幾年月



「悪ィけど、受け取れね−わ」

無造作な声に、目の前が真っ暗になった気がした。
行き場を無くしたプレゼントが、両手に吸い付ついたまま重さを増す。
腰かけたソファ−に、ずぶずぶと沈んでしまいそうだ。

いっそ、本気で沈みたい。
弥子は心底思った。


   * * *


お馴染みの、桂木弥子魔界探偵事務所。
数日前に魔人が喰った謎…もとい、女子高生探偵が解決した事件の調書を取りに
ジャマしたいという連絡に、これ幸いと今日を指定した。
7月20日。笹塚の誕生日だ。

この日の為に、弥子は昨夜から張り切っていた。
念入りなシャンプー&リンスにトリートメント。パックにマッサージetc。
終業式を済ませたのを幸いと、お気に入りのワンピースも着込んだ。
そんな“頑張った”弥子を見ての笹塚の反応は、

  『……ああ、もう夏休みか』

の一言のみだったけど、気づいてもらえただけで良しとする。
さて、事件の話も終わり、2杯目のコーヒーも空になり、手帳を閉じた笹塚に
いざ!! とばかりにプレゼントの包みを差し出した。

  『お誕生日、おめでとうございます!!』

の、声と共に。
だが、笹塚の返答は冒頭のとおり。無情な門前払いである。

別に、諸手を上げて笑顔で喜んでくれるとか、甘い期待をしていたわけではない。
けれど、いつものように無表情かつ無感動に、

  『……別に、気ィ遣わなくてい−のに』

とか言いつつ、受け取ってくれるものと思っていた。
本当に、それだけで良かったのだ。

打ちのめされ、うつむく弥子の脳裏に蘇る、ここ数週間。
買い食いの誘惑を耐え忍び、期間限定スイ−ツを諦めて、お小遣いを貯めた。
幾つものデパ−トを、足が棒になるまでハシゴした。
シックな包装紙に上品なリボン。ラッピングにもこだわった。
そうやって何日もかけて、やっと準備したプレゼントだった。

辛く苦しく、けれど同時に、どこかフワフワと心浮き立つ日々。
受け取ってくれるだけで報われる筈だった全てが、虚しさという重しを加えて
弥子をぺしゃんこにする。まるで、魔人の靴底に踏みつけられたようだ。
そんな弥子の頭上から、ポツリと落とされる熱量の無い声。

「ごめんな…。」

ぴくり、と弥子の肩が動いた。
余りの落胆ぶりを見かねてか、降り注がれるボソボソした口調。

「弥子ちゃんは、世間じゃ有名な探偵だし、俺は刑事だし。
 個人的に物をもらったりすんのは、色々とマズイんだよな」

全神経を耳に総動員して感じ取る、微かな申し訳無さと気遣う響き。
むろん、“笹塚にしては”なのだけど、勇気づけられた弥子が顔を上げる。
笹塚はまだ、ソファーに腰を降ろしたままだ。

「で、でも…っ」

差し出したままのラッピングの箱を、ぎゅっと握り直す。
このぐらいで引き下がってなるものか。食欲をも凌駕した乙女心は半端じゃないのだ。
何より、ここで渡せなければ、涙を呑んで諦めた北海道フェアの海鮮メガ盛丼や
期間限定の桃とサクランボのケーキ他モロモロに顔向け出来ない。
弥子は決死の思いで口に出す。

「バレンタインのチョコは、受け取ってくれましたよね?
 なのに何で、誕生日のプレゼントはダメなんですか…?」

笹塚は、片手を首の後ろに当てた。
余程凝っているのだろう。首だか肩だかが、弥子にも聞こえる大きさで鳴る。
その音が止んでから、気だるそうに答えた。

「……アレは、俺だけじゃなかったし。石垣と等々力にも渡してたし。
 弥子ちゃんのことだから、他にも大勢、配ってんだろ」

淡々とした声が、胸に突き刺さる。
本当は、バレンタインだって笹塚だけ特別にしたかった。
“本命チョコ”を渡したかったのだ。
だから一つだけ、業務用じゃなく最高級のクーベルチュールで、ハート型の
ガトーショコラを作っていた。
けれど、揺れ動くのが乙女心。いざとなったら、恥ずかしいやら怖いやら。
渡せたのは、その他大勢用に焼いた中の一つ。
哀れなハ−トは、涙と共に弥子の胃袋に消えた。
あれから5ヶ月。やっと巡って来たチャンスだったのに…。

「そういう社交辞令っぽいのなら、まだしも…。
 誕生日とか、個人的なモンはもらえね−んだ。残念だけど」

再び項垂れそうになる弥子を、最後の一言が辛うじて引き上げる。
魔人の靴底だって跳ね返す勢いで。

そして深々と、深呼吸をした。
目の前にいる人物の、溜息の癖を真似るように。


   * * *


突き出されていた腕が、ゆっくりと下りていく。
手の平の汗を吸い、包装紙に皺の寄った箱が膝に乗った。
くすんだ色の眸で、笹塚はそれを眺める。
普段の制服にも増して短いスカートから覗く脚を眺めているわけではないので、
すぐに視線を逸らせた。

夏休みに入っているのだから、彼女が私服なのは当然かもしれない。
高校生が休日に可愛い服を着て、お洒落をするのに何の不思議もないし、
文句をつける筋合いも無い。
とはいえ笹塚は、事務所のドアを開けた瞬間、傍目にはわからなくとも驚いた。
その後は、困った。
スカ−ト丈もだが、深い襟ぐりや、ノースリーブで剥き出しの肩や二の腕など。
……視線の置き所がない。
だから、今日は弥子の顔を見ざるを得ない。

「その理屈だと、私が“探偵”じゃなくなったら、貰ってくれるんですよね?」

真っ直ぐな、強い視線を向けてくる大きな眸。
笹塚は一拍分の間を置いて、答えた。

「まぁ、そ−なるな」
「わかりました」

即座に頷いた弥子は、膝の上のプレゼントを握り締める。
ネクタイあたりだろうと予想される平たい箱は、薔薇を模ったリボンごとひしゃげた。
果たしてこれは不慮なのか、意図なのか?
それよりも、日々あれだけ食べていて、何でこんなに腕も脚も細いのか…?
無表情のまま、そんなことを考えている笹塚に、弥子はキッパリ言った。

「私、“探偵”頑張りますから!!」
「……………。」

それは、自分に対してプレゼントなど考えずに済む状態を維持するぞ、という意味
なのか。つまり要約すると、

  『人が折角プレゼント用意してやったのに、もう二度とやんねーよッ!!
   毎年、独り寂しいバースデーを迎えやがれ、バーカ!!』

…みたいな?と、笹塚は思ったが口には出さない。
弥子の台詞は正確には、

  『私、(早く“究極の謎”を見つけてネウロに喰わ(解か)せて、)“探偵(役)”
   (から解放されるように、)頑張りますから!!』

…なのだが、この時の笹塚には知る由もない。
小さく溜息をついて、ソファーから腰を上げた。

「あんま、頑張られても心配だけどな…。
 ああ、それと。俺以外の警察関係者にも、そういうの渡さないようにしてくれる?
 石垣やヒグチなんか、ホイホイ受け取っちまいそうだけど」

洒落にならない例なだけに、念のため言っておく。
だが、弥子は大きな目を更にまん丸にして、素っ頓狂な声を上げた。

「え−、そんなことしませんよぉ!?
 笹塚さん以外、誕生日だって知らないのに!!」

ぱちり、と。笹塚は瞬きをした。
それから、首を傾げて確認する。まったくもって、今更な疑問を。

「そういや俺、誕生日教えたことあったっけ…?」

ぎっくうっ!!
…と、背後に文字が見えそうな動揺ぶり。
暑さとは違った汗をビッシリ浮かべ、弥子は上擦りまくった声を出す。

「いッ、いやぁあ〜、これでも“名探偵”ですからッ!!
 ナメてもらっちゃあ困るなあはははのは」

引き攣った笑顔を眺めつつ、笹塚は思い出す。
以前、彼女の助手は、教えた覚えの無い携帯番号に電話してきたのだ。
どうやら特殊な技術か、情報網でも持っているのだろう。そう思うことにする。

「……ま、いいけど」

いいのかッツ!?
…と、ツッコみたい条件反射を必死で押さえつけているような顔。
本当に見ていて飽きないし、どう転んでも人の道を踏み外しそうもない。
食べることと生きること、そして人間が大好きな娘(こ)。
だから、自然に口を吐いた。

「弥子ちゃんだからな」

ぱちり、と。今度は弥子が瞬きをする。
あっという間に、耳朶から首筋までが色を変えていく。
胸元のごく浅い谷間から視線を外しつつ、笹塚は思った。

来年の7月20日も、この娘に会えるといい。
プレゼントは受け取れないけれど、言葉だけなら受け取れる。
頬を真っ赤に染めた、特別の笑顔付きで。


   * * *








「ハッピーバースデー、笹塚さん!!」

あれこれ紆余曲折の末、無事に“探偵”を廃業し、“女子高生”も卒業した弥子は、
晴れて笹塚と恋人同士となった。
そして迎えた、7月20日。笹塚の誕生日。
テーブル中央に鎮座する、巨大なケーキ。その周囲に並べ切れず、台所でも待機中の
大量の手料理。
そして弥子は、意気揚々と包みを差し出した。

「はいっ、プレゼントですッ!!」
「……別に、気ィ遣わなくてい−のに」

無表情かつ無感動に受け取った笹塚は、そのまま首を傾げた。

「って、3つも…?」

形も大きさもバラバラな、色とりどりのラッピングが3つ。
だが、弥子は良くぞ聞いてくれました!!とばかりに1つ1つを指差し説明する。

「これは、一昨年受け取ってもらえなかった分。これは、去年渡さなかった分。
 そしてこれが、今年分のプレゼントです!!」
「あー……」

笹塚の脳裏に、包装紙がヨレてリボンがひしゃげた包みが浮かぶ。
綺麗にラッピングし直されているが、こんな大きさだった…気が、する。
じいっと笹塚を見つめていた弥子が、声に確信を込めた。

「今、“そんなこともあったなぁ…”とか考えてるでしょう?」

笹塚の無表情から表情を読み取る術を、彼女ほど心得ている人間はいない。
思わず浮かべた微妙な苦笑をまた読んで、盛大に拗ねた顔をする。

「私、あの時は、すっごくショックだったんですからね−ッ!!」
「あ−……、ごめん」

首の後ろを撫でながら、素直に詫びる。
そっぽを向かれると、どうしたらいいのかわからなくて、後の言葉が続かない。
説明も言い訳も、苦手なのだ。格好悪い気がして。

そんな、傍目には絶対にわからない、微妙におろおろした様子に、弥子は笑いを
噛み殺した。
あの時、笹塚がプレゼントを断ったのは、弥子を守るためだったと、今は知っている。
浮かれて舞い上がっていた彼女は、そんなことも気づかないくらい子供だった。
だから、意地悪はこのぐらいにする。だって、誕生日なんだから。

「もう、いいんです。代わりに今日、3年分お祝いしちゃいますから!!」

ニッコリ笑うと、笹塚も珍しく目を細める。
深い襟ぐりから覗く谷間や、ノースリーブで剥き出しの肩や二の腕。
グロスで光る唇からも、今は視線を逸らせる必要が無い。
相変わらず抑揚のない口調で、サラリと言った。

「とりあえず、3年分は頑張るから」

何をだ−ッ!?
…と、ツッコむ声を弥子は辛うじて呑み込んだ。
藪蛇になるだけだと、この4ヶ月と少しで学習させられている。

頬を真っ赤に染めた、怒ったような困ったような顔。
それでも笹塚がケーキのロウソクを吹き消すと、笑顔になる。

後はともかく、改めて。


   誕生日、おめでとうございます



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

笹ヤコの障害というと、まず弥子ちゃんの年齢(18歳未満)がありますが、
刑事と探偵という互いの立場も結構問題じゃないかと。
だから笹ヤコを始めた当初は、弥子ちゃんが高校を卒業し18歳になるのと
探偵を(一時的にせよ)辞めることを恋人関係となる前提としてました。

いくら利害関係があっても、贈物(贈収賄疑惑?)程度にまで目くじら立てる
かなぁ〜とも思うので、本当は近づきすぎない言い訳のような。
嫁入り前の女の子に、変な噂が立っちゃいかんだろ−、みたいな。
笹塚さんは弥子ちゃんの気持ちに気づいても、条件が満たされるまでは
避けて逃げて予防線張り捲くる…というのも自分が書く話では一貫した
イメージです。…たまに例外もありますが。(笑)

でも実際に夫婦・恋人で一方が警察、一方が探偵だったら、扱う事件が
被らない部署に異動(事実上、左遷)させるだろうな…とか、二次創作に
そこまで考えなくてもいーんだよ私。(汗)

「捏造設定」枠の他の笹ヤコとは、繋がっているような、いないような。
基本的には単発です。