「帰ってきたソクラテス」が面白かったので、もう1冊読んだ。
調べてみると、シリーズは3冊あり、これが3冊目だった。失敗。まんなかの1冊をとばしてしまった。
それはともかく、今回はソクラテスのつれ合いであるクサンチッペが大活躍している。ソクラテスの妻、というのは悪妻の代名詞だったと思うが、作者はかなりクサンチッペに自分を投影して、カシコイ女性として書いている。
1作目と同じく、ソクラテスは「自分は何も知らないということを知っている」強さで、家族や選挙、介護、愛国心、ガン治療などをテーマに、「問題はどういう事なのか」を問い、ふつうの言葉でその本質は何なのかを明らかにしていく。
ソクラテスそのものについて知らないのだが、作者が書くソクラテスが、自分にとってはソクラテスになってしまった。
最後にソクラテス、著者と語る、という章があり、そこで著者が、
「真理を書くのが真理を話すより難しいのは、話すという行為には相手がありますが、書くという行為には相手がない、一方的な行為だからです。真理というのは表現されないことによってのみ表現され得るものだから、まさにあなたがそうしたように、誰かとの対話において、それが真理と思われていることをひっくり返すことによって、示され得るわけですね。・・・」
と書いている。なるほど、この本の中にも、結構難しいことが書いてあるが、これを対話という形ではなく、書き下ろしたとすると、きっともっと理解できないものになってるような気がする。
今回も、ほぉ〜と思わされる内容があった。
金で手に入るよいものと、金では手に入らないよいもの、「良いもの」と「善いもの」、すなわち、経済的価値と哲学的価値は別の話である、ということ。このふたつの価値をごっちゃにするところから、金儲けは卑しいとか、清貧それ自体が素晴らしいとか、今や心の時代なのだとか、妙な話になっていく、という。
金は、価値を量る尺度であると同時に、価値そのものでもある。人は、金によって良い物が手に入ることに慣れてくると、金それ自体を良い物と思うようになり、手段と目的が同一になってしまい・・・困ったことは、このとき人々は、よいものは金で手に入るという考え方に慣れすぎていて、金では手に入らないよいもの、すなわち、「善」という価値の欲し方がわからないということなのだ、となる。
インターネットの推進については、推進者が情報を知ることが大事だ、ということに対して、
「知る」とは何かを知ったうえで、情報を知ることを求めているかな、と問いかけ、
「知る」とは何かを知らないことだ。聞いて読んで与えられて知ることを、「知る」とはほんとは言わんのだ。情報を知ることを「知る」と言うことはできんのだよ、と反論し、
「知る」ということは、自力で考えて知ることをしか言わない。聞いて読んで与えられて知ることを、「知る」とは言わない。なら、何を聞かなくても、何を読まなくても、ゼロから自力で考えて知るそれのことを何と言うか。僕はそれを「知識」と言う。知識と情報とは、根本的に別のものだ。たとえ中身は同じであっても、知識と情報とでは、知性にとってその在り方は正反対なのだ、と言い、あんまり情報化が進むと、一律に人間はバカになるのじゃないか、考えることをしなくなるのだから・・
と言っている。
これは、本当にそうだと思う。何か課題があって、それを考える、というときには、それまでにその課題について自力で考えたことがなければ、考えることなど出来ないのだと思う。それを、その課題に対する問題意識といい、問題意識の数を増やすこと=いろんなことについて自分で考えること、がすごく大事なことだろう。自分が経験できないような事についての問題意識を持つための一つの方法として、本を読むということがあるのだと思う。(もちろん楽しみのためもあるし、楽しんでいるうちに知らず知らずのうちに問題意識を持つ、ということもありだと思う。)
公的介護に関しては、1冊目でも書かれていたが、何をすればよいのか、に関して、まず、全ての子供たちに哲学教育を施し、人間は生まれてきたから死ぬものであり、この当然のことを怖れて免れようとするのは、決してよく生きることではない、よく生きるとは、よく死ぬことだ、と幼いうちから教育することが必要だという。生命に執着するのは、高貴でも優れていることでもなく、むしろ恥ずべきことだ、とも。
なぜなら、生きていること自体で善いことなんだと皆で思いこんできた結果が、この高齢化社会であり、生きていること自体で善いことなんだったら、いま生きている人間たちは、なんであんなに悪いかね、と手厳しい。
その他に、選挙は権利ではなくて義務ではないかとか、死とは何かを知らない科学に、人を救うことはできないとか、色々と面白い事が書いてある。
それでも、1冊目と同じく、読み返してみると頭に入ってないことがわかる。
やさしく書いてあっても、内容は難しいということか。
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