砂漠が美しいのは



 ザクッ ザクッ ザクッ

その音は、すり鉢状に掘られた穴の底から響いていた。
端に立って覗き込むと、男の声が私に話し掛けてくる。

「旅の人かね?」

問われて、私は頷いた。近くにある古い神殿を訪れていたと。
男はシャベルを握る手を止めず、砂に塗れた顔を上げた。

「砂漠の旅は疲れただろう。ゆっくり休んでいくといい…。
 身体を休める宿だけは、いくらでもある」

 ザクッ ザクッ ザクッ

秒針の刻む時のように、規則正しい音。
月明かりに照らされた廃墟は、死の町ではないと主張するように。

「それが、この“ユバ・オアシス”の自慢だからな」

砂を掘る男の両腕は、枯れ枝のように痩せ細っていた。


   * * *


表の顔は、ギャンブルの町“レインベ−ス”最大のカジノの支配人。
裏の顔は、秘密犯罪会社“バロックワ−クス”の副社長。
砂の国アラバスタ王国で、多忙を極める私の休日の息抜きは、砂漠に点在する
古い神殿や遺跡を巡ることだった。

4千年の歴史を誇るアルバーナ宮殿以外にも、この国には見るべき価値のある
建造物が多い。その一つ一つを訪れるのは、考古学者である私にとって心安らぐ
楽しみでもあったのだ。

その日、訪れたのはアラバスタ西部の砂漠に残る旧王朝時代の神殿だった。
アルバーナ宮殿より数百年遡る建造物だが、ここ数年の旱魃で訪れる人どころか
神官さえも居なくなり、半ば砂に埋もれている状態だ。
放置すれば、間もなく完全に埋没するだろう…。

そう思った私は、“悪魔の実”の能力(ちから)を使った。無数の“手”を生やして
砂を掘り出し、取り除いたのだ。
これで、暫くは大丈夫だろう。祭壇の石碑に彫られていた古い文字も読むことが
出来たし、有意義な休日だった。
そう、思ったのだけれど…。

“レインベ−ス”へ戻る途中、大規模な砂嵐に遭遇したのは、予想外だった。
これは、社長(ボス)…“Mr.0”こと、クロコダイルの起こしたものではない。
それでも、間接的にはあの男が…我々“バロックワークス”が起こしたことになる
のかもしれない。

雨を奪われ、乾き切った空気が牙を剥き
砂粒が無数の針となって、肌に刺ささる

いつもなら、生やした“手”で殻のように周囲を覆ってやりすごすところだけれど、
今の私は能力(ちから)を使い果たしていた。
それどころか疲労した身体は、満足に手綱を握ることすら出来なかったのだ。
あっという間に、大事な“足”である騎乗ガメの背中から振り落とされ、砂漠の
真ん中に取り残されていた。

「バンチ!!」

叫ぼうとした口を、息をする鼻を、砂が塞ぐ。
荒れ狂う渦の中で目も見えず、方向さえもわからなくなり、私は生身の両手で
顔を覆って蹲るしかなかった。

風が唸り、地響きをたてる
雨を奪った一味である私に、怒りをぶつけるかのように


……このまま、ここで死ぬのかもしれない。


砂に塗れて息もつけない中、そう思った。
思った瞬間に、心が叫ぶ。


……まだ、死ねない…!!


圧倒的な、感情。
自分にそんなものがあることさえ、忘れていた程の。


……ここまできて…、目的も果たさずに死ねない…。
   ここまでのことをしておいて、まだ死ぬわけにはいかない…!!


身体を小さく丸めたまま、どれだけの時間が経ったのか。
ようやく嵐をしのいで砂から這い出した頃には、日が暮れかけていた。
助かった、と安心している暇はない。砂漠の夜は、気温が氷点下まで下がるのだ。
窒息死を免れても、このままでは凍死に変更されるだけ。

確か、この近くには町があった筈。私は記憶から、アラバスタの地図を引っ張り出した。
反乱軍の本拠地だった“ユバ・オアシス”。
最近、港に近い“カトレア”に拠点を移して今は無人だけれど、寒さを凌ぐことは
出来るだろう…。

けれど、その情報は間違いだった。“ユバ・オアシス”には、人が居たのだ。
たった一人、砂を掘り続ける男が。


   * * *


 ザクッ ザクッ ザクッ

男は、枯れたナツメヤシに囲まれた、その中心を掘っていた。
かつてはオアシスが水を湛えていた場所なのだろう。
さっきの砂嵐で、それまで掘っていた穴が埋まってしまったのか…。

ならば、彼は気が遠くなるほど同じことを繰り返している筈だ。
掘り返しては砂に埋められ、また掘り返しては砂に埋められる、虚しい仕事を。
計画上、反乱軍を“カトレア”に移すために、クロコダイルは“ユバ”を何度も砂嵐に
襲わせていたのだから。
予定通り、補給のままならなくなった反乱軍は、こちらの息のかかった支援者達の
手引きによって拠点を移した。そう報告を受けていたのに…。

「ここに居るのは…、貴方だけ?」

私の問いにも、男は手を止めようとせず、月明かりを頼りに砂を掘りながら答える。

「ああ…。ここは私が国王様から預かった、大切な土地だ。
 少しばかり雨が降らないからと、捨てるワケにはいかんさ」

「…………。」

その答えで、私は彼が何者かを知った。
かつて、“ユバ・オアシス”開拓団のリーダーとして、この町を作り上げた男。
現在は、反乱軍のリーダーとなった男の父親…。
そうと気づかなかったのは、写真で見た資料から余りにも面変わりしていた所為だ。
ふっくらとした丸顔の、まだ壮年の人物だった筈なのに。

 ザクッ ザク ザク ザクザク ザクザク

私の沈黙を、どう受け取ったのか。ふいに、シャベルの音が早まった。
乾いた砂だけを吐き出す穴の底から、苛立たしげな声がする。

「あんたも、あの馬鹿げた話を信じとるのかね!?
 国王様が、国を裏切ったと…!!」

いいえ、と私は答えた。信じているからではなく、知っているからだ。
国王は、何も裏切ってはいない。そう見えるように、私達が仕向けたのだと。

 ザク…ッ

シャベルの音が、止まった。
掘ることを止めた男は穴を這い登ると、私に向かって顔をほころばせる。
皺の奥まで砂に汚れた顔は、本当の年齢より20歳は老けて見えた。

「そうだろう、そうだろう。国王様は立派な方だ…!!
 さあさあ、宿へ案内しよう。
 生憎、水は切らしているが反乱軍(バカ)共が残して行った食糧がある。
 咽喉の渇きは、酒で癒せるだろう」

身一つの私は、黙って男の誘いに頷いた。


   * * *


宿には、僅かな隙間から入り込んだ砂が吹き溜っていたが、寒さを凌ぐには十分だ。
酒で流し込む乾パンと、火で炙った干し肉のディナーも、疲れた身体にはご馳走だった。
私と共に酒で渇きを癒した男は、少し酔ったのだろう。
最初はポツリポツリと、やがて饒舌に、昔話を始めた。

まだ王都に居た頃、彼の息子が幼い王女と取っ組み合いの喧嘩をしたこと。
それが切欠で息子と友達になり、毎日のように町外れまでやって来ては、子ども達と
遊ぶようになったこと。
そんな王女を心配して、護衛隊長と国王本人がコッソリ物陰から覗いていたこと…。

平和で、幸せな時代の物語。
落ち窪んだ目を潤ませながら語り続ける男を、私は遮らなかった。

「……それで、“ユバ”に向けて出発する時、ウチのドラ息子は言ったのさ。
 『ビビ、お前は立派な王女になれよ!!』
 まったくアイツは、王女様に向かって偉そうに。
 思いっきりゲンコツをくれてやったよ。ハハハ…」

それでも、やはり疲れていたのだろう。
掠れた男の声に耳を傾けながら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。


   * * *



  私は、夜空を見上げていた。
  3年も暮らしていれば、星の位置でわかる。アラバスタの星空だ。
  これまで渡り歩いてきたどの場所よりも、多くの星が瞬いていた。
  乾き切った氷点下の大気の中でこそ、星はこれほど美しく輝くのか…。

  誰もいない 生きるものの姿のない 風さえない

  完全な、沈黙。
  にもかかわらず、空を見つめる私は微かな響きを感じていた。


    サラサラ  サラサラ


  それは多分、砂の流れる音なのだろう。
  あるいは、星の降る音かもしれない。
  私は目を閉じ、涼やかな響きに耳を澄ませた。


   『ねぇ、キレイでしょう?』


  ふいに、聞こえた声。
  目を開くと、隣に小さな子どもが立っている。
  いつの間に、どうやって現れたのだろう?
  疑問に思う私を他所に、その子は大きな瞳に星を映して、得意気に言った。


   『ねぇ、知ってる…?
    星空がキレイなのは、見えないお花が咲いているからなんだって』


  5つか6つぐらいの女の子。
  私は、この子に会ったことはなかった。けれど、知っていた。
  良く知っているのだ…。
  白く秀でた額も、後ろで1つに結わえられた髪の蒼い色も。


   『砂漠も、キレイでしょう?』


  答えない私を気にする様子もなく、あどけない声が更に言う。
  その瞳で、今は月の光に照らされた砂丘を見つめていた。
  星屑を散りばめたように、ひっそりと輝く夜の砂漠。
  その秘密を、私に教えようと。


   『砂漠がキレイなのはね……』



    サラサラ  サラサラ


  星の降る音は、いつしか水の流れる音へと変わっていた。




   * * *


目が覚めた時、私は毛布に包まれていた。
まだ暗いが、夜明けは近いのだろう。

  ザクッ ザクッ ザクッ

窓を開けると、砂を掘る音がした。
ここは何処か、私はどうしたのか。手繰り寄せた記憶に、額に手を当て溜息を吐く。

あんな夢を見るなんて、かなり酔ってしまったようだ。
昨夜聞いた昔話と、ずっと昔に読んだ本の内容とが重なって…。
“全知の樹”の図書館に通いつめていた私に、クローバー博士が勧めてくれた
不思議な物語。今まで思い出すこともなかった、古い記憶。


小さな星に住んでいた“王子さま”が、一輪の薔薇を残して地上に降りてくる。
様々な場所を巡った彼は、砂漠で出会った人間に言う。


   『星空が美しいのは、見えない一輪の花があるからだよ』


そして確か、こう続けるのだ。


   『砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ』


……と。

  ザクッ ザクッ ザクッ

軽く頭を振ると、パラパラと音を立てて床に砂が落ちる。
私は急いで身支度を整えた。


   * * *


日の出前に町を出ようとした私に、男はマントと食糧と小さな樽を手渡した。
樽の中身は水だ。私が眠った後、夜の間に湿った地層に辿り着き、それを蒸留
したのだという。

「すまんね、それだけしかなくて…。
 だが、正真正銘“ユバ”の水だ」

私は受け取ることを躊躇った。
今のアラバスタでは、コップ1杯の真水に数千ベリーの値段がつく。
ましてや、この土地での価値は計り知れない。
せめて宿代にと、ポケットにあったお金を全部渡そうとしたけれど、それも断られた。

「なに、困った時はお互い様さ。
 それに、わしも昨晩は久しぶりに人と話せて楽しかった」

皺を一層深くして笑う、痩せた顔。
砂漠の井戸は、隠れているのではない。人の手によって掘り出されるのだ。
逆境にも屈しない、強靭な人間の手で…。

ふと、そんな考えが過ぎり、私は眉を寄せた。
だから、この国の人間には関わらないようにしていたのに。
……関わりたくは、なかったのに。

私に出来たのは、マントを纏いフードを降ろして、男に頭を下げることだけだった。


   * * *


一晩、休めたおかげで“能力”も回復していた。
オアシスを出て暫く歩いたところで“目”を生やし、辺りを捜すと案の定、砂漠をうろつく
大きな亀を見つけた。
私を振り落としたことに気づいて、バンチが引き返して来たのだ。
“レインベース”に戻ったら、水と食糧を届けさせようと思った。
計画が発動し、その決着がつくまで、あと数週間。
それまでは、あの人が生き延びられるように。
万が一にも反乱軍が拠点を戻さないよう、クロコダイルはこの先も“ユバ”を
砂嵐に襲わせるつもりでいるのだから。

  ザクッ ザクッ ザクッ

砂を踏みしめ、私は歩いた。
襞のように連なる砂丘の果てから、太陽が昇る。
地平線が白く染まった一瞬の後、まばゆく輝く黄金(きん)色。
死のような静けさの中で、鮮やかに世界が塗り替えられていく。
歩みを止めずに見つめながら、昨夜の奇妙な夢を思い出していた。


   『砂漠がキレイなのはね……』


小さな“王女さま”の声。
私の目に砂漠が美しく映るのは、砂で覆われた大地のどこかに、私が求める
真実を隠しているからだ。
そう信じるからこそ、私は時間を作っては、古い神殿や遺跡を彷徨う。

偶然でも、奇跡でもいい。
“真の歴史の本文(リオ・ポ−ネグリフ)”を見つけ出せはしないかと。
今、この瞬間に目の前に現れてくれたなら……

………すぐに、全てを止めるのに。

“ダンスパウダー事件”の真相も、“バロックワークス”の暗躍も
人々の尊敬を集める“王下七武海サー・クロコダイル”の正体も
全て明らかにしてしまえるのに……。

けれど砂も石も、私に何も語らない。
見えないものは見えないまま、隠したものは隠したまま。
それでも私は、信じないわけにはいかないのだ。最後の瞬間まで。
求めるものは、ここにあると。

  ザクッ ザクッ ザクッ

灼熱に、白く燃える大気。
命も遺跡も、沈黙に呑み込む砂。

砂漠は、美しい。
海のように、歴史のように、広大で残酷で……豊かだ。

焼けつく太陽の下で、私は樽の栓を抜く。
咽喉に染み入る水は甘く、苦かった。



                                     − 終 −


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文中の“物語”は、サン・テグジュペリの「星の王子さま(Le Petit Prince)」です。
訳にもよりますが、

「砂漠が美しいのは」と、小さな王子さまは言いました。
「それはどこかに井戸を隠しているからだよ……」


この美しい名言を取り入れて書くとしたら、“ユバ”でトト小父さんは必須だと
思っていましたが、最終的に今年のロビンさん話へ。
ムリヤリですが、夢で“小さな王女さま”にも登場していただきました。

とても大事なことなので毎年繰り返しますが、私はロビンさんも大好きです。

2012.2.6 上緒 愛 姫誕企画Princess of Peace20120202
(2012.4.1 本文一部修正)