彼女が花の芽にやってきた!


第八章 夢の中〜過去から今へ〜

              

1 女神の孫たち

――母さんが病気で亡くなったのは一年前のこと。

命日が過ぎて、秋野菜の種植えも一段落した秋のある日、父さんは私と弟のレイシアにこう言った。

「父さんとお前たち二人はね、この町を守る使命があるんだよ。」


「使命?」

「この町を守るって? 何をすればいいの?」

「町が無くなってしまうくらいの大変な事がこの先起こるかもしれない。そうなった時、町が無くならないように頑張るんだ。」

「……よくわかんない。」

レイシアが首を傾げて呟くと、ピートは黙って腰を上げた。

「まあ、急に分かれって無茶かな。ついておいで。」

「どこに行くの?」

「父さんの母さん…お前たちのお婆さんのところだよ。」


祖母が町内に住んでいるなど聞かされた事も無かった二人は、半信半疑で父親を追いかける。

「ここだよ。」

「泉じゃん。」

即座に突っ込んだのはシンシア。姉弟は生まれたときから花の芽で暮らしているから、ここも庭のようなもの。

だが祖母が、ましてや人間が住んでいるなど見たことも聞いたこともない。

「まあ少し見てなさい。母さん!」

父ピートが呼んだ先は泉の中。彼らの目の前で、泉がみるみる光を放ち始める。

「………。」

二人は思わず姿勢を正す。そうしなければならないように感じる雰囲気があった。

光の中から女性の姿が徐々に現れる。彼女はシンシアとレイシアに焦点を合わせると、柔らかく微笑んだ。

「――はじめまして。会いたかったわ、シンシアにレイシア。」

「え……う、うん。」

「ねえ父さん、この女の人が僕らのおばあちゃん?」

「ああ。」

周りの人から昔話として聞いたことのある、女神様の話を思い出した。目の前の女性は――祖母だというその人は、どう見ても。

「女神様…だよね。父さんは女神様から生まれたの!?」

「おじいちゃんはどこにいるの!? 僕とシンシアは人間なの!?」

疑問点が多すぎて混乱している二人を落ち着かせようと、女神は二人の肩にそっと手を置く。

すると不思議なことに、あれだけ騒いでいたのが嘘のように大人しくなった。

「一つひとつ説明するわね。ちょっと難しいかもしれないけど、あんた達なら理解出来るわ。女神の力を受け継いだ、私の孫達なんだから。」


普通の人間でも、言葉には力が宿ると言われている。女神なら尚更だ。

シンシアとレイシアが最初感じた疑問や混乱はすっかり影を潜め、ただ静かに女神の話を聞いた。

「……だから、この先花の芽が無くなってしまうくらいの大変な事ことが起こるかもしれない。そんなのは嫌でしょう?」

「嫌!」

「そう。だから花の芽を守ってほしい。あんた達にはそのための力があるのよ。」

「花の芽を、守る力……。」

言葉に込められた意味を、力を、意志を、役目を、噛み締める。

「なんかかっこいい! 女神様、私頑張る!」

「僕も!」

「よかった。頼むわね。ああ、そうそう。このことは私たち四人の秘密ね。」

「はーい。」


告げられたからと言って、二人の日々ががらっと変わるわけではない。

「父さーん、水やり終わった! リリアの家に遊びに行ってきまーす!」

「いってらっしゃい。」

ぱたぱたとシンシアが出て行ったのと入れ替わりに、レイシアが家に入ってきた。

「父さん、鶏たちの餌やり終わったよ。ザク達と山に行ってくるね!」

「気をつけろよー。」

何も起こらない、平穏な日々。ずっと続けばそれが一番だが、おそらくそうもいかないだろう。だが、自分達なら大丈夫だと思っていた。

女神が言った守るための条件――花の芽を大事に思う気持ちを、自分達は持っている。

だからきっと大丈夫。大好きな人達と、ずっとここで生きていける。そう、思っていた。


2 レイシア

あおぞら牧場の長男、レイシアは10歳。考える事が得意な彼は頭がよく冷静で、2歳年上の姉・シンシアと共に花の芽で一目置かれていた。


「ねえ、姉さん。あれ……どう思う?」

それはある日の午後、レイシアとシンシアが月山へ遊びに出かけたとき。

「……打ち上げられた?」

「それは無い。ここ山だしこれ川魚だよ。昨日大雨が降ったわけでも無いし。」

「そうよね。」

二人が見たものは、月山を流れる川の側で息絶えている小魚。地形から考えても、魚が自ら過って地面に落ちたとは考えられない。

……ということは、だ。あまり考えたくないが、この魚が死んだ原因は――

「きゃーっ。レオ君、すご〜い!」

川の向こう岸から、聞き覚えのない黄色い声。シンシアとレイシアはそちらに目を向けた。

「ケーキが作れて魚釣りも出来るんだ〜。」

「はは、これくらい大したこと無えよ。」

甘ったるい声を出している女性は知らない。今は草競馬の時期だから、観光客の一人だろう。

隣にいる男の方は、二人ともよく知っている。年上の幼なじみでケーキ屋の息子のレオだ。

女の子大好きだが出会いのチャンスが無いレオの貴重なデートを邪魔すれば、しばらくケーキを食べさせてもらえなくなる。

シンシアとレイシアはレオには話し掛けず、その場を後に――しようとした。

「あー、また小魚だ。これ持って帰る?」

「えー、カリンおっきなお魚がいいなぁ〜。」

「そっか。次は海行ってみよう。」

レオと女性は海へ向かうため山を降りたが、その途中で彼は釣り針にかかった魚を放った。

「あ!」

投げた方向から考えて一応川に逃がそうとしていたのだろうが、全然届いていない。

「……レオだ!」

さっき見つけた魚の死骸も、同じような経緯だろう。そういえば昨日も釣り竿を持ちデートしているレオを見かけた。

「食べるために釣るならともかく、釣ってそのまま命を繋げることもせず、故意じゃないとはいえ死なせるなんてね。」

「……レイシア、あんたどこでそんな難しい言葉覚えてくんの?」

「それよりもレオを何とかしないと。昔女神様が教えてくれたでしょ、自然のバランスを保たないと、花の芽がなくなる危険は増えるんだよ。」

「それは私にも分かるよ。レオにやめるよう言わないと。」

「でもさ、レオって女の子といるときは女の子にしか注意向けてないよ。それにせっかく得た“女の子にモテる方法”を簡単に手放すと思う?」

「……無理。」

「でしょ? だからね、僕にいい案があるんだ。」

レイシアはそう言って楽しげに微笑んだ。


「ちょっとレオ、聞いたわよ。あなた女の子とデートして釣った魚、全部無駄にしてるんですって?」

「え、何いきなり。」

翌日の朝。ケーキ屋の開店準備中に、レオは苦い顔をした母エレンからそう言われた。

「勿体ない。食べないんなら川に帰さないと駄目でしょう。」

「待ってよ母さん、つーか誰が言ってたの?」

わざと無駄にした訳ではない。川に放ったつもりが届いていなかったのかもしれない。エレンは普段月山に行かないから、誰かが見てチクったのだ。

「お向かいのリリアちゃんよ。」

「リリア?」

午後の休憩時間、花屋のリリアに告げ口したことへの文句とわざとじゃない事を言いに行ったが。

「えー、私もレオのデート現場見た訳じゃ無いのよ? グリーン牧場のレン姉さんに聞いたもの。」

そう言われたので、今度はグリーン牧場に行ったが。

「私は弟のダッドに聞いたし、ダッドはザクに聞いたそうよ。」

「お前釣った魚に責任持て。無駄死にだろう。」

ザクに聞いてみたら。

「俺は図書館のマリアおばちゃんから聞いたぞ!」

図書館に行ったら。

「誰からその話を聞いたか……? レオ君、そんな事より命を粗末にしてはならないと知っているでしょう……」

……と、町中の噂になっている上会う人会う人に説教される始末。

「何なんだ、一体。」

もう誰が最初に言い出したのかも分からず結局そのまま家に帰ったが、その後も誰か来る度に同じ事を言われてレオはすっかりうんざりした。


それから、山に魚の死骸が放置される事はなくなった。

だが観光客が来る度レオが釣り竿を持ってデートをするのは相変わらずなので、魚を慎重に逃がすようになったのだろう。

「レイシアの作戦、上手く言ったわねー。」

「レオって面倒くさいこととか人に干渉されるとか嫌いでしょ、だから町のみんなから説教されるのが一番無理だと思ったんだ。」

二人はまず父ピートにこの話をし、様々なルートで噂を広めていった。さすが田舎、情報伝達速度の速いことといったら。

「女神様や父さん譲りの力を使って魚が出てくる悪夢をレオに見せようかとも思ったけど、その必要なかったね。」

「……あんた、随分と敵に回したくない子に育ったわね。」


3 シンシア


「やっばい、寝過ごした!」

シンシア、18歳。人生初の寝坊。

「も〜〜なんで今日に限って!」

カレンダーの今日の日付には、丸印と“花祭り”の文字。

「父ちゃんもレイシアも、起こしてくれたらいいのに〜!!」

幸い着る服は昨日の内に枕元へ置いてあったので、慌てて着替えを済ませ、顔を洗う。

「行ってきまーす!」

勢いよくドアを開け、牧場の動物達に向かって叫んだ。

『いってらっしゃーい!』


「シンシア、貴女今来たの?」

幼なじみで図書館司書のアンナが、シンシアが広場に着くなり呆れと驚きの混ざった視線を向ける。

「寝坊しちゃってさ〜、私もびっくりしたんだよ。」

「早くリリアの所行かないと、風船飛ばす時間に間に合わないわよ。」

「げっ!」

花の種が入った袋のついた風船を飛ばすのは、祭りのメインイベント。

逃すわけにいかない、とシンシアは人混みの中親友の目印であるピンクのふわふわ頭を探す。

「いた! リリアーっ!」

大声でその名を呼ぶとリリアもシンシアに気が付き、笑顔で手を振った。だが、彼女の反対の手や近くには風船が一つも見当たらない。

「おはよう、シンシア。」

「おはよ…風船なくなった?」

「うん。」

さらっと言われ、シンシアはがっくりとその場に腰を下ろした。

「ちょっとシンシア、がっかりするのは早いわよ? ほら。」

リリアがスカートのポケットから出したのは、花の種が入っている袋。

「……それをどうしろと?」

「決まってるじゃない、王様と一緒に気球から蒔くのよ。」

リリアは笑顔で袋をシンシアに手渡した。

「姉ちゃん、ほら真ん中行って行って。」

「王様がお待ちかねだぞっ。」

「レイシア、レオ?」

どこからか現れた弟と友人に背中を押され、シンシアは広場の真ん中へと連れられた。

「よう、シンシア。寝坊したんだって?」

「…デューク兄さん。」

今年の王様はデューク。酒場の店主でシンシア達の兄貴分。

「一緒に行くか。」


……そして、町のみんなに見送られ気球と風船が飛び立った後の地上では。

「イエー、上手くいったー!」

「やったねー!」

レオとロキが笑顔で片手をかかげて互いの手をうち鳴らした。

「リリアもレオも協力ありがとね。」

リリアはわざと風船を一つ少なく用意した。レオは気球に乗りたがる子供達を特製ケーキで宥めた。

「シンシアのためだもの、当たり前よ〜。」

「そうそう。」

主犯……ではなく発案者はレイシア。シンシアがデュークに憧れていることを知っていた彼は、今回の作戦を思い付いた。

「でも、眠り薬なんてどこで手に入れたの?」

「やだな、自作に決まってるじゃん。」

怖いことを笑顔でさらりと言ってのけるレイシアである。シンシアが知ったらどうするだろうか。



「わー、高ーい!」

一方、上空のシンシア達。

「シンシア、はしゃぎ過ぎて落ちるなよ。」

「大丈夫ー! わ、大きな湖がある!」

気球に乗るのは子供の頃、父親がその年の王様になったとき以来。普段は見られない空からの風景といったら、言葉では言い表せない。

「そろそろ蒔くか?」

下界の風景は湖から草原に変わっている。

「うん、蒔こー。」

袋の中に入っていたのはピンクキャットミントの種。シンシアが一番好きな花だ。

「お、これお前が好きなやつだな。」

「…うん。」

「リリアとかとよく花冠やら作って遊んでたろ、懐かしいな。」

「すごい昔の話じゃん。」

「ついこの間だろ。」

子供扱いされているようで面白くない。だが、その一方で小さなことを覚えてくれていることが嬉しい。

「よーし、飛んでけー。」

袋を開けて種を手の平に乗せ軽く揺らすと、種が風にのって旅に出る。

「来年の今頃にはここら一面がピンクキャットミントかな。」

「きちんと咲けばな。」

「見てみたいねー。………来年私が王様になったら、また一緒に乗ってくれる?」

――デューク兄さんとまた一緒に気球に乗りたい。淡い恋心をそっと忍ばせる。

「……別に、王様にならなくても来れるだろ。来年から定期船の本数増えるんだから。」

「……一緒に、来てくれるの?」

「ああ、約束だ。」

そう言ったデュークの笑顔があまりにも優しくて、シンシアはなぜだか泣きたくなった。約束が果たされないことを、二人はまだ知らない――


4 ジンザ


その日は、朝から町中がざわついていた。

「トーマス? どうしたの?」

手紙らしきものを持って青い顔をしている友人に、シンシアは声をかける。

「……シンシア、これ読んで。」

「何々……“前略、花の芽町にお住まいの皆様。私は都会にある株式会社鯛金コーポレーションの次期社長、ジンザと申します。突然ですが、そちらの土地は大変利用価値が高く是非買い取りたい次第であります”――はあ!?」

訳が分からない。とりあえず無礼なことこの上ない文章に、シンシアは怒りを隠さない。

「朝からの不穏な空気はこれだったんだね…。」

普段は温厚なレイシアも、手紙を読んで眉根を寄せる。

「…で、続きがあるんだ。」

普段はいつも笑顔で愛嬌のある顔を曇らせ、トーマスは手紙の2枚目を示す。

「“次の定期船でそちらへ参ります。急な話で申し訳ありませんが、準備の方よろしくお願いします”」

「準備? へえ、追い返す準備ってことかな?」

レイシアはすでに黒い笑みを浮かべている。

「…ちょっと待って。次の定期船って……。」

手近にあるカレンダーを確認する。定期船の日にちを表す船のシールは、明日の日付に貼られていた。


「……父さん、聞いた?」

「都の奴が明日来るってこと? 心配しなくても5回は聞いたよ。」

ピートは、シンシアに返事をしながらも牧草を刈る作業は止めない。首にはネックウォーマー、季節はそろそろ冬。

雪が積もる前に刈り取りを全て終えなければならないからだ。

「……これって……。」

「うん。昔女神様が言っていたこと覚えてるだろ? それだと思うよ。」

ああ、不安なんだな――と、ピートは娘の気持ちを感じ取る。

月山へ行ったきり夕方になっても帰ってこない息子も、大方同じ気持ちのはず。断言できるのは――自分もそうだからだ。

子供達が小さいときに起こった地震と今回とは、何もかもが違う。

――いや。一つだけあった。どんな時でも忘れてはいけない、自分達の生きる理由。

「シンシア。これだけは忘れないでいて。」

その前置きに、シンシアははっと顔を上げる。

「何が出来るのか今は分からなくても、花の芽を守りたいという気持ちはきちんと持っていて。ここにある全てが僕達の愛するものだ。何一つ無くす訳にはいかない。それを忘れないで。」

二人の真剣な眼差しが真っ直ぐに見つめ合う。そして、シンシアが強く頷いた。


翌日、手紙のとおりジンザは定期船に乗って単身やって来た。

まずは町長親子が挨拶をし、そのまま彼らの自宅へ向かう。単身で花の芽の地に降り立ったジンザを、住民達が遠巻きに見る。


「実はね、今回買い取りたいと言ったのはここにレジャー施設を作りたいからなんですよ。山あり海あり、都会の日常から離れ遊ぶ場所。」

「……はあ。」

「住民の皆様には都に住む場所を提供します。早速ですが見積もりのために町を見させて頂いても――」

「ちょ、ちょっとお待ちください。我々は町を売ることに同意した覚えはありませんしするつもりもありませんよ。」

なぜいきなり話が売る前提で進むのか。強引で無礼なジンザに、町長は抗議するが。

「考えてもみてください。こんな田舎でつまらない暮らしをするよりも、売り払って都会に出た方が楽しく賢い暮らし方が出来ると――」

「ふざけんなっ!!」

突然ドアが開き、怒り心頭のシンシアが入って来た。

何人かで立ち聞きしていたが失礼極まりないジンザに、いち早く怒りが沸点に達したらしい。

「都の社長だか何だか知らないけど、言いたいこと言ってくれるわね! 私達はこの町で生きていくことが幸せなんだから、あんたの物差しで私らを計るな!」

いつの間にか集まっていた町民が、「そうだそうだ!」と同意する。

ジンザは一瞬圧倒されかけたがすぐに持ち直し、不敵な笑みを浮かべた。

「……そういう訳ですので、お引き取り頂けますか。」

「ええ、分かりましたよ。これだけ反対意見が多いのでは私が殺されかねない。」

言葉の中に差別意識がかいま見られ、町民達は眉をひそめる。

「……ただし、条件を付けさせて頂きます。」

当然起こる反発を手で制し、ジンザは一枚の紙を取り出した。

「“過疎地域振興支援計画”。私がこれを使い花の芽町の支援計画を作成すれば、合法的にブルドーザーを持ってこれます。」

――体中の血が、あっという間に煮えたぎった。どこまで卑怯で勝手なんだ。

「……条件、とは?」

ジンザはククッと笑い、ドアの方へ顔を向けた。

「あちらのお嬢さんを頂けますか。」

お嬢さん――シンシアの怒りで赤くなった顔が、一気に青ざめた。


5 さよなら、花の芽


「ふざけんなよ、お前シンシアを物みたいな言い方しやがって!」

「そうよ、勝手すぎる!」

ショックで口も利けない状態のシンシアに代わり、友人達が応戦する。

「ジンザさん、私達の気持ちも考えて下さい。故郷を売るか親友を差し出すかなんて、普通決められないでしょう?」

町での生活が浅い、ゴッツの妻のサーシャも加勢する。

彼女も花の芽をいたく気に入っていて、ここ以外の暮らしはもう考えられないと以前話していた。

だが、皆がどんなに訴えてもジンザの態度は変わらない。

そんな中、当のシンシアは押し黙っていて、まるで一人だけ周囲の皆と違う空間にいるように見える。

「……姉さん?」

「シンシア……? あなた、まさか……!」

レイシアとリリアはそれぞれ嫌な予感を自覚し、シンシアに呼びかける。まさか、今彼女が考えていることはまさか。

「……やめて。」

シンシアが町民とジンザの間に立ち、ジンザと向かい合って両手を広げる。町民達をジンザから守るように。

「私があんたと一緒に都へ行ったら、花の芽から手を引いてくれるって事よね?」

その言葉を聞いたジンザは笑った――口の端を歪ませたようにしか見えなかったが。

「シンシア! 何言ってるの!?」

「…みんな、ごめん。でも、守るためにはこうするしかないの。」

「だからって……ねえレイシア、あなたも何とか言ってよ!」

アンナが隣にいるレイシアの肩を揺さぶるが、彼は姉を止めようとはしない。

分かってしまった。花の芽を守らんとする彼女の心が、痛いほどに。


ジンザは迎えのヘリコプターが来るまで数日間花の芽に滞在するらしい。

その間に荷物をまとめ、別れを済ますようにシンシアは告げられた。

悪夢のような現実。こんな形で花の芽を離れる事になるなんて。

だが、そうしなければ花の芽そのものが無くなる。譲歩も妥協も、情もないだろう。

彼女の決断に対して家族が真っ先に理解を示した事で、町民達も年配者を中心に渋々納得し出した。

友人達は泣きながら怒り、口々に言った。いつか絶対、帰って来いと。

シンシアもまた、友人達と一緒に泣き、そして気持ちを整理した。このままジンザの言いなりにはならない。

どうにかして花の芽から永遠に手を引かせ、尚且つ自分をつなぎ止められない状況を作る。


「……デューク兄さん。」

とうとう出発を翌日に控えた夜、シンシアは一人でデュークのいる酒場に来た。

酒場の二階にはジンザが宿泊しているが、一階にその姿は見られない。

「……シンシア、何か飲むか?」

「ぶどう酒がいいな。今年のぶどう、品質いいって聞いたし。」

カウンターにぶどう酒がなみなみと注がれたグラスが置かれ、シンシアが口をつける。

普段は賑やかな空間だが、今日の客は彼女だけ。夕方からちらついていた雪がやや強まり、窓を軽くたたく音しか聞こえない。

「……デューク兄さん。」

そんな静寂を破ったのは、シンシアだった。

「私………何とかして帰って来る。花の芽を守る方法、向こうでも探すから。」

シンシアは極力小声で話す。二階にいるジンザにも、誰にも聞かれたくない。

「……だから、帰ってきたら、あの花が咲いたかどうか見に行くの、ついて来てほしい。」

好き、とも待ってて、とも言えない。言わない。それでも大好きな彼に何か言いたくて、春の日の口約束に縋る。

「………分かった、待ってる。」

待ってるから。あえてその必要が無いにも係わらず、彼は同じ言葉を繰り返した。



そして翌日、予定通りシンシアはジンザと共に海の向こうへ行ってしまった。

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