Pain



「…どうして?」

ビビちゃんは、言った。
明日はアラバスタに着く。その、最後の夜に。

盗み食い集団のおかげで、キッチンは空っぽで寒々しく
君に出せるモノは、お茶ぐらいしかなく
仕込みも後片付けもする必要がなかったんで、最後の数日間は
話す時間と考える時間だけが、タップリとあった。

「どうしてって…、判ってたコトだろ?
 アラバスタの土を踏んだら、君は“ビビ王女”にもどんなくちゃ。
 俺の“ビビちゃん”で居ることは、もう出来ないでしょ?」

冷えていくティ−カップ
増えていく吸殻
震える唇

「“王女”の私じゃ、ダメなんですか?」

「ダメじゃなくて、ムリなんだって。
 ……君と、俺じゃ」

「そんなの、全然わかんないです…!!」

弱ったな。やっぱ、言うしかねェのか?

泣きそうな眸で俺を睨むビビちゃんの前で、半分残っていたタバコをフィルタ−ぎりぎりまで吸い切って。
彼女への返事のおさらいを終えた。

あまり名文とは言えないが、飾り立てても意味ねェだろう。
別れ話には。

「俺はね、ナミさんが好きだったんだ」

過去形で、言った。

「俺がこの船に乗る前から、ナミさんはクソ剣士とデキてて…。
 まあ、すぐに気づいたけど、あの通り素敵な女性だから、なかなか諦められなかった」

ビビちゃんは、コクリと頷いた。
特にショックを受けた様子も無い。

「でも、君が現れて…。
 そしたら現金な話、ナミさんは本当に大切な“只の仲間”になっちまって
 俺は君のコトばかり考えるようになった。
 …その意味って、判る?」

先を促すように、真っ直ぐに俺を見つめる眸。
深い藍色に映る俺自身から目を反らして、新しいタバコを咥えた。

「要するにさ……、目先の欲に弱いんだよ。
 今は君が好きだけど…。本当に誰よりも好きで、その気持ちに嘘はねェと誓うけど。
 君が船を降りたら…」

微かに、細い肩が震えた。

「きっと俺はすぐに、他の女のコに目移りしちまう。
 そのコを口説きながら言うんだ。“誰よりも君が好きだよ”って」

ビビちゃんは、何も言わない。
マッチを擦って火を点ける。
彼女からのリアクションがねェんで、仕方なく後を続けた。

「…でもさ、ビビちゃんは違うだろ?
 ビビちゃんは強ェし頑固だから、俺が目の前に居なくても、触れることも声を
 聞くことも出来なくなっても、ずっと想い続けちまうだろ?
 けど、それじゃあこの先、困るだろ?」

「…困る?」

硬い声で、俺の言葉尻を捉える。
彼女を避けて吐き出した煙が、キッチンの天井に消えていく。

「だって、“王女様”なんだから…。
 何時かはさ、どこかの国の王子様か、家柄も身分もある男と
 ビビちゃんのパパからも国民からも祝福される結婚をして…」

言いながら、その想像に胃が焼けるような感覚を覚えた。
彼女の“これから”に、俺の姿は無い。

…ンなこたァ、最初ッから判ってたコトだろう?
今までの恋だって、半月先すら想像しやしなかったじゃねェか。
何を、今更…。

途切れた言葉を誤魔化すように灰を落とし、そして後を続けた。

「それなのに、海賊でコックの男のコトなんかを忘れられずにいたら、マズイだろ?
 ビビちゃん、嘘つくのヘタだしさ。
 ビビちゃんの横に立つ男も、ビビちゃんを大切に思う人達も、ビビちゃん自身も。
 みんな辛くなるよ?だからさ…」

そして、最初に言った言葉を繰り返した。

「これで、終りにしよう」

「…どうして?」

ビビちゃんは、同じ言葉を返してきた。
堂堂巡りになるのかと煙と一緒に溜息を吐き出した時、彼女が言った。

「どうして、自分のことをそんな風に言うんですか…?」

泣かれるかと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。

「海賊でコックの、どこがいけないの!?
 この船のクル−であることを、海の料理人であることを、貴方がどんなに
 誇りに思っているか…。
 私みたいな“馬鹿なお姫様”には判りっこないって思うんですか!!?」

ビビちゃんは、怒ったのだ。
テ−ブルの上の両手を固く握り締め
椅子から腰を浮かせ
頬に血を昇らせて。

「貴方が今でもナミさんを想っていることを…。
 彼女が笑ったり、怒ったり、何時もこの船の“女王様”で居てくれるようにって。
 だからMr.ブシド−に、もっとナミさんを大事にしろって、
 絶対に悲しませたりするなって、文句を言ってるんだって…。
 そんなことにも気づかないって思うの!!」

二人が一緒に居るとき、俺は必ずナミさんの名を先に呼ぶ。
ビビちゃんの言葉を、ただの可愛らしいヤキモチだって思っていた。
……俺は、馬鹿だ。

「私は、海賊でコックの貴方が好き!!
 今は私を好きでいてくれて、でもナミさんのことも大切に想っている貴方が好き!!
 それの、どこがおかしいの!!?」

火のように激しく 誇り高く
真っ直ぐで 強い

君に出会えたことは
もしかしたら“オ−ルブル−”を見つけるよりも得がたい奇跡。
…だから

「何が幸せで、何が不幸せかなんて、後から考える!
 今は先のことなんて、どうでもイイの!!
 誤魔化さないで…!
 お願いだから、嘘だけはつかないで!!」

誓いだとか、約束だとか、未来だとか
……幸せだとか。

今以上を望むのは、許されないと思っていた。

タバコを灰皿に押し付けて、席を立つ。

肩を怒らせ、歯を食いしばり、小さく震える
折れそうに細いカラダを抱きしめて、囁いた。

「後悔するよ…?」

「サンジさんは?」

鼻先を埋めた空色の髪からは、皆が共同で使っている安モノの石鹸の匂い
それに混じる、ほんの微かな香木の燻(くゆ)り
二年経っても消えることのない、彼女の生まれの証

「俺は、後悔なんかしねェよ」

「その方がイイ」

腕の中で、呟くような声。
強張りを解いた彼女が、俺の胸に体重を預けてくる。

「でも、時々どうしようもなく淋しくなって、女のコに声を掛けまくるだろうなァ」


…こんな時に、馬鹿正直になるのはマズかった。
思いっきり抓り上げられた腕には赤く痣が残って、暫らく痛んだ。


   * * *


「…………あ?」

何時の間にか甲板の上に転がって、夜空を見上げていた。
確か今夜は宴会で、ついさっきまで飲んで歌って躍って…バカ騒ぎしていたハズなのに。
途中から、記憶がねェ。

ああ、そういえば今夜は二人のレディ−方が俺の為に夕食を作って下さって、
感謝のキスをしようとしたらば、拳骨と四つの字固めを頂いてしまったんだった。

「起きたか」

一升瓶を持ったクソ剣士が目に入る。
まだ回りの良くねェ頭で、尋ねてみた。

「レディ−方は?」

「とっくに寝た」

「クソゴムとウソっ鼻とトナカイは?」

「とっくに運んだ」

「…あ、皿洗わねェと」

「とっくに片付けた」

「…おめェがか?」

「悪ぃかよ」

「皿、割ってねェだろうな?」

「皿は割ってねェ…。グラスが1コだけだ」

「チッ…。まあ、そんだけで済んでりゃめっけモンだ」

とりあえず、今は何もすることは無いらしい。
クソ腹巻は一升瓶を飲み干し、手の甲で口元を拭って立ち上がった。

「てめぇ、立てるか?」

「あ〜〜、今はチョット無理だな」

「ナミが、お前も男部屋に運んどけって言ったんだがな」

「冗談!!ナミさんのお気遣いは有り難ェが、男に担がれるなんざ、御免だね」

「そう言うと思ったぜ。
 まあ、特に寒くもねぇしな。…ほらよ」

畳んだ毛布を腹の上に放り投げて寄越すと、そのまま蓋を開け、男部屋に降りて行った。

「……チョット待て、今夜の見張りは俺かよ?」

寝転がったまま、呟く。

「誕生日だぜぇ?勘弁してくれよ…」

ジャケットの内ポケットを探り、タバコを出して咥えた。

「それとも、気ィ遣ってるつもりなのかね……」

誰も居ない。
誰も聞く奴は居ない。
夜空を眺めたまま、星に向かって言った。

「あ〜、淋し〜〜」

元々、思っているコトを心に溜めて置くのは苦手な方だった。
だから時折、一人声に出してみる。
不安とか、焦りとか、恋しさとか
……痛みとか。

そんな感情に押し潰される前に
口に出してしまう。

「…想像してたより、百万倍くれェ淋し〜〜」

自分の弱さとか、ガキっぽさとか、不甲斐なさとか
……ちっぽけさとか。

そんなモノから目を反らさずに
誤魔化さずに。

「キレ−なお姉さんが居るんだけどさ〜、全然ツレないし。
 俺のコトはタイプじゃないみてェだしさ〜。
 ナミさんは相も変らずクソ剣士とラブラブだし〜〜。
 島とか着いても船番やってて、あんまり女のコにも出会えね〜し〜」


俺は君に言えなかったコトが、たくさんあった。
でも、君も同じだったろう?


   『私……、どうしたらいい……?』


あの時まで、気づかなかった。
君が迷っていたなんて。

海を、冒険を、仲間を
……俺を。

“国”と秤に掛けようとするなんて。
そして俺は、何て答えた?


   『君は一国の王女だから、これが俺達の精一杯の勧誘だ』


来て欲しいとも、来ちゃいけないとも、言えずに。
選ぶことと、決めること
全てを君に託したまま。


「まだ、他の誰にも言ってね−よ。
 “誰よりも……”」

独り言が、途切れる。

あの時に、その時に。
俺が違うコトバを言っていたら、結果は変っていただろうか?

……何をどうしたって、同じだったさ。

そう呟く俺が居る。
だって、俺が心底惚れちまった君は、“王女”の“ビビちゃん”だったから。
無理に引き裂こうなんて、思いもしなかった。

こうなるコトは、最初ッから判っていたさ。
それでも…、止められねェから“恋”だろう?


「…まだ、たった二ヶ月かそこらだぜ…。
 先は、長ェってのによ〜〜」


……今、欲しいモノは

   君の姿ではなく
   君の声でもなく
   君の温もりでもなく

   強さを

   離れていくばかりの距離に
   果ての見えない時間に
   この胸の痛みに

   挑み、耐えられるだけの強さを


「“恋の試練”ってのは、キビシイね〜〜」


タバコの煙がハ−トの形を描いて立ち昇る。
ぼやけていく輪郭の中を星が一つ、尾を引いて流れていった。


                                   − 終 −


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こちらは「Log」から4週間後の3月3日。
遠恋開始後間もなくなので、辛そうです。
「サンビビ企画」にこんなテキストを投稿していた私は、本当に異端なサンビビストです。(汗)
なお、こちらの枠内では二人がいかに根性入れて遠恋を継続していくか…という
お話になっていく予定です。
…予定だけ…。

(初出03.3 「Sol&Luna」様へはTopの〜Union〜より
 ※「サンビビ祭'03」への投稿テキストですが、企画終了のため現在は掲載されておりません。)