ルートヴィッヒが本田家にやって来た。
珍しく仕事ではなくプライベートで、更に珍しいことにフェリシアーノもギルベルトもいない。
ゆえに、彼は日頃の疲れから解放され、非常にくつろぐことが出来た。
(朝か……。)
ぐっすり眠った次の朝、鳥のさえずりで目が覚める。
普段の彼の生活ではめったに味わえない、穏やかな一日の始まりだ。
時計を見ると、八時ジャスト。起きるのにはちょうどいい。
ルートヴィッヒは服を着替え、慣れた手つきで布団をあげた。
「ルートさん? 起きられたのですか?」
襖の向こうからの声。バタバタと音がしたからやって来たのだろう。
「ああ、今行く。」
襖を開けると、割烹着を着たの姿があった。
「おはようございます!」
「ああ、おはよう。」
「ルートさん、自分でお布団あげたのですか? 私がやりましたのに……。」
「いや、いつもしてもらうのも客とはいえ悪いからな。それに適度に体を動かすことで目も覚める。」
「あはは、ルートさんらしいご意見です。」
と話しながら、ルートヴィッヒは違和感に気付く。そう、家主の本田菊がいない。
「、日本はどこかへ出かけたのか?」
家にいるなら彼のことだ、とっくにルートヴィッヒに挨拶をしているだろう。
「実は、昨日の夜中に上司から連絡が入って。急ぎの仕事があるって、始発の電車で行っちゃったんですよ。ルートさんに謝っておいてくださいって。」
「いや、俺は構わんが……あいつも苦労しているな。」
「本当に。この間湾ちゃんも泊まりに来たんですけど、二人して愚痴りながらやけ酒あおって。」
「それは……よっぽど溜まっていたんだな。」
ルートヴィッヒはが話をしながら運んで来た朝食を見る。
ご飯に味噌汁、それと……塩じゃけ。
「……日本に言っておけ。栄養管理を怠るな、と。」
「は〜い。」
ルートヴィッヒが食事をしていると、退屈しているのかぽちくんがすり寄ってきた。
「これこれ、ぽちくん。ルートさんの邪魔になっちゃいますよ。」
「気にしなくていい。俺も犬の扱いには慣れているからな。」
よしよし、と軽くぽちくんを撫でると、そのまま「クウン。」とルートヴィッヒの足に乗った。
「わぁ、ぽちくんはルートさんのことが大好きなんですねぇ。」
「イタリアと違ってここに来たときしょっちゅう構っている訳ではないのにな……不思議だ。」
「ルートさんは優しい人ですから。ぽちくんには分かるんですよ〜。」
「そ、そうか。」
素直に誉められるのは何やらくすぐったく、少し恥ずかしい。
そんな気持ちを隠すように、ルートヴィッヒは素っ気ない返事をした。
「そうだ! よかったらこの後、ぽちくんと三人でお散歩に行きませんか? 川原の桜がそろそろ咲き始めているのですよ。」
「桜か……いいな。行くか。」
ルートヴィッヒの言葉に返事をするように、ぽちくんも「ワン!」と鳴いた。
「今日は暖かいな。」
「昨日はこの時期にしては風冷たかったですもんね〜。」
川原には五分咲きの桜の他にも菜の花やスミレなどの色とりどりの花、元気よく遊びまわる子ども、
飛び方がつたない小鳥など、新しい季節の始まりという活気で溢れている。
「やはりいいな、春は。希望というか、“よし、頑張ろう”という気になる。」
「本当に。」
ぽちくんが鳩を追い回して遊んでいるのを、二人は土手の中腹に腰掛け眺める。
「わー、外人さんだ!」
「ほんとだ、アメリカ人だ!」
――ドイツ人、というより正確にはドイツなのだが。
日本の子どもにとって身近な外人イコール、アメリカ人なのだろう。
「ボクたち、このお兄さんはドイツ人さんですよー。」
「ドイツ? ドイツってどこ?」
「ドイツってハロー?」
「ドイツはね、アメリカよりもっと遠いところにあるんです。挨拶はグーテンタークですよ。」
「グーテンターク?」
「ドイツ人のお兄さん、グーテンターク!」
「guten Tag。」
ルートヴィッヒが挨拶を返すと、子どもたちはきゃあっとはしゃいだ。
「さっちゃん、りんちゃん! お家帰るわよ〜。」
「あ、ママだ!」
「じゃあね〜、お兄さんにお姉さん!」
母親に手を引かれ、二人は帰っていった。
「可愛かったですねぇ。すっごく無邪気で。」
「うむ。」
どの国のどの民族でも、子どもが元気に遊ぶ姿は心が和む。
「そういえば、ルートさんの子どもの頃もすごく可愛かったです。前ギルさんに写真を見せてもらって……」
「何!?」
「いいなー、ルートさんが小さい時のヨーロッパはもうカメラがあったんですね。」
「兄さん……。」
自分の知らない内に自分の子ども時代の写真を日本やが見て和んでいるなど、想像するだけで顔から火が出るほど恥ずかしい。
「ギルさん、すごく楽しそうに一枚一枚説明してくれたんですよ。ルートさんは愛されて育ったんですね。」
「む……。」
帰ったら兄に何て文句を言おうか考えていたのに、“愛されて”などと言われたらその気も失せる。
「いいお兄さんを持って幸せですね。」
「…ああ。」
普段はけして口にしない、ルートヴィッヒの素直な気持ち。
不思議とさっきの恥ずかしさは和らいでいた。