こどものじかん



− 第1話 こどものじかん −


彼女の最初の記憶は

海からの潮の香りでも
病院の消毒薬の刺激臭でも
父親のタバコでも
店から漂うバタ−や香辛料のイイ匂いでもなかった。

むせかえるような線香
黒い服を着た大勢の大人達
いつもは騒々しいほどに賑やかな家は、しんと静まり
そこかしこで啜り泣きの声がしている。

紺色のワンピ−スを着せられたカヤは、黒い服を着た“ビビおね−ちゃん”の
膝の上に乗せられていた。
たまに家に遊びに来る従姉妹に抱かれて、カヤは固まったように大人しかった。
いつもとはまるで違う皆の様子に、怯えていたのだ。

突然に、静寂が破られた。
だが、それは彼女を安心させてくれる類のものではなかった。
大きな体の男の人が、何か怒鳴っている。
とても難しい言葉なので、まだ四つのカヤにはわからなかった。
ただ、ひどく怖かった。

「カヤちゃん、お二階にいって絵本を読もうね」

“おね−ちゃん”がそう言ったのが聞こえたが、カヤは怒っている男から
目を離すことが出来なかった。
男はカヤの“パパ”の襟元を掴んで、もっと大きな声で怒鳴りはじめた。
長い前髪で顔が隠れていて、“パパ”がどんなカオでいるのか、カヤには見えない。
その向こうで、椅子に座っている“おじ−ちゃん”が腰を浮かせかけたが
コワイカオをして腕を組み、また座り直した。
周りでは、いつもは真っ白な服を着たお店の“こっくさん”達が
今日は真っ黒な服を着て、オロオロとしている。

誰も“パパ”を助けてはくれない。

……ママはどこ?
   まっしろなつくえのうえのおしゃしんじゃなくて、ほんとうのママはどこへいったの?

“ウソおに−ちゃん”に聞いたら、遠くだと言った。
ずっと遠いところだけれど、カヤのすぐそばなのだと。
それもよく、わからなかった。

急に、その男がカヤを指差した。
それまでずっと黙っていた“パパ”が、初めて何かを言い返した。
自分のことで言い争っている。それだけは、わかった。
カヤは“おね−ちゃん”のスカ−トをぎゅっと握った。
バタバタと、それまでどこかに行っていた“ウソおに−ちゃん”が帰ってきた。
けれど、“ママ”は一緒じゃなかった。

ふいに、“おね−ちゃん”はカヤを“ウソおに−ちゃん”の方へと押しやると
自分の身体でカヤを隠すようにして立ち上がった。

「やめてよッ!!ここが、どういう場所だかわかっているの!?」

その声が家中に響き渡って、男は怒鳴るのを止めた。

「喪(うしな)った人のことを想う気持ちが無いのなら、出て行って!
 いますぐ!!」

“ウソおに−ちゃん”も長い鼻を真っ赤にして、カヤと“おね−ちゃん”を
庇うように前に出て、言った。

「カヤは、ウチの家族みんなで育てるんだからな!
 お前等なんかに渡さねぇぞ!!」


彼女がその記憶を“ママのお葬式の日”だと理解するのは、ずっと後のことだった。


   * * *


うとうととしていたカヤは、車のブレ−キの音で目を覚ました。
“パパ”と“ウソおに−ちゃん”が帰ってきたのだ。

布団から小さな身体を起こし、背伸びをして窓にかじりついたカヤは
父親が開ける後部座席のドアから現れた空色を見るなり、パタパタと駆け出した。
よいしょ、よいしょと階段を下りていくと、音を立てて玄関の戸が開く。

「さあ、どうぞ」

「ありがとう、お兄ちゃん」

やっぱり、“ビビおね−ちゃん”だ。

 ガラガラ ピシャッ

 ガラガラッ!

また、乱暴に玄関の引き戸が開けられる。

「っておい!俺達もいるだろ−が!!」

怒ったような“ウソおに−ちゃん”の声。

「おりゃ、男のタメに戸を開けてやる気はねェんだよ」

「だからって、鼻先で閉めるか!?」

「ウソップ、も〜ちょっとでハナ挟まれるトコだったもんな〜」

階段の壁の陰からそ−っと覗くと、金色の頭と、もじゃもじゃの黒い頭と
それから空色の頭。
麦わら帽子を被った頭もある。

「あ、カヤちゃん。こんにちは」

…見つかってしまった。

「カヤちゃ〜ん、一人にしてゴメンね〜〜。
 もう、お熱は下がったかな?」

階段の隅に座り込んだカヤを抱き上げた“パパ”が、オデコにオデコを押し当てる。

「よかったvだいじょうぶみたいだね〜」

「おまえ、ヘンな隠れ方すんなァ。
 ウチのチョッパ−は、こうだぞ」

麦わら帽子の少年が、開いたままの玄関の戸の陰に頭半分“だけ”を隠しながら言う。

「そりゃ、そっちのがヘンなんだよ!」

すかさず突っ込むウソップとは対照的に、興味深げに尋ねるビビ。

「ルフィさんの弟さんって、いくつ?」

「こんだけだ!」

ど〜ん!と小指を折り曲げて四本指を示す。

「そういや“二人目”って、カヤより一つ下だったよな。
 もう、そんなもんか」

「でもルフィさん。そういう時って普通、親指を曲げるんじゃない?」

と、自分で親指を折り曲げて“四つ”を示してみせるビビに、ルフィは踏ん反り返った。

「ウチの母ちゃんは“人と同じことをしているようじゃ、大物にはなれない”って言ってるぞ」

「それはスバラシイ教育方針だ〜vv」

いきなりハ−トを飛ばしまくる一児の父。

「ウチの父ちゃんも、そ−言ってる」

「あ〜、アイツは昔っからズボラでガサツでいい加減で適当な奴だったからなァ…」

「「どっちだよ!?」」

びしっ!!とウソップとルフィがツッコミを入れる。
ところで“パパ”に抱っこされているカヤは、その足元に置かれた大きなカバンが
気になってしょうがなかった。
やっと、おずおずと尋ねてみる。

「おね−ちゃん、おとまりする?」

「うん、そうよ。今日は一緒にお風呂に入ろうね」

「え−、俺と入るって約束したじゃんか−!!」

声を大にするルフィ。

「「してね−よっつ!!」」

今度はウソップとサンジが拳骨と蹴り付きで突っ込んだ。
ビビも流石に赤面する。

「もう、冗談だって言ってるのに…」

「てか、おめぇとっとと帰れ!またウチでタダ飯食おうって魂胆かよ!?」

いくら親友とはいえ、こういう奴だと判っているとはいえ、
腹に据えかねたのかウソップが強く言う。
しかし、ルフィは一向に堪えた様子はない。

「やだ−!俺も泊まる−!!」

とたんに、カヤの目が大きく見開かれた。

「“るふぃさん”も、おとまりする?する?」

「おう、するぞ−!!」

「わぁ〜い」

「にししししっ」

互いに満面の笑顔を向け合う五歳児と十三歳児を見比べ、
三十一歳の料理人は溜息と共に呟いた。

「…いたいけな幼女を味方につけるとは、卑怯な…」

数日おきに発熱を繰り返すため、幼稚園にもロクに通うことが出来ず
人見知りの激しいカヤだったが、ルフィには初めて家に遊びに来た時から
すっかり懐いている。
それが、この少年の不思議な魅力ではあるのだが。

「しゃ−ねぇな。じゃあ、さっさと家に電話しとけ。
 麗しのお母様を心配させんじゃね−ぞ」

叔父の言葉に、甥っ子と姪っ子は顔を見合わせ
そのどちらもが複雑な苦笑いを浮かべた。


   * * *


この家の食事はいつも慌しいが、今夜はまた格別だった。
“副料理長”が家に居る間は厨房を離れない筈の“料理長”までもが
大皿に適当な“まかない料理”を盛って食卓に顔を見せた。

「お前一人じゃ、そこの麦わら坊主の腹は面倒見切れんだろうと思ってな」

「けっ、余計なお世話だ」

こんな親子の会話を前にして、ルフィはといえば口いっぱいにモノを頬張ったまま。

「俺はサンジのメシも好きだが、じ−ちゃんのメシも好きだぞ−っ!!」

「食えりゃ何でもイイんだろ、お前は!」

自分の皿を抱きかかえて突っ込むウソップに、ビビは笑いながら。

「そんなことないわ。
 お兄ちゃんのお料理も、お祖父ちゃんのお料理も、凄く美味しいもの。
 お祖父ちゃん、今、お茶を淹れるから。ちょっとだけ座っていって」

「ああ…。すまんな」

「孫娘に鼻の下伸ばして、どうするよ?」

「…あァ?」

そんなやり取りに苦笑を浮かべながら祖父の前に湯飲みを置き、叔父のそれにも
お茶を淹れ直すと、ビビはカヤに話しかけた。

「カヤちゃん、おじ−ちゃんの作ってくれたおかず、美味しいよ?
 ちょっと食べてみる?」

「うん」

「ビビちゃんが居てくれると、カヤの食が進むんで、ありがてェな」

「…そうなの?」

サンジの言葉に頬を染めて、嬉しそうに笑う。
二人の会話を横目に箸を玩んでいたウソップが、ふと視線を下に落とすと
皿が忽然と消えていた。
…消える不思議皿か!?

「ルフィ〜!!おま、また俺の皿盗ったな〜〜っ!?」

「こ〜んなウメェモン前にして、ぼ〜っとしてる方が悪ィ」

「おお!それもそうだな。もっともだ。ウソ反省。
 …ってなワケ、あるかあ!!!」

「ちょっと、二人とも!食事の時ぐらい静かにしなさいよ!!」

賑やかな食卓には笑い声が満ちている。
かつての、この家のように。

……ずっと、きょうみたいだったらいいのに。

そう、カヤは思っていた。


……おね−ちゃんも、うちのこになればいいのに。
   そしたら、いつもいっしょにいられるのに。
   るふぃさんも、もっとおうちにあそびにくるのに。
   ウソおに−ちゃんと、パパと、おじ−ちゃんと、みんないっしょに
   ごはんがたべられたらいいのに。
   そしたら、きっとさみしくないのに。
   ママが、かえってこなくても。


五つのカヤには、まだ母親の死がきちんと理解できていなかった。
笑いながら出掛けた“ママ”が、それきり帰ってこない理由が、わからなかった。

ビビの母親の時のように
ウソップの母親の時のように
時間が、その不在を埋めていくとしても。


……ずっと、このままでいられたらいいのに。
   もうだれも、なにも、かわらなければいいのに。


じゃれあうように笑い転げる少年と少女も、同じように思っていた。
彼等もまだ、“おとな”ではなかったのだ。



   こどもには、まだわからない

   かわらずにいられるものなど、ないのだということを



                                   − 第2話へ −


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わかりにくいかもしれませんが、このテキストの中盤以降はゆうさんの「5月の風」とリンク
しています。
ビビ、ウソップ、ルフィは中1。
そして第2話は、お待ちかねの“おふろのじかん”…ではなく、中2の夏休みの予定は未定
です。(汗)
…ところで、三管理人は揃って小指だけを曲げての“四つ”は出来ません。
どうでもイイことに器用だな、ルフィ…。

(2003.6.21 文責/上緒 愛)