かみさまのいうとおり



− Y ・ 2014 −

“根(ルート)”から100キロ余り西。
地上から引き剥がされた岩盤が無造作に転がり、過去の建造物が在り得ない角度で
突き出す一帯。

厚い雲に覆われた空の下に、ボクは立っていました。
機嫌は、すこぶる悪いです。
一言も口を利こうとしないボクに、地面に座り込んだカイル君が言いました。

「あ〜、ヴァン。悪ィ…、しくじっちまった」

ボクは黙ったまま、赤味の強い褐色の眸を見下ろします。
自称・エルモア・ウッドの斬り込み隊長は、ずっと昔、オネショがバレた時のように
しょげ返った顔で視線を泳がせました。

「ちょっと、油断しちまってさ…。次からは、もう怪我しね−から。
 ……だから、泣くなよ…。」

こめかみの辺りがピクッとなったのが、自分でわかります。
失礼千万なカイル君を、ボクは力いっぱい怒鳴りつけてやりました。

「誰が泣いてるんですかッ!?だいたい、そのセリフは聞き飽きました!!
 なーにが『もう怪我しない』ですか、重症常習患者がッ!!!」

肘から下が引き千切れた右腕をベシッと叩(はた)くと、情けない悲鳴が上がります。
傍らで口を開きかけたシャオ君が、結局、何も言わずに黙りこみました。
黒い眸も、ボクと視線を合わそうとしません。
誤魔化そうとしたって、折れた肋骨が内臓に刺さってることぐらい、わかってますからね!!
そんな身体で動けないカイル君を背負って、集合地点からずっと離れた場所(ここ)まで
運ぶなんて、どんだけ無茶してんです!?

そりゃ、マリ−さんやフレデリカさんには見せたくないでしょうよ。
2人そろって、そんな血まみれでボロボロの姿!
呻き声一つ立てないのは見事なやせ我慢だと褒めてあげたいですが、じきに血を吐いて
ぶっ倒れますからね!!
……それまでに、カイルくんの応急治療は終わらせますけど。

ぷりぷりと怒りながら、全力で治癒(キュア)を開始しました。

知ってます。
カイル君もシャオ君も、自分の限界を超えようとしている。
男だから。もう子供じゃないから。戦うPSI(ちから)を持っているから。
“根”の盾になるために、もっともっと、もっと、強くなろうとしている。
大怪我は、強さの代償の1つに過ぎないのです。

地上の大気はPSIの覚醒を促し、その伝達を高める。
1年前、大きすぎる犠牲と引き換えに、わかった事実。

だからボク等エルモア・ウッドは、地上での訓練を始めました。
“敵(W.I.S.E)”と戦うための訓練を。
万が一にも“根”の存在に気づかれないよう、嵐さんの力を借りて遠く離れた場所で。
互いの最大限をぶつけ合い、研ぎ澄ませていくことで、更にPSI(ちから)を高めていくのです。

どうにかカイルくんの腕を再生し、シャオくんの肋骨を繋いで内臓の傷を塞ぎ終わった頃。
ボク等を呼ぶマリーさんの声が聞こえてきました。

「ヴァンくーん!!カイルくーん!!シャオくーん!!どこーッ!?」

重症患者を卒業したばかりの2人が、『しまった』という顔をします。
競うように背が伸び、肩幅も広くなっていくカイル君とシャオ君ですが、こんな表情は
ずっと昔、イタズラがバレた時と変わりません。

「だーかーらぁ、カイルもシャオも大丈夫だってば、マリー。
 ヴァンが治癒(キュア)してるってことは、まだ生きてるからじゃない」

続くフレデリカさんの声に、やっぱりと思います。
シャオ君に次いで勘のいい彼女が、ボクの治癒(キュア)の気配を感じ取ったのでしょう。
マリーさんのテレキネシスで浮かぶ岩に乗った2人は、すぐにボク等を発見しました。
まだ治療中のカイルくんの両脚(ズタズタですが、くっついているだけマシです)を見た
マリ−さんが、真っ青になって駆け寄ります。
この1年で見違えるほど膨張した胸が、上下に大きく揺れました。

「カイル君、ひどいケガ!!」
「ああ、大したことね−よ。ヴァンが治してくれてるからさ」

ニカッと笑って見せるカイル君。
……どうして男って、女の子の前ではカッコつけたがるんでしょうね。
シャオ君も、涼しい顔で

「カイルなら、心配ないよ。マリー」

とか言っちゃってるし。
素直なマリーさんは、それで表情を和らげてくれましたが、隣のフレデリカさんは
逆に眉を吊り上げます。
1年経っても相変わらずスレンダーな胸を、偉そうに反らせました。

「な−にやってんのよ、カイル!?
 ヴァンには迷惑かけて、マリーを心配させて。ホント、ドジなんだからッ!!!」

フレデリカさんは、マリーさんに負けないくらいボク等を心配していたのでしょう。
心配した分の安堵が、こんな形で表に出てしまう悪い癖。
長い付き合いでわかっていても、これにはカイル君も文句を言いました。

「お前が言うな!!」

いつもなら敢えて会話に加わらないシャオ君も、仲裁役のマリ−さんまでもが、
口を揃えます。

「……まったくだ」
「そうだよ、フ−ちゃん!!」

ボクも激しく同感です。
ついこの間、新技の“パイロクイ−ン・サラマンドラ”を制御し損なって、大火傷を負ったのは
どこのどなたでしたっけ?あれ、完治させるのに何日かかりました?

マリ−さんは半狂乱になるし、おばあ様は心痛の余り発作を起こすし。
カイル君とシャオ君の無茶ぶりに拍車がかかったのだって、あれ以来です。
女の子なのに、目鼻の区別もつかなくなるなんて…!!

あの時のフレデリカさんを見たときは、さすがのボクも、ホントに。
ホントに、もう…ダメかもって…、……………。

血まみれでボロボロのカイル君とシャオ君を見た、瞬間から。
ずっと口をヘの字に曲げて堪えていたものが、肩を揺らし咽喉を震わせました。


「ヴァン、ごめんな。ごめん」

慌てたような、カイル君の声。

「ごめんね、ヴァン君。いつも迷惑かけちゃって、ホントにごめんね」

一生懸命な、マリーさんの声。

「……あ、あの時は悪かったわよ。ヴァン…」

口ごもるフレデリカさんの、小声。

「…………。」

ボクの気持ちを感じ取っているのだとしても、何も言わずにいてくれるシャオ君。


……知ってます。
皆がボクのキュアをアテにして、平気で無茶をしているんじゃないことぐらい。
無茶をしなければ、強くはなれないのです。死にかけるくらいの、無茶を。

PSIの覚醒を促し、その伝達を高める地上の大気。それは、諸刃の剣でもありました。
自分の今までの限界を、軽々と飛び超えるほどのPSI(ちから)。
僅かでも制御を誤れば、その反動は生身に跳ね返ってくるのです。

自分自身に押し潰され、切り裂かれ、焼かれ、心の闇を暴かれる。
それでも、超えなければ戦えない。誰も守れない。
地上も、空も、取り戻すことは出来ないのです。


「……なに、言ってるんですか」

治癒を開始してから、初めて口を開きました。キュア領域が放つ白い光を、瞬きせずに
見つめながら。
いつの間にか、白熱灯ぐらいの強さにはなったボクのキュア。この眩しさで、こぼれそうに
なる水分が早く乾いてしまうように。

「ボクのPSI(ちから)は、何のためです…?いくらでも無茶してくれて、いいんですよ。
 いくらでも治しますから」

戦うPSI(ちから)の無い、キュア使い。いつも皆の帰りを待っている。
癒し(キュア)など、使わずに済むよう願いながら。
そんなボクの戦場。ボクだけの、戦い。

「でも、頭と心臓だけは、ちゃんと守って…。
 生きている内に、帰って、きて……くださ、い」

ここでキリッと顔を上げて、ニッコリ笑えたらカッコ良かったのに。
声は掠れるし、鼻はつまるし。もう散々です。
散々、強請(ねだ)って願って、待ち続けるしかないのです。

目を背けたくなるような、血まみれの肉の塊になっていたっていい。
誰だかわからないくらい、全身が焼け爛れていたっていい。
体中の骨が砕けて、内臓がはみ出していたって…。
生きてさえいれば、必ず元通りにするから。
生きてくれてさえ、いれば…!!


「約束して…くださ、い」


まだ日本語の発音に慣れなかった頃のように、たどたどしく言いました。
必ず、生きて戻ってくると。


「ああ、約束するぜ」
「約束するよ、ヴァン君」
「約束するわよ、もちろん」
「約束しよう。だから…」


泣くなよ。
泣かないで。
泣いてんじゃないわよ。
泣かなくて、いい。


ボクの頭を撫でる、幾つもの手。
なんですか、もう!!ほんの少し、ボクより生まれたのが早いからって。
毎日同じものを食べているのに、ボクより背が高いからって。
なんなんですか、もう…。


「……約束、ですよ?」


ボクは何度も念を押します。何度も何度も。
カイル君が立てるようになって、並んで歩けるようになるまで。
皆で、“根(ウチ)”に帰り着くまで。

何度も繰り返します。
この世界には、もう居ない筈の神様に祈るように。

約束ですよ…?
ボクの戦いを、奪わないと。


   * * *


“転生の日(リバースデイ)”から4年と数ヶ月。
この日、地下300mの施設内は浮き足立っていました。

男の人達は不安な顔で、そこらを行ったり来たり。女の人達は忙しそうに走り回っています。
そんな状態が延々7時間も続いているのです。

普段は落ち着き払っている嵐さんや冷静なシャオ君も、例外ではありません。
本を開いてはいてもページは進まず、意味も無く立ったり座ったりを繰り返しているようです。
普段から落ち着きの無い晴彦さんとカイル君にいたっては、10分おきに、まだかどうなったと
騒いでは、千架さんとフレデリカさんに五月蠅いと怒られている始末です。

“根(ルート)”の住人が不安と、それ以上の期待で待ち受ける瞬間。
それは、新しい命の誕生でした。
地上で救助され、地下で出会って夫婦となった2人の間に、子供が産まれるのです。

それにしても出産という一大イベントにおいて、男ってホントに役立たずですねぇ。
嵐さんもシャオ君も、カイル君も晴彦さんも、その他のオジサン及びお兄さん達も。
産まれてくる子のお父さんと一緒に、臨時の分娩室となった部屋の前をウロウロするばかり。
狭い廊下に男ばかりが溢れる有様に、フレデリカさんが関西弁モードで

「邪魔やっちゅ−とるやろがッ!?散らんと燃やしたる!!」

と怒鳴る声が聞こえてくるワケです。

そこへいくと、女の人達は実に頼りになります。
初出産を仕切るのは、エルモア創立総合病院の元看護士さん数名と、今や一人前の
看護士と認められている千架さんです。
(ちなみに嵐さんは、産婦人科は専門外だとか言って逃げました。)
出産経験のあるオバサ…もとい比較的年配の女の人達も、交代でお母さんの片手を握り、
呼吸法を教えたり励ましたりしています。
マリーさんとフレデリカさんも他の女の人達に混じって、お湯を沸かしたり消毒をしたり
清潔な布を準備したりと、大忙しです。

……ところで。
一応は男の端くれであるボクはというと、産まれてくる子のお母さんの枕元でもう片方の
手を握っていたりします。
出産そのものは見えないように、胸の辺りでカーテンが垂らされていますので、念のため。

本当は、出産に関してキュアで出来ることは、全くと言っていいほどありません。
そもそも病気じゃありませんし、陣痛だって赤ちゃんを押し出すのに必要な仕組みですから。
もちろん、母体の失血や赤ん坊の窒息、先天性の障害、感染症etc。
何が起こるかは、わかりません。
でも、いざという時の為の待機なら、廊下でウロウロしていたって構わないのです。

ボクが付き添うことは、産まれてくる子の両親の希望でした。
(ちなみにお父さんは血を見ると気絶してしまうそうで、立会い出産は無理でした。)
お母さんになりつつある女の人も、廊下でオロオロしているお父さんになりつつある男の人も、
かつて、イアンさんに命を救われた人達です。
完治までの治癒を、ボクが引き継いだ人達でもありましたから、キュアの波動を感じるだけで
安心できるのでしょう。

だからボクは、ずっとキュア領域を保っています。
痛みを取り除くためでも、生命力(エナジー)を与えるためでもありません。
キュアの力を深く侵入させて…、相手の生命と自分を共鳴(シンクロ)させる。
ボクを通して、互いに感じてもらえるように。
お母さんが、お腹の赤ちゃんを。赤ちゃんが、お母さんを。


ドクドクと、脈打つ心臓の音
血液の流れ、細胞のざわめき

厚い壁の向こうから聞こえる、たくさんの声
どこかへ引っ張られる強い力 不安と恐怖

鋭い痛みと鈍い痛み 息をするだけで、苦しい
けれどもうすぐ もうすぐ、会える


「………ッ!!……!!!」


歯を喰いしばって呼吸法を続けていた口が、大きな悲鳴を上げました。
部屋の中に緊張が走り、カーテンの向こうが慌しくなります。
立て続けの獣が吠えるような声に、 ドアの向こうも一斉にざわめきました。

「なッ、何かあったのか!?おい、フ−!!マリ−!!」
「どッ、どうなってんだよ!?嵐!!」
「おッ、俺に聞くなッ!!わかるわけないだろう!?」
「つッ、妻と子は…!!」
「だッ、大丈夫ですから!!ヴァンがついてますし…、多分…。」

堪らずに騒ぎ出した外野に、今度は千架さんが飛び出します。

「うるッさい!!今、やっと頭が出かかってるとこなのッ!!
 今度騒いだら、あんた達全員“根(ルート)”から叩き出すからねッ!!!」

それだけ言ってぴしゃりとドアを閉めた千架さんを、女性陣が拍手喝采で迎えます。
汗びっしょりで呻いているお母さんも、顔を歪めたまま笑っていました。
やっぱり、いざという時の胆の据わり方って、女の人が遥かに上です。
男ってホント、駄目ですねぇ…。

溜息を吐くボクの右手に、爪が喰いこみました。
獣の雄叫びそのもののような声も、鼓膜に突き刺さります。

赤ちゃんが感じている、頭をぎゅうぎゅう押される力
身体が捩れて、へその緒が引っ張られる
息が苦しい、苦シイ 怖い コワイ

お母さんが感じている、痛み
痛み 痛い イタイ 痛いよ 痛イ        !!!


出産の痛みを男性が体験すると、耐えられずに悶絶死する。
何かで読んだ一文を、思い出しました。
出産を経験した男性なんていない筈ですから、陣痛の大変さを語る例えなのでしょう。
けれど、キュアによる共鳴(シンクロ)で、その一端を感じ取ってしまったボクは思いました。
それって、多分本当だと。

幸いなことに、この世のものとも思えない激痛は、人間のものとも思えない悲鳴と同時に
消えてなくなりました。
手の甲にくっきりと爪痕を残して、汗に濡れた手がするりと離れます。
全身から一気に力が抜けた、次の瞬間。

力強い産声が、300mの地の底に響きました。

カーテンの向こうから聞こえる、女の子ですよ、と告げる弾んだ声。
おめでとう、と祝福する声。お疲れ様、がんばったわね、と労う声。
手を取り合ったフレデリカさんとマリーさんの、はしゃぐ声。
その全部を掻き消す怒号のような、ドアの向こうでの万歳の連唱。

人間って、凄い。

ベッドの上でぐったりしてるのに誇らしそうなお母さんを見て、思いました。
初めて、思いました。

人間は皆、こうやって生まれてくるのです。
ボクも、カイル君も、フレデリカさんも、マリーさんも、シャオ君も。
サイキッカーも、そうでない人も…。
“W.I.S.E(ワイズ)”を名乗る者達でさえ皆、同じように。

やがて産湯に浸かり、真っ白な布に包まれた赤ちゃんがお母さんの元にやってきます。
しわくちゃの顔を真っ赤にして、泣いています。

こんなにも小さくて、泣き叫ぶことしかできない、無力な命。
ひとりでは生きていけない。ひとりでには生まれてこない。
なのに…、だから。


人間って、凄いのだと。


   * * *


出産から数時間後。
分娩室から病室へと体裁を整えた部屋では、父と母と娘のご対面となりました。
産声を聞いたとたん、目を回して倒れたというお父さんも、緊張の面持ちが一転して
今はメロメロのデロデロです。
お母さんの方もすっかり落ち着いた様子ですが、念のためボクが付き添っています。
無事に出産が済んだ後は、ボクの仕事の範囲ですから。

ちなみに廊下で万歳を連呼しつづけていた男性陣は、一仕事を終えた女性陣によって
食堂へと追い立てられ、そのまま出産祝いのパーティーへとなだれ込んだようです。
飲めや歌え、食えや踊れの凄まじさは、かつて“根”に照明が灯った日に負けず劣らず
だとか。
やがて頃合を見計らい、皆を代表しておばあ様が祝いを言いにやって来ました。

「ええ子じゃの。お父さんにもお母さんにも、よう似ておる」

ベッドでスヤスヤと眠っている赤ちゃんに、目を細めておばあ様は言います。
そして、嬉しそうな両親に向かって尋ねました。

「名前はもう、決めたのかの?」

とたん、顔を見合わせた2人は困った顔をして、思いがけないことを言い出したのです。

「男の子だったら、絶対に“イアン”にしようって言ってたんですけど…。」
「さすがに女の子には、ちょっと」

いやいや、例え男の子だったとしても、いかにも日本人的なおしょうゆ顔には、ちょっと。
今となっては国も民族もあったもんじゃないとはいえ、これまでに培われてきた価値観というか
センスってものも無視しがたく…。
……とかなんとか。心で思いつつも、水を差さずに黙っておきます。
ボクが思ったことをそのまま口に出すのは、エルモア・ウッド限定ですからね。

「……ですから、名前を付けてもらえませんか?」

最初は、てっきりおばあ様にお願いしていると思っていました。
“根”の最年長者であり指導者ですから、名付け親にこれ以上相応しい人は居ません。
けれど顔を上げれば、2人の視線はまっすぐにこっちを向いているのです。

「え…、ボク?」

自分を指差して瞬きをすると、2人は何度も頷きます。
おばあ様の方を振り向くと、ニッコリ笑って言われました。

「良い名を考えてやりんさい」

えぇ〜、困るなぁそんなの。急に言われたって。
……やっぱり、ここはフランス語じゃなくて日本語ですよね。
でも、外国風に聞こえる名前とかも流行ってましたっけ。
懲りすぎて普通に読めない漢字の当て字とかは、良くないですよね…。
この数年で更に増えた日本語のボキャブラリーを頭の中に広げてみます。

例えば未来とか、希望とか。託したい言葉はありました。
けれど何も知らずに生まれてきた女の子には、重すぎる気がします。
そして、そんな名を付けるには、まだ早い気がしました。
地上にも、空にも手が届かない。戦いすら始まっていない今は、まだ。


「そうですね。だったら…」


ボクが付けたのは、誕生月にちなんだ名です。
フランス語の5月(mai:メ)、英語ではMay(メイ)に、漢字の“芽生”を当てて。

元の世界でグラフィックデザイナーだったお父さんは、その日、娘の名にちなんだデザインを
階段通路の壁に描きました。

太陽と光、そして芽吹いた双葉をモチーフにした、シンプルで大胆な図案。
それは、“根(ルート)”の象徴(シンボル)になったのです。

地下深くから、いつか芽を出す日の為に。
青い空と太陽を、産まれて来る子供達に帰す為に。


   * * *


“根”の一角には、お墓があります。
十字架も墓石もありません。骨も灰も埋ってはいません。
亡くなった人達は、こんな世界であっても必ず地上の土に還していますから。
それでも、ここはボクにとってお墓でした。

今は使われなくなった空の倉庫。かつて、最初の8ヶ月を肩を寄せ合って暮らした場所。
ボクのお墓参りは、むき出しのコンクリ−トの床に、花を供えることです。
……といっても、百合とか菊とかじゃなく、トマトとかナスとかキュウリとかの花ですけどね。
地下の生産プラントで、人工照明によって栽培される野菜達。大きな実を得るために間引き
される花をもらっています。
観賞用じゃないから小さくて、香りもほとんどありませんけど、花は花ですから。

4年と半年前、1人の男の人が文字通り、眠るように死んだ場所。
冷たいコンクリートに手のひらを押し当てて、報告します。


「イアンさん、“根(ルート)”に住人が増えました。
 貴方が救った2つの命から、新しい命が産まれたんです。
 “根”で初めての子供ですから、皆、すごく喜んでます。抱いたり触ったりしたがって、
 大変なんです。
 マリ−さんは母性本能全開で、もう夢中ですし。フレデリカさんは大して興味無いフリして
 ますけど、大事にしていた洋服をウサギの耳と尻尾付きベビー服に改造してますから。
 カイル君は興味津々だし、逆にシャオ君は触るのを怖がってて、面白いです。
 ボク等は、ホントに何も知らなかったから。
 ……子供って、凄いですね…。」


自分より、小さくて幼い命。
ボク等が守らなければならない、存在。
かつてのアゲハさんや、八雲さんや、雹堂さんのように。そして、貴方のように。
守られるのではなく、守る側に立つ時が来たのだと、ボク等に告げる。

PSI(ちから)があろうとなかろうと、関係ない。守るに値する命。
ここに、たくさん。
そして、かつての世界にも限りなくあったのです。ボク等が知らなかっただけで。

だから、ボク等はあきらめない。
このPSI(ちから)が怖れられ、受け入れられなくても。

“W.I.S.E(ワイズ)”が創る理想郷。サイキッカ−だけの楽園。
そんな小さな世界は、要らないから。


キュアで保たれた、小さな花。ボクがここに居る限り、枯れずに咲き続ける。
少しづつ、少しづつ、灰色を埋めていく。
この床が、かつての世界のように色鮮やかに染まる頃、ボク等はきっと烽火を上げる。
心の内に蓄えた怒りと痛み、悔いさえもを熱量に。

冷たい床から手を離し、いつものように報告を終えます。
不機嫌そうな顔を思い浮かべながら。


「また来ますね、……師匠(せんせい)」



                                   − 終 −


TextTop≫       ≪Top

***************************************
  2010.11.23  本文を一部修正しました。
(以下、反転にてつぶやいております。)

長い話を、最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、
本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

原作を読んで考えていたことは、だいだい放り込めたと思います。
(だいたい、であって全部、ではない:汗)

今のところ、原作で何の説明も無いのを良いことに、勝手な設定を付け加えて
しまっております。
東雲兄妹に医療関係の勉強をさせてみたり。(嵐兄さん白衣が似合いすぎ…。)
“根”で産まれた女の子の名前と、“根”のデザイン(カイルの服の背中のマーク)
の由来を捏造してみたり。
8巻では会議室(?)の壁に巨大なレリーフが飾られてましたから、あのデザインは
建築時にエルモアさんと政府のお偉方が決めたデザインなんでしょうけれど。
二次創作上の都合ということで、お許しください。

(以下、自分の頭整理用大雑把年表)
 9歳 2008.6〜7   アゲハとエルモア・ウッドの交流→アゲハ行方不明
10歳 2009.12.10  宣戦の儀
     2009.12.15頃 雹堂影虎等、昏睡状態の八雲祭を連れエルモアを頼る
     2010.1.3頃   “根”へ避難
     2010.1.7    転生の日
     2010.1.10頃  生存者の救助→雹堂影虎、八雲祭行方不明→イアン死亡
11歳 2011.1〜    “根”で自殺(未遂含)が続出
12歳 2012.2頃    “根”の生存者の半数が離脱、多くが死亡
13歳 2013.1.3頃   嵐から空の見える場所を贈られる
15歳 2014.5頃    “根”で最初の出産、女の子
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19歳 2018.7    4thドリフトによりアゲハがやって来る 女の子4歳

※年齢はフレデリカがあの時点で19歳と言ったことから逆算。
  3月14日生まれらしい(?)ので合わせています。
  カイル・マリー・シャオは誕生日は前後するもののほぼ同じ年。
  ヴァンは約1歳下と想定しています。
  “根”生まれの子供はカイルがタッチしていた女の子を最初の子供と想定。
  理子ちゃん(4歳ぐらい、と呼ばれていた)と同じくらいとして逆算しました。