memento mori



“麦わら”の船長は、地上に飛び出すと同時に動かなくなった。

「おい、君!?しっかりしなさい!!
 すぐに医者へ連れて行ってやるからな」

砂の国の国王は、命の恩人の腕を掴み、背負おうとする。
自分だって、両肘を杭で打ちつけられていた怪我人の癖に。
案の定、痛みに顔を歪めるのを見かね、ゴムの身体を引き上げるのに
“手”を貸した。


  『私には、もう生きる目的がない…!!
   私を置いて、行きなさい!!』


崩れ落ちる地下聖殿で、叫ぶ私に答えた男。
モンキ−・D・ルフィ。


  『何で、おれがお前の言う事聞かなきゃいけねェんだ…!!』


面倒臭そうな声で、私から死を奪った“D”の名を持つ男…。

けれど今、国王の背にあるのは遊び疲れて満足気なコドモの寝顔。
血と砂がこびりついた頬に、生やした指先を伸ばす。
その時、ようやく違和感に気づいた。


  ポツリ


手に、何かが落ちてくる。
砂とは違う、感触。


  ポツ ポツポツ


皮膚を叩いて、その上に留(とど)まる。
私は空を見上げた。灼熱の太陽が、雲に顔を隠している。
風に混じる水の匂い。国王の掠れた声。

「………雨、が…。」

薄絹のように降り注ぐ、細かなシャワ−。
海上でダンスパウダ−を燃やしていた船が、拿捕されたのだろう。
私は、“バロックワ−クス”の終焉を確信する。

湿りを濃くしていく空気の中、生身の手をついて立ち上がった。
もう、ここに用はない。それだけは、ハッキリしている。
ふらつく足で、白く美しい姿を保つアルバ−ナ宮殿に背を向けた。

「その傷で、どこへ行く…?」

国王の言葉に、答える義理はない。
それ以前に、答えなどなかった。

……どこへ、ですって?
   無いわ。どこも、誰も、何も…。

遠くなる意識を、傷の痛みで保ちながら歩き出した。

銃弾の喰い込んだ柱の横を通り過ぎ、
粉々に割れたガラスが散乱する道を踏みしめて、
家から家へ蹴り砕いたように貫通した穴を潜り抜け、
警備兵の姿も無い階段を、ゆっくりと降りる。

クロコダイルに貫かれた右胸は、肩から生やした手で押さえ、
止血していた。
それでも、半身を赤く染める色は少しづつ広がっていく。
指先から滴る血の跡を、次第に激しくなる雨が洗い流した。
他の、多くの血と同じように。

最後の階段を降り、砂の海に両足で立った瞬間、歓声が上がる。
勝どきというには、悲痛な。号泣にも似た雄叫び…。
けれど、私は振り返らない。


  『見苦しくったって、構わない…!!理想だって捨てない!!!
   私は、この国の王女よ!!お前なんかに屈しない!!!』



……おめでとう、王女様。
   貴女の勝利よ。

遠ざかる声を聞きながら、蒼い髪の少女を思い浮かべる。

この国も、雨も、国民の信頼も。
理想も、未来も、…仲間も。
全てが貴女のもの。

そこかしこに斃れる、国王軍と反乱軍の亡骸さえも。


   * * *


何の準備もなしでの砂漠の横断は、自殺と同義語だ。
照りつける太陽の下で、あっという間に干上がってしまうだろう。
けれど、今は雨が身体を濡らし、冷やしてくれる。
当分、乾き死にの心配はない。

……皮肉ね、何もかも。

砂を踏む足を止めず、空を仰ぐ。
白っぽい灰色は、まるで石の塊のよう。
何百年も地下に閉じ込められ、埃を被った“ポ−ネグリフ”のよう…。

水滴が、肌を伝う。目尻に溜って頬を滑り、顎から滴る。
かつては岩であり、石であり、遺跡であったかもしれない砂に、
吸い込まれて消える。


  『他には、もうないの…!?
   これが、この国が隠している全て……!?』



地下聖殿で、私の問いに国王は頷いた。
嘘ではないと、刻まれた古い文字を読んだ私には、わかっていた。
それでも、問わずにはいられなかった。

……20年…。

捜し続け、求め続けた真実。
その最後の希望すら、私に語るのは絶望だけなのだ。

世界を滅ぼす最悪の軍事力、プルトン。
その威力と所在、製造方法…。

クロ−バ−博士が、考古学者達が命を懸けて守ろうとした歴史は
結局、こんなものでしかなかったというの…!?

憤りに目が眩んだのは、ほんの一瞬。
手のひらに伝わる、冷ややかな感触。


   人は、どこまでも愚かなのだ
   奪うために争い、守るために戦い
   互いを疑って、憎んで、血を流し続けるのだ
   過去も未来も、永劫変わることのない、真実
   今、この地上が、砂の国がそうであるように


乾き切った諦めを受け入れた後に、ひたひたと押し寄せた想い。
生まれて初めて感じた、安堵。


……ああ、これで。
   やっと、終わりにできる…。


砂漠の長い昼が、ようやく終わりを告げたらしい。
気がつけば、辺りは暗くなっていた。
星もなく、月もなく。自分が進む方向すらわからない。
気温が下がっているのだろう。雨が、体温を奪っていく。
失血死と、凍死と。どちらが先だろう…。
私は闇に向かって、手をのばした。


……そっちへ、行ってもいい…?


指先に触れるものはなく、砂に足をとられて膝をついた。
生暖かい血が、開いた傷から腕を伝う。
もう、“手”を咲かせていられない…。
それでも、生身の両手を伸ばし続けた。


……いいでしょう…?おかあさん
   わたし、“生きた”わ…。20年間、ひとりぼっちで


母からの答えは、ない。
行き場を無くした手で、私は自分の肩に触れる。
コ−トは血と雨に濡れ、重く、冷たい。


……抱きしめて 手をつないで わたしを呼んで
   “ミス・オ−ルサンデ−”じゃなく、“ロビン”って


砂の上に蹲ったまま、闇に凝らした目に大きな影が映った。
岩山か、砂丘か…。
よく似たシルエットを連想した私は、笑みを浮かべた。


  『デレシシシシ!!!』


小さかった私の、大きな友達。
懐かしい笑い声。


……サウロ…。わたし、見つけたの
   貴方が言ってたとおりの“仲間”を


  『だけど、あいつはお前がいる限り、死ぬまでお前に向かっていくから。
   おれが、ここで仕留めるんだ』



……何があっても、信じてくれる。命を懸けて、守ってくれる
   どんな敵とでも、最後まで一緒に戦ってくれる


  『死なせたくねェから、“仲間”だろうが!!!!』


……夢も、命も、未来も。全てを預けることができる
   でもね、サウロ。でも…


  『おい、ビビ』
  『ビ〜ビ!!』
  『ビビちゅぁ〜んvv』
  『ビビ〜ッ!!!』



……“わたし”じゃ、ない
   わたしの“仲間”じゃないの…


口の中に砂の音。砂の味。
野垂れ死んで終わることの証。

いつの間に、忘れてしまったのかしら?
諦めて、しまったのかしら…?
あんな人達が、本当にいるなんて信じられなくて。
今さら信じたく、なくて。


  『不運ね…。B・Wに命を狙われる王女を拾った貴方達も。
   こんな少数海賊に、護衛される王女も』



やっと、出会えたのに…。
生身のこの手に触れるのは、一掴みの砂だけ。
水を含んでさえ、さらさらと指の間から零れ落ちる粒。
何も、残りはしない…。


   罰を 受けろ


雨の音。
砂を、肩を、背を。鋭く叩く水滴に混じって、響く。


   お前が犯した罪の 報いを


冷たく、痺れるように…。
凍るように無機質な、声。


   何も為さず 何も残せず 誰にも悼まれず
   虚しさだけを抱え  ただ独り死んでゆけ



……誰なの…!?

8歳の子どもの首に懸かった賞金に、目が眩んだ大人達?
出世欲に駆られた海軍将校?
命惜しさに保身に走った海賊達…?

生き延びる為に逃れ、裏切り、必要ならば倒してきた連中。
あんた達の戯言など、どうでもいい。
……どうだって、いい…。


  『どうして、そんな事ができるのよっ!!!
   あの人達が一体、あんたに何をしたっていうの!?』

  『知ラシメネバ コノ国ノ“痛ミ”ヲ…
   コノ国ノ“怒リ”ヲ!!!』

  『この国の雨を奪ったのは、誰なんだ!!?』



……疲れたわ…。
お願いだから、ここで眠らせて。もう、くたくたなの。

生きる言い訳を、探すことに。
何も、感じないでいることに。

疲れ果ててしまって…、眠りたい。
この砂のように、粉々に砕けてしまいたい…。

私は目を閉じ、考えることを止めた。
頬を濡らす水滴だけが熱いのを、不思議に感じながら。


   * * *









天井は高く、真っ白だった。
私はぼんやりと、視界に映る色を眺める。
目線を動かそうという気にすら、なれない。

「気がついたようじゃな」

男の声が聞こえても、首を動かすこともしない。
どうだっていい。面倒臭い…。

「酷い傷だが、砂漠で行き倒れたのが病院の前とは。
 あんたは運が良かった」

鼻の下に黒い髭をたくわえた顔が、私を覗き混むように視界に入る。
真っ白なキャップに描かれた、赤い十字。
世界共通の、医療関係機関を示すシンボル。
医者とおぼしき男は、私の腕に刺さった点滴を取り替えながら、
頼みもしない説明を始めた。

私は、丸一日眠っていたのだと。
胸の傷は治療し、輸血もしたと。あと数日は、ここで安静にするようにと。
その声を、別の世界からのもののように聞いていた。

自分が生きていることへの驚き、あるいは絶望。
感じるべきだと思った感情すら、私の中では枯れ果てている。
もう、どうだっていい…。生きようと、死のうと。

「あんたも、反乱軍とやらに加わっていたのかね。
 いろいろとあったことは聞いとるが、国王様は、あんたらを罪には
 問わん。ワシも、あんたを国王軍に引き渡すつもりはない。
 せっかく助かった命、無駄にするもんじゃない」
「……………。」

どうやら医者は、無気力な患者の身元を勘違いしているらしい。
私の状態と、周囲の状況からすれば、妥当な判断だろう。
“西”生まれで褐色がかった肌と黒髪を持つ私は、アラバスタ人に
混じっても違和感がないのだ。

「国の為にやむを得ず武器を取ったあんたらを、責める者はおらん。
 悪いのはクロコダイルと、その手下共だ。
 あの悪党の正体を見抜けず、英雄だと思っとったワシにも、罪がある。
 この国の誰もに、罪がある…。」

善良な医者は、その口元に苦渋を浮かべて俯いた。
どこまでも生真面目で、忍耐強いお国柄。
3年もの乾きと内乱に耐えた後で、贖罪に耐えようと…?

滑稽だ。そう、思った。
悪党の右腕が、ここにいるのに。

正直に言えば、この場で死ねるかしら?
私の命を救ったメスで、咽喉を切り裂いてくれるかしら?
それとも、国王軍から海軍に引き渡されて、“オハラ”の生き残りとして
死んだ方がマシな目に遭うのかしら?
そうね。きっと、それこそが砂の国にとっての大団円。

「……だが、もう大丈夫だ。雨も、王女様も戻られた。
 アラバスタは立ち直る。以前よりも良い国になる。…な?」

くしゃくしゃの笑顔での、問いかけ。
真っ白い歯が、誰かを思い出す。

「ええ」

即答した自分に、驚いた。
医者は満足そうに頷いて、次の患者の診察にかかる。
吸い寄せられるように、ベッドの上で顔を傾けた。

隣で眠る、包帯だらけの男。
刺青を施された横顔には、見覚えがある。


  『ビビ様…、こいつらのことですか。
   我らが祖国をおびやかす者達とは…!!』



私の視線に気づいてか、尋ねもしないのに医者は喋り出した。

「あんたと同じだ。この男も、病院の前で倒れていた。
 服装を見ると国王軍のようだが、やっかいは起こさんでくれ。
 もう、この国では敵も味方もないんじゃからな」

そのとおりだ。彼と私が敵味方として争う理由は、もうない。
少なくとも、私には。

「……助かるの…?」

咽喉から出た声は、掠れて弱々しい。

「命に別状は無い。ただ、両脚を酷くやられておる。
 どうにか切断せずに済みそうだが、不自由は残るだろう」

患者が“ハヤブサのペル”だとは気づかずとも、歴戦の勇士である
ことはわかるのだろう。
医者の言葉は重々しい。

「…………。」

崩壊していく地下聖殿で、微かだが爆破音を確かに聞いた。
なのに、アルバ−ナ宮殿が無傷だった理由に、やっと納得がいった。

アラバスタの守護神は、その翼で国を守ったのだ。
そしてアラバスタの砂が、落下する彼を受け止め、その命を守った…。

美しくまとまった物語。
王女様は、さぞお喜びになることだろう。
吟遊詩人は守護神を讃え、競って一曲作ることだろう。

皮肉な思考を取り戻している自分に気づいて、溜息を吐いた。
私は、生きているのだと。


   * * *


その日の夜。私は病院のベッドから抜け出した。
枕元のコ−トを取り、襟の内側に縫い付けたフィルムケ−スを出す。
カルテの端を千切った紙片で包み、ペンで書く。

 『アラバスタの守護神へ』

フィルムの中身は、“ユ−トピア計画”発動直前に焼き捨てた書類を
写真に撮っておいたもの。
“ダンスパウダ−事件”を初めとした、B・Wの活動の全て。
これを見れば、真に国を憂えて行動した者と、利益と保身を求めて
二股掛けた者が一目でわかる。
組織が、どれほど巧妙に彼等の間で暗躍していたかも。

このフィルムをどう使うかは、任せよう。
お人好しの国王と王女は、反乱軍を罪に問うつもりは無いようだけど
強欲な商人や族長に、復興資金を出させるネタぐらいにはなるだろう。

それでも、彼等に直接渡さなかったのは私の意地だ。
世界政府の旗の下には屈しない。
これは、宮殿を…4千年の歴史を持つ遺跡を守ってくれた彼への、
個人的な礼なのだ。

私は紙包みを男の枕元に置いた。
そして自分のベッドの枕元に、宝石を1つ置く。
これも、コ−トに縫い付けておいたものだ。

アラバスタの“ポ−ネグリフ”を読んだ後、まだ命があれば…。
砲撃を止めるには、Mr.7ペアを買収するのが手っ取り早いと
準備していたものが、思わぬところで役に立った。
私の正体を知ったなら、受け取ってはもらえないだろうけれど。

白いシ−ツの上に紅玉(ルビ−)を残して、私は病院を出た。


   * * *


空のほとんどは、まだ雨雲に覆われている。
僅かな切れ間から覗く星が、方向を教えてくれた。

ベッドの上で、行き先は決めていた。
頑丈な造りで、整備の行き届いた小さな船。
私を生かした“麦わら”の船長に、全てを委ねよう。

この国で、私が何をしてきたか。
王女様に、どんな仕打ちをしたか…。
知っている彼等が、歓迎してくれるとは思っていない。

拒まれれば、その時は…。その時は、本当に終わり。
私を嫌った砂の代わりに、海が私を受け止めてくれるだろう。


  だから、私は生きることができる
  もう少し あと少し

  死を、願いながらも



                                  − 終 −


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“memento mori(メメント モリ)”は、ラテン語。
「死を想え」の和訳が一般的ですが…。
「ただの挨拶でしょう。生命(いのち)に感謝しろ、ぐらいの意味だよ」
(少年魔法士/なるしまゆり)…と、理解しています。

エニエス・ロビ−編の後では、アラバスタ編でのロビンさんのイメージが
かなり変わってくるので、そこらへんの再構成がここ数年のテーマです。

本当は、2月6日に掲載したかったのですが…。(汗)
ロビン誕からはもちろん、姫誕から外れているのも毎度のこと。
アラバスタ絡みということで、一つ…。
そして、やっぱり毎度ながら。ロビンさんも大好きな管理人です。

2010.2.13 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20100202