こどものじかん



− 第2話 なつのおもいで −


act 7

二日目の夜も、ウソップはルフィとテントに眠った。
熱を出したカヤと付き添うサンジが一室を、ナミとビビがもう一つの寝室を使うので
ゾロとチョッパ−がテントに入ると言ったのだが、ルフィがテントの方がイイと言い張り
ウソップがそれに付き合ったのだ。
…本当は、コテ−ジの中でビビと顔を合わせるのが気まずかったからなのだが。

あれが、“嫉妬”というものなのだろう。
寝袋の中でウソップは思った。
英語では“緑眼の怪物”と言うそうだ。
みっともない、醜い、感情。制御出来ないモンスタ−。
ビビが、自分より“兄ちゃん”を優先させることが許せなかった。
自分が、ビビにとっての“一番”でないことが嫌だった。
…それはつまり…、そういうことだ。
それだけのことなのに、勝手な八つ当たりでビビを怒らせてしまった。

自己嫌悪に落ち込んだウソップは、また眠れない一夜を過ごした。
昼間、焼きすぎた背中の所為で寝返りを打つことも出来ず、寝袋の中でうつ伏せに横たわって
何度も溜息を吐きながら

「んが〜、クマの煮込み…んぐ〜、イノシシ鍋…んご〜、ウサギの丸焼き…、
 なんでシカはダメなんだよぉお〜〜。わかったってば、泣くなよぉチョッパ−……」

…隣で熟睡するルフィの、意味不明な寝言を聞かされていた。


   * * *


ようやく外が明るくなってきて、ウソップはテントを出た。
それでもまだ、日が昇るには一時間ほど早い。
湖から立ち昇る霧で、辺りは白く染められていた。
なんとなく、湖の方へ歩いていたウソップは、乳白色の霧の向こうに突然現れた空色に驚いた。

「ビビ…?」

普段、ポニ−テ−ルに結っている髪は、降ろしていると背中に届く。
裾の長い白いワンピ−スとカ−ディガンの所為か、サンジのセリフではないが
湖から生まれたばかりの妖精めいて見える。
思わず声を掛けたはイイが、振り向いた白い顔を見て、固まってしまう。
だが、ビビはホッとしたように笑い、そして真面目な顔で言った。

「会えて良かった…。ウソップに話があるの」

ビビに導かれるようにして、二人はテラスに出た。
まだ誰も起き出していないのか、コテ−ジはしんとしている。
…いや、微かに鼾の二重奏が聞こえるのは、リビングのソファ−に眠るゾロとチョッパ−の
ものだろう。

「え…と、ビビ。昨日はゴメンな。俺…」

何をどう言っても、結局は告白になってしまう。
言い訳といっしょくたの告白なんて、最低だ。
フラれることは、確定済だとしても。
けれど、ビビはウソップの言葉を遮った。

「いいの。…あれからずっと、考えていたの。
 ウソップの言ったこと、間違っていない」

ウソップは顔を上げて、ビビを見た。
落ち着いた、大人びた表情で、自分よりずっと年上のようだ。

「カヤちゃんのお母さんが居た間、私はあの家を避けていたの。
 それは、本当。
 …でも、お兄ちゃんの“奥さん”を見たくなかったからじゃないの…。
 私が見たくなかったのは“お母さん”だったの」

どこかで、鳥が鳴いた。
ふっと視線を森に走らせたビビは、そのまま霧に霞む緑を眸に映したままで言葉を続ける。

「私、ママのこと覚えてないの。
 当たり前だよね。私が生まれてすぐに死んじゃったんだもん」

ビビと同い年のウソップも、もちろん知らない。
だが、写真の中のビビの母親はビビにそっくりだ。
サンジもいつも言っている。懐かしそうに目を細めて。
『姉さんによく似てる』
と。

「私ね、ママが居ないからどうとかって、あんまり考えたことなかったの。
 淋しいとか思ったこともなかった。
 だって、最初から居なかったんだもの。
 ウソップやルフィさんや、他のお友達には“お母さん”が居ても、そ−いうものだって思ってた。
 私の家にはテラコッタさんがいたし、パパは優しいし。それでよかったの」

テラコッタさんというのは、ビビの家に昔から居る家政婦さんだ。
恰幅のいい、豪快なおばさんで、ずっとビビの身の回りの世話をしている。

「…けど、カヤちゃんが生まれる少し前くらいからかな?
 だんだん“哀しい”って思うようになったの」

ビビの眸が、遠くを見る。
少しずつ霧が晴れて、湖面が拡がっていく。

「赤ちゃんがいるお腹がね、毎日少しずつ、大きく膨らんでいくの。
 私も、ずっと昔はこの中に居たんだって、思った。
 …でも、私が居た場所は、もう何処にもないの。
 気が付いて、初めて“お母さん”を想ったの。写真でしか知らない“ママ”のこと。
 思い出すことが何も無いのが、すごく悔しかった…。
 そんな想いをするのが、嫌だったから。なるべく見ないようにしたの」

ウソップは、思い出した。
“兄ちゃん”が結婚してからも、暫くの間、ビビとウソップはあの家に入り浸っていた。
『新婚さんなんだから、邪魔するんじゃねぇぞ〜!』
と言う、“父ちゃん”の言葉に
『だって、ビビがじ−ちゃんちに行こうってゆ−んだ!!』
と答えた。行きたがったのは、ビビの方だ。
それが急に途絶えたのは、確かにカヤが生まれる少し前だ。
ずっと、思い出さなかった。

「ねぇ、ウソップ」

呼び掛けられて、ウソップは我に返った。
ビビが真っ直ぐに自分を見つめている。

「ウソップのおばさまが亡くなった時、ウソップは十歳だったよね。
 おばさまのこと、いっぱい覚えているでしょう?
 …でも、カヤちゃんはたった四つで。何もかも中途半端なの。
 お兄ちゃんも、お祖父ちゃんも、何も話さないから。
 放って置いたらカヤちゃん、“お母さん”のこと、どんどん忘れていっちゃうの。
 二度と思い出せなくなるの。
 そんなの、哀しすぎると思ったの」

「…カヤが、か?」

ビビは、その問いには答えなかった。

「大人なら、口に出さなくても忘れずにいることは出来る。
 でも、こどもは違うの。
 何度も何度も繰り返し思い出さないと、忘れてしまうの。
 どんどん、忘れてしまうの」

またひとつ、思い出したことがある。
ナイショ話のように声をひそめて、ビビが言った。
『“お姉さん”って、わたしのママににてない?』
『え−、どこが?髪もアオくねぇし、ぜんぜんにてね−!』
正直に言ったら、ビビはふくれた。
何がいけなかったのか、ウソップには判らなかった。
…今まで、ずっと。

「ウソップの言うとおり、キレイゴトかもしれないけれど…。
 私、“お姉さん”が好きだったの。
 だから、忘れて欲しくはないの。カヤちゃんにも、お兄ちゃんにも。
 …それでも、やっぱりお兄ちゃんが私のことを見てくれたら嬉しいなって思う。
 今はまだ、無理だって判っているけれど。いつか、私が大人の女性になれた時に。
 そういう気持ちも、全部が本当だって思う」

ビビの眸が、あんまり真っ直ぐだったので、ウソップは目を伏せた。
霧はすっかり消えて、湖の向こう岸が見渡せる。

「そっか…。」


……ビビはずっと、兄ちゃんが好きで
   兄ちゃんはビビも、ビビの母ちゃんも好きで
   二人は本当は血が繋がってなくて
   カヤもビビが好きで
   祖父ちゃんもビビが好きで
   俺も、ビビが好きで。

   なんだ、何にもモンダイねぇじゃんか。
   ビビが、兄ちゃんを好きでいることには。


それでもウソップはもう、小さな子供では無かったので
“モンダイがない”ことと、“上手くいく”ことの違いは判っていた。

多分、ビビにだって判っているのだろう。
“兄ちゃん”と自分達は、ルフィとその両親程に年が違うのだ。

それが、判っていたのに

「頑張れよ」

と、言ってしまった。

「うん、ありがとう!」

恥ずかしそうに頬を染めた笑顔に、焼きすぎた背中のように胸がひりりとした。


   * * *


朝になって、カヤの熱は下がったものの、まだ微熱が残っていた。
食欲も無く、朝食のショ−トパスタ入りミネストロ−ネも、まったく食べられない。

「こんなにうめ−のに、喰えね〜のか〜〜」

朝から人の三倍は食べるルフィも、気を遣っているのか普段より少しだけ大人しい。
サンジは、やはりこのまま病院へ連れて行くと言った。

「そうね、その方がイイと思うわ。
 じゃあ、ビビちゃんも一緒に帰ることになるわね。
 ウチの車じゃ座席が無いし、女の子を荷台に乗せるワケにもいかないしね」

確かに、運転の荒っぽいゾロのジ−プの、ましてシ−トも無い剥き出しの荷台になど
乗せることは出来ない。

「ごめんな、ビビちゃん。もう一日、遊べたのに」

済まなそうなカオで頭を下げるサンジに、ビビは首を横に振った。

「ううん。私もカヤちゃん心配だし。
 キャンプに行こうって言ったの、私だから…」

「ま、最後はリタイアだけど、本人は凄く楽しかったみてェだし。
 ありがとうな、ビビちゃん」

ニッと笑うサンジに、ビビも笑顔を返した。
ひりりと、痛む背中と胸とに気をとられている隙に、ウソップの皿は消えていた。

「ルフィ、てめ〜〜ッ!!」

「だから、ぼ−っとしてんのが悪ィんだ。しししっ」


やがて荷物をまとめたサンジ達が車に乗り込むと、ナミが車の窓越しに声をかける。

「お大事にね。ウチはお言葉に甘えて、もう一日使わせてもらうわ」

ナミの言葉に、サンジはタバコを咥えながら答えた。

「こっちこそ、悪ィ。ウソップ、迷惑かけんじゃね−ぞ」

「わかってるって」

ウソップは、ロロノア家と共にもう一日、ここに残ることにした。
少し、自分の気持ちを整理したかったし、まだ湖の絵も描けていない。

「あ、そうだ。食料、補充しとかねェと今日の夜までもたねェぜ?」

「それは大丈夫。
 毎年のコトだから、ウチの連中が何とかするわ」

「熊だの猪だのが居ねェってのは、ちょいとツライよな」

「シカはダメだぞ〜!!」

あっけらかんと言うナミと、緑頭を掻くゾロ。そして涙目のチョッパ−。
サンジとビビの脳裏には“?”マ−クが浮かんだが、深く追求するのは止めた。
だが、追求せずには居られない者も居る。

「お前んちのキャンプって、ど〜ういうのだよッ!?」

「今年もサバイバルだ−ッ!!」

「これも修行だ」

……やっぱ、一緒に帰った方がイイんじゃね−のか!?

ウソップの心を後悔という津波が襲う。
ビビが後部座席のドアを開け、降り立った。

「忘れてたわ、ウソップ」

「…あ、俺…」

天の助けとばかり、一緒に帰ると言おうとしたウソップは
ふわりと、鼻をくすぐる甘い香りに固まった。


「…引っ叩いちゃって、ごめんね…」


目の端に映るのは、ニヤリと口元を歪めたサンジの顔
ルフィの なんだよ、ずり−! という声


我に返った時には、四輪駆動は土煙を上げて遠ざかっていた。



   思い出すのは
  
   土と 水と 緑と ふわりと甘いニオイ


   遠い夏の思い出の中に、ひりりとした胸の痛みは
  
   ずっと長い間 消えずに残っていた



                                   − 第3話へ −


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夏休み話です。
許可されていない場所で勝手にキャンプを張ったり、勝手に鳥獣類を狩ったりしてはいけません。
良い大人は真似しないようにね。(いや、普通しないだろ!:びしっ)
…じゃなくて。
またまた追加設定大盛一丁!なお話になってしまいました。
呆れずに最後までおつきあいくださいましたなら、嬉しいです。
実はこの話、書いた動機は空島キャンプ(コミックス27巻)が楽しそうで、ビビちゃんの不在が
悔しかったから…という、姫贔屓の僻みからでした。
…第3話はビビ、ウソップ、ルフィ高一の秋の予定はやっぱり未定です…。

なお、下にスクロ−ルしますと更に一文がありますが、極めてゾロナミストさん向けです。

(2003.8.30 文責/上緒 愛)











   * * *


走り去る4WDを見送りながら、ナミが呟いた。

「…あらら、三角関係?イマドキのコも、なかなかやるわね−」

「ありゃ、意識してねぇだけに昔のてめぇよりタチ悪ぃな」

欠伸をしながら、ゾロが言う。

「別にイイじゃない。
 可愛くて綺麗なコが自分の魅力を振り撒かなくちゃ、世の中淋しいし−?」

「……やってろ」

「あ〜ぁ。やっぱり、女の子ってイイわ〜。
 よしっ、ゾロ!帰ったら挑戦よ!!今度こそ、“三度目の正直”!!!」

「ああ?…俺ぁ別に、“二度あることは三度ある”でも構わねぇ……」

 バコッ!!

言い終わらぬうちに、ナミの鉄拳が緑頭に落ちた。

「仕込む前から、縁起でもないこと言うんじゃないッツ!!」

「ってぇな!!…ああ、そうかよ。
 じゃあ、今すぐ“仕込み”にかかろうじゃねぇか。邪魔な連中も居ねぇしな」

ルフィとチョッパ−はウソップを引き摺って、既に森に冒険(食料調達)に出発している。

「へ?…ちょ、ちょっと…。何すんのよぉ〜〜!?」


…そして、数年後。

「排除してやる!!
 あたいはシャンドラ(←特撮ヒ−ロ−モノらしい)の戦士だ!!!」

「だから何なの?衝撃(←お尻ぺんぺん)するわよ〜」

めでたく、元気でお転婆な女の子が生まれているようだ。


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