月に盃




「誕生日に欲しいものは?」

仲間達がそれとなく、あるいはズバリと尋ねると、世界一の剣豪を目指す男は一言で答える。

「酒」

その結果、11月11日のロロノア・ゾロは幾種類もの酒瓶と酒樽に囲まれた。
下弦の月が明るく照らすゴ−イング・メリ−号の甲板の上、至ってご満悦の本日の主役に
航海士が呆れて言う。

「あんたねぇ〜。酒・酒・酒って、それ以外にもらって嬉しいものって何か無いの?」

剣士に勝るとも劣らぬ酒豪の航海士だが、誕生日にもらうなら酒より宝石か金塊か。
でなきゃ札束という主義の持ち主である。

「ああ、酒に勝るモノはねぇな」

一升瓶から口を離した男はアッサリと答え、酒瓶との接吻を再開する。
ゴクゴクと咽喉を鳴らして瓶の中身を減らしていく男に、航海士は辛口の大吟醸で満たした
ぐい呑みを突きつける。

「ちょっと、それ高かったんだから!もっと味わって飲んでよねッ!!」

文句を言いつつ、彼女は剣士が最も好む米の酒を贈っていた。
“東の海(イ−ストブル−)”ではポピュラ−な酒だが、“偉大なる航路(グランドライン)”で
手に入れるには少々の手間がかかる。

「ゾロは本当に酒が好きだよな〜ッ」

ジョッキを片手に狙撃手が言った。
乾杯からまだ半分も減っていないジョッキの中身が、彼から剣士への贈物である。
酒に強くない狙撃手の唯一飲めるアルコ−ルがビ−ルだった。
むろん、剣士もビ−ルの苦味や絹のような泡の咽喉越しは嫌いではないし
“宴の最初の乾杯はビ−ルである”と、この船では決まっている。
それは、“宴で乾杯の音頭を取るのは狙撃手である”のと同様、“麦わら海賊団”の掟にも
等しい常識であった。

「いくら好きでも、酒の飲みすぎは身体によくねぇんだぞ!!」

常にクル−の健康管理に気を配っている船医が、目を三角にして説教モ−ドに入りかけた。
だが、今夜はコホンと一つ咳払いをして補足説明を始める。

「けど梅酒はな、クエン酸やミネラルを含んでいるからゾロにはちょうどいいんだぞ。
 オレはドクトリ−ヌの“若さの秘訣”って、梅酒じゃねぇかと思ってるんだ」

ピンクの帽子を被ったトナカイの横には、梅のマ−クの入った瓶がズラリと並んでいる。
前足の蹄が挟んだ湯呑みからは、お湯割りの梅酒が白く湯気をたてていた。
甘ったるい果実酒の類は、あまり剣士の好みではない。
だが船医の言葉を聞いていると、筋トレ後の水分補給補給にはちょうど良いだろう。
得々とクエン酸とミネラルの効用を述べるトナカイを眺めながら剣士は思った。

「なぁなぁ、ゾロ!早くこれも飲めよ〜!!
 強くなる酒だって、市場のおっさんが言ってたぞ!!!」

船長が、さも嬉しそうに広口のガラス瓶を麦わら帽子の上に掲げる。
黄色っぽく濁ったアルコ−ルの中、ゆらゆらとたゆとうているのは、ぐるりとドクロを巻いたヘビ。
俗に、滋養強壮に効果があるという…。

「いやあああぁ〜!!そんなゲテモノ、コッチに向けないでって言ってんでしょ〜ッ!!?」

剣士が返事をするより先に、航海士が悲鳴混じりに叫んだ。
その声がまだ甲板を通過している間にキッチンのドアが蹴り開けられる。
両手両肘頭の上に皿を乗せた料理人が、片足で立ったまま器用に怒鳴った。

「クラ、クソゴム!!そいつは男部屋に片付けとけっつっただろ−が!?
 言うこときかねェと今夜の“マリ藻フルコ−ス”は食わしてやんね−ぞッ!!!」

鬼の形相の料理人に、船長はぶ−たれた顔をする。

「だってよ−!!強くなるんなら、おれもちびっと飲んでみて−し。
 サンジだって『こりゃ〜、効きそうだなvv』っつったじゃんかよ〜」

「お前、ゼンゼン意味わかって言ってね−だろッ!!?」

料理人の“腹肉(フランシェ)シュ−ト”がゴムの腹にヒットした。
掲げた瓶ごとマストに激突した船長は、開いていた入口から男部屋に落下する。
それでも両手両肘頭の上の料理の皿は微動だにせず、“マムシ酒”の瓶も無事なようだ。

「さ〜ァ、麗しのレディ−方vv
 貴女方の愛の下僕(しもべ)の力作をどうぞ召し上がれ〜〜vvv」

何も無かったかのような笑顔でのサ−ビスを、女達も何も聞か無かったかのように受ける。
甲板に並べられるのは、白ワインのマリネ、貝の酒蒸し、海老の老酒漬け、粕漬け、粕汁
豚のビ−ル煮、マデラ酒のソ−スを添えた仔牛のソテ−etc
そして顔を上げるや、愛想の一つまみもない一瞥を剣士に向けた。

「今夜のメニュ−はおめェ好みの酒づくしだ!!
 シメのアイリッシュコ−ヒ−(※)とブランデ−ケ−キまで、残さず食え!!!」

「うおおおお〜!!うまほ−ッ!!!」

マムシ酒を男部屋に残してきた船長が、ヘッドスライディングで皿に飛びつく。
ゴムの胃袋はもっぱら食べ物ばかりを詰め込んで、その容積が酒に使われることはない。
剣士にとっては、幸いなことだった。


   * * *


宴もたけなわ、料理の皿も大半が空になり、酒に弱い連中は例によって歌ったり踊ったり。
その騒ぎを傍らに、考古学者は彼女の眸の色に似たラム酒のグラスを傾ける。
海賊には付きもののように言われる酒だが、彼女が選んだのがけっして安酒でないことは
夜風に漂う芳醇な香りからも判った。

「剣士さん、貴方は随分お酒に強いけれど、初めて飲んだのは幾つの時?」

一口、褐色の酒を口に含んで考古学者は尋ねた。
量を過ごすことなく強い酒を時間を掛けて味わうことを好む彼女は、いわゆる“大人の女”とか
いうものなのだろう。
“仲間”になりきるつもりがあるのかないのか、考えの読めないこの女を疑う理由はあったが
信じない理由もない。
だから、剣士は尋ねられたことには律儀に記憶を手繰る。
記憶のアルバムを大してめくる必要もなく、答えは見つかった。

「16の誕生日だな」

この場所へ至る最初の一歩を踏み出したその日を、剣士は思い出す。


   敷き詰められた玉砂利を踏みしめて、縁側に座る人影に近づいた
   幾度となく、くいなに挑んでは一度も勝てなかった庭で
   三本の刀だけを持って

   『先生。…俺、行ってくる』

   世界一になった己の名を、天国の親友に届けるために
   あの日の“約束”を果たすために

   縁側に座った先生の声は、いつものように優しかった

   『ここへおいで、ゾロ』



「あら、意外。あんたならもっとコドモの頃から飲み始めてると思ってた。
 あたしは8つぐらいの頃からベルメ−ルさんが隠してたお酒をこっそり飲んでたし」

秘蔵の蜜柑酒を持ち出した航海士が、船縁に背中を預けて言った。
ウイスキ−のグラスを手にした料理人も、タバコを咥えて甲板に座り込む。

「俺も12の頃から店のコック共と飲んでたぜ〜。ジジイにバレると大目玉だったけどな」

何やらエラソウな二人に、剣士はフンと軽い鼻息を返す。

「早ぇから、どうこうってことじゃねぇだろう」


   去年のように、一昨年のように
   まだ早いと、止められるのではないかと身構えた己に
   静かに差し出された盃

   ふわりと香る酒の匂いを、花のようだと思った
   小さな器の中で揺れる月を、綺麗だと思った

   『旅に出るのなら、もう大人だからね』



「おれはなァ〜、17の誕生日に初めて酒飲んだぞ!?
 それまではマキノと村長がゼッタイ飲ませてくんなかったからな〜」

船長が、両手に肉を抱えながら言う。
食うなら皿から食え!いや、そもそも一人で全部食うな!!
肉ばかり食うと身体に悪いんだぞ〜!!!
周りからツッコまれながら、大口を開けて笑う。

「酒ってよ〜、苦かったり辛かったりツ〜ンとしたりで、肉よかゼンゼンウマくねぇんだけどな〜。
 お前らと一緒だと、なんかスッゲ−ウマイ気がすんな!!」

そこへ“キャプテンウソップ応援歌”全18番を歌い終えた狙撃手が乱入する。

「キャプテ〜ンウソップ様はだなぁ〜、この船に乗ってか…じゃなくて、この船に乗る前に
 世界中のありとあらゆる美酒珍酒、神酒と呼ばれる酒までもを飲み尽くしてきた!!
 その結果〜、メリ−号の上で飲む酒ほど美味い酒はねぇという結論に達したのだッ!!!」

酷使が重なり、いまやツギハギだらけの船が音を立てる。
風を孕(はら)む帆、撓(たわ)んでは張るロ−プ、はためく海賊旗。
真っ赤な長い鼻の狙撃手の熱弁に、青くて丸い鼻のトナカイが熱く賛同する。

「やっぱりそうなのかッ!?オレも初めて酒飲んだのは、ドクタ−と暮らしてた頃だったけど。
 そんで、スゴク楽しくて嬉しくて、気持ちよかったけど。
 この船で皆と一緒だと、楽しくて嬉しくて酒もうめ−ぞ!!」


   口に含んだ酒は人肌に暖かく
   通り過ぎた咽喉と落ちた腹にぽおっと熱を持たせた
   
   なんだか、とても気持ちが良くて
   一人前に扱われたのが嬉しくて

   干した盃を差し出して言った

   『もう一杯』


   “別れの盃”という習慣を、16の己は知らなかった


また一口、グラスに唇を添えた考古学者は、近頃では随分と自然になった笑みを浮かべる。

「ふふふ…。そうね、私は初めてお酒を飲んだ時のことなんて、もう忘れてしまったけれど。
 この船で飲むお酒が一番楽しくて美味しいのは確かね。もちろん、コックさんのお料理も」

「ロビンちゅわぁあ〜んvvv」

メロリンしている料理人の横で、剣士はただ黙々と酒を飲む。
先手を打つように質問を封じた考古学者の言葉が耳に残ったのは、彼もまた語らずとも
忘れぬ記憶を抱えているからかもしれない。

この船に居るのはそんな連中ばかりだと、気づいていないのは黒い髪の女だけだ。


   二杯、三杯と盃を重ねる己を、ただ笑って見ていた先生の
   眼鏡の奥のまなざしを思い出す

   かつては彼のもので、くいなの形見でもある刀を遠くへ持ち去る己に
   “約束”を果たしても、二度と帰っては来ないだろう己に

   先生が最後にかけてくれた言葉を思い出す


「あんたも、今日はいつもより美味しそうに飲んでるわね。
 ……ま、高いんだから当然だけど」

航海士が言う。
オレンジ色の頭の向こうに明るい色の月が見える。
16の歳、今ここに居る一歩を踏み出したあの日と同じに。

花のような匂いは、隣に座る女からふわりと香った。


   『何処へ行っても、何処まで行っても。
    お酒は美味しく飲みなさい』



初めて口にしたあの日より、今日の酒は美味い。
だが、今日の酒の味を忘れても、あの日の酒の味は忘れない。

ここに居るそれぞれに、忘れられない酒があるように。


「ゾロ、これ飲も〜ぜッ!!」
「イヤ〜ッ!!何でまた持ってくんの!?
 こっち向けないでって言ってんでしょ−ッ!!?」
「だから、そいつは後で男部屋でって言ってんだろ−が、クソゴム!!!」
「ウウッ、残念だが“これ以上酒を飲むと死んでしまう病”があぁ〜ッ!!」
「ウソップ、しっかりしろ〜!!ホラ、気つけのマムシ酒だぞ!!!」
「おお!気が利くな……って、うぎゃああぁ〜!!?」
「いやあああぁ〜!!!」
「うふふふっ、アハハハハ……」


賑やかな仲間等の声を聞きながら、ロロノア・ゾロは酒を飲む。
もしかしなくとも、今夜の酒の味もまた、忘れることはないだろう。

夜の海に揺れる月を見ながら、未来の大剣豪は思った。



                                   − 終 −


※アイリッシュコ−ヒ−
  深煎りのコ−ヒ−にアイリッシュウイスキ−・砂糖・クリ−ムを入れたホットカクテル


TextTop≫       ≪Top

***************************************

メリ−の姿が見えなくなって久しい原作ですが、ロビンさんを含めた7名でのGM号船上の
11月11日を書いてみたくなりました。
12月に入っての超遅更新ですが…、掲載してしまえば同じさぁ〜。(涙汗)
そして、“東の海”のとある島も少しだけ。
アニメ“空島編”辺りでのED(ビビ姫やノジコさんも出てましたねv)のイメ−ジです。

ちなみに“お酒は20歳なってから”が日本の法律です。
ワンピ世界はそれぞれの島や国単位で“一人前=飲酒OK”の習慣が違うらしいので
現実とごっちゃにしないようにね〜。
念のため、一言。