Cigarette


※ このお話は「Floral」の後という設定です。 ※


− 1 −

懐かしい香りに、思わず振り向いた。
海兵の制服を着た若い男が咥える紙巻タバコ。
喫煙といえば、水煙管が一般的なアラバスタでは珍しい。

「いかがですか?」

余程、まじまじと見ていた所為だろう。
その男は箱の中の一本を差し出した。
戸惑う彼女に、丸い眼鏡の奥の眸が微笑む。
内緒ですからと言うように、口もとに人差し指を当てて。

少年のようなその仕草に、思わず手を伸ばして受け取ってしまった。

「おい、コビ−!行くぞ!!」

海兵はポケットから取り出した携帯灰皿に吸殻を放り込むと、背筋をしゃんと
伸ばして敬礼をした。
彼女が誰であるのか、知っていたのだ。
そして、彼を呼んだ背の高いヒョロリとした海兵の方へと走っていく。

「待ってくれよ、ヘルメッポ!」

彼女は手の中に残った一本のタバコを、そっとハンカチに包んでポケットに入れた。


   * * *


「ビビ王女、一体どちらにおられたのです!?」

血相を変えて飛んでくる護衛隊長に、彼女はウンザリと答えた。

「中庭を散歩していただけよ」

「海軍がひしめく建物の中で…!!」

「心配性ね、イガラム。ほら、そろそろ時間でしょう?」

いつもスケジュ−ルに口やかましい彼を皮肉るように、肩を竦めて見せる。

「何故今、海軍艦隊がアラバスタに寄港するのか、良くわきまえて下さい。
 例の“世界会議(レヴェリ−)”の件で、貴女を疑っているのかもしれないのですよ…!」

耳元で囁かれ、彼女は表情を引き締めて応えた。

「判っています」


   * * *


アラバスタ東海岸の港町、タマリスク。
海軍にその人ありと知られた英雄、ガ−プ中将率いる海軍艦隊との謁見式は
国王代理であるビビ王女の臨席の元に、つつがなく執り行われた。



− 2 −

立ち寄った島は、小さな無人島だった。
ログは半日で溜まるが、そのまま停泊することになった。
ちょうど、3月2日だったので。

今日の夕食に、サンジは手を出さない。
GM号における3月2日は、料理人の夕食準備免除が恒例になるようだ。

魚はウソップが釣り上げ
カニとエビとついでにタコは、ゾロが海に潜り
貝類はロビンが“三十輪咲き(トレインタ・フル−ル)”で砂浜をさらえ
野草はチョッパ−が森で探し
料理はナミが担当する。
…とはいっても鍋なので、することは大してないのだが。

ルフィは暇なサンジの話相手をしている…というのは建前で、要は盗み食いの
予防である。
この場合、どう考えても最も困難な仕事をやらされているのはサンジであろう。
だが、一人でボ−ッとしていると果てしなく落ち込んでしまう傾向のある彼にとっては、
暇を持て余すよりタバコを燻らす傍らにゴムを蹴り飛ばしている方が、まだマシなようだ。

何はともあれ、砂浜での宴会は毎度のごとく盛り上がった。
材料豊富な“海賊鍋”は、好評の内にクル−の胃袋に収まり
キャンプ・ファイヤ−を囲んで、飲めや歌えや踊れやの内に
酒に弱い者からが潰れてお開きになる。

「ほらほら、ゾロ!
 そこらへんに転がってるマグロ共をさっさと男部屋に運んでちょうだい!!
 まあったく、いつまでたってもお酒に弱いんだから」

酒豪の航海士が、酒豪の剣士にアゴで言いつけた。
文句を言いながらも、ゾロは両肩それぞれにルフィとウソップを担いでGM号に戻る。

「後片付けも私達でするわ」

ロビンが生やした“手”で、リレ−のように皿やらジョッキやらを運んでいく。
まったく便利な能力だ。

「そんな、滅相もない。
 レディ−方の白魚の手に水仕事をさせるなんて、もっての他です!!」

ほろ酔いながらラブラブモ−ド全開のサンジに、振り向いたナミが事も無げに言った。

「ああ、サンジ君には今夜の見張りをしてもらわなくっちゃ」

「見張り?そりゃ構いませんけど…」

レディ−の御依頼を断るラブコックではない。
だが、これこそ誕生日ぐらいは免除されてもイイ仕事ではなかろうか?

「ついでにハイ、これ」

ナミはバスケットをサンジに押しつけた。

「ナミさんが俺の為に夜食を…!?感激だあぁあ〜〜vvv」

 げしっつ

飛びついて来た料理人を鉄拳で砂に叩きつけ、ナミは腰に手を当てる。

「食べたりなんかしたら、弁償しなきゃなんないでしょッ!!」

「どう料理しても不味いと思うけれど…?
 でも料理人さん。コノ中身は食べ物よりも、もっとイイモノよ」

口元だけで微笑むロビンに、砂塗れのサンジは一瞬で復活する。

「そんな、モノだなんて…。
 俺は貴女からの甘〜いキッスがあれば十分……」

 メキッ グキゴキッ

「てめぇもイイ加減懲りよな、エロ眉毛」

「う、うるせェ〜、マリモヘッド〜〜」

砂から生えた“手”で四つの字固めをかけられたサンジは、チョッパ−を小脇に
かかえたゾロに悪態をついた。

「ああ、もう!!
 あんたは引っ込んでてよ、ゾロ。
 ロビンも早くサンジ君、離してやって」

「そうね、これ以上遅くなるとマズいわ」

ロビンの“ハナハナの実”の能力から解放されたサンジは、砂の上に胡座をかいて
コキコキと首や肩の関節を回す。
不屈のラブコックだけあって、あまり懲りた様子もないようだ。

ナミは先刻のバスケットを改めてサンジの目の前に置いた。
訝しげに蓋を開け、中を覗いたサンジは目を丸くしてナミを見上げる。

「ナミさん?これ…」

「レンタルだから、次の島で使用料払って返さなくちゃなんないの。
 まあ、誕生日だし、日頃の労働に感謝を込めて多少は大目に見るけれど
 あんまり長話はしないでよね。長距離対応型は高いんだから」

「海賊がきちんと使用料を払うっていうのも、妙な話ね」

淡々とした口調で言うロビンに、ナミは肩を竦めた。

「バッカねぇ。“世界会議(レヴェリ−)”を荒らした大物海賊団がレンタル料を
 踏み倒したなんて、カッコ悪いじゃないの!!」

「…そういう問題かしら…?
 ところで料理人さん、掛けるのならコノ番号にするといいわ」

ロビンが10ケタ程の数字を書きつけた小さなメモを手渡した。

「じゃあ、おやすみなさい」

「ごゆっくりvよろしく言っといてね〜vv」

砂浜に一人残された料理人は、頭を掻いてタバコを咥えた。

「あ〜、まいった。ど〜〜しよ〜〜」



− 3 −

ようやく、今日一日の公務が終った。
化粧を落とし、きゅうくつなコルセットを外して部屋着に着替えると、“ビビ王女”は
ただの“ビビ”に戻る。
私室の窓辺に置いた椅子に座って、ハンカチに包んだタバコを取り出した。
何の変哲もないソレが、とても貴重に思える。

席を立ち、チェストの引き出しを開けた。
その一番上に入っているのは、まだ新しい手配書だ。
“世界会議(レヴェリ−)”が終了した翌日に、全世界に向けて配信された四枚。

   『モンキ−・D・ルフィ 1億5千万ベリ−』
   『ロロノア・ゾロ 1億ベリ−』
   『ニコ・ロビン 9千9百万ベリ−』

そして、

   『サンジ 8千万ベリ−』

額に青筋を浮かべてこちらを睨みつける眼光は、いかにも凶悪そうだ。
黒いス−ツと咥えタバコの所為か、あまり“海賊”らしくは見えないが。
海楼石の檻に捕われたルフィを救出するために、世界政府直属の親衛隊と闘った時に
撮られたのだろう。

……あの時のサンジさん、物凄くキレていたから…。

その輪郭を指先で辿りながら、思い出す。

   『てめェ等にソイツの首はやれねェな。
    そのクソゴムは……、俺が百万回オロすんだからよッツ!!!!』

どうも、ビビとのデ−トを邪魔されたのが原因らしい。
無事、救出作戦が成功した後も

   『おめ−はッ!!ヒトの恋路を邪魔しやがって!!!
    俺に蹴られて死んじまえ〜〜〜ッツ!!!!』

一年前のGM号そのままの光景が、ビビには嬉しかった。


笑みを浮かべながら一旦引き出しを締め、下の引き出しからマッチを取り出した。
窓際に戻り、手に取ったタバコの先端に火を点けてみる。
煙は上がるが、少し香りが違うような気がする。

……吸わないと、ダメなのかしら?

そう思い、おそるおそる持ち上げてみる。
親指と人差し指で挟み、唇に近づけていく。
悪いコトをしているようで、少しドキドキする。
とうに立志式も済ませている彼女には、別に何の問題もないのだが。

深く吸い込んで、鼻を突く刺激にむせかえった。
喉を刺す不快感。
激しく咳込みながら、思う。

……こんなの、ドコが美味しいの…?

キッチンで、甲板で。
一仕事の後、いつも満足そうに煙を吐き出していた男の様子とは、まるで一致しない。
肺の内側がキナ臭くてザラザラする。
けれど、舌に残る苦さは懐かしいものだった。

あまりにも鮮明で……胸が、痛む。

窓辺に置いた小さな包み。
一つは去年、買ったものだ。
そしてもう一つを買ったのは、つい最近。
渡すことの出来ないバ−スディ・プレゼント。

マリ−ジョアで会えると知っていれば、去年の分は持っていったのに。
間に合うかどうかギリギリの航海だったらしく、知らされたのは向こうに
着いてからだった。

…落胆させては可哀相だと、気を遣ってくれたのは判っている。

いつか、渡せる日は来るのだろうか?
それまでに幾つ溜まってしまうのだろうか?

手紙も、贈り物も、向こうから届くだけ。
返事は出せない。
彼等は自由な冒険の旅を続け、彼女は此処に留まったのだから。

形式や建前や面子や
そんなクダラナイことに振り回されながら、生きている。

無意識に、タバコを持った左の腕を右手で掴んでいた。
ブレスレットの下に隠した“仲間の印”。
椅子の上で膝を抱えて背中を丸めると、ほとんど消えかけた花の香りが
タバコと混じり合う。

アラバスタには、無い匂い。


   『砂漠の国だからなんだろうけれど。
    ナノハナの香水って、な〜んかどれも強烈すぎて“ビビちゃん”の
    イメージじゃなかったんだよな』


…切なさと恋しさが、込み上がる。
自分から言い出したことなのに。


   『待っている』


そう、決めたのに。

次に会えるのは何ヶ月後?何年後?
何度目の再会で、彼と一緒に行けるだろう…?


……アラバスタを“王の要らない国”にする。


けれど、それには時間がかかる。
何千年も続いた王政なのだ。
一国の政治体制を変えるのは、生やさしいことではない。

父の代では、無理だろう。
自分の代になっても、叶わないかもしれない。
自分が生きている間にさえ…。
だから、彼には言わなかった。

…それでも。

国も、仲間も
夢も、冒険も
王女としての勤めも
…恋も

全てが未来に続くように。
“いつか”をこの手で築くことが、彼女の選んだ道だった。

……後悔は、しない。
   絶対に諦めない。

けれど。

せめて今夜は、声を聞きたかった。
そして、言いたかった。

……サンジさん…。

夜空に輝く星の光が、薄い煙の膜の向こうにぼやける。


 コン コン


躊躇いがちなノックの音に、ビビは手にしていたタバコを石造りの壁に押しつけた。

「入りなさい」

今夜は、独りにしておいて欲しいのに。
そう思いながら、振り向きもせずに返事をする。
タバコのせいで滲む涙を見られるワケにはいかない。

「ビビ王女、夜分に失礼いたします」

「何事です?」

「はい…その、電伝虫が」

タバコのニオイに驚いたのだろう。
今夜の当直らしい侍女が、うろたえた声で言う。

「こんな時間に?」

「ですが、直通のホットラインに掛かってきておりますので。
 それに…」

直通の番号は、世界政府の関係や国交を結んでいる国からの緊急連絡専用のものだ。
盗聴の対策も徹底している。
表情を硬くして立ち上がったビビに、侍女は戸惑いを浮かべた声で言った。

「“Mr.プリンス”と名乗っておられますが…?」


せめて、今夜は。


……Happy Birthday,my Prince.


                                   − 終 −


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(初出03.3 「サンビビ天国」様主催「SANVIVI Celebration 03.2.1-3.31」
 「サンビビ天国」様は、既に閉鎖しておられます。)