羊の家



− 5 −

「待った?ウソお兄ちゃ……、じゃなくてウソップさん」

じいちゃんとサンジ兄ちゃん譲りの、けれどそれより淡い色合いの金髪を揺らせて
年下の従妹が走ってくる。
20分前に待ち合わせ場所に着いて、100遍は腕時計の針の進み具合を確認してた俺は
あわてて首と両手を横に振った。

「いやいや、俺も今さっき来たところだからゼンゼン待ってねぇ!!!
 …つうか、カヤ。呼びにくかったら、俺は別に“ウソ兄ちゃん”でいいぞ?」

あ−、落ち着け俺!!
相手はしわくちゃの赤ん坊だった頃から知ってるカヤじゃね−か。
そんで、9年も一つ屋根の下に暮らしてて。
だからもう、実の妹みて−なモンなんだ。そうだよな、うん。

「ダメよ。もう子どもじゃないんだもの。
 ウソップさんは私の従兄で、兄さんじゃないわ。ちゃんとケジメはつけなくちゃ」

いつの間にやら白い顔に薄く化粧までした“もう子どもじゃない”従妹が笑う。
だっ、だから落ち着けって−の俺!!
おしめでハイハイしてた頃も、カボチャパンツでヨチヨチ歩いてた頃も知ってる相手だろ!?
あぁけど、一緒にフロとかハダカで水浴びとかはなかったよな−。
…って、余計なこと考えんな俺!!!

小さい頃は病弱だったカヤだが、中学生になったあたりからメチャクチャ元気になって
この春には医大生になって上京した。
頭が良いのは、母方の遺伝に違いねぇ。(…と、言ったら兄ちゃんに蹴られたが。)

学生の間に結婚も出産も済ませちまったビビは、本格的な政治活動を始めて東京と地元を
行ったり来たりしている。
(ルフィはといえば、相変わらずの自称・冒険野郎で妻子をほっぽらかしてけしからん限りだ。)
だからカヤにとって東京での一番の知り合いは俺ってことで、何かと会う機会が増えた。
でも、昔から人込みが苦手な従妹は、妙なところにばかり行きたがる。

「俺のアパ−トなんか来たって、別に面白くもねぇだろ。
 お台場とか六本木とか新宿とか。他に行きたいところはねぇのか?」

「私が行ったら困ることってあるの?
 ウソップさん、実は女の人と暮らしてるとか…」

これまたじいちゃんとサンジ兄ちゃん譲りの、やっぱり二人よか淡くて灰色っぽい眸が
俺をじ−っと見上げる。

「おう、実は製作中の超大作のモデルを頼んだ絶世の美女が100人…って、バカ言え!!
 売れない貧乏絵描きに、そんな甲斐性あるかよ!!!」

自分で言ってて情けね−が、今更見栄張ってもしょうがねぇし。
カヤはニコニコ笑って言った。

「じゃあ、別にイイでしょ?お掃除して、ご飯作ってあげるから♪」

ぐいぐい背中を押されながら、俺は首を傾げた。
俺の従妹はこんな性格だったっけか?
もっとも、俺もあの家を出て随分になるし、カヤとも盆と正月に顔を合わせるくらいだし。
そりゃ、変わってても不思議じゃねぇが…。

その時、チャリ−ンと金属の鳴る音がして、俺は視線を地面に向けた。
カヤのショルダ−バックのフタが開いて、中からキ−ホルダ−が落っこちたらしい。
続いて手帳やティッシュやリップクリ−ムが、バラバラと道に散らばる。
女の子ってな、こんなに物を持ち歩いてるモンなのか?

「もぅ、やだ〜!!」

屈んで小物を拾うカヤを手伝って、俺も最初に落ちたキ−ホルダ−を手に取った。
輪っかにぶら下がってるのは、俺もまだ持ってるサンジ兄ちゃんの家の鍵。
ピカピカのは大学の寮の鍵だろう。
小さいのは、多分机の引き出しの鍵。
……それから。

俺は一本の古びた鍵を見て、息が止まるかと思った。
手に持つところが羊の頭の形をしてるソレを、見間違う筈がねぇ。
俺が、昔住んでたウチの鍵。

「この鍵……、」

子どもの頃、“宝物”といっしょに箱の中に入れて。
いつの間にか“ガラクタ”といっしょに箱ごと失くしてた。

何だって、カヤが?
そう思って、すぐ気づいた。この鍵は俺のじゃねぇ。
俺が持ってた鍵は先が折れて欠けた筈なのに、この鍵はどこも何ともない。
じゃあ、これは…?
鍵を見つめる俺に、カヤは言った。

「可愛い形でしょう?おじいちゃんにもらったの。“幸運のお守り”だって」

「じいちゃんに…?」

ゼフじいちゃんが死んだのは、俺が美大に入って東京に出て間もなくのことだ。
真顔で尋ねた俺に、カヤは不安そうな面持ちになった。

「そうだけど…。これって、何かあるの?
 以前、パパもこの鍵を見て、すごく驚いた顔してたわ。
 …もしかして、この鍵ってウソップさんのじゃ…?」

俺の手に鍵を差し出そうとするカヤの素振りに、俺は言った。

「イヤ、それはず−っとじいちゃんが持ってた鍵だ。
 俺も随分昔に見たきりで、まだあったのかって驚いただけで…。
 ホント、そんだけだ!!気にしなくていいからな!!!」

ウソは言ってねぇ。この鍵は母ちゃんの鍵だ。
あのウチが無くなって、俺が鍵を失くして。
それでもじいちゃんは死ぬちょっと前まで、この鍵を自分の手元に持ってたのか。
使うことのねぇ鍵を。

カヤはホッとした顔で、古びた鍵を白い手のひらで包んだ。

「この鍵をくれたすぐ後、おじいちゃんが亡くなったから。私には形見なの。
 だからかしら?これを持ってると、何だか安心するの。
 『だいじょうぶだよ』って、言われてるみたいな気がして」

言いながら、カヤはバックの中に鍵を入れる。
キ−ホルダ−のいくつもの鍵がぶつかって、チャリチャリと鳴る。
その音を、懐かしいと思った。


   * * *


その夜、俺は夢を見た。
夢の中で、昔のまんまの父ちゃんは俺に言った。

   『俺の生涯唯一人の女、キ−ナがあの世に旅立っちまった今、俺は二度と
    この街に足を踏み入れることはねぇだろう。
    ウソップ、お前はこれからどうする?』

夢の中で、俺はためらった。
ためらって、迷って。それから答えた。

   『おれは、ここに残る』

夢の中の父ちゃんは、ニヤッと笑って言った。

   『それでこそ、俺の息子だ!!』

父ちゃんを乗せた小さな船が、いっぱいに帆を張った。
羊頭の船首は水平線を向いて、真っ白な雲の海から錨が上る。

もう俺を振り向かない父ちゃんの隣には、雨合羽を着た子どもが立っていた。
片手にトンカチを持って、それを俺に向かってぐるぐる振り回す。
あたりはふわふわ明るくて、そいつのフ−ドの中を照らしていた。

“水の都”のカ−ニバルのお面。
派手な色で塗られたカオの真ん中に伸びる長い鼻。


   『さあ、出発だ!!』


甲高い子どもの声が出航を告げた。

あの船の行く先を、俺は知っている。
そこには、ウソツキで勇敢な海賊も、正義の味方も、空色のポニ−テ−ルの女の子もいる。
ビ−玉も、お菓子のオマケも、セミの抜け殻も、蛇の皮も、丘の上のウチもある。
ハ−モニカと縦笛と雨の音、トンカチでクギを打つ音、チャリチャリと鳴る鍵の音。


遠い昔に失くしたものが、全部。



   そして、俺はもう二度と

   夢の中で会うことはなかった

   親父にも

   もう一人の“おれ”にも



                                        − 未完 −


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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
そして、お疲れ様でした…。(涙)

現時点の原作(WJ連載第380話まで)では、ゴ−イング・メリ−号のこともウソップのことも、
まだハッキリとした決着はついていません。
(他にもロビンさんとかプルトンとかフランキ−とか、未決着事項は山積状態ですが。:汗)
その中で、35巻発売以降ずっと考えていた

「ウソップは、何故あんなにもメリ−号にこだわるのか?」
「彼にとってメリ−号は何なのか?」

ということを、“ひとつなぎ”世界に置き換えてみたのがこの話です。
“船”を“家”にした時点で、かなり無理が出たとは思うのですが、“ひとつなぎ”の懐の深さと
広さに今回も甘えさせていただきました。

最後に毎回ながら不定期かつ急な更新で、共催のお二人には感謝とお詫びを。(汗)
もとみさん、ゆうさん、いつもありがとう〜。

※39巻発売のため、ネタバレ注意報は削除いたしました。

(2005.9.11 文責/上緒 愛)