虚 像



「好みの酒だと聞いてね。
 急いで準備させたが、気に入らなかったかな?」

目の前のグラスに手を伸ばさない男に、シックスは笑みを向けた。
透明な液体の中には、氷の欠片と眼球がぷかぷかと浮いている。
自身のそれによく似た、色素の薄い虹彩をチラリと眺め、男はふっと溜息を吐く。

「……酒より、煙草が欲しいんだけど」
「それは気がつかなくて、申し訳ない。
 ……葛西」

背後に控える、指名手配中の放火魔が赤いジャケットのポケットに手を突っ込んだ。
煙草とマッチの箱が黒檀のロ−テ−ブルに並ぶ。

「サンキュ−」

短い礼に、黒いキャップの下の口元が皮肉気に吊り上がった。
男は気にした風もなく、紙のケ−スから1本を抜き取り、火を点ける。
濃い紫煙を味わうように吐き出して、ぼそりと言った。

「ニコチンきついな……、コレ」
「火火火火…。健康志向とやらで、とっくの昔に絶版になった銘柄だ。
 普通の人間なら1日1箱で、1年後には肺ガンで死ねるぜ」
「………へぇ、貴重品だな」

肩を揺らす葛西に低いテンションで返すと、もう一呼吸味わう。
そして指先に煙草を挟んだまま、シックスに言った。

「………で、用件は何?」

喫煙者を眺める招待者は、革張りのソファ−に凭れくつろいでいる。
胸元からは、小さな髑髏を繋いだネックレスが覗いていた。

「君の話を聞きたいと思ってね。
 死に際に、君が何を考えていたのか。どんな感情を抱いていたのか。
 ぜひ、詳しく聞かせてくれないか?笹塚衛士」

グラスの中で、氷がゆっくりと溶ける。
浮いていた眼球がぐるりと回って、人の姿をした悪意を睨んだ。

“新しい血族”の長。
呼吸するように全てを踏みにじり、玩び、殺し尽くす。
歪んだ本能に支配された、怪物(モンスター)の微笑を。

「混乱と無念と、死期が絶妙なバランスで混ざった、実にいい顔だった。
 だが、死の恐怖はなかったようだね。君は最後まで、冷静だった。
 死を恐れぬ復讐鬼…。とても興味深い」

ざらざらと、鼓膜をヤスリで撫でるような声。
葛西はぶるっと身を震わせて、手にしていた酒を舐める。
芋から作られた蒸留酒は、馴染んだコップ酒よりアルコ−ルが強い。

だが、男…笹塚衛士は、無表情という表情を動かさない。
緩慢な動作で煙草を口に運ぶと、白い煙が薄い幕を作った。
クセのある酒の香りが、紫煙の匂いに掻き消される。

「……そんな、御大層なモンじゃね−よ。
 死ぬかもしれないとは思ったが、死ぬつもりだったワケじゃね−し」

煙を吐き終えた唇が、ウンザリしたような声を洩らした。

「ただ、わからないままでいることが、我慢できなかっただけだ。
 親父やお袋や妹を殺したのは、誰なのか…。
 怪盗“X(サイ)”なのか、シックス(あんた)なのか。
 それを確かめなけりゃ、何も始まらなかった」
「その“始まり”が、君にとっての“終わり(ゲ−ムオ−バ−)”となったわけだ」

目を細めるシックスに、笹塚は肩を竦める。
煙草の灰をクリスタルガラスの灰皿に落とし、熱量の無い声で言った。

「……まぁ、そこは残念だと思ったな。
 結局、人間じゃ、その他大勢の相手をするのが精一杯らしいし」
「ふふ…、そう言うが今日の君は見事だったよ。
 この私が“血族”の一員を名乗ることを許した部下達が、たった一人の人間に
 良い様にあしらわれていたのだからね。……しかし」

膝の上で指を組み変えながら、シックスは心底楽しそうに言葉を続ける。

「哀しいかな、復讐鬼の限界だ。己の手で、全ての決着をつけずにはいられない。
 せめてあの場にネウロを呼んでいれば、私にかすり傷の一つくらいはつけることが
 出来たかもしれないというのにな。
 もっとも、ヴァイジャヤにしろ、ジェニュインにしろ。
 人間達の手を借りなければ倒せぬ程に弱っている魔人など、頼りにはならないか」

笹塚は早いペ−スで煙草を短くしていく。
その無言に笑みを深めながら、シックスはゆっくりと言う。
肺を蝕む紫煙よりも遥かに濃い、毒々しい悪意を振り撒きながら。

「……いや、違うな。
 部下達の攻撃に、僅かな手加減を加えたことを見ても、わかる。
 君は私に“殺す気”で挑んだのは確かだが、“殺すつもり”でいたのではないだろう?
 そして君は、自身では“復讐”という言葉を口にしない。
 “復讐鬼”と呼ばれると、無意識にだろうが、不愉快そうな顔をする。
 ならば何故、君は単身で私に挑んだのかな?」
「……………。」

深々と吐かれた溜息。
落ちる寸前の灰と共に、短くなった煙草がガラスの底に押し付けられる。

「……教えね−よ。
 今更、意味のないことだからな」

咽喉の奥でくつくつと音をたて、シックスは笑った。
胸元の髑髏が、しゃらしゃらと鳴る。
波打つ黒髪を指で撫で付けながら、至極機嫌の良い声で言った。


「では、もう一度聞こう。
 この愚かな男は、何の為に単身で私に挑んだのかな?
 答えなさい、我が子よ」


メキリと、骨の軋む音がした。

メキメキ メリリッ ゴキキ ボキッ
骨格が変化する。

グニュリ グニ グニニニ
筋肉が動き、顔が歪み、皮膚がうねる。

髪が伸び、ザワザワと波打って黒く染まる。
肩幅が、手足が縮んで、シャツとズボンがだぶついた。

ほんの十数秒で、目の前の男は17歳の少女に変化した。
いや、戻ったというべきだろう。これが本来の姿なのだから。

「“守るため”だってさ、パパ。
 自分の友達とか、後輩とか、部下とか、同僚とか。あの時、居合わせてた女子高生とか…。
 そういう知り合いを、誰も死なせたくなかったからだって。
 バカだよね。どうせ人間は誰も彼も皆、私達に殺されて滅んじゃうのに」

身の丈に余る黒いシャツの袖とズボンの裾を折り返して、少女…イレブンは微笑む。

「ヴァイジャヤの時は、ネウロの関係者のチンピラ男が死にそうになってて。
 ジェニュインの時は、自分の部下や同僚が危険な目に合ってて。
 結局、ネウロは人間を駒にして使うし、いつも女子高生探偵がくっついてくるし。
 だから、自分以外の誰も巻き込まれないように、ネウロには何も言わなかったんだって」

イレブンは、目の前に置かれたグラスに手を伸ばす。
中から眼球を摘み上げると、指先でくるくる回した。

「一番理想的なのは、あそこで全員を活動不能にした後で、ネウロを呼ぶことだった。
 そしたらネウロは、パパを魔力で“お仕置き”して、血族の力を使えないようにしてから
 警察に引き渡すだろうって。
 それで警察が、どっからがパパの犯罪で、どっからが昔の私の犯罪か
 ハッキリさせられれば、メデタシメデタシ。
 ……そんなこと、本気で考えてたんだよ?ほんと、笑っちゃうよね」

ソファ−の上でクスクス笑う少女を眺めながら、シックスはテ−ブルに手を伸ばした。
手元のそれは焼酎ではなく、血のように赤いワインだ。
屋敷から運ばせたグラスは、人骨と水晶で出来ている。

「お前のおかげで、今夜は退屈しなかった。
 おやすみ、イレブン。可愛い私の娘よ」

シックスの言葉に、少女は表情を消して立ち上がった。
指先で弾いた眼球が、ぽちゃんと焼酎の中にもどる。

「おやすみ、パパ」



イレブンが席を立った後、葛西はテ−ブルに残った煙草とマッチを回収した。
早速1本を咥えて火をつける。

「あなたのお子さんだけあって、なかなかエゲツないかくし芸だ」

紫煙混じりの言葉に、シックスは赤い酒を手に笑みを浮かべた。

「ありがとう、葛西。自分の“作品”を褒められるのは、嬉しいものだよ」

口をつけられなかったグラスの底では、ひしゃげた目玉が天井を見上げて沈んでいた。


   * * *


……今日は、いい日だった。

日本政府が用意した、要人用ホテルの一室で、少女は姿見の前に立っていた。
凝った装飾を施された長方形の枠の中に、白い夜着を纏った自分が映っている。

……パパを楽しませることが出来た。
   パパの役に立つことが出来た。

向かい合う己に確認する。
イレブンは、鏡が好きだった。
子どもの頃のパパによく似ているという、自分の顔を確かめることが。
特に変身能力を使った後は、必ず鏡の前に立った。

あるべき自分の形を確かめるように、白い手を鏡に押し当てる。
触れ合った手のひらは、ひんやりと冷たい。
次の瞬間、彼女は細い眉を寄せた。

鼻をつく、苦い匂い。
さっき変身した時の煙草だろう。服は着替えたのに、まだ残っているのか。
犬並の嗅覚で、確認するように指先を嗅ぐ。
そして鏡に視線を戻したイレブンは、ぎくりとした。


アジア系独特の、黄色味を帯びた肌。
やや眦の吊り上がった大きな眸。
くっきりとした眉。
短い襟足と、だらしなく伸びた前髪…。

その顔が、目の前に突き出された。
思わず身を引いたイレブンに、尚も迫る。


  『なるほど、隠し持ってた刃物は、ここで使うんだ…。
   最後の弾は、あくまで俺を殺すための非常用か』


楽しそうな、少年の声。
血の匂いが鼻先を通り過ぎ、懐に飛び込んでくる。
細い両腕が纏わりつく、ふわりとした感触。


  『でもね、刑事さん。
   最初から殺す気で攻撃しなきゃ…、俺は捕まえらんないよ』


骨の折れる音。肺を、内臓を圧迫される激痛。
口から零れる血の、鉄錆の味。


………生半可な力も、銃も刃物も、戦略も通用しない…。
     これが…“X(サイ)”か!!


「……っつ!?」

イレブンは、両目を見開いた。そこに映るのは、いつもの自分だ。
ウェ−ブのかかった黒髪を僅かに乱しているだけの。
琥珀色の眸が、微かに揺れる。

「今のは…笹塚衛士の記憶…?」

混乱しながらも、イレブンは事象の検証に入る。
あの男の脳は、完璧にリーディングした筈だ。だが、今の映像には覚えがない。
認識出来なかった記憶があるということか。


……馬鹿な…!!
   私の能力は完璧だ。ミスなど有り得ないのに。


イレブンは今しがたの映像を、脳内で再生しようとする。
だが、出来なかった。あれ程に鮮明だったのに、膨大な情報の前で立ち尽くす。
何かが邪魔をしている。焦りを覚えながら、高速で思考を巡らせる。

笹塚衛士は、あの映像を“X(サイ)”と認識した。
その名はプログラムされた学習デ−タの中にある。
リセットされた彼女の前身。能力を制御できなかった頃の、不完全だった自分。


……ああ、そうか。


イレブンは納得した。
必要のない記憶だからだ。脳がそう判断し、自動的に分別した。
それが何かの拍子に、ゴミ箱から飛び出したのだろう。
安堵したイレブンは、顔を上げた。今度は先刻ほどには驚かなかった。


  『“X(サイ)”!!
   ……やっぱり、いたか!!』


警視庁の屋上。
柵の上に立った少年は、駆けつけた警官達を歓迎するように両腕を拡げた。


  『そんな少人数でご苦労だね、警察諸君!!まさか俺を捕まえられると思ってんの?
   “誰かさん”はともかく人間だけなら…ここにいる程度の人数、俺は5秒で殺せるよ!!』


近づいてくるヘリが、風を巻き上げる。
白かった筈のワンピ−スは、遠目にも血で真っ赤に染まっていた。


  『俺の由来(ル−ツ)は相変わらず、わからない。
   けれど俺の中には確実に…そんな事平気でできる残虐性が宿ってる!!』


甲高い声が、挑むように叫ぶ。
空気を叩くプロペラ音。顔は見えないが、操縦席に座っているのはイミナという女だろう。
人間とは思えない跳躍力で、“X(サイ)”が軽々とヘリに飛び込んだ、直後



               バキン!!



鏡が、砕けた木片と共に足元に散る。

「五月蠅い…。あんたの記憶になんか、もう用はない」

両手からぼたぼたと鮮血を落としながら、イレブンは無表情に呟いた。
今は彼女の脳の一端にのみ、存在している男に。

「あんたのしたことは、全部ムダ。惨めな犬死…。
 守ろうとした仲間も、探偵も、ネウロも。
 みんな纏めてバラバラに引き千切って、箱に詰めてあげる」

唇が、眸が、笑みの形に歪められた。赤く裂けた傷口が、見る見る癒えていく。
イレブンは、じっと前を見つめていた。
木枠に残った僅かな鏡が、片目だけを映している。
濃い隈に縁取られた、不透明で澱んだ眸を。


  『あんたは、気の毒だ』


ぼそりと、声がする。


  『もし、俺の家族を殺したのがシックスではなく、あんただったとしても
   同じように思うだろう』



平板で、抑揚の無い口調。


  『考えることも、感じることも、過去を覚えておくことすら自由にならない』


淡々と、何の感情も込めずに。


  『あんたの正体(なかみ)は、         だ』


鏡の欠片が床に落ち、粉々に砕けた。
天井のシャンデリアが、細かい破片に反射する。


「私はイレブン…。パパの娘。新しい血族の1人。
 私は…パパの役に立つ為だけに生まれた…。
 問題無い。全く問題ないよ…、パパ」


キラキラと輝く光を眸に映して、無表情に繰り返す。
何度も何度も。

そして男の記憶を意識の底に押し込めた。
大量のデ−タを圧縮するように。回収したゴミを埋めるように。
あるいは強制的に冬眠させるように。
それは、永遠の眠りになるだろう。

虫けらのような人間達。
その1匹の記憶が再び必要になることなど、有り得ないのだから。







   * * *


「……最後の攻撃だ」


少年の声に、眠らせていた記憶が解凍される。
一切のブロックもフィルタリングも受けず。今度こそ完全に、完璧に。
1人の人間、“そのもの”になる。


「弥子ちゃん」


“笹塚衛士”は目の前の少女に向かって、微かに笑った。



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(以下、反転にてつぶやいております。)

笹塚さんが、誰にも何も告げず、単身でシックスに挑んだこと。
原作中では、シックスに対しても以前の“X(サイ)”に対しても、彼自身の言葉では
“復讐”云々とは口に出していなかったと思います。
周りが言ったり思ったりしているだけです。本人、否定もしてませんけど。(汗)
(小説「世界の果てでは〜」では言ったり思ったりしていますが、それは保留)
だから、彼の行動は“復讐”ではなかったのだと。
少なくとも、それだけではなかったのだと思います。
笹塚さん自身ではなく、回想でのお父さんの言葉や、“衛士”という名前自体が
原作で答えとして示されていますし。

そして、“殺人者と被害者遺族”、“犯人と刑事”というだけではない因縁のあった
“X(サイ)”に対して、笹塚さんから一言…と思ったら、一言じゃなくなりました。(汗)
これは、死んでいるから言える台詞だろうと思いながら書きました。

なお、前半の“X(サイ)”塚さんは、11嬢の『パパを楽しませなくっちゃ』意識が
混ざっているので、“そのもの”ではありません。
それでもシックスとの1対1はキツイので、葛西さんに立ち会っていただきました。
長生きするおじちゃんは、結構好きです。