祝 祭



天蓋付きのベッドの上で、大きく一つ伸びをした。
そして、サイドテ−ブルの上に置いた腕輪を手にとる。

かつて母の身を飾った品は、手首の上から肘までの半分近くを覆う幅広のものだ。
左腕に嵌めた金細工を暫し眺め、右手の指先で撫でる。
斜めに十字を切るように。

それが、アラバスタ王女ネフェルタリ・ビビの毎朝の儀式だった。


   * * *


「お入りなさい」

ノックの音に答えると、恰幅の良い女が洗顔用の湯の入った水差しを手にドアを開ける。

「ビビ様、おはようございます」

宮殿の台所を預かる給仕長であり、護衛隊長夫人でもあるテラコッタは
ビビ王女の世話係も兼ねている。

「おはようテラコッタさん。今日も良いお天気ね」

寝巻き姿でベッドから降りたビビが、笑顔で挨拶を返す。

「ええ、本当に。広場には、もう人が集まり始めているようでございますよ」

「随分気が早いのね。式典は12時からなのに」

洗面台に促されながら、ビビは言った。

「皆、待ちきれないのでしょう。なんといっても、年に一度のお祭りですから」

お湯で顔を洗ったビビは、テラコッタから渡されたタオルで顔を拭いながら複雑な気分になる。

一昨年は、アルバ−ナでの戦いが終わった四日後。
伸び伸びになっていた立志式の日だった。
それが去年から、今日になった。

本来なら、今日であるべきではないと思う。

だが、万単位の死傷者を出したアルバ−ナでの反乱軍と国王軍の激突の記憶は
いまだに生々しい傷跡を人々に残している。

また、“海軍及び世界政府の慎重な捜査により”七武海・クロコダイルの罪が公のものと
なったのは、アラバスタが雨を取り戻して半年近くを経た後であり何の意味も持たない。

だから、ごく自然に人々は今日を祝った。
命を賭して祖国を救った世継ぎ王女の誕生日に、全ての喜びを込めて。


アラバスタの人々は、2月2日を“解放の日”と呼んだ。


   * * *


身支度を終え朝食を済ませると、早速朝議だ。
立志式以降、ビビも必ず出席していた。

国王はもちろん、護衛隊長のイガラム、副隊長であるチャカとペルの姿もある。
今朝の主な議題は、むろん正午からの王女の誕生日を祝う式典についてだ。
アラバスタの主だった町からの代表者の到着や、警備について。
立志式以降恒例となった、電伝虫と拡声器を使っての全土へのスピ−チ放送の手配。
国交のある国からは親書が。国民からは贈り物や手紙が山のように届いているという。

「内容を改めまして、親書と手紙は後ほど王女の元へお持ちします。
 贈り物は、特に親しくされている方からの品以外はリストのみをご報告し
 孤児院や病院等への寄付ということで取り計らわせていただきます」

「わかりました。
 けれど、イガラム。頂いたお手紙は、内容に関わらず全て私の元に届けてちょうだい。
 “内容に関わらず”よ?」

護衛隊長兼王女の目付け役は、黙って頭を下げた。

「ところでイガラムさん。世界政府からは、何か?」

チャカの問いに、イガラムは首を横に振った。

「相変わらずのようだ」

「もう二年になるというのに…。
 何時になったらビビ様を王位継承者として認める気なのだ!?」

ペルが苦々し気に呟き、チャカは難しい顔で黙り込んだ。

実のところ、ビビはまだアラバスタの正式な“世継ぎ”ではなかった。
世界政府に提出したアラバスタ王国次期王位後継者としての承認を求める文書への
正式回答が無いからだ。
再三の督促も、暖簾に腕押し柳の枝に風。

噂では、
『秘密犯罪会社の社員であった経歴を持つ者を、世界政府加盟国の席に着かせるのは
 如何なものか?』
という意見があるのだという。
『…ましてや、“例の海賊一味”との繋がりもあったとか…?』

その話にイガラムは溜息を吐き、ペル、チャカらは激昂した。

『何も知らぬ輩が!!ビビ様と“彼等”を愚弄するとは、許せん!!!』
『クロコダイルの陰謀にも気づかなかった凡俗共め!責任転嫁も甚だしい!!』

国王は、

『下らん嫌がらせだ』

と笑い飛ばした。
今日も気にした様子もなく、朝議を締め括る。

「放って置くが良い。
 どう引き伸ばそうと、世界政府はビビの王位継承を認めざるを得ん。
 せいぜい勿体をつけて、恩を着せようとでも思っているのだろう。
 世界政府の承認があろうとなかろうと、ネフェルタリ王家の血を引く者も
 国を治めるに足る器量を持つ者も、ビビ以外にはおらぬのだ」

国王の言葉に、重臣達が一斉に頭を垂れる。
ビビも長いスカ−トの裾を摘み、父王に会釈する。

金の腕輪が陽の光を受けて、キラキラと光った。


   * * *


朝議が終わり、皆が慌しくそれぞれの仕事に戻っていく。
チャカとペルも、これから宮殿内外の警備の指揮を執るのだろう。

立志式の翌日。
死んだと思われ墓まで建てられていたペルがアルバ−ナに戻った時は、皆驚いた。
唯一人、チャカだけが

『せっかく一番高い花束を墓石に供えてやったのに。無駄になってしまったな』

と、笑いながらもう一人の守護神の肩を抱いた。
抱かれた方は、やはり笑いながら答えた。

『どうせ供えるなら、酒にしてくれれば良かったものを。気の利かん奴だ』

国を出る前と変らない、二人のやり取り。
夢ならどうか覚めないでと、瞬きすら出来ず立ち尽くすビビにペルは困ったように言った。

『ビビ様、なんてお顔をなさっておられるのです?
 大丈夫、脚はまだくっ付いておりますよ。あやうく引き千切れるところでしたけれどね』

冗談でも何でもなく、彼はもう、人の姿では走ることも出来ない。
チャカもまた、クロコダイルとの闘いで負った傷は深かった。
雨が近づくと傷跡が酷く痛むので、すぐに判ると笑う。
…そういえば今朝はしきりに難しい顔をしていたと、ビビは回廊で晴れ渡った空を仰いだ。

どちらも“悪魔の実”の能力者でなければ、とうにこの世の者ではない。
傷が癒えても、今までのような働きは出来ないと思った二人は揃って“守護神”たることを
返上しようとしたのだが、王からはこっぴどく叱責された。

『わしは次の王を育て終えるまで、まだまだ頑張らねばならんのだぞ!!
 お前達がそれに付き合いもせず、さっさと楽をしようというのは不公平だとは
 思わんのか〜!!?』

余りにもコブラらしい言い草に、その場の皆が苦笑した。
当の二人も苦笑しつつ、“守護神”として国と王家への忠誠を新たに誓ったのだ。


   * * *


銀の盆の上に積み上げられた封筒の山が、王女の執務室に運ばれてくる。
内乱中はずっと外交も途絶えていたのにと思うと、複雑だ。
しかも熱心に親書を送って来るのは、決まって独身の王族が居る国からなのだ。

溜息を吐きながら目を通し、タイプ打ちされた型どおりの礼状にサインをしていく。
また一つ手にとったのは、旧ドラム王国…今は“サクラ国”を名乗る冬島からの親書だ。
穏やかな眸と大きな身体を持った“ウシウシの実”の能力者の名が、国家元首として
記されている。

親書の文面は率直で暖かく、王女の誕生日とアラバスタの目ざましい復興を祝う内容だ。
人任せにすることなく自分で考えたものなのだろう。
だからビビも白紙の便箋を取り出して、ペンを握った。

『勇気ある王女に、我が祖国の新たな名を告げ、この旗をお見せ出来ることを
 無上の喜びに思います。
 これが、彼の者達に負けぬ我が国の“信念の旗”となるでしょう』

立志式から半年ほどして、王女個人宛の親書として届いた短い手紙。
添えられていたのはハンカチ大の“サクラ国”の新国旗。

 髑髏のマ−クにサクラの花吹雪

これを見たら青い鼻のトナカイさんは、どんなにか喜ぶだろう。
どっと懐かしさがこみ上げて、ハンカチ(?)は早速役に立った。

王女自らがアイロンをかけた小さな国旗は、彼女の宝物として手紙と共に
鍵の掛る引き出しに大切にしまわれている。

あの時の返事も、すぐに書いた。

『貴方の口から、貴方の国の名前を教えていただける日が楽しみです。
 次にお会いする時は、お互いに違う立場にならざるを得ないことを、嬉しく
 そして少し淋しく思います』

明らかに“海賊旗”を模した国旗…別名“ヒルルクの桜”は、やはり世界政府には
承認を保留されたままだ。
けれど、この親書の交換をきっかけに冬の国と砂の国は急速に親しくなっていった。

人の行き来と物品の流通は、国の経済復興に欠かせない。
長く疎遠だった二つの国は今では航路も確保され、互いに順調な交易を行っていた。


   * * *


親書に続き、国民からの手紙に目を通す。
今日の日に便乗しての嘆願書のたぐいも混じっているが、基本的には王女の誕生日を祝い
末永い王国の繁栄を願う内容ばかりだ。
…今日という日だからこそ、色々な手紙が来るだろうに。
あれだけ言ってもまだ、自分の元に届く前に握り潰しているのだろう。

未来の執政者の元に届く便りが、好意的なものばかりである筈がない。
批判や中傷、告発も混じる。
その件で、イガラムとは何度も口論になった。

『私には、国民の声を知る義務があるのよ!?』

そう主張して譲らない彼女に、イガラムも譲らない。

『真っ当な声ならば、確かにそうでしょう。
 しかし、被害妄想にかられた病人からの悪意の垂れ流しは医者の仕事であり
 脅迫や密告は警察の仕事です。
 そして、貴女にお見せすべき国民の声であるかどうかを判断するのは、我々の仕事です』

また明日あたり、イガラムと同じ議論の繰り返しになるだろう。
向こうに引く気がないように、彼女にも引く気はない。
こうなったら根競べだ。

気合を入れ直したビビは、丸めて赤いリボンで結えた何枚かの紙に目を留めた。
何だろうと開いてみると、海軍最新刷りの指名手配書だ。

…彼女への、最高の便り。

相変わらず海賊らしからぬ、満面の笑顔の麦藁帽子の少年は
今も真っ白い歯を見せて海の上で笑っているのだろうか?
血塗れの剣士は、やっぱり緑の腹巻に腕枕をして甲板で居眠りの最中だろうか?

また賞金額が上がっているのを見ると、行く先々で大騒動を引き起こしているようだ。
一枚一枚、手配書を繰っていく。
こんな形ではあるが、無事を確認できる“仲間”は少しづつ増えている。
きっと皆も同じものを見て、写真写りが悪いとか賞金額が不満だとか
朝から賑やかに違いない。

そして何時かは彼女の知らない顔も、“麦わらの一味”として名を連ねることになるのだろう。
…この黒髪の女のように。

 “ニコ・ロビン/麦藁海賊団”

八歳の姿から、二十年後の姿に訂正された写真。
テンガロンハットの下の美しい顔は、彼女の良く知る謎めいた微笑を浮かべている。
ビビは、女の顔に手を伸ばした。

その白い指先で、スッと通った鼻筋の上を、ぺしっと弾く。
ついでに

「べえええぇ〜〜〜ッだ!!!」

と、派手に顔を顰めて思いっきり舌を出す。
そして、女の手配書を一番下に並べ直した。
これは引き出しに入れるのだ。

今までの彼等の手配書や、手紙や冬島の国旗と一緒に。
鍵の掛る引き出しに。


   * * *


式典は12時からだが、10時になるや正装への着替えだとテラコッタが乗り込んで来た。

コルセットで締め付ける前にと、髪を整えられながらス−プやパンなどの軽食を取る。
式典の後は来賓を招いての宴となるが、悲しいかな主賓は自分の為に作られた御馳走を
食べている暇などないのだ。

力一杯コルセットでウエストを絞られ、薄い絹を幾重にも重ねたドレスを着る。
普段の執務で着ているのも一応は裾の長いドレスだが、装飾はほとんど無く
無駄に布を使わないデザインだ。
もちろんコルセットも省略している。

動きにくくて苦しい格好は好きではないが、今日のような日には止むを得ない。
…そんな“止むを得ない”日が、次第に増えていく。
肩から床まで届くマントを羽織ると、今度は装身具だ。

「腕輪は、こちらの方に付け替えを」

左右対の、幾つもの細い輪を繋げた細工の腕輪を示されて、ビビは首を横に振った。

「いいの。左はこのままにして」

「ビビ様は、本当にその腕輪がお気に召していらっしゃるのですね」

テラコッタと共に着付けを手伝ってくれている侍女頭のメイディが、微笑みながら言う。

「ええ。だって、お守りですもの」

昔から公式行事でもない限り、高価な装身具を一切身につけない娘へ
国に戻って最初の誕生日の父からの贈り物。
ビビの母、ティティ王妃の遺品の一つだ。

ビビにとっては、何よりも嬉しい品だった。
王女の身ではリストバンドというワケにはいかないし、かといってずっと包帯を巻いていたら
周囲に心配をかけるだろう。
亡くなった母の品であれば、常に身につけていても誰も不審には思わない。

…お守りは、腕輪の下にもう一つあるのだとしても…。

テラコッタは何も言わず、左腕はそのままに右腕にだけ別の腕輪をつけた。
更に首飾り、髪飾り、耳飾り…。
どれもこれも細工といい、宝石の大きさといい、去年より格段に豪華になっている。

「…何だか、年を追うごとに正装が重くなる気がするわ…」

耳元でシャラシャラ音を立てる耳飾りをいじりながらぼやくビビに、テラコッタは
静かに微笑みながら答えた。

「王族の正装とは、そういうモノです。
 それだけビビ様が負われる責任が増したということでしょう。
 この程度で弱音を吐いていてどうなさいます?王冠は、もっと重いのですよ」

いつもより濃い化粧を施されながら、ビビは鏡に映る左の腕輪をじっと見つめていた。


   * * *


着替えが終わり、国王が護衛隊長を伴って控えの間にやってくる。

「そうしておられると、時が二十年前に戻ったかと見まがいますな」

「うむ…。時間が経つのは早いものだ」

二人は揃って毎年恒例の感想を口にする。
彼等にとって世界最高の美人は、今も亡き王妃唯一人なのだろう。
その母に生き写しと言われるのだから、
『けっこうイイ線いってるかも?』
とか、王女らしくないことを考えたりする。

控えの間から、国王と護衛隊長に付き添われてスピ−チを行うバルコニ−へ向かう段取りだ。
この国の“正当な王位継承者”だというアピ−ルを兼ねている。

単なる王女は“お姫様”だが、王位継承者は違うのだと繰り返し叩き込んでいく。
国の内に、国の外に。そして、ビビ自身にも。

開いた窓から入る風が、ほんの僅かな湿りを帯びているような気がした。
窓辺に近づき視線を下に落とすと、中庭には色とりどりの衣装を身に着けた人々や動物達。
派手なペンキで塗られた木の馬車が、幾台も止まっている。

「あら、今年は芸人さん達を呼んでいるの?」

警備には煩いイガラムが良く許したものだと振り向くと、どういうワケか引き攣った顔には
玉のような汗が浮かんでいた。

「えっ!?まっ、ゴホン!マ…マ〜〜♪
 まあ、宴の余興にということで……ですな!国王様!!」

「う、うむっ!!ビビちゃんの誕生日のプレゼントにと思って、最近グランドラインで評判の
 サ−カス団を招待したんだよ〜。
 このまま暫くアラバスタで興行してもらえば、国民の楽しみにもなるし一石二鳥だと思って。
 せっかくビックリさせようと思ってたのに、もうバレてしまったのか〜〜。パパ、がっかり…」

国王の威厳は何処へやら。
すっかり馬鹿父モ−ドのコブラに、呼び方もつい昔に戻ってしまう。

「パパったら、そんなにしょげなくても…。嬉しいわ。宴が楽しみね。
 でも、何だか見覚えのある顔を見たような気が……」

窓から身を乗り出そうとするビビを、イガラムは慌てて引き止めた。

「おおっと、ビビ王女!もうこんな時間ですぞ、そろそろ行かねば!!」

「え?まだ少し早いんじゃ…」

振り向いたビビに、イガラムと並んだコブラ王のアップが迫る。

「いやいや、警備をしている兵士達の負担を考えれば遅いより早い方が良い。
 さ、行こうか!!」

二人に追い立てられるように窓から引き剥がされたビビは、首を傾げながら思った。


……凄く似てたように思ったんだけど…。
   でも、まさかね。もう、二年も経っているんだし。


もう、二年も経ったのだ。
港町も以前の活気を取り戻し、国の外からの人の流れがアルバ−ナに届くようになった。
ようやく、ここまで来た。


   * * *


中庭に止められた馬車の一台から、ごそごそと一組の男女が出てきた。
痩せてひょろりとした金髪男と浅黒い筋肉隆々の赤毛の女の取り合わせは、遠目には
性別が逆に見えるだろう。

「それにしても、凄いお城だね〜。コレがあのコの家ってワケかい」

怪力自慢の副団長が、聳え立つ白亜の宮殿を見上げながら溜息を吐いた。

「いやはや、本当に王女であらせられたのか〜〜。
 しかし新聞の顔写真を見ても、どうもピンと来ないな」

アクロバットの名人である団長が、今朝の新聞を手に首を傾げる。

「あたし達のこと、覚えてると思うかい?」

「覚えてないだろう?もう、二年以上経っていることだし」

素っ気無く返されて、副団長は鼻で笑った。

「ふ−ん。じゃ、あんたの頭にある、そのショボイ王冠は何なのさ?」

「君こそ、ゴツイカオに似合わないヘアスタイルはやめたまえ」

睨み合った二人は、同時に視線を逸らせた。

「…言っとくけど、別に大昔のコトを恩に着せて礼金せしめようってワケじゃないからね。
 どっちかって−と、この国は例の会社に酷い目に合わされたんだから。
 元社員だなんてバレたら命は無いかもしれないんだよ?」

副団長の言葉に、団長はピンと小指を伸ばした手で顎を撫でながら答える。

「そんなこと、言われなくても団長の私はちゃんとわきまえているさ副団長。
 とはいえ、この不景気にせっかくの儲け話。
 団員は養わねばならないし、断わるワケにもいかんだろう?
 …それに、昔のパ−トナ−の安否は気になるじゃないか…。
 君だって、そうだろう?」

「ちくわ頭のオッサンは、殺しても死にそうになかったけどね〜。
 案の定、護衛隊長なんかやってるみたいだし。
 ま、昔のパ−トナ−に捕まるなんてのは御免被りたいもんだ」

「まったくだ。その時は、“昔の恩”ってヤツを着せてトンズラといこうじゃないか?ベイビ−」


昔のパ−トナ−と、昔のパ−トナ−の父に招かれたことを知らない“謎なぞサ−カス団”の
団長と副団長は、数時間後に王女との感動の再会を果たすことになる。


   * * *


来賓のための祝祭会場となった大広間には、大勢の人が溢れ返っている。
このど真ん中を突っ切って、バルコニ−に出るのだ。
人々の中には、見知った顔が幾つもある。

例えば、ユバ代表代理として出席しているコ−ザ。
いまだにビビは一対一で会う時は、彼を“リ−ダ−”と呼ぶ。
本人からも周囲からも何度も注意されるが、やっぱり改めるつもりはない。

けれど、こういった場所ではお互い、よそよそしくなってしまう。
王女としての彼女は、一つの町の代表者である彼に必要以上に親しく出来ないし
元反乱軍の指導者であった彼は、自分から王女に近づこうとはしない。

内乱の事後処理、ユバ復興の状況報告、そしてこういった公式行事への出席。
三年間の無理が祟ったのか、砂漠の旅が堪えるトトに代わってコ−ザはしばしば
アルバ−ナを訪れる。

“元反乱軍の指導者”が、事あるごとに王宮に出向き、国王と王女の前に跪くことには
意味があるのだ。

それもまた、自分に出来る“償い”の一つなのだとコ−ザは言った。

悪いのはクロコダイルなのだと
だから、王は誰の罪も問わないのだと

何度言っても、彼女に劣らず頑固な幼馴染は首を横に振る。

知らなかったのは、罪だと
そして、信じなかったことこそが罪なのだと

彼の号令の元、多くの若者が内乱に身を投じて命を落とし、身体の一部を失った。
彼自身が手に掛けた国王軍の兵士も居る。
一生を掛けてその償いをするのだと、人一倍責任感の強い男は言う。

コ−ザと共に反乱軍の中枢を占めた若者達も、それぞれの故郷に戻り復興の中心となって
働いている。
皆、近い未来にアラバスタを支える大きな力となるべき者達だ。

コ−ザに、そして彼等に向かって問いたい言葉を、ビビは幾度も呑み込んだ。


『私は“知っていた”のに。“信じていた”のに。
 大勢の犠牲者が出るのを止められなかったのよ…?
 罪は、どちらが重いの?』


   * * *


開け放された扉から、緋(あか)い絨毯がバルコニ−へと続いている。
いつの間にか空には薄く雲が出ていたが、強い日差しが遮られて丁度良い。

ビビが姿を見せると同時に、宮前広場を埋め尽くした人の海から凄まじい歓声が上がる。
まるで津波のようだ。

名も知らぬ人々
言葉を交わしたことも無い人々

この場所からでは、一人一人の顔を判別することさえ出来ない。

彼等が、口々にビビの名を叫ぶ。
この国の王位を継ぐ者の名を。

それは、とても嬉しいことだと思っていた。
それは、とても怖いことでもあると、今は思う。

無意識に、右手が左腕に伸びていた。
気づいたビビは両手をぎゅっと握り締める。

真っ直ぐに顔を上げ、前へ進む。
バルコニ−の端に立つと、兵士から渡された拡声器のマイクを手に取った。
そして、目を閉じる。


……ねぇ、みんな…。
   私の“声”が聞こえますか?


目を開いた王女は、人の海に向けて静かに語り始めた。


〔私は十四の時に、国を離れ旅に出ました。…二年の旅でした。
 けれども、それは十年にも二十年にも思われる、長い長い旅でした…。〕


厨房で宴に出す料理の指揮をしていたテラコッタが、手を止めて王女の声に耳を傾ける。
料理人も給仕達もそれに習い、戦場さながらの厨房は、しんと静まり返った。


〔旅の中で、多くの人々に出会いました。
 本当の名も、生まれも、立場も隠して。或いは、生まれも立場も関係なく。
 けれど、そこで出会った人々と私は一人の人間として対していました。
 そして知ったのです。私という人間が、どれほど無力であるのかを…〕


雪に覆われた遠い冬島で、時計の示す時刻に気づいた男は執務の手を止めた。
聞こえない声に耳を傾けるように、暫し目を閉じる。


〔私には、刺客から逃れる術さえありませんでした。
 自分で自分を守ることすら出来なかったのです。
 誰かが斃(たお)れ、傷を負う度に自分の無力さを憎みました。
 …その憎しみは、“敵”へのそれに負けないほどに強く激しいものでした…。〕


中庭で、出番を控えてウォ−ミングアップをしていたサ−カス団の団員達は、
何やら直立不動の団長と副団長に気づいて互いに顔を見合わせた。


〔かつて、この場所で国を覆う闇が私に言いました。
 『教えてやろうか?お前に国は救えない』
 目が眩むような怒りと憎しみの中にあってさえ、私にはその言葉を否定することが
 出来ませんでした。〕


守護神達は、それぞれの化身たるジャッカルとハヤブサの姿で控えている。
万が一にも王女を狙う刃や銃弾があれば、我が身をもって盾となる覚悟で。


〔あの時に、あの瞬間に。
 違う判断をしていれば、もう少し力があれば、一人でも、百人でも、万人でも
 失わずに済んだ命があったのではないか…?
 ふとした時に、私の心の内から繰り返し“声”が聞こえてきます。
 その度に、私の中で憎しみが首をもたげます。〕


国王は護衛隊長と共に、背筋を真っ直ぐに伸ばした王女の後姿を見つめる。
これから彼女の統治すべき時代は、より困難の連続となるだろう。
今の世界政府と海軍の有り様が、それを示している。


〔国が雨を取り戻し、争いが無くなれば。
 この憎しみも、いつかは私の中から消えるのだと思っていました。
 それは、違いました。
 この憎しみは、私が今、ここに生きていることの証なのだと。
 私に為さねばならないことを指し示す“声”なのだと。
 “声”は私に告げます。
 『お前一人が足掻いたところで、何が出来る?』
 …何も…。
 一人の力で砂漠に町が築けないように、一人の力で未来を築くことなど出来ない。〕


かつて百万の軍を率いた青年は、強く拳を握り締めた。
彼の周りには、共に死線を潜り抜けた仲間が幾人も居る。
手にするものが銃と剣から鍬や鋤に代わっただけで、彼等の戦いは終わらない。
掴み取りたいのは、この国の未来。それを今は、創り上げようとしている。


〔過去があって、現在(いま)があって、そして未来がある…。
 けれど、後ろを振り返るのは、自分が今居る場所を確かめるためでありたい。
 見つめるのは、今日に続くずっと先の明日でありたい。
 ……この国の、ずっと先の明日を創る力の一人となるために、私は今、ここに居ます。〕


ユバ・オアシスの木蔭では、年老いた男が杖を手に蒼い水面を見つめていた。
皺だらけの頬から顎を伝う水滴が、幾つもの波紋を描く。
三年の渇きで枯れ木のように痩せ細った身体は、二年かけてようやく人間らしく肉が付いた。
それでも昔のように丸々と太ることは、もう出来ないだろう。


〔繰り返す“声”に、私は答え続けます。
 『私に国は救えない。…けれど、“私達”には救えるのだ』
 ……と。〕


何時しかオアシスの水面は、小さな波紋で埋め尽くされていた。
王女の声を聞く人々が、空を見上げて手を差し伸べる。
砂埃に塗れた乾いた肌を濡らす、天の滴。


〔何も知らなかった頃も、長くて短い旅の間も、そして今も…。
 私は、けっして孤独(ひとり)ではありませんでした。
 この国に居る全ての人々に。
 この国には居ない皆にも、私の“声”が届くことを願います。〕


「なぁ!これってビビんトコにも届くのか!?」
「大丈夫よ。海軍本部の指名手配書は全ての世界政府加盟国に配信されるわ」
「なんだか嘘みたいにピッタリね〜。ちょうど今日だったじゃない」
「これも、おれ様の日頃の行いが良いおかげだ!皆、感謝しろよ〜〜ッ!!」
「ナッミさん、ロッビンちゃんvvついでにクソ野郎共〜!!昼飯だッツ!!!」
「今日はずっとアラバスタ料理だな。嫌いじゃないけど、オレにはちょっと匂いが強いや」
「ぐ−っ、ぐが−っ、ぐご−っ」



〔とても、幸せです。
 ……ありがとう……〕



熱狂でもなく
興奮でもなく

鳴り止まぬ拍手の音は
漣(さざなみ)のように長く続いた。


焼け付くような日差しを暫し遮った雲が降らせる
束の間の雨が止むまでの間。


   ヴォッホッホッホ…
 
   クェ−ックェックエエェ…


駱駝とカルガモ達の声が、静かな囁きの中に消えていく。



    雨季から外れたこの時期にアラバスタに降る雨は
    
    今は人々に“王女の奇跡”と呼ばれている。



                                   − 終 −


TextTop≫       ≪Top

***************************************

あれから二年と少し後。ビビ王女は、この日で多分十九歳です。
国の未来、王位後継者としての責務、周囲の期待、過去の傷跡。
彼女の進む道は、何一つ平坦では無いだろうと思います。
過去を見つめることと、過去に捕らわれることとの違い。
未来を夢見ることと、未来を創ることとの違い。
…姫も私も、まだまだということで…。(汗〜)

カップリングなしの姫関係者多数。とはいえ、姫総愛と言って良いものかどうか?
とっても地味話となりました。
それでもよろしければ…このテキストは“お持ち帰りフリ−”です。
お気に召されましたら、連れて帰ってやってくださいませ。

思いついたことを漏れなく放り込んだ結果、かなりの長文になってしまいましたので
小分けにして掲載していただいても構いません。
企画期間中ですので、お持ち帰りのご報告も特に必要ありません。
なお、フリ−期間は本日(2004.2.2)より企画終了(2004.3.1)までです。
御了承くださいませ。

* DLF期間は終了いたしました。 *

初っ端から読みにくい話になってしまいましたが、短い話や甘い系の話もUpしたいと
思いますので、どうぞ姫誕祝期間中よろしくお願いいたします。


2004.2.2 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20040202