海の王国




買出しから戻ると、宮殿前ではムサイ野郎共が睨み合っていた。

「ウソをつくと、この国の為にならんぞ!!!
 海賊の隠匿は重罪だ!!!」

唾を飛ばす海軍。その前に立ち塞がった男が言い切る。

「海賊など、知らぬ!!」

昨日、ビビちゃんから紹介された王国護衛隊副隊長だ。
その横を通るついでに、軽く手を挙げる。

「よっ、お疲れ!!」
「ああ、お帰り。要るものはあったかね?」

厳つい顔をほころばせる男に、後に続く長ッ鼻が応えた。

「ん−、ボチボチだ」

食糧と調味料、酒。トナカイに頼まれた薬類。
あとはロ−プに針金、紙とインク、石鹸、カミソリの替刃、タワシ、その他etc

「町がこの状態だ。これだけ買えりゃ、十分だろ」
「まァな」

言い合いながら、長い階段を昇る。
雨で洗い流されたのか、白い石の上には血の跡も残っちゃいねェ。
後ろからはドスの効いた声。

「海賊が、ここにいる証拠でもあるというのか!!?」
「いや……、それは……」

スゴスゴと引き上げる“正義”の二文字を、肩ごしに見送った。
片腕に抱えた荷物を持ち直したところで、長ッ鼻が言う。

「アイツ、目ェ覚ましたかな?」
「……起きたら起きたで、騒がしいけどな」

吐き出したタバコの煙が、空に吸い込まれる。
雲一つねェ、どこまでも澄んだ蒼に。


   * * *


門をくぐったところで、長ッ鼻と別れた。
両腕に荷物を持って部屋に戻ると、ビビちゃんが迎えてくれる。
痛々しかったオデコの絆創膏も取れて、いつもどおり天使のごとくの美しさだ。

「サンジさん、お帰りなさい。すごい荷物ね」

なんか今のセリフって“新婚さん”っぽくねェ?
顔中の筋肉を緩めた俺は、クルクル回りながら返事をする。

「ビビちゅあぁ〜ん、たっだいまぁ〜vv
 1人にしちゃってゴメンね〜」

それぞれのベッドに荷物を置いて身軽になると、ピタリと回転を止める。
ビビちゃんは、正確には1人ってワケじゃねェ。
彼女が座る椅子は、眠ったままのクソゴムのベッドに寄せられていた。

クソワニにやられた毒が体内に残っていたルフィは、倒れた翌日から高熱を出した。
3日目の今日も、まだ意識が戻らねェ。
ビビちゃんはチョッパ−と2人で、ずっと看病をしてくれている。
……ハズが、トナカイの姿がねェ。

「クソトナカイの奴、ビビちゃん1人に看病を押しつけやがって…。
 どこ、ほっつき歩いてんだ?」

声を落として文句を言う。
ビビちゃんは、洗面器の水にタオルを浸して口元を綻ばせた。

「トニ−君は、薬の調合のことで典医と盛り上がっちゃって…。
 今、典医の案内で薬草畑に行ってるわ。
 ルフィさん、やっと熱も下がってきて。夕方には目を覚ますだろうって」

白い手が、きゅっとタオルを絞る。
王女様なんだから、自分の部屋だってあるだろうに。
俺達と同じ大部屋に寝泊りして、クソゴムの看病だけでなく、皆の世話まで焼いてくれる。

「ナミさんは、パパの書斎に本を選びに行ったきり。
 Mr.ブシド−はトニ−君の目を盗んで出て行ったから、多分、トレ−ニングね。
 そういえば、ウソップさんは?」

小声で言いながら、ゴムの額にタオルを乗せた。
汗で張り付いた前髪を、細い指先がそっと払う。

「長ッ鼻はゲ−ジュツ鑑賞だってさ。
 今頃、宮殿中の壁やら柱やらに張り付いてんじゃねェかな」
「ウソップさんらしいわ」

ビビちゃんは言うが、削った石だの壁に描いた画だの、何が面白いのか気がしれねェ。
目の前の生きたレディ−の方が、百万倍美しいに決まってる。
……とか、思ってる間に立ち上がったビビちゃんは、サイドボ−トのティ−セットで
お茶の準備を始めた。

「それぐらい、俺が淹れるのにィ〜。
 ビビちゃん、クソゴムの看病で疲れてるだろ?」

まったく、クソゴムに対するビビちゃんの甲斐甲斐しさといったら。
翌日の朝にはピンピンしていた自分の体力を、どれほど恨めしいと思ったことか…!!
ああ、俺もビビちゃんに看病されたかったのにィ〜ッツ!!!
本気で叫んで、ナミさんに思いっきり殴られた。

手早く2人分のお茶を淹れてくれたビビちゃんは、俺にカップを差し出しニッコリする。
ロクに眠れてねェ筈なのに、顔色もいい。
それだけで、この表情(カオ)を見損ねたクソゴムを許してやっていいって気になる。

「私なら大丈夫。サンジさんこそ買出し、お疲れさま。
 ……町の様子は、どうだった?」

促され、壁際に置かれたソファ−に並んで座った。
ビビちゃんが淹れてくれたのは、アラバスタのハ−ブティ−だ。
タバコを灰皿に押し付け、独特の味と香りを楽しみながら口を開く。

「町中、人が溢れてたなァ。そこらじゅうでノコギリの音やら、カナヅチの音やら。
 そりゃ−、にぎやかで活気があって。物資もドンドン運ばれて来てた。
 十分とは言わねェまでも、お互いに譲りあってて。
 特に何かが足りねェってことは、なかったみて−だな」

俺の話を、ビビちゃんは熱心に聞いている。
本当は、自分の目と耳で町の様子を確かめたくて仕方ねェんだろうな。
……ったく、早く目ェ覚ましやがれ、クソゴム!!
心で悪態を吐きつつも、ビビちゃんに向ける顔は優しく紳士的に。

「ウソップも感心してたぜ。『この国は逞しいな』っつって。
 やっぱ、王女がかわいいから〜vv」
「そう…、良かった」

ホッと吐き出した息と同時に、ビビちゃんの肩から力が抜ける。
この細い両肩に、何百万もの命をのっけていたなんて、今でも信じられねェ。
けれどビビちゃんが傷だらけになって、必死に頑張ったのも事実だ。
間近で見下ろす白いオデコには、まだ傷痕が赤味を残している。

「テラコッタさんが言ってたわ。
 今朝から市場が開いて、やっと肉が手に入ったって。
 これでルフィさんが何時目を覚ましても大丈夫だから、ホッとしたの」
「そういやビビちゃん、ルフィにメシ食わせる約束してたっけ。
 前にも言ったけど、戦闘後のアイツはメチャクチャ食うぜェ〜。特に…」


「にぐう゛ぅ〜ッ!!肉、食わせろおおぉ〜〜!!!」


まさに、絶妙のタイミングだ。
弾かれるようにソファ−から立ち上り、2人同時にベッドへ駆け寄る。

やっと起きたかと覗き込めば、気持ち良さそうな寝息。
大の字になったままのクソゴムに、ガッカリしたようなホッとしたような…。
複雑な気分で顔を上げると、やっぱり複雑な顔をしたビビちゃんと目が合った。

「……聞こえたのかしら?」
「“肉”って単語に条件反射したんじゃねェかな…?」

顔を見合わせ、苦笑する。
もう一度見下ろせば、コッチの気も知らず、のん気な寝顔だ。
大口を開けて、デカイ鼻ちょうちんまで膨らませて。
どこから見ても、遊び疲れて爆睡してるクソガキでしかない。

「こんなアホヅラして寝てっと、“王下七武海”を倒した男には見えねェよなぁ…」

しみじみ言うと、ビビちゃんも唇の両端を上げる。

「けど、ルフィさんらしい」

柔らかな声。
子どもの寝顔を見守る母親は、こんな声を出すのかもしれねェ。
ぼんやりと思う。

「ルフィさんは、きっと変わらないのね」

クソゴムを映した眸が、遠くを見るように細められる。
その声の響きが、変わった。

「年を取って、大人になって…。いつか、“海賊王”になったとしても。
 冒険とお肉が大好きな、子どものまんま。
 でも、誰よりも強くて…、残酷なくらい正しいの」
「………………。」

ポケットから、タバコを取り出し口に咥えた。

馬鹿で阿呆で何も考えてねェ癖に、コイツは物事の核心を突く。
まるで最初から、何もかも知っていたみてェに。
迷いもなく、ためらいもなく。真実だけを突き立てる。


  「お前はこの戦いで、誰も死ななきゃいいって思ってるんだ。
   国のやつらも、おれ達もみんな!!……甘いんじゃねェのか」
  「おれ達の命くらい、一緒に賭けてみろ!!!」
  「教えろよ、クロコダイルの居場所!!!」



砂の上に蹲って、震えていた小さな背中。
細い指の間を伝っては、消えていく雫。
泣いてるレディ−を前に、黙って見ているだけだった俺。

「……けれど、私は変わってしまうわ」

今も俺は黙ったまま、ビビちゃんを見つめた。
雪花石膏のように白く、整った横顔。

「いろいろなものに縛られて、たくさんのものを背負って。
 大勢を守るために、誰かを犠牲にして…。
 間違えて、悔やんで、手の届くものだけを抱え込んで。
 ……そうやって、年を取っていくの」

目に見えるような気がする。
何年か後のビビちゃん。
宝石と、絹と、威厳と気品を身につけて。
蒼い髪の上に黄金の冠を乗せて、真っ直ぐ顔を上げて立っている。
宮殿の壁に掛けられた、大昔の女王様のように。

「だから余計に、変わらないでいて欲しいって思うの。
 ルフィさんにも、みんなにも。ずっと……」

……そんなこと、ねェよ。
ビビちゃんだって、望めば自由に生きられる。
好奇心旺盛で度胸があって。ちょっと天然な可愛いレディ−のままでいられるって。
義務だとか、責任だとか。何もかもをビビちゃんが背負い込むことはねェンだ。
国の為にあんなに頑張って、もう十分だろ?
だから俺達と、一緒に……

伏せられた長い睫毛に、俯いた白い顔に。
思わず、口を開きかけた。


「ビビ〜ッ、ワニはブッ飛ばしたぞッツ!!……笑え!!!」


盛大な寝言。
ビビちゃんの表情が、ふわりと緩む。
ズリ落ちたタオルを拾って、また水に浸してゴムの額に戻した。
それを眺めながら、溜息を吐く。
……コイツには、負ける。

「さっきの続きだけど」

あらためて口を開くと、ビビちゃんが顔を上げて俺を見た。
零れ落ちそうに大きな眸に、俺の顔が映る。
火の点いていないタバコが、しゃべる声につられて上下した。

「変わっても、変わらなくても。
 ビビちゃんは、ずっと俺達の“ビビちゃん”だよ」

どんなに飾り立てられて、よそゆきの顔を作るようになっても。
建前や形式に縛られて、本音を口に出来なくなっても。

変わっていくことは、多分、変わらないことと同じくらい難しい。
居心地のいい場所を捨てるのは、誰だって辛い。
それでもビビちゃんは、きっと“変わっていく強さ”を選ぶんだ。
居心地のいい自由より、必要とされる不自由さを。

「……ありがとう」

ビビちゃんが、くしゃりと顔を歪めた。
慌てて俺に背を向けて、しきりに顔を擦る。
俺はやっぱり黙ったまま、タバコに火を点けた。
窓から入る風が、白い煙を運ぶ。
火薬のニオイは、もうしねェ。

暫くして俺に向き直ったビビちゃんは、いつもどおりのビビちゃんだった。
ちょっとだけ目元を赤くして、けれど明るい声で言う。

「サンジさんは、きっと変わるけど、変わらないわね」
「なんか、それってややこしくねェ?」

俺も、いつもの調子で軽く答える。
ビビちゃんは楽しそうに説明した。

「そう?すっごく具体的に思い浮かぶんだけど…。
 見た目はグッと渋くなって、でもやっぱり女の人が大好きで。
 相変わらずナミさんの前では、ぐにゃぐにゃ〜ってなっちゃうの。
 “世界一のコックさん”だから、誰も食べたことのない独創的なお料理を作って。
 凄く美味しいんだけど、最初に食べるのに時々、勇気がいるの。
 幾つになってもウソップさんとトニ−君の世話を焼いて、“世界一の大剣豪”と張り合ってて。
 毎晩、コッソリ盗み食いにやってくる“海賊王”を、思いっきり蹴り飛ばしてるの」
「ハハハッ、そりゃ〜イイや!!」

膝を叩いて笑った。
例え相手が“海賊王”でも、海でコックに逆らうな、だ。
ビビちゃんも、鈴を転がすような声で言う。

「ルフィさんが“海賊王”になったら、是非、国交を結びたいわ。
 アラバスタと友好条約を結ぶの!!
 “偉大なる航路”を制した偉大なる海の王様と」

突拍子も無い言葉に、咽(むせ)そうになる。
ビビちゃんは、自分の言ってることがわかってンのか?
……いや、一国の王女である彼女が、わかってない筈がねェ。
大っぴらに海賊とつき合うなんて、世界中を敵にするのも同然だ。
宮殿前でのやり取りを思い出す。


  「ウソをつくと、この国の為にならんぞ!!!
   海賊の隠匿は重罪だ!!!」



ルフィが目を覚ましたら、すぐに出て行こうと皆で暗黙の内に決めていた。
クソワニから救われたこの国が、海軍や世界政府に目を付けられたんじゃ洒落にならねェ。
なのに、ビビちゃんは言う。
目いっぱいの笑顔で。

「いつか、必ず。それが出来る国にするわ…。
 そしたらサンジさん、親善使節になって来てくれる?」

……君こそが、きっと。
どんなに変わっても、少しも変わらない。
白い小さな手を取って、恭しく跪く。

「美しい女王様が歓迎してくれるなら、喜んでvv
 友好の証に、“オ−ルブル−”の魚を始め、世界中の珍しい食材を贈るよ」
「素敵!!楽しみにしてますね」

見てるコッチが嬉しくなる、そんな表情(カオ)。
すべすべした桃のような頬、サクランボの唇、砂糖菓子のように甘い声。
ほんの少し、手を伸ばせば届く距離……


「サンジ、ずり−ぞっ!?オレも〜ッ!!!
 オレも食いたいィ……っ、ぐううぅ〜〜」


はぁ、と。吐く息と同時に肩を落とす。

「……コイツ、ホントに寝てんのかね…?」
「と、思いますけど?」


王女が笑うと、コックも笑う。
未来の“海賊王”も目を閉じたまま、ニイッと白い歯を見せた。



                                     − 終 −


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サン→ビビ視点のサビル。
前作の「剣と盾」同様、この話も4度目の正直で企画作品として日の目を見ました。
こちらも苦節3年半…。感慨深いです。(涙)

船長が寝たままなので、もっとサンビビ寄りになるかと思いきや、恐るべし未来の海賊王。
眠っていてさえ全部を持って行こうとする。
だから私は船長大好きだけど、書くのが大の苦手です。(汗)

変わらない強さと、変わっていく強さ。その両方を受け入れる強さ。
私にとってのサビルは、永遠に均衡の崩れない正三角関係です。
……とか言っといて、本音は
『お前等になど、姫はもったいないわ〜ッ!!』
姫に対する私の心の半分は、多分コブラパパと同類です。誰にもやりたくねぇ〜!!

しかし、作中の会話の流れだと、この後でビビちゃんが船に乗る乗らないで迷うのは
おかしいことになりますが…、その辺は曖昧に。(汗)

2008.2.24 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20080202