2004年1月25日(日)
「心の専門家」はいらない 小沢牧子 洋泉社新書Y

最近のはやり言葉である、「心のケア」という言葉に対する胡散臭さがあったので、週刊文春の書評を見てすぐ買ってしまった。
著者は自ら臨床心理学を学び、ロールシャッハテストなどの研究をしたきたとのこと。この人の書いてあることには共感するところが多い。
社会で色々なことが起こったときに、すぐに心のケアが必要、というが、それは本当に解決すべき問題を個人の心の問題に矮小化することになっていく、という意見はもっともだと思う。何かが起こってしまった人に対して、カウンセリングが必要、という部分については、必要だと思うが、昔は友達や先輩、回りの人たちと話をすることで、大概のことが解決していたのだと思う。
問題が起こった後のケアも大事だと思うが、なぜその問題が起こったのか、それをなくすにはどうするのかを考えることが第一義であり、それこそが大事なことだと思っていた。だから、心のケア、ということに対して、どうも胡散臭い、と思っていた。
この本を読むと、「心の専門家」と呼ばれる人たちが、ケアという行為(カウンセリングの技法)をすることによって、本当の問題を個人の心の問題にしてしまい、本当に解決すべき問題を隠してしまう、という事が書かれており、それが本当だとしたら、もっと「心の専門家」に対する議論をしていくべきだと思う。
その他、「心」というものの専門性は成立するのかなど、ふだん新聞などで心理学の専門家の意見、などというものを見聞きするが、いったいその専門性というのは何なのか?などという疑問も提起されている。アメリカのセラピー文化と、日本のカウンセリング、というものでは、両者の文化の違いがあって、日本でもアメリカのようになっていく、とは思えない。
一番印象に残ったのは、<「心」の問題を専門家に預けようとすることによって、人と人との関係が自分たちを離れ、人は「生かされる消費財」として浮遊してしまう>という部分である。この「生かされる消費財」という言葉はこれからの人間の危機をよく表しているような気がする。それを食い止めるためには、自分たちが自分たちの心の問題を、安易に人任せにせず、自分で受け止め、回りに働きかけていくことが必要だと思う。