2004年7月9日
百年分を一時間で 山本夏彦 文春新書
山本夏彦が自分で作っている雑誌「室内」の編集者と、山本夏彦自身の対談集。主に自分自身が今まで書いてきたテーマについて、話している。
テーマは、流行歌・オリンピックそのほか・就職難求人難・タイトル・花柳界・芸人・社会主義・奉公人・株式会社・井戸塀・長屋百年・ピーアール・文士・貧乏・電話、の15題。

本のタイトルである、百年分、というのは主に戦前の昔から今までの歴史について対談しているところから来ている。もともと、この人は「誰か戦前を知らないか」という作品も書いており、戦前という時代が今あまり語られていないという事に疑問を感じ、それを書き残そう、という人だった。

やはり、山本夏彦はコラムの人だ。
この本では、若い女性の編集者を相手に、かなり饒舌に話しているようだが、コラムの時にある独特の短い文章をたたみかけるような切れが無いのが残念。

中に、ガッツポーズというのは戦後のものであり、買った方が負けたものの前で狂喜乱舞するということは、わがスポーツマンはしなかった、勝負は時の運であり、すれすれなんだから、というくだりがある。確かに、あれは最近のもののように思う。時代をよく見ていないと、いつからガッツポーズをするようになったのか、わからなくなるだろう。少なくとも、僕が中学校時代に見ていた高校野球の中継では、ガッツポーズなど無かったように思う。

これは武士道と関係があるとのこと。

そういえば、こないだテレビで今回アテネに行く予定の柔道の選手が、勝っても試合後の礼をきちんとする、という事を言っており、それがニュースになっていたところをみると、今やガッツポーズ派が多数派であり、勝負は時の運、自分が今回は勝ったが、ひょっとしたら負けていたかもしれない、と思って真摯に勝敗の結果を受け止めるとか、相手がいるからこそ自分が勝負できたと思い、相手を尊重するというような姿勢は過去のものになりつつあるのかもしれない。

武士道というのも、今や死語になりつつあるんだろう。
僕らの世代は、小学校の頃に忍者マンガを読んだり、戦争物のマンガを見たりして、武士道という言葉は知っているんだと思う。松本零士の宇宙戦艦ヤマトあたりが最後の武士道カラーのアニメだったか。あれでは、確か、死んでいく敵将を敬礼で送る、というような場面があったはず。ガッツポーズはなかった。

社会主義について、という非常に政治的な項目がある。(コラムでも政治的な話はあるが、正面切って書いてないような気がする)
社会主義と資本主義の違いは、社会主義には正義があって、資本主義には正義がない、ということ。だから社会主義は若者を虜にしたのだ、と言う。一方で、正義ほどイヤなものはない、と言う。正義をかざすものにはろくなものがいない、ということか。正義と良心のかたまりだった将校が、五・一五事件で首相を問答無用で殺した、というところは説得力がある。確かに、正義は恐ろしい。

その山本夏彦が、電話という項目で人間のやってきたことは時間と空間を無にする事であり、その意味でインターネットは魔物である、と言っている。この人の言うことは鋭いから、きっと当たっているんだろう。
ワープロはタイプライターみたいなもので、人間の根底をゆるがすものではないが、インターネットは広く深く、政治、経済、倫理を根本からゆるがす、魔物ではないか、とのこと。
確かに、今までの技術革新の何よりも、インターネットは時空をゼロに近づけることに成功した技術だと思う。だから、社会のいろんなところを変える事が可能なのかもしれない。それを魔物にするかどうかは使う人の力量だと思うが・・・。この人の書き方では、今の人類では無理なのかもしれないなあ、と思う。

それにしても、惜しい人を亡くしたものだ。

最近、本を読もうと思うのだが、どうしても眠気に勝てず、本が読めない。三週間も更新が滞ってしまった。
歳をとったのか・・・。もうちょっと頑張ろう。