ずっと、晴れ 来年の春に、結婚しようと思う。 そう一息に告げ、ウソップとカヤはサンジの反応を伺った。 居間に座った直後に火を点けたタバコは、順調にその長さを縮め 表情にも変わった様子は無い。 「そうか」 一言、つぶやいてサンジは席を立った。 「パパ…!」 後を追おうとするカヤを、ウソップが止める。 「ウソップさん」 “お兄ちゃん”から昇格し、ここ数年でようやく定着した呼び方だ。 「そっとしといてやれよ」 「でも…。私達が付き合ってること、知ってたのに。 “おめでとう”ぐらい言ってくれたって…」 「知ってても、やっぱり突然なんだろ?父親には。 カヤは一人娘だし。 俺のことも良く知ってるだけに、かえってフクザツなんだろうさ」 「………。」 ウソップのことを良く知っているのだから、きっと喜んでくれると思っていたカヤは 少なからずショックを受けている。 俯く顔に、ウソップはおどけたように言った。 「ま、蹴りが入らなかっただけでも、めっけもんだと思うぜ? 俺の親父がお袋に結婚申し込んだ時は、祖父ちゃんから二、三発喰らったって 言ってたし。 そういや、サンジ兄ちゃんもカヤの母ちゃんと結婚する時、あっちの家で 一発殴られて来たんだっけな」 「あ、それ。ビビお姉さんからも聞いたわ」 結婚し、既に一児の母となっているイトコの名をカヤは懐かしそうに口にする。 「…何時のハナシしてんだよ?」 「パパ?」 「げっ、兄ちゃん!?」 ガラッと襖を開けて、サンジが戻ってきた。 「人がモノ取りに行ってる間に、勝手に昔話始めてんじゃね−よ」 「…?」 サンジは居間の座布団の上に座り直すと、卓袱台の上に一冊の本を置いた。 青い革表紙で、ベルトと鍵穴が付いている。 「日記?」 表紙に刻まれた“Diary”という銀色の文字を読んで、カヤが顔を上げる。 「お前のお母さんのだ」 「ママの…。」 カヤの母親は、彼女が四つの時に海の事故で亡くなっている。 …正確には、行方不明になっている。 七年を経過した後、法的にも死亡となったが、今も遺体は発見されていないのだ。 「この家に来る少し前から書き始めて、いなくなるまでの五年分。 次は十年書けるのを買うとか言ってたな」 だからだろう。サンジはカヤの母親のことを話す時、“死んだ”とは言わない。 十七年経った今も。 カヤは日記を手に取った。 鍵が掛っていて、開かない。 「鍵はねェ。…無くなったんだ。 壊すか、バラすか、好きにすればイイ。 読まずにいても構わねェよ。 …何時渡そうかと思ってたんだが、ちょうど良かった」 そしてサンジはタバコを灰皿に押しつけ、また席を立った。 「先に風呂、使うぞ。…けどな」 見上げてくる二人に、ニヤリと笑って。 「悪ィが、この家の中では、まだお前等二人は一緒に入るんじゃねェぞ。 ガキの頃から、それだけはさせなかったんだからな」 「パパッ!!(//////)」 真っ赤になった娘の叫びを背に、サンジは居間を出て行った。 * * * とりあえず場所を移して、ここはカヤの部屋である。 医大生となり、上京してからずっと留守にしているそこは、たまに帰って来ても 塵一つ落ちてはいない。 完全にほったらかされているウソップの部屋とは、大違いだ。 まあ、元からが足の踏み場も無いほど画材やら工具やらが置かれてあるのだから 文句も言えないが。 「パパは、これを読んだことなかったのね」 ポツリとカヤは言った。 そして今は“婚約者”となった年上の従兄を見上げる。 「お願いしていい?ウソップさん」 器用なウソップが細い針金を鍵穴に差込み、カチャカチャと音を立てさせただけで カンタンに開いた。 元々、そんなにフクザツなものではなかったのだろう。 「俺、外すか?」 開くことをためらう様子に気づいて、ウソップが声を掛ける。 だが、カヤは首を横に振った。 「ううん、ここに居て。 何だか、ちょっと……怖いから」 十七年振りに開かれたペ−ジ。 黄色く変色しかけた紙の上に、濃紺のペンで書かれたらしい文字は 少し色あせていたが、その筆跡はハッキリとして読みやすかった。 * * * ×○年6月××日 ずっと晴れ ようやくサンジさんとの結婚が決まった。 苦節数週間。いや、彼が家に戻って“遠距離恋愛”状態になって数ヶ月。 出会ってからなら、苦節数年と言うべきかも。 …なんて、今なら笑って書けるけど最後の数日は辛かった。 さすがは私の家族。そろいもそろって頑固者ばかり。 もう打つ手も尽きて、しかも肝心のサンジさんは最後の電話の後、 ウンともスンとも言ってこない。 やっぱり家出&勘当かぁ〜と、あと一日でギブアップするところだった。 けど、一日早く根を上げたのは、ウチの家族の方。やった、粘り勝ち。 すぐ電話しようと思ったけれど、どうしても会いたくて、新幹線に飛び乗った。 それに、本当は心配だった。 あの人のことだから、ナンパとかしてるんじゃないかと思ってたし。 着いたらお店はお休みで、人の気配がない。 やっぱり電話を入れてから来れば良かったと思っていたら、鼻の長い男の子と ポニ−テ−ルの可愛い女の子と、そしてサンジさんが帰ってきた。 素敵なレディ−にじゃなくて、甥っ子姪っ子に暇つぶしの相手をしてもらっていたらしい。 すごく驚いたカオをしていて、なんだか胸がスッとした。 それから、彼のお父さんと、お姉さんと、その旦那さんとにご挨拶して。 そのまま、彼と東京へトンボ帰りすることになった。 彼を嫌う私の家族を、その三倍は嫌っている彼が、まともに対面出来るか気が気では なかったけれど。 その時は振り出しに戻って、家出&勘当になるだけだ。 正直、黙って一発殴られてくれるとは思わなかった。 私の家族もそこまでで、後はもう、何にも言わなかった。 でもね、お互いそんな忍耐の持ち合わせがあるんなら、もっと早く見せてくれれば 私が3キロも体重落とす必要も無かったんじゃないの!? と、思わないでもないが、私もそれは言わないでおこう。 もうじき夏だし、ダイエット出来たと思って! そして、私の人生の分岐点になるだろう今日から、日記を付け始めようと思い立った。 二十歳の誕生日に贈られたまま数年間、引き出しに放り込んでいた五年分の日記帳。 五年後、私はどうなっているのだろう? ところで、サンジさんのお父さんは聞いたとおりの頑固親父っぽかった。 …まァ、なんとかなるだろう。 いや、なんとかするのよ、するの!! そんな調子で、日記の最初のペ−ジは始まっていた。 どのペ-ジもきちんと書き込まれているわけではなく、人と会う約束や買い物など、 半ば覚え書きのようでもある。 結婚の準備と、そのやりとり。 式の当日。 短く済ませた新婚旅行。 そして、この家での三人の生活…。 ×○年8月××日 晴れのち曇り+のち晴れ 同居生活三日目。 どうしても納得出来ないことがあって、夫(うわ、何か慣れない)と舅(これも慣れない)が たまたま揃ったところを捕まえて尋ねた。 「どうして食事をバラバラに取るんですか?」 二人は揃って「はぁ?」という顔をして考え込んだ。 お義姉さん達と暮らしていた頃は一緒に食事をしていたと聞いたので、 この家で父子二人になってからの習慣なのだろう。 そりゃ、店をやってるんだから、いつも全員揃ってとは言わないが 手を離せない時以外は、一緒に食事するモノじゃないだろうか? なのにこの人達は、営業時間でもない朝食も、店が休みの日も(家に居るのに!) バラバラに食べるのだ。 「特に理由が無いなら、明日から朝ゴハンは一緒に食べましょう。 …何か問題が?」 何とも妙なカオをしているので、ムッとして少し強く言ったら 「あ〜、ハイv」「…わかった…」 この人達、私と朝ゴハン食べるのが嫌なのかしら…? (付け足し) サンジさんにベッドの中で言われた。 「ジジイがさぁ…。“キツイ嫁だ”って」 う…。傷ついていると、笑いながら更に付け足して 「要するに、“気に入った”ってさ」 …変な父子。 他人に読まれることなど考えていないからか、元々が開けっぴろげなのか 書いてある内容は率直で、二人を苦笑させたり、時折赤面させたりもした。 また、時にはハッとさせることもあった。 ×○年11月××日 曇り、のち晴れ 私は「人魚」なのだとサンジさんは言う。 初めて出会ったのが海だからだそうだ。 …単純。 午前中、ナミさんが訪ねて来た。 私とそう変わらないのに、ウソップ君やビビちゃんと同い年のルフィ君がいる彼女は 『近所のよしみ』で時々、私の様子を見に来てくれる。 私が「人魚」なら、「女神」とか「天使」とか「プリンセス」とか。 大勢いたに違いない。 結婚式で紹介された“ダチの奥さん”だというこの人は、何だったのだろう? つわりの所為か、考えることが後ろ向きだ。 マタニティ・ブル−とかいうものだろうか? 午後からウソップ君とビビちゃんが遊びに来る。 男の子でも、女の子でも。この子達みたいに元気で優しい子が生まれてくれればいい。 秋には妊娠が判り、記述はそれに関するものが多くなった。 体重の記録や通院、つわりの様子。 ビビの母親が出産後に亡くなっている所為か、サンジとゼフをはじめとする 周囲の過剰な心配ぶり。 そして彼が思っていたよりもずっと、彼女はウソップとビビに関心を向けていて 二人の名はしばしば日記に登場した。 「ママって、子供好きだったのね」 自分が知らない時代の記述を喜んでいるカヤの隣で、ウソップは思った。 それは、この家で生きていこうとする彼女の意志の現れではなかったかと。 ××年4月××日 大嵐? 病院で、記憶を頼りに書いている。 もう一週間も前なので、ところどころあやふやだけど。 この日、突然、酷い痛みに襲われた。 まだ九ヶ月にも入っていないのに。 物凄く痛くて、ここからもう、前後の記憶がハッキリしない。 聞くところによると、たまたまタバコを切らして家に取りに戻ったサンジさんが 台所の床で倒れている私を見つけてくれたのだ。 そのまま、店にも何も言わずに私を車に乗せて病院に連れて行ったので 何時までも戻ってこない彼にお義父さんはキレる寸前だったらしい。 全く覚えていないのだけれど、私はうわごとで 「まだダメ、出てきちゃダメ」 と、繰り返していたそうだ。 我に返ると、病院だった。 痛みも少しマシになっていて、コックコ−トのままのサンジさんが青い顔で傍に居てくれた。 魔女みたいな院長先生が病室に入ってきて、私達に前もって決めておくように言った。 母体と子供と、どちらか一方しか救えなくなったら、どっちにするのか。 私は「赤ちゃんを」と言い、彼は「彼女を」と言った。 院長先生は5分で話し合うように言って、病室を出た。それ以上の余裕は無いと。 このあと、どんな話をしたのか、ちゃんと思い出せない。 ただ、「子供なんていらねェ!!」と言われてカッとなって彼を引っ叩いたことと 「怖い、死にたくない」と言って泣きじゃくる私を抱きしめて頭を撫でてくれたことと 5分経った後だろう、院長先生が「どっちだろうと、どっちも生かす」と言ったことと …全く繋がらない三つの場面だけを覚えている。 この日の記憶は、それで終わっていた。 ××年4月××日 ? この日一日の私の記憶はない。 サンジさんやキ−ナお義姉さん、院長先生や看護婦さんから聞いたことばかりだ。 女の子が生まれたのは、夜が明けた少し後。 呼吸が止まりかけたのを蘇生して、保育器に入れられた。 私自身は、産んでしまった後は特に危険も無く、そのまま麻酔で眠りこけていた。 …生まれた直後の対面っていうの、してみたかったなぁ…。 現実には、そんなどころじゃなくて、もしも私に意識があったら不安と恐怖で どうにかなっていたのかもしれないけれど。 サンジさんは眠っている私の病室にやってきて、あんまり安らかな寝顔だったので 不安になったらしく、脈や呼吸を何度も確かめていたそうだ。 チュ−ブやらコ−ドやらに繋がれてしまった小さな赤ちゃんには 痛々しいと呟きつつも、実感が沸かないとも言ったらしい。 そして、昼の営業に間に合うよう、店に戻ったのだそうだ。 昼から病院に来たお義父さんは、私にも赤ちゃんにも、サンジさんとそっくり同じ言動を とったので、付き添ってくれていたお義姉さんは必死で笑いを堪えていたのだとのこと。 それも見たかったなぁ。 … (中略) … ××年5月××日 晴天 今日、初めて赤ちゃんを抱いてお乳を飲ませた。 今まではずっと手で絞ったお乳を看護婦さんが哺乳瓶であげていて、 私は自分が乳牛みたいな気がした。 やっと少しの間だけなら保育器から出して、私が授乳をしても良いことになった。 赤ちゃんはとても小さくて、怖いくらいだったけれど。 吸う力が弱すぎて、やっと咥えているようなものだけれど…。 何だかくすぐったくて、嬉しくて。やっと母親になった気がした。 サンジさんの面会時間に合わせて連れて来てくれたので、彼にも抱いてもらったけれど 手つきが危なっかしくてヒヤヒヤした。 本人もそれ以上にヒヤヒヤしていたようだ。 「レディ−の扱いは得意な筈なんだけどな〜」 とかなんとか。 父親になった実感が今一つのようだ。 明日、退院する。 しばらくは病院に授乳に通うことになるそうだ。 娘の名前は「カヤ」に決まった。 自分が生まれる前後の一連のペ−ジを、カヤはもう一度読み返したいと言った。 ウソップは頷いて一旦、席を立った。 一階に降りてコ−ヒ−を淹れて戻ると、カヤは涙ぐみながらペ−ジに視線を落としている。 彼が差し出すマグカップを微笑んで受け取り、ゆっくりと飲んだ後、 栞を挟んで閉じていた日記を再び開いた。 そこから先は、やはりカヤについてのことが多くなった。 首が据わったとか、一人でおすわり出来るようになったとか、はいはいを始めたとか。 最初の言葉が“パパ”か“ママ”かをムキになって競い合った結果、大穴で“じいじい”だったとか。 そして、カヤが二歳になる少し前。 ウソップにとっても忘れられない日々の出来事に触れ始めた。 父の失踪。 母の入院。 そのため、この家に預けられたこと…。 淡々と書かれているにも関わらず、鮮やかに蘇る記憶にウソップは驚いていた。 ×△年5月××日 晴れ、のち少し雨 病院から戻った後、サンジさんとウソップ君の様子がおかしい。 気づいてはいたけれど、何も言えなかった。 皆、暫く前から薄々判っていたことだ。 明日はお義父さんが病院に行くという。 お義姉さんはお義父さんにも「ごめんなさい」と謝るのだろうか? 今日の午前中、着替えを持って病院に行った私に言ったように。 「苦労ばかり掛けてしまって、ごめんなさい」 と。 日付が変わって、サンジさんがウソップ君を抱いて二階に上がって来た。 何も言わなかったけれど、涙と鼻水でベタベタなシャツを見れば、だいたい判る。 サンジさんがウソップ君をベッドに寝かせたので、私は子供部屋に布団を敷いて寝た。 「ごめんな。また、苦労を掛ける」 そう言われて、項垂れた彼の髪を撫でた。 何の苦労も無ければ、それで幸せなのだとは思わない。 ウソップがこの家に引き取られた後、日記にはウソップのことが更に頻繁に出てきた。 授業参観とか、運動会とか。 彼女は、なるべく自分だけでなくサンジを行かせるように仕向けていたようだ。 その方がウソップが喜ぶだろうと考えていたらしい。 それから、この時期何度も店の経営が危機に瀕したことや 経営方針を巡って、サンジとゼフが深刻な対立を繰り返していたことや。 …ウソップの記憶にある限り、そんな不安な気配を感じた覚えはなかった。 カヤの母親には、たいていいつも笑っていたイメ−ジしかない。 それは、まるで似ていない、血の繋がりも無い筈のウソップの母親と、どこか重なった。 初恋の空色の髪のイトコにも。 …ふと、ビビが幼い頃、カヤの母親を彼女の亡くなった母親に似ていると言っていたことを 思い出した。 その意味が、今なら何となく判るような気がした。 カヤがペ−ジを指先で辿りながら、ふいに言った。 「これって、お天気とは違うんじゃないかしら?」 ウソップも気づいていた。 日付の隣に書かれたソレは、たまに“曇り”だったり“雨”だったり。 けれど、季節にもウソップの記憶にも関わり無く。そのほとんどは“晴れ”だった。 ×□年6月××日 ずっと晴れ もうじき五年経つ。 早いもので、残りのペ−ジも後僅かだ。 そろそろ大きな書店にでも行って、新しい日記を買おう。 今度は十年分くらいの。 そう言ったら、サンジさんは笑った。気の長い話だと。 でも、十年経ってもカヤはまだ中学生だ。 ウソップ君とビビちゃんは大学生? サンジさんは“日本一のコックさん”になれているだろうか? お義父さんがまだまだ現役で頑張っていて、その座を譲ってくれていないかも。 その次の十年なら、カヤはお嫁さんになっているかもしれない。 ああ、本当に気の長い話。 午後、お茶を飲みに来たナミさんが、今日と明日は波が荒れるだろうと言っていた。 ウソップ君に海で遊ばないように言わないと。 日記の最後は彼女が海に消えた、その前日の日付だった。 * * * カヤの部屋の明かりが、ずっと遅くまで点いている。 明かりを消した部屋で、それをずっと見ている。 何度か、焼こうと思った。 彼女が何を思い、どう生きたか。 それは彼女だけのもので、他の誰にも土足で踏み込む権利はない。 …それでも。 自分では母親のことをほとんど覚えていない娘に 彼女が実在していた人間であることを伝える最後の方法であるように思えて 何度も思い止まった。 ウソップが、ビビが、自分が 彼女のことをどう語ろうと それは物語の中の登場人物と大して変わらない 語ろうとすればするほどに 良いところだけが強調されて、実在感のない虚像になってしまう。 人が語るとは、そういうことなのだ。 …それだけ? 違う、ということを自分は知っている。 答が欲しいのだ。 彼女は幸せだったのだろうか? 頼る人も、友人も居ない、見知らぬ土地で 身体の弱い娘と、両親を失って引き取った甥っ子と お互い頑固で衝突ばかりする夫と舅と 名声とは裏腹に、何度も経営の危機に直面した店と しなくても良い苦労ばかりを背負わされて…。 眠らないまま、朝が来た。 習慣的に台所に立つ。 この家に自分一人になってからも、サンジは一人分の朝食を整え、テ−ブルに着いて食べる。 今朝、準備するのは三人分だが。 二階から降りて来た寝不足そうな娘が、黙って準備を手伝う。 三人分のカップや皿を並べていく。 ふと、思い出したように言った。 「朝ゴハン、一緒に食べようって言ったの、ママだったのね」 また、ずいぶんと古い話だ。 それも日記に書いてあったことなのだろうか? “家族”は一緒に食卓に着くものだと。 当たり前のことを当たり前の感覚で言って、忘れていた習慣をこの家に復活させた。 甥っ子が上京し、師であり父であった男が往生し、娘も家を離れ 一人きりになった今も、彼はその習慣を守っている。 僅かに青みをおびた淡い虹彩に、包丁を握った男の姿が映る。 「昨日、パパ、言ってたでしょう? 今度は十年分の日記を買うって言ってたって。 同じことが書いてあったわ。 十年後も、その次の十年後も、この家に居たいって。 パパと一緒に」 カヤは、その髪や目の色こそ父親の血を引いていたが 顔立ちは、どちらにも余り似ていなかった。 けれど、真っ直ぐに彼を見つめて微笑む眸の中に、彼女は居る。 そう、繰り返し思う。 「ねェ、何書いてんのさ?見せてよ」 「だ−め。日記なんだから、勝手に覗いたら離婚!」 「気になるな−。舅の悪口とか、夫の不満とか?」 「そう、夫の浮気とか、夫の浮気とか、夫の浮気とか」 「ひで−!濡れ衣だってば。俺、レディ−を泣かすようなこと、しねェもん」 「はいはい。サンジさん、自覚ないから。 女の方が本気になって、やっと慌て出すんだもんね」 「だから、濡れ衣だって〜〜」 「とにかく、この日記は鍵付きですから。閲覧禁止!」 「そ−んなトコ、取ってくれって言わんばかりじゃねェ?」 「…って、昼間から何してるの!?(////)」 「い−じゃん、“新婚さん”なんだから〜♪」 胸元で揺れていた小さな鍵。 細い鎖でペンダントトップ代りに首から掛けていたソレは 今も彼女と共に海に眠る。 * * * その夜。 サンジは閉店後の“バラティエ”のカウンタ−にウソップを引き摺っていった。 とっておきのバ−ボンをグラスに注ぎつつ、 いつからそ−いう気になった?とか。 プロポ−ズのセリフは?とか。 どっかの芸能レポ−タ−かよッ!?とツッコミたくなるような人の悪い質問をゴマンと投げかけ、 赤くなったり青くなったりする鼻をサカナに酒盃を重ねた後、ふいに声を落とした。 「カヤの母親の実家、また色々言ってきそうだな…」 カヤの母親の死後、養育権や財産分与を巡って争いになりかけた経緯があり 彼女の実家とはもはや犬猿の仲と言って良い。 「あ〜、まあ。ある程度はしょうがねぇだろ? 向こうだって親戚ではあるからな。割り切るよ」 淡々とウソップは言う。 サンジ自身、出生から彼女に出会うまでの女性関係に至るまで、徹底的に攻撃の矛先を 向けられた経験があるだけに、あまり軽くは考えられない。 ウソップの父親の件は、必ず槍玉に挙げてくるだろう。 …あるいはもう、済んだ話なのかもしれないが。 「大人になったもんだな。 …そういや、おめェもう三十だっけ?」 グラスを傾けながらニヤニヤ笑う、叔父で義理の父になる男に、 義理の息子になる予定の甥は憤慨した。 「誕生日が来るまで、俺様はまだ二十代だ−ッ!!」 「若く見せようとするってところが、既にオッサンなんだよ。 俺のように渋〜いナイスミドルを目指してみろ」 「自分で言うなよ、自分で」 「…ああ、そうだウソップ。 一つ、肝心なコトを忘れてたぜ」 コトンとサンジがカウンタ−にグラスを置いた。 「ん?」 ウソップもグラスを置いて、サンジに向き直る。 サンジは目を細めて、ウソップを見つめた。 そして、おもむろに…。 ドガッ!! 「悪ィな、これもウチの伝統だ。 “嫁を貰う男は、相手の親父から最低一発は喰らう”ってな。 ジジイも若い頃は、そうだったらしいし〜。 良い伝統なら、守んねェとな♪」 頭上に踵を落とされたウソップは、ばったりとカウンタ−に突っ伏していた。 * * * その後、“バラティエ”で開かれた披露宴のスペシャルメニュ−は 前菜からメインディッシュ、果てはデザ−トに至るまで。 これでもか!とばかりにキノコを使ったフルコ−スであったという。 イトコとイトコの祝いの席に駆けつけたイトコは、洗練を極めた最高の美味を 味わいつつも、溜息を吐いた。 「お兄ちゃん、大人気無いにも程があるわ…」 「ウソップ、あんまし喰ってねェよなぁ〜。こんなにウメェのに。 よし、俺が代りに喰ってやるぞ!!!」 席を立とうとする新郎の親友に、ソバカス顔の少年が言った。 「祝いの席でぐらい、じっとしてろよ。 ホント、できの悪い親父を持つと、息子は心配なんだよな〜」 − 未完 − (次のエピソードに続く) ≪ウィンドウを閉じてお戻りください≫ *************************************** このテキストは管理人3名のみの内部公開としていたものです。 企画1周年ということで掲載に踏み切りました。 例によって自作はもちろん、御二方の作品のエピソ−ドを転用し捲くりです。 相変わらずマニアックで。(汗) 原作でのサンジ君は、誰か一人を選ぶことがあり得るのか? あるとしたら、どんな人なのか?そのイメ−ジはFanそれぞれにあると思います。 そんな中で、パラレルとはいえ一つのイメ−ジを出すのはどうかというのが暫く公開しな かった理由です。 作中でのサンジ兄ちゃんのお嫁さん(別名カヤママ)は、ビビちゃんであったり、ティティ さんであったり、キ−姉さんであったり、カヤちゃんであったり…。 “ひとつなぎ”の女性達の典型のようなタイプといったところでしょうか。 ちなみに、書いた私自身には原作上にモデルは存在しません。 敢えて言うならば「オ−ルブル−」でしょうか…?(汗) (2004.5.25 文責/上緒 愛) |