昭和ヒトケタについて調べていたらこの本にあたり、面白そうだったので購入。
著者は昭和ヒトケタ商社マンと同じく昭和2年生まれ。1927年にアサヒビールに入り、平成10年から名誉顧問になっているという成功したビジネスマンである。
この本はニューヨークにいる著者の高校生の孫娘が「家族や知人に戦争のことを聞こう」という学校の歴史の課題を与えられて、祖父である著者に手紙で質問を出したところからできた本とのこと。
実際に娘から来た質問状に答える形で書き進められている。
例えば、質問1は「おじいちゃんが生まれたのは1927(昭和2)年ですよね。おじいちゃんが生まれた環境、そのころの日本の様子はどんなふうでしたか?」という風に始まっている。
時間を追って、著者が生まれ育った時代の日本のありさま、著者の思いが綴られていく。
昭和2年に生まれた著者にとって、子ども時代はたしかに貧しかったが、元気いっぱいだったとのこと。マンガの本もテレビゲームもなかったが、野山をかけまわれば遊びの種は尽きなかったらしい。
「日本の近代史関係の本を読むと、そのほとんどに「日本は昭和のはじめごろから戦争に向かって暗い時代に突入していった」ということが書いてあるが、実をいうと、これがおじいちゃんにはピンとこないのだよ。あのころを思い出すと、全てが楽しく、毎日が黄金色の光彩に包まれていたような気がするほどだ。」
と書かれている。
僕らが受けた教育(だけでなくテレビなども)では、たしかに、戦前は闇のような時代、と言われていたと思う。でも、昭和ヒトケタの世代の気持ちとしては、そんなことはないのではないか。ひょっとしたら今よりもいいのかもしれない。最近僕は戦前は暗かった、というのは一概には言えないと思っているが、この本でもその思いを新たにした。(当たり前かな)
もちろん、闇のような時代だった、と思っている人もいるとは思うが。
戦後の教育については、「平等」の意味を考えないといけない、というのが著者の意見。「さまざまな個性と能力を持つ人間を一律にとらえることこそ、人間の可能性を押しつぶす不平等ではないだろうか。」というのは、当たっていると思う。タイムを計って、近いタイムの子どもの組を作って走らせる、というかけっこは正しいのだろうか。
「平等とは、一人ひとりの人間がそれぞれの個性と能力を十分に発揮して生きられるということだ。そのためには、いくつかの段階で一人ひとりがそれぞれの適性を見極め、その適性に見合ったコースを選択できるようにすることが大切なのではないだろうか。さらには、敗者復活の機会も制度のなかに用意しておく。それが人間の本質にかなった平等な制度だと思うし、人間的な優しさのある制度だと思う。」
「今の日本の教育の基本になっているのは、教育基本法だ。(中略)非常に抽象的で、しかも人間の”個”の部分のみが強調され、”公”の部分はまったく無視されたものになっている。人間は”個”のみで生きることはできない。極論すれば、”個”のみで生きられるならば、教育など必要ない。”個”と”公”、この二つを調和させて生きるのが現実であり、大切なことなのだ。」
もっともな意見だと思う。
孫娘の質問にしたがって、陸軍士官学校に入ったこと、終戦へと話が進む。終戦についての手紙の中で、著者はこう言っている。
「戦争は人類の敵であり、永久に起こってほしくないものだし、また、起こしてはならない、ということだ。これは絶対的な前提である。
しかし、現実に戦争は起こる。過去の歴史がそうだったし、いまでも戦争が絶対に起こらないという保証はどこにもないのが現実だ。だからこそ、公のために身を捧げる行為は平和を守るために尊ばれなければならない。公に己を捧げる使命感こそが戦争という愚行を防ぐ力になるのだ。
ところが、今の日本では戦争を否定するのはいいが、公に尽くす使命感までが否定されていないだろうか。・・・」
実際に国のために身を捧げる覚悟でいた人にこう書かれると、説得力がある。
僕はこのことは頭ではわかるが、感情的にはついていけない。
著者の言っていることについていけないのではなく、自分をふり返って、国のために身を捧げることができるか?と聞かれたときに、その覚悟を持つ自信がない。命が惜しいと思うやろなあ、という気持ちが先に立つ。
でも、実際、お国のため、と言って死んでいった兵隊がたくさんいたのは事実。
国の体制や軍国主義や、色々あるかもしれないが、やっぱりそうやって死んでいった人たちは偉いと思う。日本も無宗教の無名兵士の墓園を作ったらどうなんだろうか。
戦争の本質について、という章では、1937年の支那事変で軍部が戦線を拡大していったのが、最も重大な過ちであり、日本の岐路だった、と書かれている。これは日清・日露戦争で勝った軍部が傲慢になっていたからであり、「傲慢になると、情報を集め、それを分析し、どの選択肢をとるのかの冷静な判断ができなくなってしまう。そこに過ちが生じる。二十世紀を通しての歴史のなかで、日本が最も反省し、学ばねばならないのは、この点だろう。」という。
人それぞれ意見はあるだろうが、歴史の教科書にこういう事も書いておいてほしい。
そうでなければ、また過ちを繰り返すのではないか。
第二次大戦は正しかったと思うか?という問いに対しては、日本の戦線拡大に対してアメリカが取ったABCDライン(経済制裁)やハル・ノートに示された、アメリカのむちゃな要求に言及した後、
「あってはならない戦争を、日本とアメリカはやったのだ。その責任は日本とアメリカの双方にある。日本は中国戦線を拡大して誤った。アメリカは日本を戦争以外の選択肢がないところに追い込んで誤った。双方がそういう過ちを犯したのだということをきちんと認識しなければならない。」
と書いている。
東京裁判についても、「平和に対する罪」は事後法であること(それまでなかった法律を作り、その法を過去にさかのぼって適用すること)を厳しく指摘して、連合国側の11人の判事の一人、インド人のパール博士が述べた批判を引用している。パール博士の批判とは、
「東京裁判は、裁判の名を借りた復讐であり、占領政策のプロバガンダにすぎない。真の平和と人道を確立する絶好の機会でありながら、それをなさず、法的根拠もないのに日本を侵略者と決めつけ、多数の個人を処刑することは、二十世紀文明の恥辱である。後世の歴史家は必ずこれを再審するであろう。」
というものだった由。これは僕もどこかで読んだことがある。歴史の教科書には載ってなかったが。
この後、敗戦で失われしもの、という章でマレーシアの元上院議員のノンチックさんという人の詩が紹介されている。この詩が、戦後失われたものを表しているのかもしれない。
規範や礼節や道徳を持つことの大事さに思い当たる。
ぜひ、読んでみてください。
昭和ヒトケタの意見を聞き、暗くなかった戦前のこと、第二次大戦に対する思い、今の日本に対する批判など、得るものは多かった。やっぱりこの世代の人たちがもっと戦争や今の日本について書き残してくれないと・・・。
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