2004年3月18日
苦みを少々 399のアフォリズム 田辺聖子 集英社文庫
題名で、「苦み」のところに、ビターというルビがふってある。
こないだ久しぶりに田辺聖子を読んで、面白かったのでもう1冊読んだ。
399個のアフォリズム(警句)集。高校時代に気に入った評論やエッセイから、自分が良いと思う一節をノートに抜き書きしたりしたことがあるが、それを本にしたようなもの。
30代の頃、文庫になっている小説やエッセイはかなり読んだが、一つ一つのアフォリズムにその出典が書いてあり、見覚えのあるタイトルが並んでいて、何となくうれしかった。
恋愛小説はめったに読まないが、田辺聖子の本だけはたくさん読んだ。なぜ読めたのか、この本を読んで理由がわかった気がする。作者曰く、恋愛小説にはアフォリズムが必要で、それがない恋愛小説には魅力がないとのこと。今回たくさんの恋愛小説からのアフォリズムを読んで、おぼろげに覚えているものがあったり、主人公の名前に見覚えがあるものがあったり、なつかしかった。
恋愛は人生の一大事であり、それ抜きでは、この本の題名にある、ビター(苦み)の無い人生になってしまうような気がする。田辺聖子の恋愛小説には確かにアフォリズムがちりばめられており、だから面白いんだと納得した。

ふ〜ん、と思ったのは、

「私は、
<いそいそとする>
なんてことがあるのが、生きてるたのしみだ、と思い当たった。
なるべく、人生、<いそいそとする>ことが多いといいんだけどな。」

「私にいわせれば、人を責めるのは想像力がないからである。責めるのは何かの確信があるからで、確信と想像力は相反するものである。」

「人がもし、逆境に立ったらわたしは心から手をさしのべるのを、どんなにか惜しみはしないだろう。でも、自分はいやだ。自分がそうされるのはいやだ、というのはわがままだ。人づき合いがわるいことだ。
それはとことん、友人を信じていなくて、人間を侮蔑していることになる。」

「人間というのは、最後の死に至るまで、はじめての経験を重ね、重ね、していくものなのだ。どんなことだって、(前にやったことがある)なんてことは、ただの一度もないものだ。同じように見えていても、どこかしら、ちがうのだ・・・・・。」

などなど。