雪月花



   「この城は、24日に明け渡すよ」

   常冬の島で唯一人、臍の見えるシャツを着こなす女医は言った。
   本人曰く、“ピチピチの”139歳だという彼女の年齢を物語るのは
   雪のように白い髪と、深く年輪の刻まれた顔と。
   それ以外は服装も化粧も態度も、およそ老人には見えない。

   「どうしても、ここに留まってはいただけませんか?」

   人々の圧倒的な支持を受け、この国の未来を預かることになった男は
   彼女を引きとめる言葉を繰り返す。
   優秀な医者であり、この国を長く見つめてきた彼女の助言は
   新しい国づくりでどれほどの力となることか。
   だが、彼女の返事は変わらなかった。

   「あたしの興味は怪我人と病人だけさ。
    この国の病は峠を越した。これから必要なのは医者じゃあない。
    忍耐強い看護人さ。ヒ−ッヒッヒッヒ!!」

   約束の日、Dr.くれはは青い鼻のトナカイと一年を過ごした城を出て行った。
   “ドラム城”と呼ばれていた城は、新国王の入城と同時に“サクラ城”と名を変えた。

   住人の入れ替わりを、ドクロの旗は凍る風の中で見守っていた。



      * * *


「私のような者が、こんな高い場所から皆さんに話をさせていただくのは
 一年経った今も、慣れることが出来ません。
 それでも、今日という日を共に迎え、共に祝えることを嬉しく思います。
 どうか楽しんでください。
 “奇跡の桜”と我等の旗に!!乾杯!!!」

城の大広間に溢れる人々が、一年経った今も相変わらず腰の低い国王の声に
微笑みながら唱和する。

「奇跡の桜に!!我等の旗に!!!」
「サクラ王国に、乾杯!!!」

音を立てて幾つものくす玉が割れ、ピンク色の紙吹雪が舞う。
歓声を上げた人々は、手にした小さな旗を一斉に振った。
紙吹雪は、ふわりふわりと明るく照らされた大広間を踊る。

灯された無数のキャンドル。
大人達には祝い酒が、子供達には毛糸の靴下一杯のキャンディ−が配られた。
絶えることの無い笑顔とグラスがぶつかり合う音。

一年前、この国は生まれた。
“サクラ王国”を名乗り、新たな旗を掲げた。
今日は、その最初の建国記念日。
国の誕生日ということになる。


「…やはり、おいでになってはいないのか」

ようやく人々の渦から抜け出した国王は側近の一人に確認した。
ここに辿り着くまでに何百人という人と挨拶をし、握手を交わしたが
求める姿は見えなかったのだ。

「はい。招待状は出したんですが。
 ドルトンさ……いえ、王のご指図のとおりに」

慌てて言い直す側近に苦笑する。
互いに呼び慣れないし、呼ばれ慣れないのだ。
普段は敬称を省略し、国王ですら名前で呼ぶことを通例としているサクラ王国ではあったが
さすがに公式行事では来賓の手前もある。
それでも敬称省略を改めようとしないのは、彼なりの“けじめ”でもあった。

新政府では大臣だの総監だのと、ものものしい肩書きを持つ者と
解放された宮殿にロ−プウェイでやってきた町の住人達が、隔てなく歓談する。
その和やかな様子を見渡した後、ドルトンは言った。

「では、私が行こう」

「とんでもない!今日という日に貴方が城を空けられるなど!!」

仰天する側近に、彼は大きな肩をすくめる。

「苦手なスピ−チも終わったし、後は無礼講だ。
 私が居ない方が、皆も気楽に楽しめるだろう」

「しかし、ドルトンさんが自ら出向かれなくても…。
 誰かを迎えに行かせますから」

尚も渋る相手に、ドルトンは目を細める。

「一年間、頑張った褒美に一晩だけ好きにさせてくれないか?
 思い出を語るには、ちょうど良い夜だ」

午後から始まった祝宴も昼の短いこの季節、とうに日は沈んでいる。
大広間の窓から見える外で雪は止み、空には月と星が輝いていた。

「“奇跡の桜”と我等の旗を作った、偉大な医者のことですね。
 今日は、その方が亡くなった日だとか」

ドルトンは頷いた。

この城は、Dr.ヒルルクの墓。
今も、ここで生まれ変わった国の行く末を見守っている。


      * * *


   「お前の誕生日だって?」

   くれはは、自分を見上げるつぶらな眸に呆れたように言った。

   思い当たるのは、昨日手伝わせた分娩だ。
   医者見習いを始めて一年の青っ鼻のトナカイに出来るのは、湯を沸かすぐらいだったが。
   逆子で、未熟児で。
   もぐりの産婆も匙を投げる程の難産だったが、母子共に無事に済んだ。
   財産の半分を支払った妊婦の夫は、それでも生まれたての赤ん坊を受け取ると
   この子の誕生日は自分と同じだ。人生で最高のバ−スディプレゼントだと喜んだ。

   『なぁ、ドクトリ−ヌ。“誕生日”って何だ?』

   帰り道の橇を引きながら尋ねるトナカイに、人間社会の習慣について教えた。
   人は毎年生まれた日に一つ年を取ることを口実に、酒を飲んだり贈物をしたりするのだと。
   後になって考えれば余計なことだったが、仕事が上手くいって気分が良かったのだろう。
   夫婦が営む雑貨屋の品物を、ごっそりと頂戴して来たのだから。
   その時は黙りこくっていたトナカイは、翌日になって再び尋ねた。

   「なぁ、ドクトリ−ヌ。オレの誕生日っていつなのかな?」

   ヤブ医者のヒルルクと暮らした一年間。
   読み書きと、とてつもない夢と憧れだけを教え込まれた世間知らずのヒトトナカイを
   くれはは睨みつけた。

   「何を馬鹿げたこと言ってるんだい。
    トナカイのお前に、そんなものあるワケないだろう。
    それより、今日中に読むように言っといた医学書はどうしたい!?
    解熱剤と痛み止めの調合も済んだんだろうね!!?」

   ぬいぐるみのようなチビの半獣人型のトナカイは、帽子を被った頭をうつむけて
   とぼとぼと冷え切った廊下を歩き出した。
   その姿にほだされたとか、情が湧いたとか、けっしてそんなことではなかった。
   ただ、偶然その日が。

   「待ちな、チョッパ−。そんなに誕生日が欲しいなら、あたしが決めてやろう」



      * * *


選挙で選ばれた、“任期付きの国王”
それが、今のドルトンだった。
表向き旧ドラム王国では、悪政を見かねた守備隊隊長のドルトンが兵を起こして
前国王ワポルを追放し、新王朝を築いたことになっている。
俗に言うク−デタ−だ。

こういう形での政権交代を、世界政府は比較的すんなりと承認する。
だが、民主政権は容易には認められない。
世界政府が第一級の危険因子とする“革命家ドラゴン”が関与しているのではと疑うからだ。

急いで国を建て直さなければならない今、世界政府との関係を悪化させるのは得策ではない。
ドルトンは、不本意ながら“王”という呼称を受け入れた。

王だから、城に住まなければならないというものではないが、標高5千mの山頂は
島を統治するのには最良の場所である。
雪深いこの国では、張り巡らされたロ−プウェイが最も効率的な移動手段なのだ。

城とDr.くれはが住んでいる家とを繋ぐ白いロ−プは、そのままになっていた。
人力式のロ−プウェイの漕ぎ手など、ドルトンは必要としない。
“悪魔の実”の能力者でもある彼は、かつてのヒトトナカイと同じように己の蹄でロ−プを
辿ることが出来る。
巨木の幹をくりぬいた家のドアを叩くと、酒瓶を片手に現れた女医は言った。

「おや、ひさしぶりだね若造。ハッピ−かい!?
 どこが悪いか知らないが、あんたの治療代には国の半分をもらおうかねぇ。
 ヒ−ッヒッヒッヒ!!」

「残念ながら特に悪いところはありませんよ、Dr.くれは。
 それに、お支払いしようにも国は私のものではありませんし。
 定期健康診断の代金としては、上等の梅酒でいかがでしょう?
 …あと、梅干と」

護衛も連れず独りでやって来た国王をいぶかる様子も無く、くれはは彼を家に入れる。
部屋の中は勢い良く燃える暖炉の火で暖かく、140歳になった女医は相変わらずの臍出しだ。

「城には二十人の医者と、鼻タレの見習いが百人いるってのに。
 健康診断でここまで来るなんて、あんたも物好きだねぇ」

「貴女は、私の主治医ですから」

腕にサクラの紋章の入ったコ−トを脱ぎながら、ドルトンは言う。

「ステ−キにされたくなかったら、勝手に決めるんじゃないよ」

ジロリと睨みつつ、あごをしゃくって患者を促す。
上半身の衣類を脱いだドルトンは、診察用の丸椅子に腰掛けた。

ワポルに逆らい数年間牢に閉じ込められ、その後も島を襲撃した海賊やワポルの部下等と
闘ったドルトンの巨体には、無数の傷跡が残っている。
その上に聴診器を押し当てながら、くれはは言った。

「まったく、“イッシ−20”が国の補助とやらで格安の治療をするもんだから
 あたしゃ商売上がったりさ。ワポルの時代が懐かしいくらいだよ」

それでも、“イッシ−20”が手に負えないと判断した患者は、くれはが治療を行っている。
医学の更なる発展のために、イッシ−達は若い見習いと共に彼女の技を見守るのだ。
患者の全財産の50%の治療代は国が補償するので、人々は喜んでくれはの患者になる。
結果、くれはの仕事は少なくともワポルが“医者狩り”を始める前より増えている筈だ。

両方の眼球に光をあて、最後に咽喉の奥と舌を覗いて診察は終わった。

「さてと。残念ながら、どこも悪くはないようだ。
 あんたみたいな立場に有る者が、胃炎の一つも無いってのも考えモノだけどねぇ。
 じゃあ、さっさと酒を置いて帰りな。ちょうど、これが最後の一本でね」

言いながら、その“最後の一本”の口を開ける。
仕事の後の一杯といったところか。
衣服を整えたドルトンは、申し訳なさそうに答えた。

「酒は城に置いてありますので、後で運ばせましょう。
 ですが、今日は城の者も忙しいので、お届けするのは明日になります。
 お急ぎでしたら、取りに来られませんか?
 酒に合う料理も用意してありますし」

「あたしゃ、ガキ共ばかり集まって騒がしい場所は嫌いだよ」

眉を顰めるくれはに、ドルトンは良いことを思いついたとばかりにニッコリと。

「では、私の執務室へご案内しましょう。
 今日は仕事も終わりましたし、誰も来ませんから」

酒瓶を下ろし手の甲で口元を拭うと、くれははニヤリと笑った。

「そりゃ、口説き文句かい?」

「あ、いぇ別にそういうつもりでは…」

「ヒ−ッヒッヒッヒッ!!」

焦るドルトンにひとしきり笑った後、くれはは椅子から立ち上がった。

「まァ、偶にはヤブ医者の墓参りも悪くはないだろう。
 チップ代わりに一汗かいてもらおうか。
 一年前に家畜が逃げ出しちまってからは、出掛けるのも不自由になっちまったよ」

そして、Dr.くれはは一国の王に橇を引かせ“サクラロック”を登っていった。


      * * *


   「お前の誕生日は、明日だよ」

   言い放ったくれはに、チョッパ−は目を丸くした。

   「ホントか、ドクトリ−ヌ!!明日がオレの誕生日なのか!?
    エッエッ、エッエッエッエ…」

   前足の蹄で口元を押さえて、それでも笑みがこぼれる。
   このトナカイの奇妙な笑い声は、生前のヒルルク譲りだった。

   「ああ、そうさ。忘れるんじゃないよ、チョッパ−」

   「うん!オレ、絶対に忘れないよ。
    ドクタ−はオレに名前をくれたけど、ドクトリ−ヌはオレに誕生日をくれた!!」

   無邪気に喜ぶトナカイを、くれはは厳しい目で見下ろした。

   「じゃあ、せいぜいヤブ医者に感謝するこったね。
    明日はヒルルクが死んだ日だよ。ちょうど、一年になる」

   それだけ言って、くれははチョッパ−に背を向けた。
   駆け去る蹄の音と鼻を啜る音が、廊下に響く。

   甘ったれのへッポコトナカイにやったのは、祝うための日では無かった。
   医者の端くれなら、誕生日だのと浮かれるより救い損なった命を思い出して
   腸(はらわた)がちぎれるくらいに悔やめばいい。
   でもなければ、あの半端者のヒトトナカイは何時まで経っても半人前だろう。

   父親であり、医者の魂の師であり、最初の患者でもあった男が死んで
   青っ鼻のトナカイは、今ある一歩目を踏み出したのだから。

   くれはは、そう思っていた。

   思いながら、その夜。
   昨日せしめた品物の中から頑丈そうなリュックを選び、トナカイの部屋のドアの前に置いた。
   翌朝、真っ赤な目のトナカイは、おずおずと言った。

   「ありがとう、ドクトリ−ヌ。
    このリュック、ドクタ−にもらった帽子と同じくらい大事にする」

   あの時のリュックは、今はもう無い。
   薬の調合器具、薬草の辞典、手術道具一式。
   毎年12月24日にやった物をみんな詰めて、青い鼻のトナカイと一緒に海の上だ。



      * * *


漆黒ではなく、どこまでも深く濃い藍色の空に月が明るく輝く。
頭上では星が瞬き、遠く足元に家々の灯りが揺れる。
光という光を降り積もった雪が吸い込んで、島全体が白銀を帯びていた。

「美しい国です。そうは思いませんか?」

白いロ−プを固い蹄で辿りながら、黒牛となったドルトンは言った。

「雪ばかりの国さ」

白く凍る息の向こうに、はためくドクロの旗が見える。
140年を生きた女医は、瓶に残った梅酒を飲み干して付け加えた。

「……ま、酒を飲むには悪くない眺めさね」

その声に、彼は角の生えた頭で頷いた。

「一年の大半が雪に覆われるこの国は生きていくには容赦無く厳しいが、とても清冽だ。
 ……そういえば、まるで貴女のようですね」

二呼吸の間を置いて、くれはは酒瓶に口をつける。
それがカラになっているのを思い出し、小さく舌打ちをして言った。

「素面でそんなセリフを吐くあんたが何で独り者なのか、あたしゃ理解に苦しむね」


山頂に着くと、橇を降りたくれはは城の正面へ向かった。
城へ戻ったドルトンが、両手に酒瓶を持って来る。
一本はくれはのための梅酒。もう一本はヒルルクが好きだった酒だ。

この城は、城そのものがDr.ヒルルクの墓。
それでもドルトンは時折、彼が自爆したその場所に酒を手向けている。
長い毛皮のコ−トを纏った後姿が見えた。
ドルトンが近づくと、くれはは空を仰いだままで言った。

「この国にゃ、物好きが多いもんだ」

雪の上に酒を注ぐと、褐色の液体は辺りを淡く染めて瞬く間に凍る。
何人も、何十人もが同じことをしたのだろう。
スケ−ト場になりそうなほど拡がる、一面の琥珀色の氷。

「“イッシ−20”と、その弟子達でしょう」

墓石や銅像があるわけでもない、何の目印も無いこの場所に
繰り返し酒が撒かれては、その上に雪が降り積もる。

「あのヤブ医者、今頃はイイ気分でへべれけになってるだろうよ。
 ヒッヒッヒッ!!あの世なら飲み過ぎで死んじまう心配も無いからねぇ。
 ……これは、あんたが飲みな」

梅酒の瓶だけを受け取ると、くれはは封を切った。
乾杯をするでもなく、さっさと口をつける。
同じく封を切ったドルトンは、苦笑しながらグラスにたっぷり一杯分の酒を氷の上にかけた。
パキパキと音を立てて氷の層が僅かに厚くなる。

「高そうな酒だってのに、もったいな……」

ふいに言葉を途切れさせ、くれははドルトンの手にある酒瓶をじっと見た。
それから自分の手元の梅酒の瓶を見る。
身体を温めようと瓶に口をつけたドルトンは、くれはの様子に気づいて声を掛けた。

「今日のための祝い酒として用意したものには皆、そのデザインのラベルを付けてあります。
 …あと、料理の皿やグラスにも」

「あんたは……」

言いかけた言葉は発せられることはなく、くれはは勢い良く梅酒の瓶を傾ける。
何時にない様子に、ドルトンは首を傾げた。

「お気に障りましたか…?」

「ヒッヒッヒッヒ……、いいや」

いつの間にか、また雪が降り始めた。
花びらのように舞う氷の結晶が、琥珀色の氷を白く覆っていく。
くれはは踵を返した。
通り過ぎがてら、ドルトンの背を力一杯叩く。

「さぁて、冷えは女の腰には大敵だ。
 あんたの執務室とやらで、ゆっくり飲ませてもらおうか。
 料理も運んでもらえるだろうね?」

「ええ、もちろん」

一撃に背中をさすりながら、ドルトンはくれはの後に続いた。

「ヒッヒッヒ、とびっきりのトナカイ料理が喰いたいねぇ。
 丸焼きに、シチュ−に、バ−ベキュ−に…」

「また、そういうことをおっしゃる」

「ヒ−ッヒッヒッヒッヒ…!!黒牛なら、尚美味そうだねぇ」



   この国は、生まれ直した今日を祝う。
   桜散るドクロの旗を振り
   互いに酒盃を打ち鳴らす。

   城で振る舞われる祝い酒の瓶や
   子供達に配られるキャンディ−の詰った靴下には
   桜の花びらと立派な角のトナカイの図柄。

   そのトナカイは、どれも鼻が青いので
   やがて常冬のサクラの国では、信じられるようになった。


   『青い鼻のトナカイは、幸せを運んで来るんだよ』




                                   − 終 −


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船医さん、誕生日おめでとう!!

…と言いつつも、本人がほとんど登場しない関連キャラメインの誕生日話。
何気に“ドルくれ”なような。(汗)
ドルトンさんは12月24日がDr.ヒルルクの命日(注:作中のみの設定)だということは
知っていますが、この日がチョッパ−の誕生日でもあるということは知りません。
また、12月24日がある宗教に関連したイベント日だということも無いようです。
教会や十字架やシスタ−の在るOP世界ですが、そこは置いといて…。(汗)
それでも背景画像や小道具はクリスマスム−ドで。
やっぱり、メリクリチョパ誕♪ですから。