こどものじかん



− 第3話 ゆめかもしれない −


act 2

鼻先で開いた玄関の引き戸に、ウソップは思わずのけぞった。
今日は順調に製作が進んだので、早めに部活を切り上げたのだ。

「うあ!?ビックリすんじゃねぇかよッ!!」

苦り切ったサンジの顔が、僅かな角度で彼を見下ろす。
二人の身長差は、今はもう5〜6cmといったところか。

「おめェ、タイミング遅過ぎ…」

小声で呟かれた意味が判らず、学生服のウソップは首を傾げる。
県立高校に通う彼は、昔ながらのガクラン姿だ。

「何だよ、兄ちゃん。出掛けんのか−?」

「ああ、ちょっとな。
 今夜は帰れねェんで、カヤの面倒頼む」

帰らない、と聞いてウソップは僅かに顔を顰めた。
だが、直ぐに明るく答える。

「ん−、カヤはほっといても自分で宿題もするし、夜更かしもしね−けどな。
 しょうがねェ、今夜は『キャプテ〜ン・ウソップ冒険記 第401章“ウソップ、空島へ行く”』
 を話してやるとするか!!」

長い鼻を擦りながら言った彼は、開け放されたままの玄関を見て不思議そうな顔をした。
いつも見慣れた、几帳面に揃えられた女物の靴が無いのだ。

「あれ?ビビ来てねぇのか、珍しいな。
 部活の日は俺が帰って来るまでウチに居て、晩飯も食っていくのによ」

サンジはス−ツのポケットからライタ−を取り出し、咥えていたタバコに火を点けながら答えた。

「…今日はカヤがチョッパ−と遊んでるからな。そろそろ子守をしてもらう必要もねェだろう。
 ビビちゃんも、自分のことで忙しいだろうしよ」

「…あいつ、工業のヤツとは上手くいってんのかな…」

ポツリとウソップが言った。

「阿呆」

キッパリとサンジが言った。

「…へ?」

「大ボケ」

「何だよ、藪から棒に!!」

ワケも判らず詰られて、ウソップがしかめっ面をする。
しかしキレる一歩手前のサンジの形相に、慌てて玄関の戸の影に隠れた。

「てめェがグズグズしてっから、余計な苦労が増えんだよッ!!」

言い捨てるや、サンジは大股で庭を横切って行く。
その背中を見送りながら、ウソップは溜息を吐いた。

「……しょうがねぇじゃねぇかよ……」

ビビが他の男と付き合い始めたことを知った時、ウソップは複雑だった。
裏切られたような気持ちと、安堵する気持ちと。

『折角モテるんだし、誰かと付き合ってみれば?』

一年前、サンジがビビに言った時、ウソップはその場に居た。
言いながら、サンジはウソップをチラリと見た。
サンジにしてみれば、『オラ、頑張ってみろ!』とハッパを掛けたつもりだったのだろうが
ウソップにしてみれば、その無神経さに呆れてモノも言えなかった。

…女心に聡いサンジが、気づかない筈が無いのに。

ビビが大人びて綺麗になるにつれ、サンジを見る目は辛そうになっていた。
それだけなら、良かった。
サンジのビビを見る目が変わってくるのに、気づかずにいられたら。

何も言える筈が無い。
口を開いたら、何もかも壊れてしまいそうで。

だから、距離を置かなけりゃならない。
崩れないように 崩さないように。


ウソップは高校を卒業したら、この家を出ようと決めていた。


   * * *


泣いている顔を誰にも見られたくなくて、ビビは海岸に走った。

サンジの答えは無かった。
“答えが無い”ことが答えだった。

やっぱり、ダメなのだと
自分では、ダメなのだと
“未来の日本一のコックさんのお嫁さん”には、なれないのだと

ずっと以前から判っていたことの、再確認にすぎないとしても。
わざとそんな言い方をした自分が、嫌いになりそうだった。

ビビは僅か五分の差でウソップとかち合わず、一人海辺に辿り着いた。
辺りはもう暗くなり始め、岩場の影に居るビビの姿は、人目には触れないだろう。
今日は夕食は要らないと思っている筈だから、少し遅くなっても家の者も心配はしない。
だから、ゆっくり泣ける。そう思っていたのに。

「ど−したんだ?おまえ」

今のビビにはウソップよりも、ある意味ではサンジよりも、会いたくない人物がそこに居た。

「ルフィさ……っ」

天衣無縫で大らかな彼は、同時にとんでもなくガサツで無神経だ。
ビビは自分にとっても幼馴染みであるイトコの悪友を、そう理解していた。
案の定、彼はビビの背けた顔を追うように回り込んでくる。
更にビビが顔を背け、ルフィがその後を追うものだから、砂の上を二人で
ぐるっと一回転することになった。

「泣いてんの、見られるのがイヤか?」

身を縮めるように砂の上に座り込んで、ビビは何度も頷いた。
早く何処かへ行って欲しかった。
ひとりに、なりたかった。

 ぽふっ

軽い音がして、視界が暗くなる。

「それ、貸してやる」

ルフィの声。
夏だろうと冬だろうと、いつも被っている古ぼけた麦わら帽子。
もう秋なのに、そこだけ太陽の匂いが染み込んでいるようだ。

真っ暗な小さな空間で、ビビはハンカチがぐしゃぐしゃになるまで泣いた。



   ずっとずっと 好きだったのだ。
   記憶にある限りの昔から。

   『君、ビビちゃん?おっきくなったねェ〜』

   何時だったろう?
   ウソップと一緒にあの家で遊んでいたら、突然現われた知らないお兄さん。
   テレビや写真じゃなく、初めて見たキラキラ光る金色の髪。
   パパみたいに両腕でふわっと抱き上げられて、ビックリしていると
   海の色をした眸が真っ直ぐに自分を見つめていた。

   『ホント…、姉さんにそっくりだ』

   あの時から
   ずっとずっと 好きだったのだ。



目がひりひりするぐらいに泣いて、ようやく涙は止まった。
麦わら帽子の縁を上げると、砂の上に手足を揃え、お尻を着けて座るルフィがいる。

……お猿さんみたい。

ふと思って、思った端からそのまんまに見えてきて、ビビは思わず吹き出しかけた。
慌てて口元を押さえると、帽子の無い顔がぐるんとこちらを向く。
ウソップと同じ高校に補欠で入った彼は、ガクランに何故か年中ゴム草履だ。

「なぁ、おまえ腹減らねぇか?」

とたんにお腹が くぅ と鳴った。
昨夜からロクに食事が喉を通らなかったのだ。
食べ損なった大好物のリンゴのタルトを思い出しつつ、今度はお腹を押さえるビビに
ルフィが真っ白い歯を見せる。

「隣町の神社でな、お祭りやってんだ。
 けど、な〜んでか海に出ちまって。なあ、一緒に行ってくんねぇか?」

……もしかして、私に隣町までの道案内をさせるためにココに居たのかしら?

有り得ないことではない。
だが、別に構わない。むしろビビには、その方が気が楽だ。
それにお祭りなんて久しぶりだ。

「いいわよ」

「よ−っし!!」

立ち上がったルフィは、ビビの手を掴んで走り出す。
ビビは慌てて言った。

「違う違う、ルフィさん!隣町は逆方向よ!?」


   * * *


白いテントの下には、折りたたみのテ−ブルと椅子が並べられている。
その一角に集まった十代後半の若者達は、手に手に飲み物の入った紙コップやら
祭りの出店からタダで貰ってきたタコ焼きやらを持っている。
彼等はそれぞれの腕に“自治会”と書かれた腕章を付けていた。

「そうか、お前とうとうフラれちまったのかぁ〜」

ロン毛を後ろで一つに束ねた元副会長は、元会長の肩をべしっと叩いた。
何だか嬉しそうに見えるのは、気のせいではあるまい。

「あの“聖アラバスタ学園”のプリンセスか。やっぱ、俺達にゃ“高嶺の花”って奴かね−」

溜息を吐きながら言った帽子の男は、元書記だった。

「会長ってばさ、成績優秀、ばりばりのリ−ダシップで、まあまあイケメンで。
 モテる割には、いつも長続きしないよね−」

昔は男子のみだった工業高校も、今は共学となっている。
それでも圧倒的に男が多いのだが、元保健委員長は女生徒だった。

「…もう、俺は会長じゃねェよ。“おかめ”」

頬は赤いがスッキリ小顔でナイスバディの彼女が、何故そんなあだ名で呼ばれるのか。
知っているのは、下膨れだった子供時代を知っている連中だけだ。
つまり、ここに居る某工業高校元生徒会役員全員がそうだ。

今夜は、彼等の地元の神社での秋祭りだった。
父親が自治会長をしている関係で、雑用その他に借り出された親孝行な息子は
付き合いよろしく集まった幼馴染達に“失恋を慰める会”を開いてもらっている最中だ。
…むろん、本人が希望したワケではけっして無いが。

「けどよ−、今までのは女の方から告って来て付き合いはじめてたよな。
 今回は珍しくこいつが自分から告ってOKもらってさ。かれこれ一年も続いてて、
 これは…って思ったんだけどな。
 始まりは違っても、結果は同じってか」

「『いい人なんだけど…』ってか−」

元風紀委員長と元図書委員長が口々に言った後を、再び元保健委員長が受ける。

「まぁた初キス直後に
 『子供は最低三人で、庭には犬とカルガモを飼って、出来れば親と同居が希望』
 とか迫ったんじゃないの−?ンなんじゃ女のコは引くって言ったのにぃ」

どっと笑う一同の中、古傷に塩を塗りたくられている中心人物はといえば
紙コップを握り潰した拳をふるふると震わせていた。

「お前等……一体、何しに集まってるんだよ…?」

若者は、口実なんぞはどうでも良く、馬鹿騒ぎが好きなモノだ。
気心の知れた同士なら、尚更に。

「おい、あいつ“麦わらのルフィ”じゃねぇか?」

巨体の右腕を肩から包帯で吊るした男が、ずらりと並んだ祭りの出店の一つを顎で示す。
先月の体育祭の騎馬戦で、会長を庇って右肩を脱臼した彼は元体育委員長だ。

「ああ、某TVチャン○オンの大食い王選手権で、ぶっちぎりにタイトルを取った、あの」

「余りの食いっぷりに日本国中の食べ放題系飲食店に手配書が出回ったという、あの」

「あの“大食い王”にも引けをとらねぇ食いっぷりの連れの女の子って……見覚えねぇか?」

この近辺ではステイタスでもある、今時珍しい濃紺のセ−ラ−服は祭りの人ごみの中でも
人目を引く。
頭に被った麦わら帽子。そこから覗く空色の髪。

しばしの沈黙が、彼等を覆った。

広島焼きを食いつくしたかと思うと、隣の店でトウモロコシにかぶりつく。
そして、あっという間にまた隣のイカ焼きに…。
もしや隠しカメラで撮影されているのでは?と店主達が辺りを見回すほど、
二人の表情は真剣(マジ)だ。
全店制覇を目指す勢いで、“大食い王”と連れの少女は食って食って食いまくる。
その表情には鬼気迫るモノがあった。

「…もしかして、あの“麦わら”が彼女の新しいカレシ…とか?」

「いや、どっちかって−とコッチと同じ状況じゃねぇか?」

「“失恋残念、ヤケ食い大会”?」

「…ま、どっちにしろ良かったじゃねぇか。あれじゃ百年の恋も冷めただろ?」

この辺りの大地主だったネフェルタリ家の令嬢で、父親は元市長。
そのため、本人の知らないところで“プリンセス・ビビ”などと呼ばれる美少女の
ソ−スに塗れた大口を開ける姿。
引き攣った顔で振り向いた一同は、食い入るように元カノを見つめる男に首を傾げた。
代表して、元副会長が声を掛ける。

「おい、どうした?」

「…あの食いっぷり、惚れ直しちまった…。(///)」

「「「「「はぁ!?」」」」」

呆気にとられる仲間を他所に、元カレはテ−ブルに突っ伏すと髪を掻き毟った。

「だあぁ−っ、畜生!!
 ビビはなっつ!!可愛い顔して肝は据わってるし、華奢なナリして細かいことには
 こだわらねェ大らかな女で。
 街の発展とか未来とか。他の女は退屈がる話題にもメチャクチャノリが良くって…。
 あんなに話が合って、一緒に居て楽しい奴、他にいねェのによッツ!!!
 やっぱ格好つけんじゃなかった!!
 無理矢理にでも押し倒しちまうんだった−っ!!!」

そんな彼を見つめる幼馴染達の脳裏には
“アバタもエクボ”
“蓼(たで)食う虫も好き好き”
等の諺(ことわざ)が浮かんだが、とりあえずツッコミは入れておく。

「イヤ、それじゃ結局フラれるって、お前」

「……てゆ−か、お前、酒飲んでねぇか?」

「いんや。コイツはコ−ラで酔える特異体質だからな」

「いっつも素面でテンション高いもんね〜」


紅く色づく紅葉と 熟れた柿の実の下で

秋の夜は、虫の音にも負けぬほど賑やかに更けてゆくのだった。


   * * *


無事、隣町の神社に辿り着いたビビは、ルフィと一緒に食べて食べて食べまくった。

広島焼き、トウモロコシ、焼きイカ、綿菓子、アンズ飴
ソ−スせんべい、ラムネ、タコ焼き、フランクフルト、カルメ焼き

後にも先にも、一度にこれだけの量を食べたことはない。
とうとう動けなくなったビビをルフィが背負い、彼女が指示するままに家路を辿った。

「ごめんなさい、ルフィさん。重いでしょ…ゲップ。
 あ、次の角は右ね」

「ん−、べつにぃ。ぜんぜん平気だぞ。おまえ、あんなに食ったのに、軽ぃな。
 不思議カラダだな!!」

ウソップとそう変わらない、ひょろりとして見える彼の身体は
それでもやっぱり男の子のもので、こうして背負われてみると肩幅も厚みもある。

「…ヘンな人…」

「おう!よく言われるぞ!!」

あっけらかんと答えられて、ビビは吹き出した。
とたんにルフィは嬉しそうに言った。

「あ〜、笑ったなァ」

「え?」

「おまえ、さっきまでゼンゼン笑ってなかったぞ。
 親の仇みてぇに、トウモロコシとかイカとか食ってたもんな〜」

「…そ、そう…?」

“親の仇みたいに”…とは、余程の形相だったのだろう。
今更赤面するビビに、ルフィはますます嬉しそうに言った。

「そ−だぞ!そんでも、俺、おまえと一緒に居るの、楽しかったけどな。
 …すげ−、楽しかったぞ!」

「ありがとう…。次は、左……そのまま、真っ直ぐ……」

ビビの瞼が、ゆっくりと下がっていく。
お腹はいっぱいになったし、昨夜はよく眠れなかったし。
ルフィの背で揺られるのが、心地よかったからかもしれない。

「…俺、おまえの笑ったカオ見るほうが、好きだな。
 俺もすっげ−楽しくなるし。何でもできそ−な気分になんだ。
 そんでもって……、……あり?」

「く−っ、く−、く−っ、く−」

首を捻じ曲げると、鼻先にかかるのはビビの思いっ切り安らかな寝息。
くたりとルフィの背中に体を預けて爆睡する彼女に、ルフィは口を尖らせた。

「ちぇ−っ、ちぇ−っ」

そして、ビビの頭からずり落ちそうになっている麦わら帽子に気づいて
慌てて手を伸ばし、自分の頭に被り直す。
やや深めに被ったその影から覗く頬の色は、誰にも見えない。

「ちぇ−っ、ちぇ−っ、ちぇ−っ」

しきりにそう呟きながら、麦わら帽子の少年は空色の少女を背負って坂を下りる。
下りきったそのもう少し先が、少女の住む“お屋敷”だから。

出来るだけ、ゆっくりと。

道端に生えるススキの穂が、まん丸い月の下でほの白く光って
行く手を縁取っていた。


   * * *


   『…私は、自分に嘘は吐かないの』

   ビビは言った。
   夢だったのかもしれない。

   『だからずっと、好きなままでいるの。
    忘れようとしたり、他の誰かで誤魔化したりなんて、しないの』

   『い−じゃん、それで!』

   誰かに力強く言われて、ビビは嬉しくなった。

   『い−のよね、それで!!』

   『おう!!』

   また力一杯に賛同されて、ますます嬉しくなった。
   嬉しい気分のまま眠りに落ちながら、ビビは誰かの声を聞いていた。

   …夢だったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。


   『だからさ−。好きな奴のことはず−っと好きなまんまで。
    そいつより、もっとすっげ−好きになったらイイんだ。
    …なァ、カンタンだろ?』



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秋話です。
ビビちゃんの元カレとそのお仲間は砂砂団+反乱軍幹部達がモデルです。
これでも私はリ−ダ−が好きなのです。…が、とてもそうは思って頂けなさそうな…。
(…ああ、また愛が屈折して暴走している…。:涙)

次回の冬話は12月を目標に。

(2003.10.26 文責/上緒 愛)