数時間前に最後の競技が終わり、いよいよ閉会式を残すのみとなった。
「おや、スイスさん。それにリヒテンシュタインさんも。」
「お二人とも、お疲れ様です。これよかったらどうぞ。」
「いやだから、我輩は何を配っているのかと聞いておるのだ! 質問に答えんか!」
閉会式を前に集合した各国選手団の周りを忙しく動き回る菊とに、自国の選手が飲んだ後の紙コップを見たバッシュがやや怒ったように尋ねた。
「みなさんにお酒を振舞っているところなのです。全日程終えられてお疲れ様でした、オリンピックを成功に導いてくださってありがとうございます、という意味をこめて。」
「やはり酒か! オリンピックはまだ終わっておらぬのに酒を配るとは……。」
「いえいえ、酒といってもアルコールは非常に低いですし、わが国では祝い事のときなどに一般的に呑まれている種類ですよ。」
「種類が問題だと言っておるのではなくだな……」
「お、酒を配ってるんだっぺか!?」
「あんこ、やがまし。周りの迷惑考えれ。」
バッシュの文句をいともたやすく隠す勢いで、酒好きのデンがノルを引き連れてやってきた。
すぐ後ろにはベールヴァルド、ティノ、アイスも揃っている。
「皆様、お疲れ様です。閉会式の前にぜひ呑んでいってください。」
「おお、気がきくっぺ!」
「すまね、日本。」
「ん、美味え。」
「ティノ君とアイス君もどうぞ!」
「わあ、ありがとうちゃん。」
「………どうも。」
「…様、私にもくださいまし。」
欲しくなったのか、その様子をバッシュとともに見ていたリヒテンも言った。
「リヒテン!?」
「お兄様、国にはそれぞれ文化の違いというものがありますし、日本様の“オモテナシ”に過度な遠慮や文句は失礼に当たってしまいますわ。」
リヒテンはからコップを受け取ると、一口呑んで微笑んだ。
「とってもおいしいです。お兄様も、ほら。」
「…………我輩は一口しか呑まんからな!」
「分かりました。」
菊は少なめに注いで、バッシュに渡した。決まりが悪そうにしてはいたが、バッシュはきちんと全部飲み干した。
「バッシュさん、本当にリヒちゃんには適わないのですね。」
「ええ、なんだか可愛らしい一面を知ってしまいましたね。」
残りを配るため二人と別れた後、菊とはこっそり笑いあった。
酒を配った後も誘導の手伝いをするためその場に残っていたは、日本人スタッフの誘導と選手達の動きが少しばかりかみ合っていない、と感じた。
「すみません、あのー、あちらに国名のプレートを持った者がおります。大体大陸や地方ごとに固まっておりますので……。」
ようやくまともに話せるようになった英語を使い懸命に説明をするが、どうも選手達の様子がおかしい。
悪い意味でのおかしさではなく、国の垣根を越えて仲良くなったと思われる者同士が談笑し合ったまま、なかなか動かない。
「おい、俺にいい考えがあるぞ!」
集団のほぼ先頭にいた白人の男子選手が声をあげた。
「どうせあと少しで閉会式は始まるんだ、今から全員が並びなおす暇はない。もうこのまま出てしまおうじゃないか!」
このまま出るということはつまり、従来のきちんとした国別での入場ではなく、順番も何も気にせず“ノリと勢いで”閉会式のグラウンドへ出て行くということで……。
「ええ!?」
菊やをはじめとする日本側は当然驚愕したが、他の人々は違っていた。
「OH,ナイスアイディア!」
「いいねえ、楽しいことは大好きだぞ!」
提案は伝言ゲームよりも速いスピードで前から後ろ、中央から端まで伝わり、酒の勢いもあるのだろうか、一気に場のテンションは最高潮になった。
そして中の状況を何も知らないグラウンド側の係員が絶妙のタイミングで扉を開け、オリンピックマーチの演奏が始まった。
「GO!!!!!」
わああああ、とテンション最高、ノリ絶好調の状態の選手達が次々と出て行く。
そばにいた日本人を肩車する者、まったく違う国の選手同士ニコニコと肩を組んで歩く者、いったいどうしてこうなったのか競技中の格好のまま走り抜ける者。
歌いながら歩く者、走る者、楽団の前で楽しそうに指揮をし出す者、腕が取れそうな勢いで観客席にめいっぱい手を振る者。
何も知らなかった観客席や菊の上司達などは最初こそ驚いたものの、すぐに大きな拍手と歓声でその光景に応える。
自国の選手達にうっかり取り残されぽかんとしているアーサーの横を、アルフレッドが通り過ぎた。
「なんてエキサイティングなんだ! よし、こうしちゃおれない。俺達も行くんだぞ!」
アルフレッドは目をきらきらさせ、マシューの腕を半ば強引に引っ張りながら走っていった。
「え、おいちょっと待てよアメリカ!」
「いいじゃないか、イギリス。オリンピックってのはな、本来無礼講な祭典なんだぞ……。」
息をハアハアさせるフランシスの言う“無礼講”は、絶対意味が違っている。
身の危険を感じたアーサーは逃げ出すが、走り出した方向はグラウンド。
四人が走っていったのを見たほかの国々も、まだまだその列が途切れていない選手達の集団に混じって次々と出て行った。
「兄ちゃーん、どっちが速いか競争しようよ!」
「ああ!? よし来た、お前になんか負けねーからな!」
「楽しそうやん、親分もよせてぇな。」
にぎやかに出て行くイタリア兄弟とアントーニョ。
「リト、こっち。」
「……ポーランド……。」
もう長い間離れ離れだけど、せめて今だけは昔みたいに二人でと、手を伸ばすフェリクスとその手をとるトーリス。
「まったく、だから酒など配らなければよかったものを……?」
「………お久しぶりですね。」
決まりが悪いのか照れくさいのか目も合わさないが、なんとなく一緒に出て行くバッシュとローデリヒ。
「兄さん?」
「ロシアちゃん?」
普段姉妹に囲まれたときは怯えるか迷惑がるかどちらかのイヴァンだが、今日はずっと周りを見ている。
「…すごいね。誰を見ても、みんな笑顔だ。」
そう言った彼自身も心の底から楽しそうな笑顔をしていた。
「明日からまた……しばらく会えないな。」
必死に強がっているが、今にも泣き出しそうなルートヴィッヒ。
「泣くな、ヴェスト! 俺様この大会で…つーかこの瞬間確信したぜ! 俺達はまたひとつになれる。俺様の勘ではざっと25年てとこだな!」
ギルベルトは元気よく言い、弟の頭をわしわしと撫でた。
「あらー、韓ちゃん。お疲れ様ー。」
「お疲れなんだぜ! おれの家の選手の活躍をしかと見てたんだぜ?」
「んー、まあそれなりに?」
「楽しかったんだぜ!」
「そうねー。日本のにーに、本当凄いのヨ!」
「……悔しいけど、認めてやるんだぜ。だって俺こんな光景、生まれて初めて見たんだぜ……。」
「うん。」
この大会を、この瞬間を覚えて自分の家に持って帰り、いつかこの国のように発展しようとひそかに誓うヨンスと湾。
「ずいぶん派手ですね……まあ、たまには良いかもしれませんね。」
「………菊にぃに。」
「はい?」
グラウンドのほぼ真ん中まで来たとき、は足を止めてまっすぐ菊を見た。
「見てください。」
周囲は未だ選手、国たち、観客など会場中を巻き込んでのお祭りモード。
だけどどんなに騒がしくても、の言葉はきちんと菊へ届いている。
「人種間の差別意識もわだかまりも越えて、西も東も、男性も女性も、ここにいるみんなが一緒に手を取り合って肩を組んで笑っています。」
周りの光景はまさにの言ったとおり、そして彼女が知る限りこんなことは人類史上初めてのこと。
「菊にぃにがずっと前から願い続けていた差別のない人種平等が、平和な世界がここにあります。」
最後の一人がグラウンドに姿を現したのだろうか、観客席から一際大きい拍手が起こった。
――ああ、本当だ。
「ずっと…願っていた、私の夢……。」
あの日訴えた人種平等、却下されたまま隠居しかけていたいつかの熱い想いが、今よみがえった。
「こんな……こんなところにあった……。」
そのことに気づいた菊の、足の先から頭まで全体を深い感動が駆け巡る。
「やっと叶えられた………。」
「はい、はい……!」
感動のあまり二人して泣いていたら、近くにいた国たちが気付いて次々と集まってきた。
「日本、ありがとう! 本当にありがとう!」
「これほどまでに感動的な大会は初めてです…!」
「楽しかったよ、それにとても嬉しいの。最高のオリンピックをありがとう!」
「にほーん! 今日だけは君にヒーローを譲ってやるんだぞっっ!!!」
アルフレッドはそう叫ぶと、マシューに菊の足を持たせて二人で一気に持ち上げた。
「胴上げなんだぞ!!」
誰が教えたのか、“わーっしょい、わーっしょい”という日本風の掛け声とともに、菊は何回、何十回と空へ向かって胴上げされた。
周りの選手達が落ち着いて、閉会式がようやくスタートするというギリギリまで、それはずっと続いていた―――
人類は四年ごとに夢を見る
この作られた平和を 夢で終わらせていいのだろうか――
史上最多の参加国が一堂に集まり、戦いの中でも外でも様々な物語を生み出した東京オリンピック。
「………お前達、何をしているのであるか。」
「えー、皆様お揃いでしょうか。まもなく閉会式が始まりますので、日本国の服を着ております係員の指示に従って各国ごとに集まりなおしていただけますよう――」
「……どーいう状況だ、これ。」
そして菊との二人も、今はどちらともなく手をつないでグラウンドに出て、にぎやかな光景を眺めている。
――夜、聖火は太陽へ還った
“振る舞い酒配った”説はニコニコのコメントにあったものですが、ウィキには“誘導ミス”としか書かれていませんでした。
お酒が本当に振舞われたかどうか踏鞴には分からなかったのですが、なんとなく可愛かったので妄想を付け加えてしまいました。
それと斜め文字の部分は、記録映画「東京オリンピック」のラストから。←ようつべ&ニコにあります。おススメです。見に行く場合は間違っても「これネタに夢小説書いてる人が」なんてチクらないようお願いします。