2004年5月3日
怪笑小説 東野圭吾 集英社文庫
東野圭吾のエンターテイメント路線が面白いので、もう1冊読んだ。

これは、僕の中ではSFというジャンルに入る作品だった。9編の短編に、作者自身が一つ一つの作品に対する解説を書いたあとがきが入っている。
初期の筒井康隆のSF小説のような感じ、というと筒井康隆を知っている人には分かってもらえると思う。

いずれも発想が面白く、楽しんで一気に読める。
タイトルどおり、笑えるものもあれば、ちょっとブラックで怪しいものもある。

一番面白かったのは、巨人の星をパロディにした「一徹親父」という短編。こういうパロディものは、作者と同世代であるという事が幸いし、すごく笑える。この作品に対する作者の解説がまた面白く、「そう、そう」と手をたたきたくなる。
UFOのパロディである「超たぬき理論」も面白かった。
「しかばね台分譲住宅」も、自制の効いたドタバタで楽しめる。(若い頃の筒井康隆なら、もっとえぐいところまで書いているだろうなあ、と思う−これはこれで好きなのだが。)

「あの頃僕らはアホでした」という自伝によると、作者は子供の頃は読書嫌いだった、ということが書かれている。しかし、映画は好きだったようで、高校時代に映画を撮って、自分も出演していたとのこと。

筒井康隆が劇団で俳優をやっていた、という事と一脈通じるところがある。

ある種、荒唐無稽である、このようなエンターテイメント系の小説を書けるという事と、映画を作ったり、劇を演じるという事とはつながっているのだろうか。映像的な想像力と、観客である読者の反応を計算しながら書く、という行為ができる、という事が重要な部分かもしれない。ただ、自分の中の思いを書き綴る、という行為だけではエンターテイメント系の小説は書けないのではないか、という気がする。

それと、これは解説にも書いてあったが、関西人、という要素は大きいのかもしれない。今回の作品はほとんど標準語の会話で書かれてはいるが、会話のリズムというか、話のもっていきかたが、読者がつっこみを入れやすい、という感じがする。こういう言い方でわかってもらえるかなあ?
やっぱり、エンターテイメントは「関西人」という素養が強みになるのではないか。(これを素養と言ってよいのかどうかはわからないが)

逆に、筒井康隆ともっとも相違する点は、東野圭吾は理科系である、という事である。(筒井康隆は心理学オタクであったような気がする)その部分が、同じドタバタ、スラプスティックでも、少し自制が効いて、読者を納得させる東野作品の良さを出している部分なのかもしれない。

解説を書いている、真保裕一という作家は、ミステリ作家として東野圭吾に憧れていたとの事だが、ある日書店で「あの頃ぼくらはアホでした」という新刊を見つけ、驚いたとのこと。それまでの東野圭吾像がガラガラと音を立てて崩れたらしい。

「東野圭吾の青春ミステリのファンで、まだこのエッセイ集(註:あの頃僕らはアホだったのこと)を読まれていない方がおられるのなら、注意と覚悟が必要である」

と書かれている。

そうなのか。僕の中では東野圭吾は、完全にエンターテイメント系の作家の引き出しに入ってしまった。
なるほど、この人が書く本格的なミステリも面白いかもしれない。

あの頃ぼくらはアホだった、から入って、本格ミステリに行くのと、本格ミステリから入ってこっち側に来るのと、どちらが得なんだろう?(すぐ損得を考えるところが、関西人か)
僕自身は、こっち側から来てラッキーという気がする。