金木犀



 ふわり と、香りがした
 金木犀と、もう一つ
 角を曲がったら、思ったとおりの人がいた


   * * *


秋の味覚といえば、サンマにマツタケ、栗に葡萄に梨にリンゴに柿。
それから、忘れちゃいけないサツマイモ。
あの独特の間延び感のある『いィ〜しやぁ〜きイモォ〜』の声を聞くと、秋の深まりを感じるんだよねー。
そんなわけで、私はこの秋の初・焼イモ抱えて歩いているところ。
今じゃコンビニやスーパーでもフツーに売られているけれど、一度に三十本買えるってのは、やっぱ焼きイモ屋さんならではだよね〜。

あーもう、たまんない。
このホクホクした歯ごたえ。とろけるような舌触り。
芳ばしさと甘さの絶妙なブレンド。
程よく焦げた赤紫色の皮の下に隠された、まばゆいばかりの黄金(こがね)色。

あー美味しい。ホントに美味しい。
鬼畜魔人のDVから解放された後だと思うと、更に美味しい。
夢中でおイモを齧りながら歩いていた私は、ふと秋の澄み切った空気に鼻をひくつかせた。

家の軒先からちらほら覗く、金木犀の橙色。
その香りに混じる、もう一つの匂い。
確かに記憶にある、これは……と、思いながら角を曲がると、思ったとおり。道の向こうには、見覚えのある後ろ姿。

薄っぺらいヨレヨレのコート。
くすんだ色の髪。
くたびれた雰囲気。

食べかけの最後の一片を飲み込んで、私は声を掛けようとする。
その前に、猫背気味の背中が振り返った。

「あー、やっぱ弥子ちゃんか…。」

ええっ、何でわかったんだろう!?やっぱ、刑事さんってカンがいいんだ。すっごーい!!
…と、思ったのが全部顔に出たらしい。笹塚さんは少し頭を傾けて、淡々と言った。

「なんか、食いモンの匂いが近づいてくるから、もしかしたら……と思って」

気だるげな視線が向かうのは、私の胸元。もちろん無い胸じゃなくて、おイモでパンパンに膨らんだ紙袋の方。
あー……、なるほど。
3mほど手前で立ち止まっていた私は、気を取り直して距離を詰めつつ、紙袋を差し出した。

「こんにちわ、笹塚さん。良かったら、お一つどうですか?
 まだアツアツだし、すっごく美味しいんですよ、この石焼きイモ!!」
「いや……、遠慮しとく。匂いだけで腹一杯」
「………そうですか…。」

ホントに美味しいのにな…。
夢中になりすぎるとバイキングとか食べ尽くして、顰蹙を買ってしまう私だけど、美味しいものを食べる幸せを分かち合いたい気持ちだってあるのだ。
一応は。
でも笹塚さんって、付き合いが長くなっても一緒に食事とか、そういう機会が無いんだよね。
事務所に来た時も、コーヒーは飲んでもお茶菓子には手を付けないし。
だからいつも、私が二人分いただくんだけど。

「……で、弥子ちゃんは探偵業の帰り?」
「あ…、えと。まぁ、そんなところです」

正確には、事務所で魔人にいたぶられてただけなんだけども。

「ふーん」

笹塚さんは、そこで言葉を切って私を見下ろす。1mに満たない距離だと、顔色まで読まれそう。
嘘は(なるべく)言ってないけれど、本当のことも(ほとんど)話せていないのが現状で。
うう……、何か気まずい。

「……ま、無茶はしないようにな」

それは是非、謎喰い魔人(ネウロ)に言ってください…。
思いつつも、辛うじて愛想笑いを浮かべてみせた。

「はい、(できる範囲で)気をつけます。
 ところで笹塚さんは、張り込みですか?それとも聞き込み?
 いつもお疲れ様です」
「あー、職務上のコトは部外者には話せねーから」

うーむ、取り付く島がない。やっぱ今も、笛吹さんあたりにネチネチ言われてんのかなぁ。
それはそれで申し訳ないけれど……と、思っていたら、ふいに私が来た方向に顎をしゃくった。

「ところで、弥子ちゃん。
 そっちの方向にコンビニ無かった?」
「えーと?……はい、ありました。角を曲がって50メートルほど先に」

栗とマツタケの二色ご飯入り秋味弁当や、秋限定のマロン系スイーツ。見ているだけで美味しそうなポスターをウットリと思い出しつつ返事をする。
すると笹塚さんは、表情を少しも変えずに声のトーンを一段落として呟いた。

「……そこだな」

その一言で、察してしまう。そういえば、某人気アニメとのコラボ商品のポスターも貼ってあったっけ。
石垣さん…。多分トイレとか何とか言って、限定品を買い漁ってるんだろうな。どうせ即、袋ごと踏み潰されちゃうのに。何度繰り返しても学習出来ない人間って、いるもんなんだなぁ…。

他人事ながら、溜息を吐いてしまう。笹塚さんって、ホント大変。
せめて気の利いた労いの言葉でもと顔を上げた私は、ドキリとした。
いつの間にか、手を伸ばせば届く距離。目の下のクマの濃ささえ、わかるくらい。
コツリと靴音がして、更にもう一歩。両腕で抱きしめた紙袋が、乾いた音を立てる。
焼きイモの芳ばしい匂いと、さっき感じた香り。筋張った手が、肩に触れる。

「……花、ついてる」

長い指先に挟まれているのは、橙色の花。
お米粒みたいに小さいのに、甘くて強い香りがするから、焼きイモの匂いも、もう一つの香りも、遠くなる。

「あ…りがとう、ございます」

びっくり、した。顔、赤くなってないかな。
そんな乙女(一応ね!)の動揺なんか気にも留めない風で、ローテンションな刑事さんはヨレヨレのコートの裾を翻す。

「んじゃ」
「あ、はい。また」
「出来れば、事件現場以外で」
「う゛…っ」

それも魔人(ネウロ)に言って欲しい…と思いつつ、引き攣り笑いを浮かべる私に、軽く片手を上げて角を曲がる。
その時、またふわりと香りがした。

金木犀よりも焼きイモよりも、ずっと微かな煙草の香り。
私は曲がり角を見つめながら、次のおイモを手に取ることも忘れて、しばらくそこに立っていた。
胸がこんなにあったかいのは、紙袋の中の焼きイモだけの所為?


 ふわり と、香りがした
 金木犀と、もう一つ
 いつの間にか覚えてしまった、ある銘柄の煙草の香り

 角を曲がったら、思ったとおりの人がいた
 それだけのことが、うれしかった

 すごくすごく、うれしかった



                                   − 終 −


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(以下、反転にてつぶやいております。)

笹←ヤコっぽい秋の風景。
掲示版(BBS)に……と思いましたが、素材が見つかったのでこちらに。
食欲魔人の弥子ちゃんは、味覚だけでなく嗅覚も超人並。
笹塚さん愛用の煙草の匂いも、すぐ嗅ぎ分けられます。
……もっとも、笹塚さんが特定の銘柄を愛煙しているという話はなかったし、なんか適当に安いのを吸ってる気もしますが…。