Left eye




「聞いても、イイですか?」

君は、少し躊躇ってから切り出した。
シ−ツの上に散った蒼い髪。
その中に横たわる君は、波間に浮かぶ人魚のよう。

「話したくなかったら、構わないんですけれど…」

その言い方で、尋ねたいことの想像はつくんだけどね。
耳をすませば、壁の向こうで船を洗う波の音。
肌の火照りが鎮まるのを待つ間の、気だるい甘さに後押しされたように
普段より赤味の増した唇が、おずおずと開く。

「…左目…、どうかしたんですか?」

予想どおりの言葉。
伸ばされた右手の指は、俺に届く前に握り締められる。

ある程度親密になると、レディ−は決まって片目のことを尋ねてくる。
わざわざ隠してるんだから、何かワケアリだと思うんだろうな。

前置きも無く、『今日のお勧めメニュ−は?』みたく軽く口にするレディ−もいれば
彼女のように、俺を気遣いながら尋ねるレディ−もいる。

俺は笑って長く伸ばした前髪を持ち上げた。

「コレ?左はほとんど見えねェんだよ。
 見た目は別に、どってことねェでしょ?
 チョットだけ右より色が薄いかもしれねェけど」

別に傷痕があるとか、目玉がねェとか、そんなんじゃない。
両目で見ようとするとモノを掴み損ねるし、細かい飾り切りは失敗するし
蹴りのポイントもズレる。
だから、右だけで見ることに慣れるようにした。
それだけだ。

「怪我とか、病気とかじゃないんですか?」

君の両の眸が、俺の顔をじっと見つめる。
真剣そのものの表情。
俺としちゃ、肘の間に挟まれた胸の谷間の方が気になったりするんだけど。
胸元に浮かぶ朱い色は、右の目だけに映る。

「さァ、どうかな…?そんな覚えはねェんだけどね。
 物心ついた頃から、ずっとこうだったからさ」

本当を言えば、俺の左目はかなりハッキリ右とは色が違う。
そういうのって気味悪ィって思われるからな。
これでも一応、接客商売とかもしてたワケだし。
それに顔ばかりをジロジロ見られるのは、けっこうムカつく。

「痛くないですか?」

「うん、ゼンゼン」

心配そうな問い掛けに、笑って答える。

「怖い思い出とか、無いですか?」

「いや、マッタク」

ほぅ と小さく息を吐いて
君は俺の左の瞼に唇を寄せた。
柔らかな感触と甘い匂い。
驚いた俺の目に、ふわりとした笑顔が映る。


「良かった」


今までのレディ−達は、愛想の無い俺の話に
ホッとしたような、ガッカリしたような顔をする。

『な〜んだ』

…って、カンジ?
レディ−好みのドラマチックな物語の一つも無くて、悪うございました。
何時もなら心の中で、そんな風に思うのだけど。
思う分だけ、キモチは確実に冷めていくのだけれど。

『良かった』

そう言って、笑ってくれたのは君が初めて。

痛くなくて、怖くなくて
俺が辛くなくて……良かった、と。

クソの役にも立たねェ癖に、涙腺だけは発達してやがる。
熱くなった目元に添えられた、ひんやりする細い指先。

「左はゼンゼン見えませんか?」

彼女の声に少しおどけて、視力検査でもするように片手で右目を覆ってみせる。

「こんくらい近かったら、ビビちゃんの顔がぼんやり見えるよ」

まるで、擦りガラスの向こう側に居るように。
霧の中に霞んでいるように。
…その霧が年を追うごとに深くなっていることは、わざわざ言わなかった。

「海みたい」

こつん、と 額をくっ付き合わせて彼女は言った。
彼女のオデコは少し広めで、スベスベして気持ちがイイ。

「サンジさんの右の目は、きっと“オ−ルブル−”の色ね。
 明るくて、透き通って。とても鮮やかな青」

鮮やかな蒼い髪をした君が、微笑む。
その白い顔。

「左の目は、サンジさんが見て来た海の色ね。
 少し霞んだような、遠い彼方の海…」


“北の海(ノ−スブル−)”の青
“東の海(イ−ストブル−)”の青
そして、“偉大なる航路(グランドライン)”の青


君の眸が細められたのを、頬骨を掠める睫毛のくすぐったさでも知る。

他には何も目に入らねェくらい、近づいた君。
その眸の色を、髪の色を、微笑を
この目の中に焼き付けられたらいいのに。

時が止められないのなら、せめて。

“祈る”ってのは、こういう気持ちなのだろうかと思いながら
俺は君に口づけた。


   * * *


「…ねぇ、どうしたの?その左目」

甘ったるい香りのするレディ−が、甘ったるい声で尋ねる。
長く整えられた紅い爪が、ゆっくりと近づく。

「人魚姫に取られちまったの」

女の指が前髪を梳き上げる時は、ウィンクするように左目を瞑る。

そんな子供じみた真似しなくたって、もう俺の片目は光すら感じないってのに
そうする癖は抜けない。

フザケた調子の俺の返事に、利口なレディ−達は笑う。
その顔を、シ−ツに横たわる身体を、右の目だけで見る。


何時か何処かで 願わくば海の上で
くたばる時、最後に見るのは

今は遠い色

左の目にだけ映る

君の微笑



※ left :左、左側
       leave(去る、残していく)の過去・過去分詞形
       (三省堂「グロ−バル英和辞典」より)



                                   − 終 −


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癖のように、趣味のように、病気のように、女好きな料理人。
けれど本当に恋した相手のことは、しぶとく、しつこく、何時までも胸に留めているのかも。
…でないと遠恋設定続きませんし…。(汗)
またいずれ、ビビ姫との再会話も書いてみたいです。

サンジ君の左目の謎については話の都合上、こんな風にしてみました。
原作で明らかになる日は来るのだろうか…?