2004年3月28日
帰ってきたソクラテス 池田晶子 新潮文庫
作者が、最近本屋でよく見る名前なので文庫本を買ってみた。
いつもの本屋では見あたらず、西宮北口のジュンク堂で見つけた。
月刊誌に連載したシリーズとのこと。

ソクラテスが現代に帰ってきて、政治と金、福祉、性差別などのテーマについて問答をしたら、どうなるか・・・という想定で書かれている。ややこしい言い回しは出てくるが、専門用語は無く、読みやすい。

ソクラテスは対話をして哲学したということのイメージがわかる。
たとえば、ソクラテスに対してジャーナリストと評論家がもっと時代を意識して自分の意見を言うべきだ、と言ったことに対して、問答を重ねて、「すると、時代に即するとは、君が君の人生を、よそ見をせずに真面目に生きてゆくということでしかない。時代時代とよそ見をする人が、一番時代と自分の人生を取り逃がしているということになると思わないかね。」と言わせたり、フェミニストに対して、「しかしねえ、僕は思うんだが、それを男社会と言うにしろ女社会と言うにしろ、そも社会というものは、根本的に個人の欲望を制限するものだと思わないかい。そうでなければ僕らは社会なんてものを持つ必要は、初めからないわけさ。そこでは自分のしたいことが思うようにできないのは、男も女も同じではないのかな。」とか、「差別の問題は、契約の範囲でしか扱うことはできないよね。人は他人の意識なんてものを問題にすることはどうしたってできない。したがって、それを責めることも変革を命じることも同じだね。僕たちはそれを外に現われた発言と振舞でしか扱えない。このことは知っておいて損はないよ」とか言わせている。

太古の昔にギリシャでソクラテスがこんなふうに問答していたのかもしれないなあ、と思い、こういうふうに「考える」ということが哲学というものなのかもしれないということがわかる。

福祉については、長生きしているというそのことだけで人間は尊敬すべきなどということは、人間を馬鹿にした話であり、「老人」として特別に評価するなんて失礼な話であり、老人の中にも尊敬すべきなのと、軽蔑すべきなのがいるのは、当たり前で、尊敬すべき人ほど、世話をするべきではない、と言う。

ソクラテスの意見では、歳をとって一人で生きられなくなったら自分を死なせてくれるように国家と契約すべきだと言い、「他人にオムツ替えてもらって生き永らえるより、僕をなぶりものにできることなんて、あるとは思えないからね。」と書かれている。
これは本当にソクラテスの考えだったようだ。

面白いので、読み進めるのだが、内容はけっこうむずかしいようで、あとでさっと見直しても頭に残っていない。最後の3つの対話はソクラテスが死について語る。これは対象が死だけにむずかしいが、面白い。でも、頭には残らない。きっと自分の考えが足りないんだろう。