日本の宇宙開発について、現場への取材に基づいて書いている。
ロケット開発の難しさや、人工衛星の重要性、工学知識の重要性、よく出てくるが官僚組織の弊害(というより犯罪的というべきか)について書いてある。
この本を読むまで、日本のロケットが墜ちるのは、日本に技術力が無いからだと思っていたが、実際には削られた予算と技術者がやる気をなくすような官僚のやり方、宇宙開発を「先進国サロンに入るためのネクタイ」と考えるような、政府のビジョンの無さが問題なのだとわかる。H-Uロケットの開発費を聞いて、アメリカが「クレイジー」と言ったというような話は初めて知った。どうしてこのようなことをニュースにしないんだろう。墜ちた事実の裏側をもっと報道してほしい。
本の中で、「理工系の大学を卒業したというだけでは技術者とは呼べない。優秀な技術者を育成するには仕事の現場で鍛えることがどうしても必要である。それも、1つの仕事を最初から最後まで完遂することが必要だ。現場で物作りをやり通す経験を経ることで、初めて仕事に対する広い視野と見識が身に付き、1つの課題に対して自分なりの回答が出せるようになる。」とある。今の日本のエンジニアには、多くの課題を短時間でやる、という大きな負荷がかかっており、そのことがここに書いてあるような経験を阻んでいるのも事実。だからこそ、多くの企業で知恵の伝承、というようなことが言われているんだろう。
日本の政治家にあまりにも工学的知識がなさすぎる、という指摘も面白い。筆者は、「日本社会全般において、「理工系の教養を持たないことは社会的地位を持つものにとって恥ずべきことである」という認識が欠如している」、とまで言い切っている。これも本の中で紹介されているが、中国の閣僚は全て理系とのこと。これは文化大革命の反動だと思うし、それが良いとは思わないが、確かに有人宇宙飛行を成功させた要因の一つかもしれない。
理と工の差については、「理工系とひとくくりにされがちだが、理と工の差は、通常想像されるよりもはるかに大きい。理学は自然を理解することを目的とする学問で、その基本には「妥協なき真理の追究」という態度がある。それに対して工学は、理解した自然の力を応用する学問であり、基本にあるのは「いかに高いレベルで妥協するか」という精神だ。」という解説には感心した。設計とは、いかに高いレベルで妥協するかを追究する仕事、と自分のやってきた仕事が頭の中で整理できた。
それにしても、宇宙に行く、ということの意味や意義をもっと考えるべきだと思う。理系離れをくい止める方法としては、日本がもっと世界に先んじて宇宙開発をする、というのも方法の一つだと思う。宇宙というのは人間の存在の根源であり、それだからこそ昔の哲学者や科学者は宇宙について考えてきたのだと思う。宇宙について興味を持つ、ということは自己の存在について神秘的な思いをはせることにつながり、それは今の日本人にものすごく必要な部分ではないかと思う。橋や道路に使うお金を少しでも宇宙開発に回して、日本人としての誇りと夢を育てられるような宇宙開発のビジョンを育ててほしいと思う。 |