百 花




   『私には、行く当ても帰る場所もないの。
    ……だから、この船において』

   『何だそうか。そら、しょうがねェな』

   『『『ルフィ!!!!』』』

   『心配すんなって!!
    こいつは悪い奴じゃねェから!!!』




− 1 −

アラバスタが平和と雨を取り戻し、数週間が過ぎた。
復興は目を見張る速さで進み、日々、アルバ−ナ宮殿へもたらされる報告は喜ばしいもの
ばかりだ。

国王であるお父様の隣に座を占め、読み上げられる報告書の内容を聞くことは、王位継承
者としての務めであると同時に、私にとって毎朝の楽しみとなっていた。

「では、“エルマル”について御報告いたします」

一礼と共に、ペルが言った。
あの日、時限爆弾を空高くに運んで命を散らしたものと思っていた彼が無事でいてくれて、
どんなに救われたことだろう。
宮殿内で療養していたペルも目ざましい回復を見せ、数日前から王国護衛隊副隊長としての
任務に戻った。
“トリトリの実”の能力者である彼のもたらす情報は、誰よりも早く正確だ。

“エルマル”を拠点とした運河の修復作業は予想以上の急ピッチで進んでいる。
“レインベ−ス”のカジノ経営者等を中心とした自主復興団の協力によるものだ。
アラバスタでは“金の亡者”の代名詞である彼等がカジノを休業し、私財を投じて石を積み、
土を掘り返してくれている。
その噂に、かつての住民達も一度捨てた故郷へ集まっているのだという。
“エルマル”が“緑の町”の名を取り戻すのも、そう遠いことではない。
復興支援のための物資と共に、私は今日の午後から“エルマル”へ向かう予定だ。

「続きまして、“ユバ”からの報告書です」

チャカが、今朝届いたばかりだという封書を開いた。
クロコダイルから受けた傷が癒えきらない身で、イガラムと共に頑張ってくれていた彼も
ペルが復帰して、やっと一息つけるに違いない。

“レインベ−ス”からの自主復興団は、“ユバ”にもやって来ている。
井戸の数は百を越え、復興物資を積んだ隊商のラクダにも、ようやくタップリと水を飲ませて
やれるようになった、と。
とても事務的な報告書にコ−ザは書いて寄こした。
けれど追伸の、『親父は元気すぎて、五月蠅い』の一言に、笑みがこぼれる。
“ユバ”への視察は、二日後の予定だ。

今朝の朝議に顔を出しているのがイガラムとペルとチャカだけなのも、他の文官達は
各地への視察の調整や援助物資の分配などで目が回るほどの忙しさだからだ。
これまではアルバ−ナの周辺に限られていた視察を、今日を皮切りに全土へと拡げる。
王家は全ての国民の為にあるのだということを示す為に。

「ビビには、国中を駆け回ってもらうことになるが…」

お父様が、私に労わるような目を向ける。
組まれた視察のスケジュ−ルは、かなり過酷なものだ。
随従の文官や護衛の武官は交代だが、王族代表として動けるのは私とお父様の二人。
そして、国王であるお父様は、そう容易に玉座を空けるわけにはいかない。
だから私はこれからの数年間の半分を、アルバ−ナ以外の場所で過ごすことになるだろう。
けど、そんなこと。少しも苦労なんかではない。
記憶の中にあるよりも、ずっと痩せて小さくなった手を握り、私は首を横に振った。

「私は、アラバスタの為に力を尽くしてくれる人々に出来る限りのことをしたい。
 この国の王女として、出来ることなら何でもしたいの、お父様。
 国中を駆け回ることなんて、何でもないわ。むしろ、嬉しいの」

新しい一日の始まりを怖れていた毎日が、嘘のよう。

今日こそは、戦争が始まってしまうのではないか。
何も知らずに、大勢の国民が殺し合うのではないか。
もう、間に合わないのではないか…。

カモメが運んでくる新聞に、その事実を突きつけられることに怯えていた毎日。
今は、朝が来るのが楽しみで仕方がない。
この国の人々のために働くことは、なんて嬉しいのだろう。
この国の人々のために出来ることがあるのは、なんて幸せなのだろう。

「……ゴホン、マ…、マ〜…。では、最後の報告です」

咳払いをして、イガラムが言った。
その声が重いのに不安を覚えた。何か、悪い知らせだろうか?
隣に座る父が、私の手の上に自分の手を重ねた。


   * * *


「ビビ様!!お待ちください!!!」

イガラムの声を背に、私は足早に会議室を飛び出した。

「ビビ!!!」

呼び止めるお父様の声にも、振り返ることはなかった。
ドアの前で控えていた衛兵が驚くその横を、ドレスの裾を翻して力いっぱいに走り抜ける。
誰にも、この顔を見られないように。

会議用のテ−ブルに置かれた海軍本部からの通達書。
抑揚無く読み上げるイガラムの声。
深い慈愛に満ちたお父様の眸。
顔色を変えたペルとチャカ。

頭の中に焼き付けられた全てが、私に事実を突きつける。

『海軍本部大将“青キジ”からの報告により、“ニコ・ロビン/賞金額7千9百万ベリ−”は
 現在、“モンキ−・D・ルフィ/賞金額1億ベリ−”率いる“麦わら海賊団”と行動を共に
 していることが確認された。
 よって、今後海軍本部は“ニコ・ロビン”を“麦わら海賊団”の一員とみなし、“生死を問わ
 ず”その捕縛に全力を挙げるべし。
 また、全ての世界政府加盟国においては、“麦わら海賊団”捕縛への全面的な協力を
 要請するものである』


   * * *


   『お前達にも、その内わかる。
    厄介な女を抱え込んだと後悔する日も、そう遠くはねェさ。
    それが証拠に…、今日までニコ・ロビンの関わった組織は全て壊滅している。
    その女一人を除いて、だ……。
    何故かねぇ、ニコ・ロビン』

   『やめろ、お前!!!昔は関係ねェ!!!』



− 2 −

どうして…!!?

私の心にまず浮かんだのは、『裏切られた』という思いだった。
この国が、B・Wに。
あの女が副社長をしていた組織に、どんな目に合わされたか…!!!
そして、気づく。
苦く確かな事実に。

彼等は“海賊”なのだ。
この国の民ではない。
アラバスタに何があろうと、それを根に持つ理由は何処にも無いと…。

なんて、わかりきったこと。
単純なこと。
彼等と“仲間”である私は、確かなもので繋がっていると思い込んでいた。

なんて、馬鹿なこと。
愚かなこと。
彼等の“仲間”となった女は、夢に対する貪欲さも“悪魔の実”の能力も
明晰な頭脳も持っている。

なんて、簡単なこと。
明白なこと。
彼等の“仲間”として役に立ち、必要とされるに違いない。

私なんかより、ずっと。


   * * *


「…やはり、こちらでしたか」

声をかけられても、私は顔を上げなかった。
私の代りに、カル−が困ったように声の主を見上げるのが首の動きからわかる。

「ビビ様の昔からのお気に入りの場所は幾つかありますが…。
 今日は、きっとここだと思いました」

超カルガモ専用の鳥舎に残っているのは、私の騎乗カルガモであるカル−と、特別隊員と
してすっかり居ついたラクダのマツゲだけ。
どちらも、午後からの視察に私と同行してもらう予定で、今は休憩の最中だ。
アラバスタ全土の復興地との連絡のために、他のカルガモ達は出払っていた。

「国王様も、イガラムさんも心配なさっています。どうぞ、お部屋にお戻り下さい。
 そんなお姿で“エルマル”で復興に励んでいる民に何と声をお掛けになるつもりです?」

ペルの声は穏やかだ。
まだ5つの、考え無しの子どもだった私を諭していた時と同じに。
そんな頃からの“お目付け役”だったから、今の私を宥めるという損な役回りまで引き受け
させられたに違いない。
可哀想なペル。
そう思いつつ、私は感情を抑えきれない声で背中を向けたまま返事をした。

「“エルマル”への出発まで、まだ時間はあるでしょう…?
 お願いだから、それまで一人にして!!」

そういえば、今回の“エルマル”視察への護衛隊長を務めるのはペルだ。
今日の日程を、私は頭の中から引っ張り出す。
二時間後、今回の随従となる文官と武官を交えての会議があった。
それから、略式とはいえ出発に際しての国王への挨拶と出立式。
私には、めちゃくちゃに乱れた自分の気持ちを落ち着けるための時間さえ、余り無い。

「あと一時間したら、顔を洗って着替えて髪を解いて…。
 二時間後の会議に出るわ。だから、放って置いて…!!」

私はカル−の首に抱きついたままで言った。
あの日々を共に過ごしたカル−と、あの戦いに加わってくれたマツゲ。
一羽と一頭だけが私の心を慰めてくれる気がして、私はここへ逃げ込んだのだ。

超カルガモはキレイ好きで、毎朝毎晩自分の寝床をきちんと整えるのだけれど、鳥舎に
敷かれた干藁は、引っ繰り返したように乱れている。
その報いとして、私の髪とドレスは干藁だらけだ。
これでは、テラコッタさんのお小言はまぬがれないだろう。
けど、今はそんなことどうだっていい。
胸に渦巻くこのやり場の無い憤りを何とかしなければ、王女の務めが果たせない。

「ビビ様…、それほどまでに気になさいますか?」

ペルの声は、優しい。そして、どこか淋しげだった。
けれど今の私には、彼の声の持つ響きに気を配るゆとりすらない。
そのくらい、ペルが口にしたのは言ってはならない一言だった。
気にするのか、ですって!?気になんて、気になんて…!!

「気になんか、しないわ!!!
 あの女が、私が座っていた席について、みんなとゴハンを食べていようが。
 私が使っていたハンモックで、ナミさんの隣で眠っていようが。
 私が使っていたティ−カップで、サンジさんが淹れたお茶を飲んでいようが。
 私には、もう関係ないもの!!!」

あっと思う間もなく、私は叫んでいた。
内に溜っていたものが破裂したような勢いだ。
ああ、やめて!!
この国の為に命を懸けたペルに、私は何を言うの!!?

「Mr.ブシド−が昼寝している鼾を聞きながら本を読んだり。
 ウソップさんが作ってくれた釣竿で釣りをしたり。
 トニ−君に怪我の手当てをしてもらったり。
 ……それが、何だっていうの!!?
 だって、ルフィさんが許したのなら仕方ないじゃない!!
 皆が、それを認めたのなら…。
 私はあの船に居なくて、反対することも出来ないんだもの!!!」

言いながら、私は手元にあった干藁を掴み、思いっきり投げた。
ペルに投げつけなかったのが、精一杯の理性だ。
壁に向かって飛び散った藁はふわりと四方を舞い、また髪とドレスにくっついてしまう。
それでもまだ足りなくて、今度は両手一杯に藁を掴む。
今の私を支配しているのは、間違いなくあの女への“嫉妬”だ。
私の場所を!私の仲間を!!
ワルサギのように、横から掠め取って…!!!

「こんなことなら、私…!!」

やめて!!!
ギリギリで、その言葉を自分の中に押し戻した。
それでもペルが、ハッと息を呑むのがわかる。
身体中での叫びは、音にならずとも伝わってしまったに違いない。


『みんなと一緒に行けば良かった!!!』


……違うのよ、違う。
ペル…、パパ、イガラム、テラコッタさん、チャカ、コ−ザ、トト小父さん…。
血を流し、斃れていったアラバスタの人々。
今のは…、本気じゃないわ。本気じゃ…。
   
掴んだ藁が、腕の中でくしゃくしゃに折れ曲がって落ちる。
私は打ちのめされたように、その場にへたり込んだ。

こんなのって、無い。
何の為に私は…、迷ったの?悩んだの?眠れない夜を過ごしたの?
今になって後悔するために…?
あの日の決意は、こんなにも脆くて安っぽいものだったの?

力なく落とした目に、干藁を握った左腕が映る。
消えてしまった“仲間の印”…。

凄まじい虚脱感に襲われて、私はガタガタと身震いをした。
まるで、足元が頼りなく崩れていくようだ。
私は何なの?どうすれば良いの?何かを為す力があるの…?
みんなに、置いていかれた私に。

「クエェ…」
「ヴォ〜……」

カル−が私の頭にクチバシを寄せた。
マツゲは、私が引き千切った干藁をモグモグと食べる。

「ビビ様…」

カサリと、干藁を踏む音に私は両手で顔を覆って言った。

「……お願いよ、ペル。あと一時間だけでいいの。
 そうしたら、いつもの私に戻るから。ちゃんと笑えるようになるから…!!」

そうよ、大丈夫…。
ほんの少しだけ時間をくれれば、私は“王女”に戻ってみせる。
真っ直ぐに背を伸ばして民の前に立ち、スピ−チを述べ、笑顔を絶やさず大勢と握手する。
カジノの経営者や豪商達から更なる復興援助を取りつけるべく、愛想を振り撒いてみせる。

そして、王女としての“義務”を果たしただけの自分にどっぷり落ち込むだろう。
それすらもまた、王女の務めだと思うのは、間違いなの?

「……わかりました、ビビ様。
 その代わり、少しだけ私に付き合っていただけませんか?
 そうしていただければ、“エルマル”への出発の時刻まで誓ってビビ様をお一人に
 いたします。
 会議への御出席も、国王様への御挨拶も無用です。万事、私が取り計らいます」

「………?」

国家というものは、上下関係と儀礼に縛り付けられている上に、武官と文官の微妙な
力関係で成り立っているのだ。
“守護神”の一人とはいえ武官の彼が“万事、取り計らう”には並々ならぬ苦労が立ち
はだかるのは目に見えている。
長く宮殿に仕えるペルも、そのことは良く知っているはずなのに…。

「ビビ様に、どうしてもお話しなければならないことがあります。
 ……“ニコ・ロビン”について」

振り向いたペルは、アラバスタの守護神“ファルコン”の姿をしていた。


   * * *


   『私には、貴方達の知らない“闇”がある。
    “闇”はいつか貴方達を“滅ぼす”わ…。
    現に…、私はこの事件の罪を貴方達に被せて逃げるつもりでいる』

   『“落とし前”、つける時が来たんじゃねェのか?
    ……あの女は、“敵”か“仲間”か』




− 3 −

「遠くはありませんが、時間がないので…。ビビ様、私の背にお乗り下さい」

促され、スカ−トの裾を気にしながら私はペルの背中に乗った。
“守護神”の証でもある黄金の首飾りをしっかりと掴むと、ハヤブサの翼が力強く羽ばたく。
ふわりと宙に舞い上がる私達を、カル−とマツゲが見送ってくれた。

ペルが向かったのは高く、そしてすぐ近い場所だった。
宮前広場に面したバルコニ−。
クロコダイルによって砂となった屋上庭園には、立志式の前に急いで芝生が植え直され、
砕けた守護神の石像も裏庭にあったものが運ばれて、昔どおりの姿を取り戻していた。

そう、あの時のままに。

「どうして、ここに?」

ペルの背中から降りた私は、彼を振り向いて尋ねる。
その問いに、ペルはアラバスタの守護神獣を模(かたど)った石像が命を宿したごとくの
翼ある者の姿で答えた。

「私は貴女に、この話をするつもりはありませんでした。
 私の目の過ちに違いないと、そう思っていましたので…。
 ですが、今日。“ニコ・ロビン”が彼等の仲間となったことを知り、確信しました。
 あれは、夢でも幻でもなかったのだと」

「一体何の話なの、ペル!?」

今、一番聞きたくなくて。なのに聞かずにはいられない女の名。
どうしても表情を険しくしてしまう私に、ペルは少し躊躇いを見せた後、切り出した。

「……ビビ様、覚えておいでですか?
 貴女がクロコダイルの手で、ここから落とされた時のことを…」

ぞくりと、背筋に悪寒が走った。
忘れるワケがない。
忘れられるワケがない。
あの瞬間の絶望と恐怖。怒りと憎しみ。悲しみ。
そして…。


「“レインベ−ス”でニコ・ロビンに倒された私でしたが…。
 彼女は、私に止めを刺そうとはしませんでした。
 そして彼女はクロコダイルに刺されたルフィ君を砂地獄から助け、彼を私に預けて
 立ち去りました。
 『王女は“アルバ−ナ”へ向かった』と、言い残して」


   『よく戦ったわよ、お嬢ちゃん…。
    だけど、もう…声なんて届かない』

   黒髪の女が言った
   目深に被った帽子が作る影の下で
   その顔は私をあざ笑っているに違いないと思った

   『私は、この国を…』

   愛しているのよ!!!
   力の限りに叫んでも、怒号に掻き消されて誰の耳にも届かない
   あの女の言葉どおりに

   『教えてやろうか…?お前に国は救えない』

   葉巻を咥えた口が、歯を剥き出して歪む
   首を絞め上げる力が消えて、落ちた
   ゆっくりと
   羽織ったマントが、バタバタとはためく音が耳に残った



「傷の治療をし、ルフィ君は肉を摂り、水の樽を準備し…。
 彼を乗せてアルバ−ナへと向かいました。最後の戦いに間に合うことを祈りながら」


   人々が 私の アラバスタの この国の
   人々が 撃ち合い 斬り合い 殺し合う

   血と砂塵とが渦を巻く中へ

   こぼれた涙が、いくつもの水滴になって
   残酷なほど眩しい太陽の光に煌く

   ああ、もっと もっともっと
   雨になるくらいに
   沢山の水が 私の中に あれば
   そうすれば…!!!

   悔しくて 悔しくて 哀しくて
   目を、閉じた



「宮殿の上空に着いたその時、城壁からビビ様が落ちていくのが見えました…。
 貴女に追いつければ、この羽根が引き千切れても構わない。
 願いながら、急降下を続けました。
 けれど、渦巻く砂塵の中で貴女の姿を見失うかと…。そう思った、瞬間に」


   誰かが、私に触れた
   私の髪に 頭に 頬に
   細く滑らかな指が

   ママ…?
   ママなの?



「ビビ様が、白い花園の中に居るように…、見えました。
 横たわる貴女の髪に、マントに、無数の白い花が触れて風に揺れているように。
 ビビ様を…“天国”へ導くために、亡き王妃様が遣わされたのかと…。
 美しく、怖ろしい光景でした。
 どうかビビ様を連れて行かないでくれ、と。心の中で叫びました」


   私、頑張ったのよ
   何度跳ね返されても、あきらめずに
   頑張って、頑張って、…それでも
   何も、出来なかった……

   『B・Wを敵に回して国を救おうとしている王女様が、
    あまりにもバカバカしくてね』

   あざ笑う、声

   ……嫌だ、あきらめたくない!!
   私は…!!!

   その瞬間に、太陽と砂塵を切り裂いて現われた“希望”

   『クロコダイル〜〜〜!!!!!』


「それは、一瞬で消えました。
 砂塵の中にルフィ君がゴムの腕を伸ばしてビビ様を抱き止め…。
 私は旋回し、着地点を探しました。
 ……それが、私がこの目で見た全てです」

私は呆然と、ペルの声を聞いていた。
夢では、なかったのだ。

私に触れる、細く滑らかな指。
お母様の手だと…、思ったのに。

けれど、“希望”が現われたから…。
私を連れて行くのをお止めになったのだと。

なのに…。あの女、だったのだ。
城壁から生やされ、網のように繋がれた無数の“手”
頭なんか撫でて、どういうつもり!?馬鹿にして…!!

秘めていた大切な、美しいものを踏みにじられた気がした。
またしても、あの女に。
怒りの余り声も出せない私に、ペルは言った。

「ルフィ君が、私と同じものを見たのかどうか、わかりません。
 私の“ハヤブサ”の目を持ってしても、ほんの一瞬のことでしたから…。
 けれど、“ニコ・ロビン”を仲間にしたというのなら、彼にはわかっていたのでしょう。
 ……彼女には、最初から貴女を殺すつもりがなかったということを」

ペルの言葉を、音ではなく意味として理解するのに数瞬の時を要した。
理解した瞬間に、私は拒絶反応を起こしたように大声で否定していた。

「嘘よ…!!」

そんな馬鹿なこと、ある筈がない!!!
取り乱す私に、ペルは冷静な言葉を投げつける。
まるで、未熟な巫女へ神託を下す神の化身ように。

「いいえ、そう考えなければ辻褄が合わない。…違いますか?
 そして、貴女を生かすということは、アラバスタの滅亡が彼女の望みではなかったと
 いうことでもあるのです。
 あの時、ビビ様を助ければ、貴女が再び宮前広場への爆撃を止めようとすることを
 彼女は良く知っていた筈です。
 貴女が、決して最後まで諦めないということを」

ペル、貴方は知らないから、そんなことが言えるのよ。
地下聖殿で、あの女が何と言ったか…。
確かに、ニコ・ロビンはアラバスタ王国の滅亡など望んでいなかった。
でもそれは、あの女にとって“どうでもいい”ことだからに過ぎない。
国や人が、死のうが生きようが…。石に刻まれた歴史にしか興味のない女。
その話をしてくれた時の、父の沈痛な表情を思い出し私は更に怒りを覚えた。
父は明らかに、ニコ・ロビンに同情を寄せていたのだ。

前もって人払いをされているのか、庭園には歩哨の姿もない。
それを良いことに、私は思い切り叫んだ。

「馬鹿言ってんじゃないわ!!
 ぺルは爆発に巻き込まれて、もう少しで死ぬところだったのよ!?
 チャカも、コ−ザも、パパも!!!皆、死ぬところだったじゃない!!
 大勢が傷ついて、斃れて、苦しんで、悲しんだんじゃないの!!!
 私を助けようとしたから、それでどうだっていうの!?
 イガラムが無事だったから、ルフィさんを救ってくれたから。
 それで全てを許せと言うの!!?
 夢のために死ぬ覚悟があれば、何をしてもいいとでも言うつもり!!!?
 この国を…、ナメんじゃないわよ!!!」


   『お姫様が、そんなはしたない言葉口にするものじゃないわ。
    ミス・ウェンズデ−』



記憶に残る女の声は、表情は。そのどれもが私に怒りを覚えさせる。
まるで…、ワザとそうしているかのように。

肩で息をする私に、ペルは一つ咳払いをした。
“はしたない言葉”については聞かなかったことにしてくれるようだ。

「ビビ様…。私は彼女の弁護をするつもりではありません。
 アラバスタの民として、貴女の言葉は正しい。
 もしも次に“ニコ・ロビン”に会うことがあれば、私もまた斃れていった兵士等の仇を
 討つ為に、あの女と戦います。
 …ただ、彼女はその“手”が及ぶ中で誰も死なせまいとしていた。
 その中の一人が、貴女であったことも事実です。
 ルフィ君にとって重要なのは、それだけなのでしょう。
 彼自身が命を救われたことよりも、ずっと」

ペルは一旦、言葉を切った。
ハヤブサの眸が、鋭さとは逆の意味で細くなる。

「……?」

怪訝に思う私に、ペルは笑いを含んだ声で言った。

「ルフィ君は、私の背中に乗って空を飛ぶのが余程気に入ったらしく、しきりに
 『仲間になれ!!』『海賊は楽しいぞ!!』と誘われましたよ…。
 彼が言うには、私はビビ様を助けようとしているから、『イイ奴』なのだそうです」

なんて、ルフィさんらしいのだろう…。
真っ白な歯を見せて屈託無く笑う、麦わら帽子の下の少年の顔。
その様が目に浮かぶようで、私は軽い眩暈を覚えた。

「…ですから、きっと…。ルフィ君にとってニコ・ロビンは、少なくとも『悪い奴』ではない
 のでしょう。
 “仲間”であるビビ様を助けようとした…。そのことだけでも」

ペルの言葉は、私の胸にすとんと落ちた。
そうなの、ルフィさん…?


   指が、触れる
   髪に 頬に 涙に
   その手を 母だと

   母のように優しい手だと



「だけど……!!!」

胸に落ちた筈のそれを、私は呑み込むことができない。
できない…。絶対に。
両手を握り締めて、空を仰ぐ。


パパの両腕には杭の傷跡が残り、長くペンを持つことが出来ない
重要な親書に返事を書くのは私の仕事

チャカの胸には切り刻まれた傷跡が残り
コ−ザの胸には取り出せなかった弾丸の欠片が残り
時折、顔を歪ませる

地下聖殿があった場所には慰霊碑が建てられ
三年間の内乱で斃れた何万もの民の名が刻まれる
その周りには、一年中絶えることのないように、花を

豊かな水と、大地の証
冷たい石を取り囲む花々が、もう二度と枯れることのないように
この一生を捧げ、力を尽くします


ああ、そうだ。私は…。
あの船に乗れなかったのではない。
乗らなかったのだ。

苦く確かな事実だけを呑み込んだ。


あんたが、どういうつもりで私に手を伸ばしたのか。
そんなこと知らない。知りたくもない。
だけどね、これだけはハッキリしているの。

ルフィさんが許しても
ナミさんが許しても
Mr.ブシド−が、ウソップさんが、サンジさんが、トニ−君が
あんたを許しても

私は、けっして許さない
私は…!!!


「……それでは、私はこれで」

静かになった私を一人残して、羽ばたこうとするペル。
階段を登るのにも降りるのにも、人の十倍の時間が必要になってしまったペルは
どこに行くにも空を飛ぶ方が早い。
その彼を呼び止める。

「もう一度、背中に乗せて、ペル!!今度は、もっと高くまで!!!」

「今から…、ですか?しかし、私はこれから…」

文官達の間を飛び回らなければ。
そう言いたげな彼に、私は言った。

「だって、テラコッタさんのお小言を聞きながら身支度をして、それから視察の会議に出て。
 お父様に出立の挨拶をしなくちゃいけないんだから、あと30分しかないわ」


   * * *


   『一度捨てた命も…!!失った心も。途絶えた夢もみんな掬い上げてくれる。
    こんな私を信じてくれる仲間ができた…。』

   『…じゃあ、お前の“願い”ってのは…!!!』

   『私を除く“麦わらの一味”の6人が、無事にこの島を出航する事。
    ……それを成し遂げる為ならば私は、どんな犠牲も厭わない!!!』




− 4 −

「もっと高く!!高くよ!!」

スカ−トが風にバタバタとはためくのにも構わず、ペルに跨った私は両手を拡げる。

「ビ…!!ビビ様、ドレスの裾を……!!」

振り向くわけにもいかないペルが、慌てて言う。
でも、私は知らん顔で砂の混じる乾いた風を、この身体に受ける。

足元には、オモチャのように小さくなったアルバ−ナ。
ずっと遠くで砂漠を横切るサンドラ河。
どのくらい高く飛べば、東の彼方に海が見えるのかしら…?

いいえ、見えなくても構わない。
左腕を東に向かって真っ直ぐに伸ばす。


   『これから何が起こっても
    左腕のこれが、仲間の印だ!!!』



そうよ、何が起こっても
私は、みんなの仲間
あんたなんか、関係ない

それで、いいのよね?
ルフィさん…、みんな!!

東からの風が、髪を梳く。
絡みついた金色の藁が、ひらひらと踊る。
微かに、潮の匂いがしたような気がした。


息を吹き返したオアシスが、青と緑の宝石のように散りばめられ
古い時代の遺跡が、砂に埋もれて白く横たわる
私の国、アラバスタ


「……私は、この国の王女よ!!!」


風の中で私は言う。
その声は、アラバスタの守護神に届いた。


「はい、ビビ様」



                                     − 終 −


TextTop≫       ≪Top

***************************************

恒例、2月6日。お誕生日にUpのロビンさんと姫絡みのお話です。
姫誕らしくないTextなのも、例年通り…。(汗)

密航者ニコ・ロビンを、『こいつは悪い奴じゃねェから』と言い切る船長。
確かに何度も助けられてはいるし、あの船長ですから不思議はないのですが…。
何時かはこのことを知るだろうビビちゃんを思うと、もうワンクッション欲しいんですがぁ〜
と、思っていました。
空島編で披露された“ハナハナの実”現時点最大奥義“百花繚乱(シエンフルール)”
……あ、コレ使って城壁からネット状に手を生やしたらビビちゃん助けられそう。
アルバ−ナでコッソリやろうとしてたら嬉しいのに〜と、想像したのが元ネタです。

当初、書き始めた時はロビンさん視点だったのですが、原作の展開その他の影響を受けて
こういう形となりました。
ロビンスキ−の方には嫌な話となってしまったかもしれません。
また、ビビちゃんも痛い一面を見せているかもしれません。
いつもすみません…。でも、毎回言っておりますが私はロビンさんも好きなのです。

『百花』とは、『たくさんの花』という意味の他に、『色々な種類の花』という意味もあります。
それぞれの価値観、夢、信念、存在。
ニコ・ロビンの生き方、彼女を受け入れた“麦わらの一味”
彼等の仲間としての自分、アラバスタの王女としての自分。
時間をかけて少しづつ、その全てを受け入れるビビちゃんであって欲しいと思います。

2006.2.6 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20060202