Floral



− 4 −

そいつの見てくれは、まあまあだった。
一応、世間一般の基準から言っても二枚目で通るだろう。
…俺の足元にも及ばないとしても。

いかにもおっとりとした優しげな“お坊ちゃん”ってタイプで。
そいつの国の民族衣装らしい長いロ−ブは、どこかアラバスタのソレと似ていて
王女の正装をしたビビちゃんと並んで立っても違和感がない。

門をくぐり、玄関まで来る短い距離の間、そいつは彼女にピッタリと寄り添い
しきりに何かを話しかけている。
純情な青少年らしく、頬を染めて。
ひどく熱心に、彼女だけを見つめて。

“王子さまは一目見て、うつくしい王女さまに恋をしてしまいました。”

…正真正銘、ホンモノの王子様だ。

ビビちゃんは、そいつの話をじっと聞いている。
やがて、金の腕輪や指輪で飾られた白い右手を唇に当てる。
明るい月の下、その目元が紅く染まり、眸を潤ませているのが判った。


咥えていただけのタバコに、火を点ける。

彼女の居る、世界。
俺の居る、世界。
それはこんなにも隔たっていて、……釣り合わない。

……だから、最初ッから判ってるって言ってンだろ?

カラダが沈みそうなソファ−に腰を下ろして、俺はボンヤリと翡翠の灰皿に
吸殻の山をこさえていた。


それから、多分、30分ほど経っただろうか。

ドアが開く気配に、ハッとした。
微かに流れ込んでくる甘さを押さえた清楚な香りに、誰なのかが判る。

そして俺は、……情けねェコトに、寝たフリをした。

「…サンジさん…?」

静かにドアを閉めた後、小さく呼びかける声。

「寝ちゃった……?」

ソファ−に凭れ目を閉じている俺に気づいたのか、気配が近づく。
いつもの俺なら、いきなり手を掴んで引き倒して。
抱きしめて、キスをして…。
驚いて恥ずかしがって、真っ赤になる彼女の反応を楽しむんだろう。
でも今は、そんな余裕はなかった。

……怖かったんだ。

彼女の言葉が。

「…寝たフリなんかして、何たくらんでるんですかッ!?」

その声と同時に、思いきり鼻を摘み上げられた。

「いべェッ…!?」

飛び起きた俺に、王女様は強い口調で捲くし立てる。

「この灰皿、まだあったかいじゃないですか!!たった今までタバコ吸ってたんでしょう!?
 サンジさん、どうせまた悪ふざけしようとして…!!!」

さすがは元・バロックワ−クスのエ−ジェント、ミス・ウェンズデ−。
鋭い観察眼だ。
ついでに俺のかつての行動パタ−ンも、しっかり覚えていてくれたようで。
とりあえず、軽いコトバでかわそうとした俺は、眉を吊り上げた彼女のいでたちに
ようやく気づいた。

「…え?」

まじまじと見つめる俺に、ビビちゃんはペロリと舌を出した。

「ス−ツのサンジさんとは釣り合わないけれど、コレくらいしないとバレちゃうでしょ?
 さ、出かけましょ」



− 5 −

目立つ空色の髪をキッチリと編み込んで、スカ−フを巻き付けて。
御丁寧に薄く色の付いた伊達メガネまで掛けている。
服装はといえば、ラフなTシャツにジ−ンズ。
確かに、これじゃあ誰も“王女様”だなんて思わねェだろう。

迎賓館を抜け出した俺達は、マリ−ジョアにある繁華街に来ていた。
もう遅い時間だが、グランドライン最大の都市だけあって、中心街は明るく賑っている。

二人、並んで歩くのは一年振りだ。
アラバスタへの航海の間、立ち寄った島で買出しを兼ねて一緒に出かけた。
まるで時間が戻ったようだった。

…錯覚だと、判っていても。

ビビちゃんは少し、はしゃいでいた。
俺達より二日早く着いていたが、街に出るのは初めてだそうだ。
余程、国の代表としての仕事が窮屈だったのだろう。
そう言うと、小首を傾げて考える素振りを見せてから、答えた。

「建前ばかりで堅苦しくはあるけれど、でも、大切なことだから。
 私が“アラバスタ”なのだから、もっとしっかりしなくちゃって思うわ」

前だけを見て、進んでいく強さ。
壊れても、喪っても。
あきらめも挫けもせず、新しく築いていく。
後ろばかり振り返る自分を、恥ずかしく思う。

…ハッキリさせなきゃな。
どうなったって俺は、何も変るコトはねェんだから。

「お見合い、したんでしょ?どうだった」

ビビちゃんは、ピタリと足を止めた。
真っ直ぐに俺の顔を見上げる。

「…そうね、とてもイイ人よ」

感情の無い声で、言った。
何故、今尋ねるのかと、非難しているかのように。

「そう…。」

良かったとも言えなくて、黙り込む。
タバコの煙が、ほのかな花の香りと混じり合う。

「とても優しくて、とても礼儀正しくて、とても上品で…」

彼女の声が、僅かに震えているように思う。
…もしも、彼女が望まないのなら。
それでもどうにもならないというのなら。

俺は本気で、あの国をぶっ潰しちまうだろう。
彼女を攫ってしまうだろう。


「…そして、とぉ〜ってもタイクツな人」


花びらのような唇の両端が、ニッと吊り上った。


…………へ?


レンズ越しに俺の顔を覗き込む、悪戯っ子の眸。
半分長さを残したタバコが、ポロリと口から落ちた。

「サンジさん、心配してくれてたの?」

鈴の鳴るような声が、クスクスと笑う。

「確かにそういうお話はあったみたいだけど、ちゃんと断ったのよ?
 なのに、向こうが勝手に…。
 ホントに困っちゃったわ。建前上は、お互い国の代表だもの。
 丁重に応対しないわけにもいかないし」

……その割には、随分とイイ雰囲気だったように見えたけど?

「なのに、政策のことでも国交のことでもなく、ダンスのことやワインの薀蓄の
 ことしか話さないんだもの。
 タイクツでタイクツで、何度アクビをしそうになったか判らないわ」

思い出してみる。
月明かりに照らされた、彼女の潤んだ眸。
アレは……アレは、アクビを噛み殺した所為だったのかァ!?

「サンジさん?」

黙ったままの俺に、不安そうな声。

「サンジさん……怒ってるの?」

おずおずと、ビビちゃんが言う。
…怒っているワケじゃねェ。ただ、ちょっと脱力しただけで。

「だって、サンジさん、あれからちっとも会いに来てくれないし」

今度は、少し拗ねたような口調で。
…文句は、クソゴムに言って下さい。
まったく、あの冒険馬鹿は寄り道ばかりしやがって、何時になったらグランドラインを
一周出来るのやら。

「…船には、私の後にミス・オ−ルサンデ−が乗ったって言うし」

ちょっと、疑わしそうに。
…ああ、残念ながら魅惑の学者女史は俺のことなんざ眼中にねェんだ。
どういう趣味か理解に苦しむけれど、彼女の眸はクソゴムだけを追っている。

「去年の誕生日にプレゼントを送ってくれたけど、カ−ドが一枚添えてあるだけで」

ひどく、淋しそうに。
“To my Princess, From your Prince.”
…だって、それ以上書きようがないでしょ?
贈った香水は、ちゃんと使ってくれているようで嬉しいけれど。

「たまに届く手紙だって、ナミさんやウソップさんの方が長いくらいだし」

こっちから、一方的に送りつけるだけの手紙。
次は何処に行くのやら、運任せ指針任せ、船長の気分任せでは、返事なんて
もらいようが無くて。
受け取ってくれた合図は、カモメ新聞の小さな有料広告欄一杯の“X(バツ)”印。
…そんなので、恋を語るワケにもいかねェし。

「…お金はかかるかもしれないけれど、電伝虫くらい掛けてくれたって…」

だって、声を聞くと会いたくて仕方なくなるし。
会ったら、離したくなくなるし。
…こんなふうに。


行き交うありふれた恋人達のように、言葉もなく。
ただ、抱きしめる。

甘さより爽やかさの勝る“フロ−ラル・フレッシュ”は、もう卒業だと思った。


   * * *


…その頃。
夜中にこっそり抜け出して、冒険に出かけたクソゴムとウソっ鼻とトナカイは大騒動
を引き起こし、それを追っかけていった筈のクソ剣士とナミさんは、バッタリ海軍に
遭遇して大立ち回りを演じていた。

ビビちゃんの子電伝虫で事態を知らされた俺達は、短い逢瀬を堪能する余裕も無く
街中を駆けずり回るハメになった。
結局、夜が明けるのも待たずに出航だ。
…再会から24時間すら経ってねェってのに!!

ボロボロのクセに大冒険で満足げな船長を、腹立ち紛れに蹴り飛ばす俺に
ビビちゃんは笑いながら言った。

「本当に、みんな変ってないわ!」

「おまえもな!!」

ルフィの言葉を締めくくりに、俺達はマリ−ジョアを後にした。



− 6 −

マリ−ジョアでの騒動から、一ヶ月が経とうとしていた。

あの後、“世界会議(レヴェリ−)”に叛旗を翻そうとしたとかで、クソゴムとクソ剣士
の賞金額はまた上がり、そして俺にも賞金が懸けられた。
初回額8千万ベリ−は、かつてロビンちゃんに懸けられた7千9百万を超える新記録
らしい。
とはいえ、クソ剣士は1億いっちまったんで、今一つ面白くねェが…。

「イイ月ね」

見張り台の上でワインを開けようとした手を止めて、甲板を見下ろした。
噂をすれば、何とやら。

「見張り、ご苦労様」

縁から身を乗り出した俺は、ボトルを掲げて黒髪のレディ−に言った。

「まさに、月下美人vv最高のワインには最高の恋人。
 よろしければ、御一緒に?」

片手の指に挟んだ二つのワイングラスを示す。

「遠慮しておくわ。邪魔するつもりはないもの」

「邪魔だなんて、とんでもない〜vv」

才色兼備の考古学者は、俺のセリフをキレイに無視して謎めいた微笑みを浮かべる。

「確か去年も、貴方が見張りだったわね」

「…そうですね」

しらばっくれても意味がねェんで、頷いた。
そしてタバコを咥えて火を点ける。

「もうじき、ロビンちゃんのお誕生日ですからね。
 とっておきのスペシャル・メニュ−を考えるには、静かな夜、貴女のように美しい
 月を眺めるのが一番ですvv」

…ああ、俺ってこういう奴だし。

「それは楽しみね。
 素敵なお料理を楽しみにしているわ。四日後には」

クスクスと笑いながら、女性部屋に戻っていく。
ツレないなぁ〜〜。
でも、そんな貴女も素敵だvv

ハ−トを飛ばす俺に、最後に振り向いて。

「だって私はもう、これ以上砂の国のプリンセスに恨まれるようなコトは
 したくないんですもの」


   * * *


コルクを抜いた瞬間に、夜の空気に流れる芳香。
清冽で弾けるような白よりも、ロゼのそれは華やいでいて甘い。

   『会いに来て』

最高のワインの恋人は、タバコの煙と月の光。
波の奏でる調べ。
目を閉じると蘇る、君のコトバ。

   『貴方が私を想ってくれている間は、必ずまた、会いに来て。
    私は、待っているから。
    …そう、決めたから』

いつだって君は、辛い方の選択をする。
俺のコトなんて忘れる方が、きっと楽なハズなのに。

   『だって私は、貴方以外の誰にも、もう恋なんて出来ないから』

花を束ねたブ−ケのように、より女性らしく、華やかに。
今年贈った香りは、あの夜の笑顔に良く似合う筈。


……いつか。
君が俺を待てなくなって、誰か他の奴と生きることを選んだとしても。

離れていても、何も出来なくても。
…ずっと。

君に恋した瞬間に、もう決めていた。
わざわざ、言うようなコトじゃねェけどさ。


だって俺は、君以外の誰にも、もう恋なんてしたくねェから。


月の光に透き通る淡い薔薇色を満たしたグラス同士を、軽く触れ合わせる。
潮風にチリンと、涼やかな音。

微かな花の香り。


「Happy Birthday,my Princess」


                                   − 終 −


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“フロ−ラル・フレッシュ”は、柑橘系に清楚な花の香りをミックスしたもの。
爽やかで甘さを抑えた香り。
“フロ−ラル・フロ−ラル”は、複数の花の香りをブ−ケのようにブレンドした
女性らしい華やかな印象を与える香りだそうです。
更にゴ−ジャスな印象の“フロ−ラル・アルデヒド”や強い甘さとセクシ−感のある
“フロ−ラル・スイ−ト”。
また、フロ−ラル系以外にも“オリエンタル”“シプレ−”という系統の香りもあります。
(“香水”“香り”等による検索での複数サイト様での総合情報)

なお、最後の場面がさりげに「Log」とリンクしています。
「Floral」は「Log」の一年後という裏設定です。

(初出03.2 「サンビビ天国」様主催「SANVIVI Celebration 03.2.1-3.31」
 「サンビビ天国」様は、既に閉鎖しておられます。)