらに食い込む荷物を持ち直して、ちらりと弥子を振り返る。

「……それ、夢と違うから」
「へ?」

不思議そうな顔を見ていると、ぼやけていた夢の輪郭がハッキリしてくる。
そう、確か。

「………俺が煙草吸おうと思って火ィ点けると、弥子ちゃんが出てきて
 『吸いすぎですよ!!』
 っつって、取り上げんの」
「え−ッ!?そりゃ、吸いすぎは心配ですけど。
 わたし、笹塚さんの楽しみを奪ったりしませんよ〜。
 だいたい、それってドコが“いい夢”なんですか!?」

とがり気味の唇には、薄く紅が塗られている。
ふと、夢の中での柔らかさが蘇った。


  『コレで我慢してください』


煙草の代わりに彼女からキスしてくれる夢…、だったのだが。
どうやら、まだ正夢にはなりそうにない。
ドアの前に荷物を置いて、ポケットを探りながら短く返した。

「弥子ちゃんが出てきたトコが…?」

うっと、背後で息を呑む音。
続いて張り上げられた弥子の声が、のどかな昼下がりに響く。

「な、なななんで、そこで疑問形なんですか−ッ!?(////)
 笹塚さん、今日は何か変!!さっきから意地悪ばっかり言うし。
 神社で、着物を1人で着れるのか聞いたのだって……」

ぎく、と。思わず鍵を開ける手を止めて振り返った。
弥子は茹で上がった顔をして、笹塚を睨んでいる。

「わたし、帯解(ほど)かなきゃならないくらい、食べたりしないのに−ッ!!」
「……………………。」

まったく、これだから。
今回も風呂とベッドの出番は無さそうだ。

………まあ、その方がいいんだけどね。

警察官という己の立場を思い出しつつ、僅かばかり肩を落とす。

「ねぇ、笹塚さんってば!!聞いてます!?」
「…………一応」
「ちゃんと聞け−ッ!!」


大量のお節と、餅と、振袖と。
山ほどの願い事。

ドアを開ければ彼の部屋に、やっと正月が訪れる。



                                   − 終 −


※ 吉祥(きちじょう・きっしょう):よい前兆。めでたいきざし。


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(以下、反転にてつぶやいております。)

折角のお正月。
彼氏に晴着姿を見せたいのは乙女心だと思いますが、久しぶりの“おうちデ−ト”に
1人で着直せない衣装はどうかと思うよ?という話……ではありません。
弥子ちゃんは、まだ高校生。今のところ清い関係。
でも、弥子ちゃんさえその気なら…とか、笹塚さんは思っているらしい。
そんな笹ヤコの遅ればせながらのお正月。

弥子ちゃんは、笹塚さんの無味乾燥な生活の中に飛び込んでくる、季節の彩りとか
楽しいこと、おめでたいこと、全部をひっくるめた存在であればいいな−と思いつつ
あれこれ詰め込みました。そして詰め込みすぎました。(汗)
笹塚さんが『何か変』なのは、彼なりに浮かれている所為だと思われます。(笑)

ちなみに色々調べたところ、『初夢を人に話すと叶わない』というのは、根拠の無い
噂のようです。
また、「四扇」は「よんせん」「しおうぎ」と読む資料もありましたが、一番多いのは
「しせん」でした。「煙草」は「多波姑」と書くものもありました。余談ですが念のため。