神の蹄




− 1 −

ルフィが勝って
雨が降って
ビビが、ずっと叫んでた声が届いて

戦いが、終わった。

ビビが、“パパ”って人といっしょに広場にもどるのを、オレはみんなと見送った。
細かい雨が降る中、空色の髪が建物の影にかくれて、見えなくなる。

とたんに、ぐらりと目が回って、立っていられなくなった。

……過労だな。

遠くなる意識で、最後に思った。


   * * *


次に目を開けたら、白い石の天井がぼんやり見えた。
消毒薬のツンとするニオイ。
それから、ほんの微かだけど、ルフィと、ゾロと、ナミと、ウソップと、サンジのニオイ。

……そうだ、みんな酷ぇ怪我してたじゃねぇか…!!

ルフィは腹を刺されてて、ゾロは腹を切られてて
ナミは足を串刺しにされてて、ウソップは骨のあちこちにヒビが入ってて
サンジは肋骨が何本も折れてて
早く治療しねぇと、大変だ!!

飛び起きると、ビビの声がした。

「トニ−君、目が覚めたのね?」

両手に白いタオルを持って、ホッとした顔で。
ビビのオデコには、でっかい絆創膏が張ってある。

バナナワニと戦って、崩れた建物にぶつけた時に額に裂傷を負ってて。
止血と消毒はしたけれど、包帯や絆創膏は目立つからって、させてくれなくて。
ちゃんと、治療してもらったのか?

ロ−ソクが一つだけ灯る薄暗い部屋の中で、絆創膏がぼうっと白く見える。

「みんな、大丈夫よ。宮殿の典医が治療してくれたから。
 まだ眠っているけれど、疲れがとれれば目を覚ますだろうって」

それでやっと、オレは自分が包帯だらけで、寝巻きを着せられてて。
ベッドの上に居るのに気がついた。
他のみんなもベッドの中で、鼾や歯軋りや寝息を立てて、眠ってる。

一番最初に目を覚ましたのは、オレだったみてぇだ。
自分の身体を確かめてみる。
他のみんなと違って、火傷と打撲ぐらいで、ほとんど出血しなかったし。
オレは元々はトナカイで、“悪魔の実”を食ったから、人間より回復は早ぇんだ。

けど、オレは“船医”だから。みんなのベッドを順番に見て回った。
脈をとったり、傷の具合や治療を調べたりしている間に、ビビは蹴飛ばされた毛布を
直したり、オデコの汗を拭いてやったりしてる。

なんだか、でっかい病院で患者の回診をする医者とナ−スみてぇだな。
そう思うとカオが緩みそうになるけど、グッと我慢する。
ちゃんと治療されてるのに安心したオレは、最後にビビを椅子に座らせた。

「私はいいわ。みんなに比べたら、かすり傷だから」

ビビは言ったけど、オレはうんとコワイ声で注意する。

「ちゃんと治療しねぇと、傷跡が残っちまうかもしれねぇぞ!!
 ビビは“仲間”なんだから、船医のオレが診るんだ!!!」

そしたら、ビビは大人しくなった。
医者の言うことをちゃんと聞く、イイ患者だな。

オデコの絆創膏だけじゃなく、ビビは両腕と両脚にも包帯を巻かれていた。
深い傷じゃねぇけど、体中、擦傷と痣だらけになっている。
生え際の裂傷も、このままじゃホントに傷跡になるかもしれねぇ。

ドクトリ−ヌから教わった、特別良く効く薬を塗ってやる。
すごく染みるから、以前、ウソップに塗った時は暴れて大騒ぎだったけど、
ビビはじっと我慢してる。
ホントにウチの船では、一番イイ患者だな。
絆創膏を張り直してやると、ビビは笑って言った。

「ありがとう、ドクタ−・チョッパ−」

いつもは“トニ−君”なのに、“ドクタ−・チョッパ−”だって。
ドクタ−・ヒルルクって、ドクタ−とおんなじだ!!

「ド、ド、ドクタ−なんて〜、そんなの呼ばれたって嬉しくねぇぞ〜〜ッ」

くすぐったくてジッとしてられなくて、オレは椅子の周りをグルグル回る。
ビビが慌てて言った。

「ダメよ、トニ−君。静かにしなきゃ、みんなが起きちゃうわ」

…あ、今度は“トニ−君”だ。
でもイイや。ビビにそう呼ばれるのって、オレはキライじゃねぇからな。

「そ、そうだなッ。みんな、もう少し寝てなきゃな。
 きっと昼にはナミとサンジも目を覚ますぞ。ゾロとウソップは多分、夕方ぐらいだな。
 ルフィは、まだ当分眠ったままかもしれねぇけど」

クロコダイルの毒にやられたルフィは、解毒剤を飲んではいても出血が多かった分
体力の回復に時間がかかるんだ。

ビビが真剣な顔でこくりと頷く。
今度は術後の経過を聴く患者の家族みてぇで、やっぱりカオが緩みそうになる。
グッと我慢しようと腹に力を入れたとたん、腹の虫がグウ〜ッと鳴った。
そうだ、すっかり忘れてたけど、オレは腹が減ってたんだ。

椅子から立ち上がったビビが、ニッコリ笑ってオレに手を伸ばす。

「じゃあトニ−君、一緒に厨房へ行きましょう。
 遅い時間だけど、夜食を食べさせてもらえるから」

そう言って、オレの蹄の手を、きゅっと握った。



− 2 −

ベッドが7つ並んだ部屋を出ると、雨の音がした。
中では鼾と歯軋りがもの凄くて、全然聞こえなかったけど。
あれから、ずっと降ってるんだな。

お城の厨房は、冬島のドラム城の厨房に負けないくらい、でかかった。
でも、ガランとしてたあそことは、全然違う。
真夜中なのに、みんな忙しそうに働いてて、パンを焼くニオイがして。
ますます腹が鳴る。

ビビは、ぐるっと巻いた頭の大きなオバサンのところへ、オレを連れて行った。
半分トナカイで半分ヒトで、おまけに青っ鼻のオレを見て、にいっと笑う。

「あんたが海賊の船医さんかい?ビビ様が、すっかりお世話になったそうだね。
 それから、この国を救ってくれた礼を言うよ」

きっとビビがオレのこと、前もって話してたんだ。
じゃなきゃ、フツ−の人間はオレを見て、吃驚するか気味悪がるかするハズだ。
初めて会う人に笑いかけられるなんて、めったにねぇから。
オレは、どうしていいかわからねぇ。

「オッ…、オレは船医だし、ビビの仲間だから!!
 れ、れれ礼なんて言われても、ううううれしくなんかねぇぞおぉ〜〜」

ビビのスカ−トをぎゅっと握りしめて、オレは蹄で白い石の床を何度も踏み鳴らした。
オバサンは、ますます口を大きく開ける。

「そうかいそうかい。まあ、とにかくそこら辺に座っておくれ。
 お腹が減っているんだろう?
 生憎、今はパンとス−プぐらいしかなくて、申し訳ないがね」

言いながら、オバサンはでっかくなったオレでも丸焼きにされそうなオ−ブンから
薄焼きパンを取り出した。

焼きたての香ばしいニオイに、またキュルキュルと腹が鳴る。
ビビが厨房の隅にある小さなテ−ブルの前に椅子を置いてくれる。
よじ登ると、目の前に山盛りのパンが籠ごと置かれた。

……なぁ、コレ。食ってもいいんだよな?

隣を見ると、ビビがニッコリ笑って頷いた。

「い、ただきます」

焼き立てで、あったかくて。
ドクタ−の家で初めて食べさせてもらったパンに負けねぇくらいウマい。

「ほら、ス−プもお飲み」

スパイスの匂いがして、コトンと深皿が置かれた。
横に木の匙もあったけど、オレは両手で持ち上げて直に飲んだ。
サンジが作るス−プとゼンゼン違う味で、ちょっと鼻がツンとするけれど。
これも、すげぇウマい。

「悪いね。明日にはもう少しマシな食材が仕入れられると思うんだけど。
 何しろ昨日まで戦争だ反乱だと、大騒ぎだったからね。
 けど、安心おし。大喰らいだとかいう船長さんが目を覚ます頃には、肉も野菜も果物も
 山ほど揃えておくからね」

うん、オレはパンとス−プで十分だけど、ルフィは肉がねェとダメなんだ。
それも、うんとうんとイッパイだ。
それから、ゾロとナミには酒だ。
水代わりにテ−ブルに置かれたワインより、もっとアルコ−ルの強いヤツじゃねぇと。
あと、ウソップはキノコが大嫌いだし、サンジは食うより料理の話を聞きたがるだろうな。

……でも、きっとそういうことも、ビビがちゃんと伝えてくれてるんだ。

4杯目のス−プを飲み干して、8つめのパンを頬張りながら横を向くと、ビビが居ねぇ。
慌てて見回すと、ドアのところで誰かと話をしてる。
食べるのに夢中で、ビビが席を立ったのにも気づかなかった。

白っぽい服を着て、頭にも白い布を巻いた女の人は、手にパンとワインの瓶の入った
籠を持っている。
きっと、夜食を取りに来たお城の人で、ビビの知り合いなんだ。
少し話すと、ビビにペコリと頭を下げて、どこかへ行ってしまう。
戦いが終わって、雨が降ったのに。すごく哀しそうな顔をしてた。

そして振り向いたビビが、さっきの女の人みたいに哀しそうな顔をしてたから。
オレは食いかけのパンを放り出して、駆け寄った。

「どうかしたのか、ビビ!?顔色が悪ぃぞ」

クロコダイルは、ルフィがブッ飛ばしたのに。
ビビは、ちゃんとウチに帰れたのに。
なぁ、どこか痛ぇのか?

ビビは首を横に振ったけど、オレは信用しねぇ。
コイツは我慢強すぎるから、普段から気をつけてやらねぇと、絶対に身体を壊しちまう。
オレが下からじっと睨みつけると、ビビはオレの目線に合わせるように屈みこんだ。

やっと、どこが痛いか言う気になったのかと思ったけれど、小声で囁いたのは
ぜんぜん別のことだった。

「トニ−君、お願いがあるの」

そんなの、オレはビビの“仲間”なんだから、できることなら何だってしてやるのに。
なんで、そんな痛そうなカオで言うんだろう?

「トニ−君が持っているお薬を、分けて欲しいの。
 効き目が早くて、身体の負担にならない麻酔薬と鎮痛薬を」

とたんに、オレは思い出した。

宮前広場でも、爆弾を捜して走り回った街の中でも。
飛び散って流れる、たくさんの血 血 血……

そうだ、大変だ!!
オレ、医者なのに。のん気にメシなんか食ってる場合じゃねぇぞ!?

「怪我人の治療に使うんだな?オレも手伝うぞ!!」

「でも、トニ−君だってまだ寝てなきゃ。薬だけもらえれば、後は…」

ビビが言うのを遮って、オレはツバを飛ばした。

「オレなら、もう大丈夫だ。医者のオレが言うんだから、間違いねぇ!!
 それに、ルフィ達の治療をしてくれたのは、この国の医者だろ?
 だったら、今度はオレがこの国の人を助けて、お礼をしねぇと!!」

「……でも」

どうしてか、ビビは唇を噛んだ。
おっきな眸の中に、今はそんなに嫌じゃない、青い鼻が映ってる。
青い色はゆらゆら揺れて、石の床にこぼれ落ちるんじゃねぇかと思った。

「でも、トニ−君の薬は…“治療”のために使うんじゃないの」

オレは首を傾げた。
効き目が早くて、身体の負担にならない麻酔薬と鎮痛薬って、手術じゃねぇのか?

「ごめんなさい。トニ−君には、最初からちゃんと話してお願いしなきゃいけなかった。
 トニ−君は、ドクタ−なんだから」

いつもなら、“ドクタ−”って呼ばれたらジッとしてられなくなるのに。
今はちっともムズムズしねぇ。
ビビの眸が、もう一度オレの青っ鼻を映す。

「その薬は、もう手の施しようのない人達のために、使いたいの」



− 3 −

雨の音は、まだ続いていた。
リュックを抱えたオレは、ビビの後について長い廊下を通って、一つの部屋に入った。
オレたちの居た部屋の半分ぐらいの大きさで、ベッドも4つしかない。

けれど、入ったとたんにハッキリとわかる血のニオイ。
荒くて弱い呼吸。
掠れた呻き声。
部屋を満たす“死”の気配に、獣毛がぞわりと逆立った。


   『毒を、飲んだの』


冷たい、しんとした廊下を歩いている間に、ビビは言った。


   『一時の力を得る為に、命を削る水を…』


少し俯いて、でも泣いてはいなかった。


   『代々、国王を守る精鋭の護衛部隊にだけ授けられる秘薬なの。
    けれど、ずっと長い間、使われたことはなくて…。
    今ではお守りみたいなものになっていた』


オレは黙ってベッドに近づいて、毛布をめくった。


   『けれど、彼等はパパを…、国王を救おうとして。
    クロコダイルに、この国の“痛み”を知らしめようとして…。
    命を懸けて、戦おうとしてくれた』


本当は、この目で見るまで。
何とか出来るんじゃねぇか、助けられるんじゃねぇかって、思ってた。
けど、だめだ。
ドクトリ−ヌにだって、もう手の施しようがない。

全身の血管がボロボロで、内臓からも出血している。
外傷は一つも無いのに、まるで内側から引き裂かれたみてぇだ。
呼吸(いき)をする度に口から血が溢れて、シ−ツも毛布も赤く染まっていた。

まだ生きている方が、不思議だった。
鍛えられた肉体と精神力が、却って苦痛を長引かせている。

これじゃあ注射しても、効くかどうかわからねェ。
量を加減しながら、吸引麻酔と併用した方がいいだろう。

治療のためでも、延命のためでもなく。
ただ、苦痛を和らげるためだけの処置をする。

ビビもさっきと同じように、オレの後ろについていた。
患者の口や鼻から流れ出る血を拭って、乾いた唇に水を含ませる。

この部屋に、オレの他に医者は居なかった。
白い服を着て、白い布を頭に巻いた女の人が2人居て、やっぱり患者の血を拭ったり
水を含ませたりしている。
哀しそうなカオも囁くような話し方も、そっくりで。
どっちが厨房でビビと話していた人なのか、よくわからなかった。
2人は看護士じゃなくて、神殿に仕える巫女なんだって。
後でビビが教えてくれた。

誰も何も言わず、ただ、近づいてくる死を静かに待っている。
ベッド脇には、手をつけられていない薄焼きパンとワイン。
部屋の片隅では、真っ赤に染まった布が籠からあふれて床を覆っていた。

「……ビビ様」

女の人の片方が、掠れた声でビビを呼んだ。
しんとしていた空気が、揺れる。

「ヒョウタ様が……」

オレとビビは、ベッドの一つに駆け寄った。
4人の中で一番身体の大きな患者が、意識を取り戻している。

けど、これは回復なんかじゃねぇ。
薬が中途半端に効いた為だろう。
意識を保つだけで気力を使い果たして、多分、このまま…。

「……ビビ…様、ご、ブジ…デ」

ゴボリと、口から大量の血が溢れた。女の人が、それを拭き取る。
ビビの両手が、土気色の大きな手の一方を握った。

「ここにいます。しゃべらないで、ヒョウタ」

内出血で濁った目には、視力はほとんど残っていないだろう。
けれど、まだ耳は聞こえているらしく、眼球がビビの方に動いた。

「パパは無事よ。チャカも。
 それからイガラムが生きていて、帰って来てくれた。
 クロコダイルは海軍に捕らえられて、裁きを受けるわ。
 雨が降って、戦いは終わったの。
 何もかも……、大丈夫」

ビビが握る大きな手には、赤黒い内出血が拡がっていた。
激しい痙攣は、筋肉組織が破壊されている所為だ。
それでも、鬼トゲユリの根とメスカルサボテンを調合した薬で、今は痛覚は無いはずだ。

「ドウ、カ……お許し、…ヲ。王家ノ…敵、ニ……、
 一矢、報イル……コト…、叶ワズ」

「しゃべらないで、もう」

ビビは遮ろうとしたけれど、幾度も血を吐きながら、患者は話し続ける。
数瞬でも命を長引かせようとするなら、眠らせるべきかもしれない。
でも、オレはそうしなかった。
ビビも、そうしてくれとは言わなかった。

「我ラ、ガ……、“豪水”ヲ飲ンだ……は、我ラ…自身ノ、罪…ノ贖(あがな)い…ヲ。
 ……コノ、三年。あらばすたノ民ヲ…、幾人、この手デ…。
 雨ヲ…、求めタ……彼等、王家に害為ス、…愚か者ト……。
 ドウ、カ……我ラガ殺め…タ、民ト、残され……遺族ノ、タメ…に
 ソノ慈悲ノお心ヲ……。我ラ、ハ…愚か者……に、相応シイ、死ヲ……」

オレはビビが握っているのと反対側の手を取って、脈を診た。
蹄に響く音は微かで、幾度も途切れかける。
オレはビビを見た。言いたいことがあるなら、今、言わねぇと。
口に出したりはしなかったけど、ビビにはちゃんと通じた。

「貴方が贖(あがな)わねばならない罪など、どこにも無いのです。
 反乱軍の人々にも、その家族にも。
 ブラ−ムにも、アロ−にも、バレルにも。…貴方にも。
 贖(あがな)わねばならない罪は、父と私にあるのだから」

患者の耳元に唇を寄せて、ビビの声がしんとした空気を振るわせる。
爪の間から滲んだ血で、ビビの手が濡れていた。
ぽたり ぽたり と、滴った緋(あか)が白い床に落ちる。


「この国の多くの人々を…、そして貴方を。
 守ることが、できなかった」


クロコダイルは、やっつけたのに。
ビビの声は、届いたのに。
みんな、血だらけになって頑張ったのに。

…それでも、やっぱり。

ルフィの言ったとおりになった。


   『人は、死ぬぞ』


雨の音が、強くなった。
ビビは患者の手を握ったまま、その顔を見つめている。
血で汚れた唇を、女の人が海綿に浸した水で濡らした。

「……、ぁらば……ヲ、……」

深く吸い込まれた息に混じった音が辛うじて聞きとれて、そして。

瞳孔が開き、呼吸と心臓活動が停止し、脈が途絶える。
それを3度確認する。


「……ビビ、もう」


その人は、亡くなったよ。
オレは医者だから、短く告げた。

ビビは黙ったまま、小さく頷いた。


「「祖国に命を捧げた戦士に、永遠(とわ)の安息を
  その身はアラバスタの砂に還り、その魂は精霊の導きにより
  今、神々の御許へと…」」


いつの間にか、枕元には女の人たちが立っていた。
低く哀しげな声が重なって、歌うように唱える。
ビビはただ、目を閉じていた。

蹄のついた手を伸ばしたけれど、届かない気がしてやめた。

時計塔の上よりも
ずっとずっと、ビビが遠いところに居る気がした。


   * * *


夜が明ける少し前に、その部屋の全員が亡くなった。

雨は、ずっと降り続いていた。



− 4 −

「ありがとう、トニ−君」

白い布に包まれた遺体が運ばれていくのを見送りながら、ビビが言った。

「オレは医者だから……、礼なんて」

返事をしながら、オレは思い出していた。
ドクトリ−ヌのところで修行してた時、人が死ぬのには何度か立ち合った。
けど、ドクトリ−ヌは名医だったから、ほんとに偶にで。
“船医”になって、独り立ちしてからは初めてだ。
為す術も無く、一度に4人もに死なれるのも。

「……それに。オレは、何も…」

何も、できなくて。
死んでいくのを、ただ、見てるだけで。

俯いて、自分の両手を見る。
ちいさくて黒くて硬い、蹄の手。

“万能薬になる”なんて、やっぱりオレには無理かもしれねぇ。
海に出て、初めて思った。

患者に死なれると、ドクトリ−ヌはいつもの倍くらい梅酒を飲んでた。
もしかしたら、ドクトリ−ヌも今のオレみたいな気分だったのかな。
悔しくて悔しくて、自分が情けなくて、惨めで。
今なら、オレもイッパイ酒を飲めそうだって、思う。

俯いたままのオレに、ビビが屈み込む。
目の端に、長い髪の色。
まだ水滴を落としている空の、薄い雲の向こうの色。

「トニ−君は、彼等の苦痛を取り除いてくれた。
 皆、最後はとても静かな顔で眠ることができたわ。
 苦しんだ顔を、彼等の家族は見なくてすむの…。
 ……だから、ありがとうございました。ドクタ−・チョッパ−」

“ドクタ−”って、呼ばれて。
オレは初めて泣きたくなった。

ホントは、あの人たちを治して、ビビに笑って欲しかったんだ。
誰も死なせたくなかった。
ドクタ−が死んだ時みたいな想いは、もう二度としたくなくて。
もう誰にも、させたくなくて。
オレは、医者になったのに。

オレの蹄(て)は、今も役立たずで
みっともない青ッ鼻のトナカイのまんまだ。

垂れてきた鼻水を、ずずっと啜る。
ビビの前で、泣いたりなんかしちゃダメなのに。

「トニ−君」

ビビのニオイと、別のニオイが、ふっと近づいた。

やわらかな両手が、オレの両手の蹄を握る。
手のひらを合わせるように包まれて、固い蹄がぶつかって、かちっと鳴った。

「今だって、トニ−君はこの蹄(て)で、みんなの怪我や病気を治すでしょう?
 これからも、きっと、たくさんの命を救って。そして」


ちいさくて白い、血のニオイのする手が
ちいさくて固い、血のニオイのする蹄を

きゅっと、握る。


「たくさんの命を、この蹄(て)が看取るの」


蹄の先に、神経は通ってないハズなのに

ビビの手は、あったかいなって思った。



                                     − 終 −


TextTop≫       ≪Top

***************************************

自らが“万能薬”となる夢を追う船医さん。
『この世に治せない病気はない』とのことですが、この世で医者を必要とするのは病気ばかり
ではありません。
もしも、いつの日か“麦わらの一味”の誰かが命を落とす時、残された仲間に臨終を告げる
のは彼であって欲しいです。それもまた、“万能薬”の役目ではないかと…。
どいつもこいつも、ベッドの上で死ねる確率が低そうなのは置いといて。(汗)

高い技術や才能を持つ人を、敬意を込めて“神の○○”と呼ぶことがあるようです。
(例:神の手←外科医、神の鼻←香水の調香師、神の脚←タップダンサ− 他etc)
だったらトナカイ船医は“神の蹄(ひづめ)”になるのかなぁと。
当初は本文中にビビちゃんのセリフとして説明していたのですが、途中でざっくり削除。
代わりのタイトルを思いつけず、補足説明としました。すみません。(汗)

なお、“ツメゲリ部隊”の方々のお名前は、「BLUE」を参考資料としています。

(以下は余談です/かなり大真面目なので反転表示)
実質的にスト−リ−には関与しなかったエピソ−ドを取り上げました。
王家に忠誠を捧げる戦士にとって、“豪水”を飲むことは至上の名誉であり、誇り高い
行いとされているのではないでしょうか。
けれど、突き詰めれば『国の為に毒を飲んで自殺する』ことが正当化されているのが、
とても恐ろしいと感じました。
ビビが王女として、“誰も死なせたくない”という想いで行動していても、多くを犠牲に
支配と統治を存続させるシステムが既に存在し、機能しているのがもう一方の現実と
して示されているようで。

現在進行のスト−リ−では、主要人物が死なないのが「ONE PIECE」であり、
アラバスタ編でもペルもチャカもコ−ザもイガラムもトト小父さんも無事でした。
だとしたら、本編でのルフィの発言は、“ツメゲリ部隊”を始めとした名前も見せ場も
与えられなかった“その他大勢”に当てはめられることになります。
国のために、王家のために、そしてお前のために。今までも、これから先も。
『人は、死ぬぞ』と。

アラバスタで未来の女王が為すべき仕事は多く、また困難を極めるでしょう。
“豪水”を今後も使用するか破棄するかだけでも、王女や王の一存では済まないこと
のように思います。
そういった背景を見てしまうトコロが、私がいまだにワンピの二次創作を書き続ける
ことに繋がっているようです。

『アラバスタ編で“本当に亡くなった人”を関連させた話を書く』という目標は、かなり
以前から持っていました。実は昨年、一昨年の企画でも候補には挙げていました。
2度ポシャっただけあって、やはり力量不足で未消化なテキストとなりましたが、違う
アプロ−チを思いつけば、同じテーマでまた挑戦してみたいと思います。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。

2007.3.24 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20070202