2004年4月29日
山口瞳「男性自身」傑作選 熟年編 嵐山光三郎編 新潮文庫
週刊新潮に31年間連載された、「男性自身」という山口瞳のコラムの中から晩年のものを選び、嵐山光三郎が編集したもの。
何となく面白そうな気がして、買ってみた。

この人は、大正生まれの戦中派で、兵隊として戦争を経験した人だった。1995年没とのこと。
亡くなったのは知っていたが、もう9年前になるのか。

裏表紙には--週刊新潮で31年続いた名物コラム「男性自身」は、ユーモアとペーソスにあふれた出色の身辺雑記だった--とある。

さすがに、大正生まれの人の書くものであり、身辺雑記とはいえ、自分の年代とはかなり違っており、色々な思いに共感するという部分は少ない。
戦争中の悲惨な経験から、ガスの点火ができない、というような下りを読むと、ユーモアもあるが、一方で、すごいなあ、この年代だからこういうこともあるんだなあ、などと思う。

俳句を作る話や、絵を書く話など、趣味の話は謙遜して書かれているが、作者の多才さと、国立(くにたち)という土地の魅力を感じさせる。

戦中派として、戦争というものをとらえて書いた文章、というものは、山本七平や会田雄二くらいしか読んだ記憶がないのだが、この本の中に少しだけその類の事が書いてある。
自分はセンチメンタリズムでしかものを書けない、と言ったうえで、コラムを書きすすめ、

私は、戦争というものは、すなわち「母の嘆き」であると思っている。戦争となると、不思議なことに、死ぬことは怖くなくなってくる。しかし、私が死んだら母が嘆き悲しむだろうと思うと辛くなってくる。それは本当に辛い。「君死に給うことなかれ」と母親や愛人に言わせることが辛いのである。

と書いている。
この下りは、実際に体験した人でなければ、書けないと思う。
このコラムには、ほとんど政治的な発言はなかった、と編者の嵐山光三郎が書いているが、時には戦中派として言わなければおれない事があったんだろう。

全体を通して、ユーモアとペーソスあふれる・・という感じではなかった。身辺の事、師事した人のこと、旅行のことなどが書いてあるのだが、ちょっと重たかった。

もっと若い人が読んだら、どういう風に感じるのか、興味がある。