マインドハッカーたちの詐術、という副題がついている。
作者は臨床心理士で、この本を書いた動機は、PTSD(外傷後ストレス障害)の概念がとめどなく拡大解釈されていく現状に対する強い危機感である、とのこと。
この本の冒頭にも出てくるが、阪神大震災の後、PTSDという言葉が使われはじめ、それ自体を否定するわけではないけれど、その後ことあるごとにPTSDという言葉が出てきて、何となくうさんくさい気持ちなっていたので読んだ。
以前読んだ<「心の専門家」はいらない>という本と同じ系統の本である。
この本の中心は、1980年代から90年代にかけてアメリカで流行った、PTSDの治療方法としての「抑圧されていた記憶を蘇らせ、言語化する」という「記憶回復療法」に対するアメリカでの動向の紹介である。
この記憶回復療法でどういう事が起こったかというということを引用すると、
自分が70代の老人になったとして、娘が2人の子供の受験準備に忙しい中年女性になっている。孫を連れて訪ねてきてくれるのが楽しみだ−−ところが、ある日突然警察から電話がかかってくる。
「事情聴取に署まで来ていただきたい。」
「何も身に覚えがありませんが」
「娘さんがあなたから50年前に性的虐待を受けたということで告訴状を出されています」
あるいは、あなたに億近い損害賠償を娘が請求し、裁判所から開廷の日程の連絡が来る・・・。
というような目にあったという家庭が万単位にのぼったらしい。映画のストーリーではなく、現実とのこと。
さらに、引用すると、
父親を告訴告発した女性たちは、「カウンセリングを受けて、今まで抑圧して忘れていた幼児期の記憶が蘇った」と主張した。(中略)
この告訴告発ムーブメントは、いったん父親を告発した娘たちが、セラピーから離れてしばらくすると、「ありもしなかったことの偽りの記憶を植えつけられた」と気がついて、告発を撤回する一方で、かつての精神科医やカウンセラーを医療過誤で訴える、という展開になった・・・。
という事らしい。
確かに、アメリカのドラマを見ていると、子供の性的虐待のエピソードが出てくることが多いのは事実。ビバリーヒルズ青春白書にもあったと思う。
作者はこの記憶回復療法の先頭に立っているハーマンという人物に対して徹底的に批判を加え、彼らはマインド・ハッカー(これはアメリカの著名なコラムニストが名付けたとのこと)である、という事を紹介している。
作者自身、「私を含め、多くの日本の精神療法家は、アメリカは精神療法先進国であると信じ込んでいる。しかし、一方ではマインド・ハッカーのような言い方をされているという事実を知らなさすぎるのではないだろうか。私は、アメリカの精神医学界・カウンセリング界がこれほど社会的に信用を落とした経緯を謙虚に学び、決して日本で同じような過ちが起こらないように自戒しなければならないと信じる。」
と書いている。
確かに、アメリカのドラマで、セラピストを皮肉ったエピソード(セラピストの言うとおり、家族でセラピーをしているうちに、家族が無茶苦茶になる、というようなヤツ)がある事も事実。
最終的には、この記憶回復療法は社会的に裁かれ、この手の「抑圧された記憶」による告発は各州の裁判所から却下されるようになった、とのこと。この経緯はつぶさにこの本に書かれている。
アメリカの保険制度の改革によって、病気によって、保険が適用できる治療回数が決められ、その結果、長い時間をかけて人格を根底から再構成することを前提としている精神分析療法に関しては、非常に不利になった、というような事も紹介されている。
結局、精神分析もビジネスとして成り立つかどうか?というところが重要、ということか。
現代人は、「出来事の原因」という発想に取り憑かれすぎており、何か起こると、「原因は何か」「原因の究明を急げ」という原因探しの強迫観念を持っており、みんな、原因と結果の間が一直線の矢印でつなげるような、可能な限り単純な一対一の因果関係を求めている、とのこと。
これはうなずける。自分を振り返っても、そう思う。
「原因を発見して、それを除去すれば問題は解決する」ということに、ほとんど信仰といっていいほどの信を置いている−−これもその通りだと思う。
しかし、心の病気の問題に関しては、すでに起こってしまったことについて、それに先行するどの事象が原因なのかということを決定する手だては原則的に存在しない、と考えるべきであり、原因がわからなくても、問題解決をしているではないか、と作者は言う。
たとえば、英会話が上達しない、ということに対して、「英会話が上達しない原因をまず解明しよう」というような遠回りな方法を用いるのか?−−そうではなく、たとえば本屋に行って上達した人の体験談を探し、成功例の中から自分でもできそうなものを試すのではないか?−−そういわれれば、そうかもしれない。
解決指向セラピー、というのが作者がやっているもので、原因を究明するより、「どうすれば解決できるのか」という具体的な実践方法を話し合うことに重点をおく、とのこと。
このような「原因は何かを考えないセラピー」は、時にポストモダンセラピーと名付けられるらしい。
さらに、「心の問題」に注目しすぎて、他の重要な問題を軽視することになりかねない、という事が「危ないPTSD概念の拡大」という章に書かれている。
イラク戦争でのバクダッドの子供たちのPTSD症状について心配するよりも、まずは雨露をしのぐ場所があるのか、とか、栄養状態はどうなのか、とか、戦争孤児たちを経済的に支えていく見通しはあるのかとかいう現実的、物質的な問題の解決が優先されるべき、というのが作者の意見。
「人々は社会や経済の問題に目を向けることよりも、夢日記をつけたり心理学書を読むことにエネルギーを投下するようになっている。その結果、私たちの社会の自己変革能力が衰退してきているのではないだろうか。」
<「心の専門家」はいらない>という本の作者も、同じような事を書いていた。
これが自分のPTSDの記事に対するうさんくさい気分だったのかもしれない。
でも、昔フロイトの本を読んで、感心した事も事実であり、精神分析という方法は正しいと思うのだが。
心理学についてある程度の知識のある人向け、という本。自分にとっては、得るところがあった。
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